幽鬼
過酷な<取り調べ>は連日続き、獅子倉の顔はやつれ、無精髭が伸び、明らかにその精神にまで異常をきたしていることが察せられる様相を呈していた。
無実の罪でここまでのことをするのが本当に許されると思うのだろうか?
よく、
『被害者のことを考えたら、犯人は確実に見付けなきゃダメだろ!』
と言う者がいるが、無実の罪でこのような目に遭わされればそれがもう<犯罪被害>であり、『被害者のことを考えろ』と言うのであれば、れっきとした<犯罪被害者>となった獅子倉のことを考えないのはおかしいのではないか?
『そんなこと言って犯罪者を取り逃がしたらどうするつもりだ!?』
と言う者もいるが、だからと言って新たに犯罪被害者を出していたのではそれこそ本末転倒というものではなのだろうか。
<推定無罪>とは、そういうことではないのだろうか。
そして、こういう安易な手法に頼っていては<丁寧な捜査>や、取り調べの際の容疑者の細かな表情や仕草から、隠された心理を読み解くなどというスキルは身に付かないのかもしれない。
だから、目の前の容疑者が真犯人かどうかなどどうでもよく、とにかく自分達に都合の良い供述を引き出して<犯人>に仕立て上げ、さっさと検察に送って自分達の仕事は終わりと考えるような輩を生んでしまうのではないのか?
本当に真犯人を見付け出そうと思うのならば、無実の者にいつまでも手間を割いていてはいけない筈である。
そのようなことをしている間にも真犯人は逃げおおせてしまうかもしれないのだから。
もっとも、獅子倉の件については、その<真犯人>は既に死亡しており、供述も取ることができないので、もうひとつ難しいのかもしれないが。
そして獅子倉が徐々に精神を蝕まれていったのと時を同じくして、妻の方も精神に変調をきたし始めていた。
いくら覚悟をしていたつもりであっても、人間は機械ではない。与えられた性能を常に安定して発揮するというのは無理なのだ。その時々によって気分の浮き沈みもあり、追い詰められれば覚悟が揺らぐこともある。
いや、むしろさっさと音を上げて泣き言を口にしてしまえれば楽だったかもしれない。なまじ精神的に強かったばかりに、限界を超えて耐えてしまえたのだとも言える。
「……」
食事の用意をしていた獅子倉の妻は、ひっきりなしに鳴り響く電話のベルを耳にして、ゆらりと幽鬼のように包丁を手にしたまま電話機のところに行き、もはや人間のそれとは思えない目付きで呼び出し音を発し続ける電話機を見下ろし、言葉もなく機械的に包丁を振り下ろしていたのだった。




