数秒数十秒
『急いでいる者の為にエスカレーターの片側を開けることは正しいこと。正義である』
と考える者は少なくないだろう。
『正義とか、そこまで言ってないだろwwwww』
などと反論する者も多いだろうが、『必ずしも正しいとは言えないこと』だと思っているのなら、どうしてそこまで固執するのか? 正しくないことを大っぴらに公言して憚らないのか。良くないことを自慢げに主張するのは、恥ずかしいことではないのか?
腹の中では正しいと思っているからそんなに堂々としていられるのではないのか?
それとも、『悪いことを堂々と言える自分ってカッコいー』とでも思っているのか?
どうあれ、エスカレーターを作っているメーカーが『そういう使い方はおやめください』と言っている以上は、そういう使い方をする為に作っていないのであれば、<製造者責任法>の観点からも、『正しくない使い方をしている者が保護されない』のは当然の筈である。それを認めてしまったら、
『注意書きや警告を無視した使い方をして事故が起こってもメーカーは補償しなければいけない』
ということにもなりかねない。
何より、『正しくない危険な使い方をしている者を優先するべき』という道理がまかり通ってしまう世の中が、本当に<生きやすい世の中>なのだろうか? それは結局、自分の首を絞めることになるのではないのか?
たった数秒、数十秒の時間を惜しむ為に。
そこまで急がないといけない事情とは何なのだろうか? 他人を危険に曝して僅か数秒数十秒を節約して得られるものがそんなに価値があるものなのだろうか?
『大事な商談に遅れたらどうするんだ!?』
と言うかもしれないが、だったら数秒数十秒、早く行動を起こせば済む話ではないのか。そもそも、たった数秒数十秒の余裕もないスケジュールを組むこと自体、能力のなさを露呈しているとは考えないのだろうか。
移動中、他の重要な取引先と偶然出くわし、僅かな時間、立ち話をすることがあるかもしれないだろうに、そういう場合は、無視して通り過ぎるのだろうか。それで心証を悪くしたとすれば、どうするのだろうか。
『急いでるのは相手も分かってくれる』
と考えているとしても、そんな当て推量の楽観論がまかり通るような甘い世界なのだろうか。
ましてや事故でも起こせば、数秒数十秒のロスでは済まないし、事故を起こしてその場から立ち去ったりすればそれこそ<事件>として大事になってしまうのではないか。
そういうリスクを想定せず、たった数秒数十秒を節約することに躍起になる者が、果たして<優秀>と言えるのだろうか。
少なくとも獅子倉は、そういう者の考える道理に共感するつもりなどないのだろう。




