欠落した部分
『あなたの体に宿った新しい命より、教師としての体裁が大事だったということですね、彼の両親にとっては』
戸野上の発した言葉に、神村井雫の顔が見る見る血の気を失って真っ白になっていく。恐らく怒りが激しすぎて逆に感情が硬直してしまうのだろう。生真面目な人間が本気で怒った時に見られる様子だと戸野上は思った。
彼がそう思った通り、神村井雫は真面目な人間だった。基本的にはそれこそ<超>が付くくらいに真面目なのだろう。
しかしそれは同時に、人間としての厚みの無さも表していた。だからこそ、中学生にも拘らず、釈埴新三の想いにほだされてしまって、責任も取れないのに関係を持ってしまったのだ。
それが同情なのか愛情なのかは分からないが、それがどちらにせよ、目先の感情を優先したばかりにせっかく宿った命を奪うことになったのだ。
「私は、本気でした……本気で彼のことを愛してました。なのに彼の両親も私の両親も、私達の話なんかまったく聞く耳持たないで勝手に決めて……
彼の両親は、教師の息子が同級生を妊娠させたとか表沙汰にしたくなかったし、私の両親も、娘が中学生で子供を産むとか体裁が悪くて認められないということでした。
私と彼の赤ちゃんは、そんな、自分の体裁しか考えない身勝手な大人に殺されたんです……!」
膝の上で拳を握り締め、震える声でそう言った神村井雫を見て、しかし戸野上は思っていた。
『そんな周囲を撥ね退ける力もないのに安易に釈埴を受け入れたお前も紛れもない<加害者>の一人だけどな……』
それが戸野上の嘘偽りない思考だっただろう。
それでも、こうして十数年が経っても今も、
『彼はそんな人じゃありません』
と言ってくれる人間がいる程度には、釈埴にも見るべき部分があったということなのだろう。
そして釈埴自身、神村井雫のことが忘れられずに、彼女に生き写しの愛良と結婚してしまったりしたのだろう。
しかも、愛良の子が自分の子ではないと知りつつも。
もしかすると、生まれてこれなかった自分と神村井雫との子に重ねてしまったのかもしれない。だが結果として、愛良とその子を放り出して行方をくらませるということをするのだから、結局は釈埴の<想い>などその程度ということだ。自分の思い通りにならないことがあれば逃げ出してしまう程度の。
冷徹な表情の向こうで、戸野上はそういう思考をよぎらせていた。
それがまた、戸野上の欠落した部分でもあるのだろう。もう少しはそこにある情というものを感じてもいいのではないかと思わせる程度には。




