拡散
「はい、承知しました。それではさっそく、身柄拘束を解くように申し入れましょう」
目の前の被疑者がどれほど愚かしく見えても、たとえ人の命を軽んじる極悪人であっても、獅子倉は、法に基いて対処するだけである。
<依頼主の利益>を最優先として、法で認められている手続きを粛々と行う。
「容疑者の行為は、重傷者もおらず、特段、悪質と言えるものではありません。また、身元も明らかで前科はなく、容疑の内容も鑑みて逃走や証拠隠滅の恐れもなく、そのような一市民を逮捕勾留することは人権保護の見地からも明らかに問題であり、速やかに拘束を解き、任意での協力を求めるに留めるべきです」
と、警察側に申し入れ、即時釈放を申し入れた。
しかし、私服警官を突き飛ばして逃走しようとしたことを理由に警察側はそれを渋り、正式に裁判所の判断を仰ぐこととなった。
が、被疑者は、前科こそなかったが、大学時代に脅迫の容疑で拘留された前歴があった。それは、ネット上でトラブルとなった相手を名指しして『お前の家族も皆殺しにしてやる!』という趣旨の発言をしたことで相手側が地元警察に被害届を提出、それを基に任意で事情を聴かれて検察に送られ、そこで、
『相手側の発言にも不穏当なものが散見され、売り言葉に買い言葉という形で出た発言と見做すことができ、また被疑者も反省の色が見えることにより、今回に限り起訴を猶予する』
ということで起訴猶予処分となり、前科はつかず前歴にとどまったのである。
とは言え、その際に、
「もう二度とその場の感情に流されて短絡的な行動はしません」
などと反省の弁を述べて、それが<反省の色有り>と見做されて起訴猶予の判断の根拠となったという経緯があったにも拘わらず今回も目先の感情に流されたという形であった為に心証が悪く、保釈請求はすぐには認められることがなかった。
「なんだよそれ!? 横暴だろ! これだから警察は!!」
被疑者はそう憤ったものの、元はといえば被疑者自信が招いたことでもあるので、こればかりはどうしようもなかった。それでも、保釈請求は今後も続けることとなる。
諸手続きを終え、できることがなくなった獅子倉は、被疑者の家族と今後について相談する為に、その自宅へと向かうことにした。
その移動中、今回の事件についてスマホで検索を掛けてみると、なんと既に動画が撮られ、拡散されていたのだった。揉めているところを撮影した者がSNSにアップ。運悪くそれが被疑者を知る者の目に留まって実名も添えられてさらに拡散されたようであった。
後で分かったことなのだが、被疑者は職場の評判があまり芳しくなく、快く思っていなかった者が動画を見たことにより、個人情報も併せて拡散するに至ったのだと思われる。




