むしろペットの方が
灯安良の両親も、阿礼の両親も、子供をこの世に送り出したはいいが、三歳を過ぎて明確な自我が芽生え始め、口答えするようになった頃から急速に関心を失い、小学校に上がる頃には、死なせるといろいろ面倒なことになるから死なせないようにしているだけだった。
完全に、ペットショップで見かけた可愛い子犬や子猫を衝動買いして飼い始めたものの、大きくなるにつれて気持ちが冷めて後はただ惰性で飼っているだけというそれと同じだっただろう。
目立った虐待はなかったものの、それで子供がまともに育つと本気で思っているのだろうか?
だから灯安良も阿礼も、両親のことなどこれっぽっちも信頼していないし、尊敬もしてないし、もちろん愛してもいなかった。
なのに世間は、親に面倒を見てもらっているのだから親を敬い、感謝しろと言う。
冗談ではなかった。
こっちは『生んでくれ』と頼んでもいないのに生んでおいて、しかももう飽きたからと言っていい加減なことをしてるのに、それを敬えとか感謝しろとか、正気の沙汰とは思えなかった。
子供をペットみたいに可愛がるだけ可愛がって飽きたら飼い殺し。それで感謝しろって?
ふざけるな!
むしろペットの方が、『飼ってやってるんだから感謝しろ』とか言われないだけマシだとさえ思った。
そうだ。ペットに対しては、普通、『感謝しろ』などとは言わないだろう。それなのに人間の子供には『育ててもらった感謝をしろ』と言う。
感謝を強要されないということは、ペットの方が子供よりも立場が上なのか? 優遇されるのか?
ペットショップで金で買ってきたペットの方が? 自分達が生んだ子より?
いくら何でもそれはおかしくないか?
灯安良も阿礼もそこまで具体的に考えていたわけではないものの、ほとんど本能的にそのおかしさを察していたと言えるのだろう。
故に誰も信じられなかった。
けれど同じように感じていたからこそ、二人は惹かれ合ったのかもしれない。
そして夏休みが明けた頃、ついに灯安良は自分の体の変化に気付いた。
『あれが、来ない……』
<あれ>。すなわち月経である。それまでは判で押したように規則正しく来ていた月経が、もう、二週間以上遅れている。そして検査薬を薬局で買ってきて、自分で調べてみた。
結果は、陽性。
「やった……! やったぁ……!!」
さっそく阿礼に報告する。
「家族だよ! 私達の家族だ! 来たんだよ!!」
「ホント!? やったあ!!」
二人は本当に、飛び上がらんばかりに喜んだのだった。




