良好と見做す
今回のような些事とも言える程度の事件であれば、被害者側との示談を取り付けて既に解決済みという形にして不起訴処分という結果に持ち込むのが定石というものかもしれないが、今回に限って言えば被疑者がとにかく、
『自分は何も悪くない』
の一点張りで譲らず、
「動画も撮られている上に目撃者も多く、行為の事実関係で争うのは不利ですので、ここは、咄嗟のことでパニックに陥ってしまい、つい強く押してしまったとして謝罪し、反省の態度を見せることで犯意がなかったとし、嫌疑不十分という判断に持ち込むのが適当かと思います」
という獅子倉の提案も功を奏さず態度を改めないことで、検察官に、
『被疑者に反省の色なし、よって刑事罰を科すことが相当』
と判断され、とうとう起訴に持ち込まれてしまったのだった。
これにて<被疑者>は<被告人>となり、法廷の場で争うに至ったのである。
しかも今回程度の軽微なものであれば、簡易裁判所で判決と判決理由だけを言い渡されその日のうちに結審するものが多いところが被告人自身の異議申し立てによって正式な裁判が行われることになり、獅子倉はその為の準備に追われた。
『こうなる予感はあったが、正直、徒労感もある』
被告がきちんと家庭を維持している善良な一市民であることを示す資料の作成を行いつつ、彼はそんなことを思う。
『必ずしも裕福ではないが、その中でも税金を真面目に収め、年金の未納もなく、妻は献身的に夫を支え、息子は素行も良好で、学校での成績も平均を保っており、それらの事実に被告の誠実さが窺える。
かように善良な一市民である被告がこのような事態に陥るには、警察側の対応に相応な落ち度があると考えるのが妥当である』
大まかに言ってそのような論旨で裁判を進めようとは思うものの、その空々しさに獅子倉自身、失笑を禁じえない。
『善良な一市民……ねえ……』
被告の家庭が良好に保たれているのは上辺だけで、しかもたまたま『現時点では』という状態である。『内情を知らない他人からはそう見える』としても、その実態は、妻も息子も被告に対しては、とうの昔に情も信頼も失っており、実質的には破綻していると言わざるを得ないものだ。
それでも、『他人の目から良好に見えるのなら良好と見做す』のが通例であり、真に良好かどうかは問わないのが前提であった。
『まったく、こんなことだから『外面さえ整っていれば善人と見做す』なんてことがまかり通ってしまうんだろうに、いつまで経っても改まらないな』
いつしか獅子倉の顔に、うっすらとした嘲笑が貼り付いていたのだった。




