抜け抜けと
これまでにもそういうことはあっただろうが、恐らくこれから触れることは、大変に癇に障ることだろうと思われる。
いわゆる『胸糞悪い話』という以上に、『耳の痛い話』という感じだろうか。
一般的には、殆どの人が『そこまで気にしなくてもいいじゃん』『それくらい大目に見ろよ』『空気読めよ』『そんなこと言い出したら息苦しくてやってられない』と批判の声を上げると思われる内容とでも言うべきか。
なので、『耳の痛い話』に耐性のない方は避けられた方が無難だろう。
以上の点を踏まえた上で話を進めることとする。
獅子倉勇雄の下にその弁護の依頼が舞い込んだのは、梅雨の終わりごろの話であった。激しい雨が続き、豪雨による災害が起こっている最中のことである。
国選弁護人として待機していたところに、公務執行妨害と暴行傷害の容疑で逮捕された被疑者の弁護をお願いしたいとの連絡を受けたのだ。
「容疑の詳細は…?」
問い掛けた彼に示されたその内容とは、
『朝の通勤ラッシュ時に、エスカレーターを利用しようとした被疑者が、ステップに並んで立ち止まっていた親子に対し、『急いでるんだからどけよ!』と声を掛けた際に、子供を連れた父親が露骨に不愉快そうな視線を向けたことに激高し、『どけっ!』と押し退けた上に、『これだから<子連れ様>ってのは嫌われるんだよ』と捨て台詞を残し立ち去ろうとしたところを、たまたま痴漢捜査の為に張り込んでいた私服警官に呼び止められて反抗し、その警官も付きとばしたことで公務執行妨害で現行犯逮捕、しかも、父親を押し退けた際に弾みで手を繋いでいた子供がよろけてステップに手をついたことで全治一週間の怪我をした件も被害届が出され、合わせて起訴された』
というものだった。
それについて被疑者は、
『エスカレーターは、急いでる人間の為に片側を開けるのがマナー。通行の妨害をしていたのは親子連れの方で、自分は正当な<権利>を主張する為に必要最小限の手段を用いたに過ぎない。子供が怪我をしたのは、父親がしっかりと子供を支えていなかったのが原因で、非は父親にある』
と主張しているのだという。
それを見た瞬間、獅子倉は「フ…」と鼻を鳴らした。
『よくもまあ抜け抜けと…』
それが正直な印象だった。
しかし、国選弁護人の依頼とあれば安易に断るわけにもいかない。どのような被疑者であれ弁護するのが刑事弁護人というものである。そして、被疑者の<権利>を守るのだ。
とは言え、弁護士と言えども人間なので、当然、感情もある。彼が鼻で笑ったのは、その<人間としての感情>の部分だった。
だが、獅子倉は、
「はい、分かりました。引き受けましょう」
と応えたのだった。




