関係ない話
他人を平然と傷付け、嬲りものにするような者を、本気で大切にしたいと想ってくれるような人間がそうそう現れたりするだろうか? そういう者の周囲に集まるのは、結局は同じように他人を蔑ろにするような、<同類>が集まるのではないだろうか?
いくら外面を整え、
『たとえ罪を犯した人でも幸せになる権利はある』
と口にする人間が近くにいたとしても、それは本当に本心からのものだろうか?
『罪を犯した人さえ許す自分はとても素晴らしい』
などと考える、ただの自己愛の権化ではなかったりしないだろうか?
確かに、獅子倉の周囲には、かつて過ちを犯しながらも今では幸せを掴んでいる者も少なからずいる。過酷な境遇ゆえに道を踏み外し、少なからず他人を傷付け苦しめた過去を持ちつつ、今では愛し愛される人生を送れている者も、現に存在している。
だがそれは、今現在のその人物が、他人を大切にできるようになったことで、それが自らに返ってきているに過ぎない。何も無条件に他人から愛を恵まれている訳ではないのだ。
そう。大切にされているのなら、大切にされるだけの理由がちゃんとそこに存在するのである。それを知らず、知ろうともせず、ただその者の過去を見ただけで『犯罪者が!』と罵る人間の浅ましさも、獅子倉は嘲っていた。
『そういう奴が蔓延り、大手を振って生きていられるこの世に<正義>などある筈もない』
「これにて閉廷。次の公判は―――――」
裁判を終え、次の判決公判の日程をメモしつつ、獅子倉は、
「ホントに大丈夫なんだろうな!? 無罪になるんだろうな!?」
と、罵るように問い掛ける被告の声を聞き流していた。そして被告に向き直り、静かに告げた。
「やれることはしました。後は、裁判官の判断次第です」
その言葉通り、現在の獅子倉にできることはやってみせた。だが、当の被告人自身が、裁判官にさえ不遜な態度を取り、殊勝な様子さえ見せなかったのは、被告自身の問題である。それがどのように影響するのかは、獅子倉の関知するところではない。
そして判決公判において、被告には罰金三十万円の有罪判決が下った。求刑された懲役六ヶ月に比べれば減刑されたとはいえ、被害者が重傷を負った訳でもない今回の事件においては結構な重い判断が下されたと言えるかもしれない。
これに対して被告は怒り狂い、獅子倉を解任してしまった。よって獅子倉は、被告の弁護人としての役目を終えた。
『後任の弁護士も大変だな…』
そんなことを思いながらも、
『もう私には関係ない話ですが』
と、冷めた表情で被告の下を去ったのだった。




