遵法精神
獅子倉勇雄は弁護士である。パリッと糊の効いたスーツを身にまとい、細身の眼鏡を掛けた精悍なその姿は、理知的でありつつもどこか大型のネコ科の肉食獣を思わせる危険さを匂わせていた。
事実、彼は他人の命など、虫けらほどの価値も感じていない。必要とあらばその手にかけることさえ厭わない冷酷さを兼ね備えている人間でもあった。
そんな彼がどうして<弁護士>などをしているのか?
それは、彼が『法に従うこと』を、己を律する為の根拠にしているからである。彼は<情>では動かない。法によってのみ動くのだ。
弁護士としての仕事の為に目的地へと向かって歩いている時も、小さな交差点の信号さえ彼は無視しない。自動車など影も形も見えなくても、彼は信号を守る。その彼の横を、学生が赤信号を無視して渡っていっても、赤ん坊を背負った母親らしき女性が渡っていっても、スーツ姿の一見しただけなら品が良さそうにも見える初老の男性が、『なんで自動車も来てないのに律儀に止まってんだこいつ?』という侮蔑の眼差しを向けて通り過ぎても、まるで意に介さない。
なぜなら『正しいこと』をしているのは彼の方だからである。法を遵守しているのは彼の方であり、間違ったことをしているのは信号を守らない者達だからだ。
ちなみに彼は、エスカレーターや動く歩道でも、きちんと手摺りにつかまり立ち止まって使う。こちらは必ずしも<法>で明確に規定されている訳ではないが、エスカレーターや動く歩道のメーカーが、使用上の注意点として『手摺りをしっかりと掴んで立ち止まっての使用をお願いします』とアナウンスしているからである。
よく、エスカレーターや動く歩道について、
『急いでいる人間の為に片側を開けておくべきだ』
と主張する者がいるが、彼はそういう者達を鼻で笑ってさえいた。
『メーカーが『正しくない使用方法』として注意喚起している行為を優先するべきなど、噴飯ものだな』
彼にとってそういう行為は、
『風呂の中で充電しながらスマホを使う』
のと等しいくらいに、危険で愚かなものでしかなかった。
もしくは、道路で、
『急いでいるから制限速度を無視しても構わない』
と考えて自動車を運転したり、
『運転代行業を依頼できるほど裕福じゃないから、少しくらい酒を飲んでいても自分で運転するのは仕方ない』
と飲酒運転するのと同じと見做していた。なにしろ実際に、エスカレーターを歩いたり走ったりしたことによる事故も発生しており、それに伴う裁判の弁護も何度も行ったからである。
その一方で、彼は<権力>というものを憎んでもいた。これについては後程語るとして、故に<弁護士>なのである。権力を笠に着る人間を彼は憎悪していた。
特に警察や検察は、彼にとっては憎しみの対象でしかない。
さりとて、それを理由に法を無視して攻撃を加えたりもしない。その為の<遵法精神>であった。




