言うことを聞くに値しない大人
子供が大人の言うことを聞かないのは、その子供にとって『言うことを聞くに値しない大人』だと見做されているからである。
こう言うと今度は、『だから殴ってでも言うことを聞かせるべきだ』と反論するだろう。自分が『言うことを聞くに値しない大人である』という事実に目を背けて。
それが<甘え>でなくて何だと言うのか?
宿角梢は、そのことに気付いてしまったのだった。大人の言うことを聞かない子供の様子を詳細に見ることで。
児童心理学を学んだことは、『相手が言うことを聞いてもいいと思える人物像とはどのようなものか?』という点について、『相手が大人だからといって子供が無条件に言いなりになる筈がない』という部分を多角的に見ることに非常に役立ったようである。
自分が『言うことを聞くに値しない大人』になっているという事実を認めようとせず、ただ『子供は大人の言うことを聞くべきだ』と狂信的に信じ込んでいるというのは<甘え>であると悟ることができたのだ。
そうすると今度は、大人の<甘え>を子供は見習ってしまうのだということが分かった。
考えてみれば当然のことだ。子供は大人を見て、大人の言動や振る舞いを見て人間としての生き方を学んでいく。そこで大人が自分に甘い、甘ったれた言動や振る舞いをしていれば、子供もそれを学び取ってしまうのは、むしろ自然なことではないだろうか。
自分のことは棚に上げて他人ばかりを責め、何か上手くいかないことがあればそれを他人の所為にして当たり散らす。
その端的な例としては、相手を選んだのは自分であるにも拘らず結婚生活が上手くいかないのは相手の所為だと罵り、伴侶の悪口を並べたり陰口を叩いたりする両親の姿を見ていた子供が、他人の悪口や陰口を並べ、何か上手くいかないことがあれば他人や社会の所為だと憤るようになるなど、実にしっかりと両親から学び取っていると言えるのではないだろうか?
だから梢は、何かといえばすぐに園児を叩き、それでいて自らはルールを蔑ろにする職員について、再教育を行うか、でなければ解雇すべきと、自らの母親である当時の園長に対して進言したのだった。
当時の園長も、母娘であることもあって梢とは勤務中だけにとどまらずプライベートでも、母娘であるが故に互いに遠慮のない意見を交わし、彼女の考え方に合理性を見出したことで、<もえぎ園>における体罰の全面禁止を導入するに至ったのである。
もっとも、当時すでに、文部省からは体罰の禁止が各教育機関に通達されており、それを改めて批准することにしただけではあったのだが。
しかしこれに対して一部の職員が反発。
「それでは躾ができない!」
として、方針の撤回を申し入れてきたのであった。




