第四話『非力な願いの行方』
学校に友達は居ない。なので学校の昼休み、人気の全く無い校舎裏で弁当を食べている。これが日課なわけだが、いや、教室でクラスメートとご飯とか、それアニメとかのフィクションだけの話だから。これが現実だから。俺のね?
もしゃりもしゃりと、たいして美味くない妹手製弁当を咀嚼する。いつもは母さんが作るはずの弁当を、今日は春香が作った。こいつ、あんま上手くねぇんだよな。
弁当も残り三分の一となる。これが終わればあとは適当に寝転がって時間を過ごすだけだ。
だが。そこでどこから湧いたのか、ギザギザと笑う炭の塊みたいな思念体が俺の足元に降ってきた。かなり小さい。というか出来立てのようだ。生誕おめでとう。でも生れ落ちた場所が悪かったな。俺はその思念体を適当に踏み潰した。
にしても、どこから、誰から出来た思念体だろう。ここに人気は無いはずなのだが。
『あんたさー、あたしらが警告したの、聞いてなかったの?』
そんな声が、俺が背もたれにしている校舎の壁の向こうから聞こえてきた。
『警告って……仕方ないじゃない、向こうから声かけてきたんだから』
どこかで聞いた声がもうひとつ。
『はぁなにそれ。なに、神田川君から声かけてきたから自分は悪くないっての?』
『なにそれちょー生意気なんですけど』
『この間警告してあげたのにねー』
ふむ、どうやら後ろの校舎の中で、三人の女が一人の女を囲っているようだ。露骨な嫌がらせの場面に出くわしてしっまったようだが、別に驚く事は無い。なにせ俺の後ろにあるのはイジメの聖地、女子トイレなのだから。
いや、違うよ? 覗くためにこんなところで飯を食ってるわけじゃないよ? 他に良さそうな一人になれる場所が無かっただけ。過失過失。断じて便所飯じゃない。
『でも、私は悪くないじゃない。どうしたらいいのよ』
囲まれているのであろう女子が抵抗の意思を示す。どっかで聞いた話と声だなーと思っていたが、どうやら囲まれているのは愛野らしい。愛野は苛められてるのか。この出汁巻き卵、美味いな。
『うっざ……美紀のことも考えろっつの。どうしたらいいかなんて解んだろ』
『神田川君に話しかけるなって言えばいいんじゃない?』
『それが出来ないなら学校辞めるとかー』
なかなかのクズに囲まれてるのな、愛野は。俺ならあのクズ達と仲良くなれそうだ。
『それだと、神田川君に悪いじゃない』
愛野も抵抗する。だが、その抵抗はまぁ逆効果だろう。
『へぇあんた、まだ神田川君に良い顔しようとすんだ? やっぱあたしらの話なんて最初っから聞いてなかったわけだ』
なかなか良いクズ的な返しだ。相手の反論を聞いた上で、その反論をわざと曲解して相手を悪者扱いして、自分が正しい事を言ってる、正義なあたしかっけーな空気を作り出して浸って相手を責め立てる。
聞いてる側は気分の良いものでは無いが、言ってる側は最高の気分になれるんだよな、これ。だって、自分は何を言ったって正義なんだし。まるで世界の全てを知り尽くしたみたいな気分になれる。だがクズにしか使えない論法だ。
『だから、そうじゃなくて、私はっ』
『でかい声出すなよ。人が来るだろうが』
声を荒げようとした愛野を、誰かが止める。悪い事してる自覚あるの無いのどっちなの。
『場所変えっか。ちょっと来なよ』
そうして、四つの足音はトイレから出て行く。俺は止めていた弁当の捕食を再開した。やっと安心して飯が食えますな。
数分後。食べ終わった弁当の箱を巾着袋に仕舞い、水筒を口に運んだ。中身は温くなったコーヒーだ。
その時。
「あんたさ、まじで反省しろよ」
隣の角を曲がった先から声がした。さっきの女子トイレから聞こえてきた声が近付いてきたのだ。横を見ると、姿こそは見えないが、薄い半透明の思念体の一部が曲がり角の向こうに見えた。
「…………」
なんなのあいつら、俺のこと好きなの? なんでわざわざ俺の近くに来るんだよ。
「ねぇ違うんだって。聞いて。私やっぱ、神田川君と付き合う事も突き放す事も出来な」
ばしん、と、壁を叩くような音が、愛野の声を遮った。
「あんたの意見は聞いてないんだよ。目障りだから、学校辞めれば? 別に保健室登校とかでもいいけど」
威圧する声。嘲う声。相手がちょっと良い事を言おうとしたらその発言を無かった事にする。クズの極みである。
めんどうだが、虐めっ子三人から繰り出されているのであろう思念体がどんどん大きくなっていくのが解った。厄介なサイズになる前に止めておいたほうが身のためか。
しかし今は、いつもお勤めの時に使っているご利益のある木刀は持っていない。武器になりそうなものは、木の枝とこの水筒くらいか。木の枝を取りに行くのも面倒だ。
俺は、まだコーヒーが半分以上残っている水筒に吐息を吹きかけた。
「業に溺れた傲慢(ごうまん( )に水難を。エゴに浸った高慢に水難を。自己陶酔で泳ぐ馬鹿野朗を沈めて鎮めろ」
即興の詠唱を唱える。
魔心導師の術のひとつ、詠唱。
物質を魔心導師と接続することで、思念体に触れられるようにして、なおかつ有効な武器に変える術だ。
固定詠唱という定型の言葉を紡ぐのが一般的な詠唱だが、俺はこれを殆ど使えない。代わりに、『対話』と呼ばれる即興の詠唱が使える。
どんな思念体にも安定した威力を発揮するのが固定詠唱。そして、効力を発揮する思念体を限定するのが即興詠唱だ。効果が微々の時もあるが、詠唱に乗せた言霊と思念体の相性よりけりで、抜群の効果を得られる。
その術を使って、コーヒーを対思念体の武器に変えたのだ。これでこのコーヒーには思念体を弱らせる力が込められた。簡単で手軽な聖水のようなもんだ。
「おい、誰か居んのか!?」
俺の声が聞こえたのか、隣の角から慌てた声がした。俺はその女が出てくるであろう場所に目掛けて、コーヒーを原料にした聖水もどきをぶちまける。
「絶」
時間が止まる。動けるのは俺と思念体、そして俺と接続したことで対思念体の武器となったコーヒーだけだ。
角から女が出てくる事はなく、しかし動き続ける思念体にのみ、簡易聖水が降りかかる。
一秒。
立ち上がり、聖水もどきを浴びて悲鳴を上げている思念体へ、全身のっぺらぼうみたいなそいつへ向かって飛び掛かる。
二秒。
そいつに右ストレート、次いで切り返しの裏拳を浴びせる。
三秒。
水面蹴りで足払いする。
四秒。
体勢を崩したそいつに追い討ちの拳を走らせる。思念体は地面に倒れ伏す。
五秒。
踵を振り上げる。思念体は怯んでいる。
六秒。
踵落としを極める。聖水もどきで初っ端から弱っていたこいつにとってはこれだけでも充分に致命傷だろう。
七秒。
すぐさま起き直し、思念体の顔面を踏みつけ足場にして飛び、不良女達を通り過ぎる。
八秒。
大きな歩調三歩で、不良女によって壁に押し付けられていた愛野を横目に、それも通り過ぎる。
九秒。
愛野から二歩ほど離れた場所の壁に寄りかかる。
十秒。
「ふぅ……」
急な運動で身体に産まれた不快感を吐き出しながら、その場に腰を降ろす。
そして、時間が動き出した。
「…………」
さっきまで俺が居た場所を確認しに言った茶髪の不良女は、誰も居ない便所裏を睨んでいる。
その間に、俺に背を向けている不良女達の容姿を確認する。名前は解らんから、角の向こうを確認しに行った茶髪女を不良女A、愛野を壁に押し付けてるデブ女を不良女B、とくに何もせずに突っ立てる、特筆すべき特長が全く無いやつをその他と名付けよう。
「ねぇ何か居た?」
不良女Bが聞く。不良女Aは角の向こうに目をやってキョロキョロしている。
こんな感じで、誰もがその不良女Aと、そして角の向こうに気を取られている。だが残念、そこにはもう誰も居ないんですよ、俺はこっちだよ、反対だよ反対。ちなみに、思念体は既に消えていた。
「いや、居ない、けど……」
訝しむような口調で言う不良女A。絶対に誰か居ると踏んでいたからか、なかなかにびびってる様子だ。ちなみに俺もちょっとびびってる。いやー間に合って良かった。つーか本当にあれだけで倒されてくれる思念体で助かりましたよ。即興詠唱の調整が良かったのかな?
「なぁ、お前ら何やってんの」
「なにって……は?」
俺が問いかける事で、ようやく不良女Bがこっちを見た。
「ひっ……きゃああああああ!」
不良女Bは悲鳴を上げて俺から遠ざかり、離れた所に居る不良女Aは身構え、壁に押し付けられていた愛野は目を見開いて呆然としている。その他は、うん、なんか口元に手を当てて驚いてた。
「い、何時の間に……いつからそこにいやがった!」
と息巻いたのは不良女Aだ。
「いつからって、最初からここに居たじゃねぇか。気付いてなかったのか」
勿論嘘である。
「そんなはずねぇだろ! 居なかったじゃねぇか!」
と、不良女B。
「ひっでぇ。俺がここで弁当食ってたらお前らが後から来て、隣であーだこーだ始めたんじゃねぇか。俺の影が薄いからって、その扱いは虐めだぜ? 虐め調査に書いてやろうか」
鼻で笑いながら言うと、それが癇に障ったのか、その他が声を荒げてきた。
「意味わかんないんですけどー、なんの話しかさっぱりだし」
意味が解らんのはこっちだ。なんで今更そんな言葉が出てくるんだか。
「人様を居ない事にしておいて何、お前らまだ自分が正しいとか思ってんの? 俺は最初からここに居たっつってんだろうが」
俺は座ったまま、笑ってやった。
「自分達が何をしてたのか、解ってねぇの? わざわざそんなとこから懇切丁寧に教えてやるつもりはねぇんだけど。罪人に罪を改める機会を与えるのは義務じゃねぇんだよ。虐めっ子の虐め事情を教師様に教えちまえばそれでお前らは終了だ。俺としちゃそれが一番ラクなんだわ。加害者をさっさと罰しちまうのが一番被害者のためだし、加害者のためを考える必要性なんて社会的にねぇよな。被害者様のためを一切考えなかったお前らなら、そういう事情は当然、喜んで受け入れるよな?」
まくし立てて相手が怯んだところで「ところで」と、俺は語調を強める。
「学校辞めれば? が決め台詞なのってどいつ? このままだと学校辞める事になるのってどっちだって聞きたいんだけど、教えてくれよ」
「てめぇ、余計な事すんじゃねぇぞ」
と粋がったのは不良女Aだ。いいねぇ、好きだぜ、余計な事すんなって台詞。小物っぽくて大好きだ。
「余計な事を省く効率主義的なその台詞。かっこいいねぇ、俺も賛成だ。めんどうな事とか余計な事はしたくないよなぁ。解る解る」
俺もお勤めとかいう厄介で面倒で余計な事は今すぐにでも辞めたいし。
「それで? そんな効率主義なお前らが今やってた事って、どんな生産性があんの?」
不良女一同が眉をひくつかせて、汚物でも見るような目で俺を睨んでいる。嫌いじゃない反応だ。
「黙んなって。教えろっつってんだよ。余計な事すんなでお馴染みのそこの茶髪さんや、てめぇらが今ここでやってた事になんの生産性があんの? ここで間抜け面してるこの女を学校から追い出して誰が得すんの? お前らがすっきりすんの? お前らそんなにこの女に近付きたくないの? じゃあお前らが消えろよ」
一歩、不良女Bが前に出る。
「何言ってるかわかんないんだけど。きも」
「つまり俺はこう言いたいんだよ。――目障りだから、学校辞めれば? 別に、保健室登校とかでもいいけど」
笑いながら言うと、不良女一同が歯噛みするのが解った。いやはや良い様だ。やっぱ楽しいねぇ、クズ理論で相手を黙らせるのって。
「ねぇこいつやばくない?」と不良女A。
「まじできもいんですけど」と不良女B。
「目がいっちゃってるんですけど」とその他。
がはは、そうだそうだ、俺の目はいっちゃってるし俺の人格はやばくてきもいぞ。なんたって最底辺のクズだからな。
ふと、不良女Aが鼻で笑った。
「もしかしてそのきもい男が、あんたの彼氏なわけ?」
その言葉に、不良女Bとその他が歓喜する。
「まじ!? うっはそりゃセンス無さすぎ!」「こいつに負けるとか神田川君かわいそすぎなんですけどー」
「は、はぁ!? そんなわけないじゃない!」
否定する愛野。まぁ事実違うしな。
「超うけるんですけど! ねぇそういやこいつ、A組でいっつも一人で居るやつじゃない!?」「まじだまじ。超根クラ野朗じゃん!」「うけるんですけどー」
そうだねーうけるね、まじ面白いほんと面白い。相手を蔑んで見下して笑うのは、クズにしか味わえない愉悦と言えるだろう。
だがその行為は勝者の特権だ。勝ち目の無い話題から摩り替えるために相手を嘲笑したところで苦し紛れの負け惜しみにしか見えず、酷く醜い。哀れとさえ思う。
だが、今現在最も哀れなのは他に居る。
横目に確認すると、愛野が唇を噛んで、顔を真っ赤にしているのが見えた。そりゃ、俺が彼氏だと思われるとか、相当の屈辱だろうな。
俺だって哀れだ。なんだって三次元に煩わされないといけんないんだっつの。
「なぁ、お前らそんなに俺と話したいの? 俺の事好きなの?」
途端に、不良女一同は一斉に青ざめて、何歩か後退した。引いてる引いてる。コイのキングでも釣れるんじゃないかってくらい引いてる。
「俺はお前らに興味ねぇが、お前らがどうしてもって言うんなら相手してやってもいいけど? ああそういや最近俺んちの近くに新しいホテルが建ったんだわ皆で行く?」
言葉に、不良一同が浮き足立つ。おおー、やっぱりこの手の連中に下なネタは効果抜群だなー。大して純情でもねぇくせに不思議なもんだ。まぁそもそも、新しいホテルなんて出来てないんだけどね。あんな閑静な場所にホテルが建ってもどうしようもないし。
「もう行こうぜ」「こいつまじでやばい」「ありえないんですけど……」
もう話したくない、これ以上近くに居たくない。そんな感情を顕わにしながら、その女達は離れていった。
「で、お前は行かないの」
壁に寄りかかって座ったまま、立ち尽くしている愛野へ促す。言外にさっさとどっか行けと告げたつもりだったが、愛野はむしろ、こっちを見てすら居なかった。ただひたすらに前を見て、しかし前ではない場所に意識を向けるような、そんな遠い目をしていた。
「なんで、助けてくれたのよ……」
愛野が問う。
「助けた覚えはねぇ。言ったろ。俺は最初からここに居て、変なこと見せられて不愉快だったから手を出した。そんだけだ」
座ったまま答えて視線を落とすと、愛野の足が震えているのが見えた。
そういえば、前にも警告がどうのと、不良AだかBが言ってたな。
「いつもあんな事されてたのか」
「……うん」
昨日は嫌がらせ受けてるとか言ってたが、完全に嫌がらせの域じゃなかっただろ。暴力は……いや、目に見えて解るところにはされないか。
「好きじゃないやつに告白されたせいでこんな目に遭うとか、不幸の鑑だな」
笑って嫌味を言うと、でも、と、愛野の足がこっちを向いた。下げていた顔を上げると、愛野と目が合う。
「た、大光司は、助けてく」
「助けてねぇよ」
最後まで言わせず言葉を切った。
「俺は俺の事情があって割り込んだだけだ。俺が割り込むまでお前は、あの三人を説得しようとしてたな。昔かいつかは仲が良かったんじゃねぇのか。それか疎遠になりたくはない、敵対はしたくないっつーお前の事情があったからそうしてたんだろ。俺はそれを邪魔したんだぞ」
愛野は理解されようとしていた。神田川とやらを傷付けたくないが、あの三人と敵対する意思も無いと、はっきり、その言動が告げていた。
「違うのよ。私の事情は、誰からも嫌われたくなかっただけ」
「偉いねー、何かのヒロインみたいだ」
「誰からも恨まれたくなかっただけ。だから逆らわなかった。誰からも妬まれたくなかっただけ。だから逆らわなかったの。……いつか、私も、誰も悪くないって、解って貰えるって思うから」
前向きな言葉の割りに、口調は悲嘆の色に染まっている。茶化しさえも通じない。俯いた愛野の表情を見るのが億劫で、俺は視線を前に戻した。
「……もう手遅れだろ」
事実愛野は恨まれた。現に愛野は妬まれた。そして呪われた。もう事後だ。
「私悪くないよ!?」
震えた声を張り上げる愛野。
「……私、悪い事してないよ……?」
そりゃそうだ。愛野は告白されただけだ。告白してきた相手が悪かった。それだけの話だ。
それだけの話で、人はいくらでも不幸になれる。
「善悪なんて関係ねぇだろ。善人が不幸にならねぇって理屈が通るなら、誰もが募金活動に励むさ」
それとあれだ。そうじゃないとファンタジーアニメが面白くなくなる。完全なる悪役が主人公を苦しめる展開とか、超燃えるもんな。
ふと、愛野の居るほうから気配を感じた。
俺には人の気配を察知する機能はついていない。が、思念体の気配ならばある程度は解る。
愛野に思念体が憑いた。それが解った。
愛野には昨日、思い込みによる思念体への防壁が出来ていたはずだ。俺が作らせたはずだ。なのにまた、愛野に思念体が憑いた。それが提示する可能性はふたつある。
ひとつは、思い込みが解けて、防壁が無くなった可能性。
もうひとつは、さっきみたいな嫌がらせが、思念体云々関係なく、感情なんて二の次の日課となっていた可能性。日課になってるんだとしたら、思念体を排除しても関係ないわな。
だがそれは無い。なぜなら、あのイジメっ子達は──イジメ慣れていないからだ。イジメ慣れている今時の高校生は、通りすがりに止めれてしまうようなヘマは、そもそもしない。
意図せず俺が止める事が出来た。だから彼女達はイジメに慣れていない。慣れていないのならば、日課になどなり得ない。
慣れていないことを毎日こなすのは、相当なきっかけが要る。だから、あのイジメそのものが既に、不自然なのだ。
「私、ずっとこうなのかな……」
今にも嗚咽が混じりそうな口調で、愛野はそんな弱音を吐く。
「これから先も、誰かに恨まれないといけないのかな……」
「知るかよ」
愛野の弱音を一蹴して、ひらひらと手を振る。
「少なくとも俺には関係ねぇことだ。昨日も言ったな。てめぇの人生だ。てめぇで守れ」
さっさと行け。どっか行け。言葉にはせず、そう告げる。
「守る方法なんて、無いじゃない」
どうしたらいいの、と、女々しく弱音を吐き続ける愛野。
彼女は弱いのだろう。弱いが何かを切り捨てられないのだろう。小さい器で何もかもを拾い上げようとするから全部を取りこぼす。そうやってこいつは現状を生み出した。そういう意味においては自業自得で、愉快なまでに世界の真理の残酷性を知らしめている。
「手段なんて山ほどあんだろ」
簡単に俺は言う。
「見ないふりしてんのは誰だ。確かにそこにある方法に、すぐそこにある逃げ出す手段から目を背けてるのは誰だ」
日課を終わらせる方法なんて五万とある。
例えば色んな男をたぶらかして、あの女三人を痛み目に遭わせる方法。愛野の容姿ならば男を篭絡するのは不可能ではないだろう。
例えばいっそ神田川と付き合う方法。神田川は愛野に告白されればすぐに靡くなんてことは、思念体が告げている。神田川という推定カリスマが味方になれば嫌がらせも終わるはずだ。
例えば全ての罪を誰かしら、えっと、美紀だったかなんだったか、神田川の事が好きだっていう愛野の元友達に全ての罪を押し付ける方法。あいつがそうしろって言ったから神田川をフッただけなんだ。私は被害者だ、と主張して、虐めの対象を摩り替えてしまえば、愛野は無事に脱出出来る。
ほら、俺が思いつくだけで脱出法は山ほどだ。
それを選ばなかったのは。それを選択肢から除外したのは。
「誰でもねぇよ。てめぇだろうが」
切り捨てが出来ないからこうなるんだ。取捨選択が出来ない愛野の小ささが、一般的に優しさと呼ばれるその弱さが、今現在愛野を苦しめているのだ。
「…………」
愛野は数秒の間、黙っていた。しかし、
「うん、そうかも」
重々しい口調でそう言った。
「誰かに嫌な思いは、あんまりさせたくないし、私なら我慢出来るしね」
寒々しい声音でこう言った。
「だから私は、ずっとこのままかも」
「…………ああそうかい」
せっかく気付かせてやったってのに、お前はそれでもそっちを選ぶのか。他人に不幸を代替させたり、打算で誰かと付き合ったりするくらいなら、自分が不幸になる道を選ぶと。
「助けてくれてありがと。もう少しだけ、悩んでみるわね」
そう言って、愛野は俺から離れていった。ぱさぱさとした髪が風に揺れるその後ろ姿が、もやに包まれていた。
あれが新しく、愛野に憑いた思念体だ。
「ああ、めんどくせぇことなりやがった」
ようやく合点がいった。全て理解出来た。
愛野は色んな人間から恨まれている。妬まれている。憎まれている。呪われている。そりゃもう、たった一回の告白でそうなったとは思えないほどのスケールでだ。
そしてそうさせたのは愛野本人だ。
愛野は、友達が好きだったという男子から告白されてしまった事に対して、告白してくれた男子をフッた事に対して、それで友達を裏切ってしまった事に対して――誰かに罰して欲しいと、心のどこかで、そう思っているのだ。
自覚せずとも、そうなる事が当たり前だと思っているのだ。
そういう思念体を、周りにばら撒いているのだ。
故にこそ愛野に纏わる思念体が次々と生まれ、排除する度に新しいのが生まれる、さながら愛野を不幸にするためのシステムのようなものが作られた。そのシステムによって、嫌がらせが日課となった。
故に。
あいつを不幸にしているのは、他の誰でもなく、あいつ自身だ。
ふと、脳にこびりついたまま錆び付いて取れないとある台詞が主張を強めた。
――誰も嫌な思いしないで、いじめも終わるよ。だから、わたしは、それが、いいなって。
その言葉を放った褐色の唇を一度も思い出さない日は無かったから、今更思い出す必要も無いのだが、そんなろくでもないもんがより一層存在感を高めたのは多分、状況やら愛野の台詞が酷似していたからだろう。ご丁寧なことに、思念体のせいでこうなっているという点まで同じだ。
だから俺は知っている。
経験則でもって理解している。
儚くて美しくて、脆くてすぐに壊される。
非力な願いが辿る末路を、俺はもう随分昔に見せ付けられている。