第三話『非力な願いとの邂逅』
その女に連れ込まれたのは、駅前で学生に人気の、格安と噂されている喫茶店だった。まぁ、出入り口に書いてあった看板をそのまま読んだだけなんだけどね。
女はそこの常連なのか、店員の案内も待たず一番奥の席へ俺を座らせた。
「さて、それじゃ一応確認するけど、あんたが除霊術を使えるのはまず間違いないわよね」
「いや使えないけど」
思念体とかは倒せるが、幽霊と思念体は魂という点において同じといえど一応は別物。だから俺は嘘は言っていない。
「謙遜しなくて良いのよ。幽霊を成仏させられるって、すごい事なんだから。それで私はすごく助けられたし」
俺の反対側へ座って俺と向き合って、その女はにこやかに笑った。憑き物でも取れたかのような、つまり事実憑き物が取れた者として相応しい笑顔だ。
だがまぁそんな事はどうでもいい。目下
一番の問題なのはそこじゃない。
「まず聞いていい? お前誰」
聞くと、その女の表情が不意打ちで声を掛けた時の野良猫のようにビクッと固まる。
「……なんで知らないの……?」
クラスメートなら知ってて当然、みたいに言われてしまった。
俺は頬杖をついて手旗を振る。
「知らねぇよ、お前なんか。同じクラスだからって全員の名前を覚える義務なんて無いし。そもそも二年生に進級してからまだ一ヶ月ちょっとだぞ」
その言葉に、女は「ありえない」と呟いた。くしゃくしゃの髪を手で掻いてさらにくしゃくしゃにする。
「これから一年も一緒に居る仲間なのよ? せめて名前ぐらい覚えるのは礼儀でしょ」
なにわけの解らん事を。これがリア充理論ってやつか? 俺はクズ理論しか持ってないから、解読不能だ。
「ご高説どうも。で、お前誰」
手旗を振っていた手でメニューを開きながらもう一度聞く。すると、返答よりも先にため息が聞こえてきた。おいおい、ため息を吐きたいのはこっちだぜ? なんだよこれ、飲み物が一杯二百円で格安なの? 自動販売機のほうが安いけど。
「私の名前は愛野茲奈。あんたのクラスの、出席番号一番よ」
「ああそうかい。人に順番だの番号を付けるのは好きじゃないから出席番号は解らんが、俺の名前はウインナー・コーヒーだ」
「それは名前じゃないじゃん。じゃあ私はココア。食べ物は? 今からする相談を聞いてくれるなら奢るけど」
ジョークをさらりと流されてしまった。
俺はメニューを閉じて、テーブルの上に放り投げ、背もたれに身を任せる。
「相談って、俺に? そりゃ相手を間違えてるな。お悩み相談室にでも電話しろよ」
「そういう話じゃないの。あんたなら視たんでしょ? 私に憑いてた何かを」
遠回しな嫌味も通じないか。こいつはあれか、鈍感なのか? 脳内お花畑なの?
舌打ちしながら睨んでみたが、愛野はこっちを見ておらず、手を上げて店員を呼んでいた。慣れた様子でウインナーコーヒーとココアを注文し、店員が去ったのを確認して、俺は不発に終わった嫌味の続きを紡ぐ。
「お前にはなんも憑いてねぇし、何か憑いてるかもってのはお前の被害妄想だ。俺には幽霊なんて視えねぇし、俺がお前を助けたってのはお前の誇大妄想だ。たまたま通りかかっただけの俺を捕まえて、いったい何を期待してやがる」
「そんなはずないの!」
愛野はぐいっと距離を詰めてきて、あろうことか俺の手を握った。
「五回。一年の時から五回も、私は不自然な気持ちの沈みとか、変な気持ちとか、重い肩とかを味わってきた。でも、毎回毎回、家に帰ってる途中にそれがふっと消えるの。え、って思って周りを確認するとね、必ずあんたの姿があったのよ。最初は偶然だと思った。でも、五回とも全部にあんたが居た。今回で確信したわ。あんたが助けてくれたんでしょ?」
確認するような口調、では無かった。希望を見つけたかのようなその目はまさしく懇願
(こんがん)もしくは祈りを捧げる者の目だ。
「知らねぇよ」
「シラ切らないで。私には、あんたしか頼る人が居ないの」
必至な口調で言われても困る。俺はシラを切り通したいのだから。
「頼る相手なんて山ほど居るだろうが。お友達? そういう素敵な方々に助けて貰って、それで無理なら先生? だとか、大人ぶって生徒を見下してる連中を頼って優越感に浸らせてやりゃ、なんでもしてくれんだろ」
相談なんて誰にでも出来る。話を聞いてもらいたいだけならネットに入り浸ればいい。それで解決策が得られる保証は無いが、少なくとも俺に頼るよりかよっぽど有意義だろう。俺のモノグサ体質を舐めてはいけない。
「そういうのじゃないの」
俯いて、壊れた人形のように首を振る愛野。その悲壮感溢れる仕草が妙に鼻についた。だからだろう。俺の吐いた言葉は意図せず、必要以上に語感が荒くなっていた。
「そういうのってどういうのだっつの」
「その……この悩みは、多分、そういうののせいで起きてるっていうか……」
「意味が解らん」
説明が日本語になってない。だからこれでもかってほど適当な返答を選んだ。そのおかげかそのせいか、僅かな沈黙が置かれる。
「私、多分、生霊にとり憑かれてるのよ」
「はぁ?」
そりゃ勘違いしてそうだなとは思ったが、そう来たか、と、少し驚いてしまった。
そしてまた黙り込んだ愛野。空気を呼んだかのように、店員が飲み物を運んできた。待ちかねていた飲み物のはずなのに、運ばれてきたそれを見て、俺は度肝を抜かれる。
「……なに驚いてるのよ」
ココアの入ったカップを両手で握り、掌を暖めようとする愛野。俺は自分の前に差し出されたカップを見つめながら答えた。
「俺が頼んだのはコーヒーだぞ。生クリームなんて注文してない」
「はぁ?」
今度は愛野が変な声を出した。
「あんた、知らないで頼んだの? ウインナーコーヒーってホイップクリームを乗せたコーヒーのことよ」
「なんだそのミスマッチな組み合わせ」
甘すぎるものと苦すぎるものをいっしょくたにするとか、どこの偏食家だっつの。
「それもそれで美味しいんだから。飲んだことないなら飲んでみなさいよ」
そしてココアをすする愛野。熱かったのか、一口でカップを離し、吐息を吹きかけている。
俺も恐る恐る同じ事をしながら、ゆっくりと飲んでみた。
おお、なんだこれ、よー解らん。別々でよくね?
「でね、生霊の話なんだけど……」
カップを置いて話を戻す愛野。俺はよー解らん趣向の飲み物を分析するため口の中で転がしながら、適当に耳を傾けた。
「一年の時、同じクラスに神田川弘毅っていう男子が居たの。知ってる? 私達の学年では一番か二番目にイケメンって言われてる人なんだけど、私、去年その人に告白されたの」
リア充なんて爆発すればいいのに……。なに、自分はそんな人に告白されるほど良い女なんですよアピール?
「で、私はその告白を断ったの」
おお、リア充が爆発した。イイハナシダナー。
「それからいきなり肩が重くなったりするようになって……とり憑かれたとか、呪われたとか、多分、そんな感じなんだと思う」
「そいつはなんとも」
告白したほうだけではなくされたほうも爆発したときたか。まじでイイハナシダナー。笑いをこらえるのが大変だ。
「私、前まで友達だった子が居たんだけど、その子が神田川君のこと好きで……ううん、神田川君は結構人気だから、私が神田川君をフッたって事は、すぐに皆に知られちゃったの。そしたら、嫌がらせとかも受けるようになって……」
告白されて興味無かったからお断りしたら友達失くしましたと。他人の不幸は蜜の味というが、いやーウインナーコーヒーが美味い。
だが状況は解った。愛野は思念体にもたらされた状況が生霊のそれに近かったために勘違いしているのだ。まぁよくある話である。そもそも思念体と生霊は、殆ど同じだ。霊能力者に見えるか魔心導師に視えるかの違いしか無い。元が魂であるという点において、やはり根本は、つまり発生源が生物の感情だという点においては同じだろう。
で、おそらく神田川ってやつはまだ愛野の事を好きなのだろう。その神田川の好意が思念体となり、愛野にとり憑いた。これもよくある話。さらに、そこへ女達の嫉妬が重なった。なによあの女、私達の憧れの王子様に告白されてフるとかどんだけ自分が高嶺の花だと思ってるの? 自意識過剰にも程があるんですけど。むかつくから呪っちゃえっ、てへ。てな具合の思念体が重なったのだ。
そのふたつの思念体が交互に愛野を襲っている。それが、愛野を取り巻く環境。加害者でもなんでもないにも関わらず大人数から恨まれ妬まれ呪われる。ウインナーコーヒーまじで美味いな。
俺はその美味なる飲み物の入ったカップをテーブルに置いた。
「で、神田川ってやつとその男子が好きだっつうやつらの生霊がお前にとり憑いてると、お前は思ったわけだ」
その確認に、愛野は不安げに頷いた。
めんどくせぇ。
が、これを野放しにすればもっとめんどくさくなる。なんたって愛野には現在進行形で次の思念体がとり憑こうとしているのだから。それが愛野にとり憑かれてまた大きくなれば、俺のお勤めが増える。
「そいつは勘違いだ」
俺は簡単に言ってのけた。
「そんなわけない!」
声を荒げる愛野。まぁ実際、愛野の言い分は正しい。概ね正解なんてもんじゃない。生霊か思念体かの間違いだけで、過程も結果も全てが正しい。おおまかに見れば根本も正しい、と言えば、全て正解とも言えるかもしれない。
だが正しければ良いでは済まないのが世の常だ。状況が状況なだけに、俺がはいその通りですと言ったところでなんの解決にもならない。
「そんなわけがあるんだよ。お前、フラシーボ効果って知ってっか」
問うと、愛野は首を横に振った。
俺は続ける。
「思い込みの力ってやつだ。風邪を引いたやつにただの頭痛薬を渡してこれは風邪薬だって渡してやれば、あとはそいつの勘違いが風邪を治してくれる。そういう心理現象が実際にある」
テーブルをこんこん叩きながらそんな事を言う。ちなみにこのフラシーボ効果の多くは思念体によるものだ。
「お前は自分がとり憑かれてると思い込んだ。だから実際にとり憑かれてるような現象が引き起こされた。そんだけの話だ。そうさな、お前はとり憑かれてるんじゃなくて疲れてるだけだ。あー友達に恨まれちまった、告白してきた相手をフッたから逆恨みされてる。――そう思い込んでるんだよ、お前は」
「……そんなこと、」
「全くないと断言できるか」
最後まで言わせずに割り込むと、愛野は黙った。
俺の言い分は適当なものだ。ただのでっち上げ、愛野の心情を捏造したに過ぎない。
しかしこれが事実である必要は無い。愛野が『そう思ったことがあるかもしれない』と思い込みさえすれば、そういう思い込みが生じる。そこからフラシーボさんが仕事をしてくれれば、そのうち思念体が発生する。
思念体ってのは別に、人に害を成すだけの物質じゃない。人を守る思念体もあるのだ。圧倒的に数は少ないだけで。
「お前がやるべき事はただひとつだ。恨まれてるかも、呪われてるかも、そう思ってる以上に、呪われてない、恨まれてないと思え。そうすりゃ気が付けば全部終わってる」
つまりはそういう思念体を作らせて、本当は本当に愛野に襲い掛かっているであろう神田川や元お友達とやらの思念体を跳ね返させるってわけだ。
「そんな簡単な事で、これが終わるわけない……」
「簡単だよ」
不安げに呟く愛野へ、俺は断言する。
「いいか、そもそも前提でお前は間違ってる。告白してきた相手をフッたから逆恨みされる、なんて考えるのはイカれてる。告白ってのは、相手の事を一切考えず、自分の感情を相手にぶつける行為だ。暴力となんら変わらない。それをやったのは向こうだ。なのになんでてめぇが恨まれる? なんでてめぇが悩んでんだよ。お前は被害者なんだ。暴力を受けた被害者である事を自覚しろ」
「でも、勇気を振り絞って告白してくれた人を、私は傷付けたのよ?」
「そうしなきゃてめぇが後悔しただろうが。正当防衛だよ、せーとーぼーえい」
愛野のネガティブを打ち壊すため、ひいては俺のお勤めの量を減らすために俺は続けた。
「お前の人生だ。お前の人生をお前の望んだ通りの人生に近付けられるのはお前だけだ。お前はそのために、要るもんと要らないもんを選ばなくちゃいけない。人間関係の取捨選択をしなくちゃいけない。――お前にとって要るもんになれなかったのは向こうの責任だ。全てにおいて向こうに非がある。だからお前は気にしなくていい」
ようは付き合う相手を選べ、という事だ。メリットデメリットで友達を選べ、という事だ。
勿論、これがただのクズ理論でしかない事は解っている。俺は俺の理論しか持っていないのだから、俺が紡ぐ言葉が全てクズ理論に直結するのは自然な事と言えよう。
愛野がこれに納得する必要は無い。ただ、そういう事もあるかもしれないと思い込みさえすれば、今までは無防備だった愛野に、思念体による防壁が生まれる。そしてとり憑かれにくくなるわけだ。
だが。
「…………」
愛野は俺の言葉を聞いて、何故か目を見開いて、じっと俺を見つめていた。
「……すごい」
いくらかの沈黙の後、愛野が呟く。
「は?」
こいつはいったい何に感激してんだ。
「何人かに話を聞いてもらったことはあったけど、ここまでちゃんと返してくれた人、居なかったわ。お参り行ってみたらって言われて、行ってみても効果が無かった。殆どの人が『大丈夫?』とか『かわいそう』って言うだけだった。なんか、感動しちゃった」
「はぁ?」
こいつ頭大丈夫か? なんで俺のクズ理論を、さながら主人公に正論を叩き付けられてその瞬間に改心した敵キャラみたいに目をキラキラさせながら聞いてんの?
「ねぇ、カップが空になってるわね。おかわり飲む? もう少しお話しましょ。あ、ご飯食べる? 相談に乗ってくれたお礼に全部奢るわ。大丈夫。私、アルバイトで結構稼いでるし」
「いや要らないけど」
身を乗り出してきた愛野から少しでも距離を取るため身を引く。が、その分だけずいと距離を詰められた。
「なんかね、私、今ちょっと良い気分なの。明日からもう大丈夫な気がするの。気分が良いから奢らせて」
「家に晩飯あるし、ほら、俺、この後寄るところあるから」
俺は本屋に行かなければならないのだ。そのために駅前まで来たんですよ?
あ、あとお勤めがまだ途中だった。
「寄るとこ? どこ?」
「……本屋」
「私も行く。あ、オススメの本屋があるわ。少女漫画の品揃えが最高なの。一緒に行きましょ」
「え、いや、それは困る」
だって俺少女漫画とか読まないし、買う予定なのは少女が大人に悪戯される系の漫画だし。ある意味では少女漫画である。
その後、しつこい愛野をなんとか振り切るのに十分近くかかった。なんとか店を出て愛野と別れ、目的だった本屋にて本を買い、帰路の最中に思わずため息を吐く。
「……へんなのに懐かれた……」
明日、学校では今日なにも無かったかのように相手が振舞ってくれれば良いのだが……と、切に願うばかりである。