エピローグ『答え』
あれからいくらかの日数が経過して、貧血による立ちくらみもほぼほぼ無くなった頃の事だ。俺は自分の部屋で胡座をかいて、安っぽい紙束を安っぽく纏めただけの漫画を読んでいた。
「……なんじゃこりゃ」
冬月璃燕の作品なんだが、これがなんとも言えない。
絵はなかなか綺麗だった。淡いタッチで、萌えではないがリアルでも無い美男美女達の、軽音楽ストーリー。起承転結も丁寧だから、所詮はアマチュアの作品であることを忘れて、途中から安心して読めた。
「中身は別に良いんだが……」
吹奏楽部の二番手のドラムをバンドに誘うシーンな。
幼馴染みと一緒に全国で金賞を取ろうと約束して、その幼馴染みだけ転校しちゃってて、でも金賞は約束だからって頑張るけど、プレイスタイルが吹奏楽よりもロックバンド向きなせいで、二番手に甘んじている、という設定らしい。
らしいのだが……。
『私ね、君のスランプの理由、解るんだ。君も多分、解ってると思う』
『それが解ったら、苦労はしない』
『ううん、君は解ってる。解ってるけど、それを認めるのが怖いんだよ』
『……演奏する理由なんて無くなっていた。約束したから頑張ってきたが、なんで約束したかも忘れていた』
『なんで約束したの?』
『楽しかったから。音楽が』
『じゃあ、楽しい音楽をしようよ』
そう言ってボーカルのヒロインが手を差し伸べる。ドラムが手を取る。って流れ。
──既視感があるのは気のせいだよね!?
まぁ、まぁね、確かにこのへんのやり取りは俺と冬月のやり取りに似てる気がする。でもまぁ別によくある会話の流れだと思うし、そもそもこんなハッピーな雰囲気じゃなかったからね、あの時。
それよりも、たぶん、
「……詰め込み過ぎだよなぁ……」
大賞に送るようの短編でページ数はそんなに無いのに、バンドメンバー全員を揃えるのは、展開が早すぎる気はする。
「俺自身がせっかちだから、嫌いじゃねぇが……」
面白かったとも、思う。そのへんは流石に、努力を続けてきた人間だろう。ただ詰め込み過ぎて説得されるメンバー全員ちょろく感じる……。
「ほんと、嫌いじゃねぇが……」
結局、大切なところが解らなかった。
作品に宿る、伝えたいこと。
バンドメンバーの全員が、人間関係になんらかの問題を抱えていた。昔の約束。家庭環境。転校生だからぼっち。そういう、人と人との絆について、作中で明確に触れていた。
絆は触れないから、音で繋がって。
友情に形は無いから、音楽という形にする。
そういう物語。
「…………形、ねぇ」
そりゃそうだ。思念体にでもならなけりゃ、あらゆる思いに形は無い。確かめようが無いから、思念体になるまで肥沃化させてしまう。
でも、そうかもしれない。
思いを形にすることが出来たなら、思念体なんてものは、殆ど産まれない可能性が非常に高い。
そういう面では、
「あー! 彼方、私が来るまで待っててって言ったのに、もう読んでる!」
なんか悲鳴上げながら俺の部屋に入ってきたこいつ、愛野は、思念体とは程遠い存在のはずだよなぁ。我慢はするけど、形にするの得意そう。
「いや、一冊しかねぇのに、一緒に読めるわけねぇだろ」
俺は読み終わっているため、愛野のほうへ放り投げる。
「ちょっ、と、とわ!」
なんか足掻きながらなんとかキャッチした愛野。
「丁寧に扱いなさいよ!」
「大賞に送るのは別個に印刷してるっつってたし、丁寧に扱う必要はねぇだろ」
「そういうのじゃないの、こういうのは、気持ちが大事なの」
「こういうのってどういうの」
抽象的過ぎて解らん。
「こういうのは、こういうの」
きっとその漫画の事だったのだろう、愛野はすぐさま、その作品に没頭しだした。
邪魔するほど話したいことなんて無い。愛野が読んでる間、物思いに耽る。
『お疲れ様だったね、彼方くん、青衣』
思い出したのは、遠足が終わって3日後の、御藍のおっさんとのやりとりだ。
遠足あとの日曜日と代替休日は手当てと輸血で終わって、そこからは傷も生々しい中で普通に登校した。
俺も光峰も一時戦線離脱したため、御藍のおっさんは色んなところで数人分の仕事をしていたらしい。やっとこさ暇を作って来たと思えば、すぐに仕事の話だった。
「大変だったろう。分離思念体の母体討伐、おめでとう」
「何がめでてぇのか解んねぇけど、協力には感謝せんでもない」
ここは流石に素直に言っておく。あの作戦は、このおっさんと春香も居なければ成り立たなかった。
「お父様あっての成果です」
と、恭しく頭を下げる光峰。しかし、身体のそこかしこを庇いながらの礼だからか、妙に滑稽だった。
「彼方くんあっての成果であり、青衣あっての成果だよ。私はあくまで、手伝ったに過ぎない」
当たり前のようにこれを言うのだから、出来た人間なのは確かだろう。
「しかし、申し訳ありません、お父様。今日も、こっちの思念体まで排除して頂いて」
「構わんさ、君達は本来修行中の身。強大な敵を倒した事で、君達は今回、間違いなく成長した。その成長があれば、何も問題無い」
「ありがとうございます」
光峰は素直に受け取ったらしいが、俺はそう出来なかった。
「成長、ねぇ」
筋トレとは訳が違う。やったから、倒したからと言って、成長したと断言出来ない。そもそも俺に成長願望が無いのだから、問題大ありだ。
そうやって訝しむ俺の内心を見抜いたらしいおっさんは、柔らかく笑ってみせた。
「そう、成長だ。成長とは、常にしたくてするとは限らない。時に、何かに強いられ、初めて為せる成長もある」
「嫌味ったらしい成長もあったもんだな」
「そうだね。悲しくとも、成長であり、進歩だ」
「…………」
その言葉に何も返せなかったのは、不意に、今頃漫画を書きまくっているであろう冬月が脳裏を過ぎったからだ。
夢を諦めた冬月。俺はそれを、悲劇を強要したと認識していたし、多分、愛野も似たような感想だろう。冬月にとっては間違いなく、悲劇だったに違いない。
しかしそれを、例えば母さんはこう言い表した。
『切り捨てられて初めて拾われる』
そういう救いもあるのだと。
それをこのおっさんが言うと。こうなるらしい。
悲しくとも成長であり、進歩。
皮肉だ。
誰も望んじゃいないのに、それが進歩だと言うのだから。
「君達が怪我を負ったのを、名誉の負傷と言って誤魔化すのは好きじゃない。負傷は悲しいことだからね」
でも、と、おっさんは続けてこう言った。
「そうまでして、君達が何かに立ち向かったという事実に、私は、喜ばざるを得ないんだよ」
「人が怪我して悲しんでんのに、なんつーおっさんだ。これで実は大して成長してませんでした、とかだったらどうすんだよ」
なんとなく解るのは、きっとおっさんは、挑んだことそのものが進歩の証、とか言いそうな事くらいだ。
そう思ったのだが、おっさんは何故か苦笑した。
──成長以外でもそうだ。ものの善し悪しは、手に入れて少ししてからじゃなきゃ、本当の意味では解らないものだよ。
「ゆうかーーーーーーーー!!」
愛野がキャラの名前を叫びながら涙を流していた。え、そんなになるようなテンションの高いシーンあった?
「うるせぇよ。ここ俺の部屋だぞ」
「だって……だってぇ。ゆうかちゃん、羨ましくって……」
悠花とは、冬月の漫画のヒロインだ。転校してきて、主人公にバンドをしようと持ちかけるキャラ。
確かに、人の和を広げる悠花の行為は、愛野が頑張ってきて、1度失って、なんとか取り戻して、そして先日、神田川が失ったものだ。
そう考えると、この漫画のヒロインたる悠花と愛野は、似ているのかもしれない。似つかないところと言えば、悠花には一切の遠慮がなく、愛野は変なところで遠慮してしまうところか。
だから、羨ましい。なるほどよく解る理屈だ。
「こうまで人を巻き込むやつってのは、現実だと結構ウザイだけだぞ」
漫画に出てくる行動力の高いキャラというのは、相手に相応の裏付けがあって初めてバランスが取れるもんだ。
しかし、俺の意見は的外れだったらしい。愛野はフルフルと首を横に振る。
「私はそう思うってだけなんだけどね、誰かの居場所って、誰かが頑張ってるから維持されるんだと思うの。一見誰も意識してないように見えても、誰かが気遣ってたり、頑張ってバランスを取ってる。そうやって誰かにとって、居心地の良い場所が出来るって」
それでね、と、愛野はその漫画を畳に置く。
「悠花ちゃんは沢山の人の居場所になれるんだろうなぁって、そう思っちゃったんだ」
漫画の縁をなぞる指は、孵化したての雛を撫でるようだった。見つめる目も、微笑んだ口元も、濁り無さすぎて俺には眩しかった。
だから愛野から目を逸らし、そしてはたと思いつく。
それが、愛野茲菜という人間なのかもしれない、と。
誰かにとっての居場所であろうとして、だけど踏み込むのが怖くて。助けたくて、でも弱くて、不幸にはしたくなくて、だけど選べなくて。誰しもにとっての居場所でありたくて。
そういう居場所を共有した人間同士を、あるいは友達と呼ぶのだろうか。
「…………わっかんねぇ」
結局友達ってなんなのって話だ。ここ最近だけで色んな事を言われた気がする。いくつかの定義を見出して、けど納得は出来ずに居た。
そもそもだ。
ものの善し悪しは、手に入れて初めて知ると御藍のおっさんは言った。悲しかろうと進歩とも言った。逆説すれば、進歩したところで悲しいこともあるのだ。
そして、切り捨てられて初めて拾われる救いもあると母さんが言った。手放さなければ進めないものもあると。
なら、繰り返すしか無いのか。
拾って。捨てて。そういう取捨選択を何度も繰り返した先でしか得られない答えがあると。
多分、そういうものなのだ。友達というのは。人間関係というのは。
拾わなければ始まらない。捨てなければキリが無い。
善し悪しなんかは解らない。今回の神田川みたいに、予想だにしなかった結末をぶち込んでくるパターンもある。
「……ああ、めんどくせぇ」
「なにが?」
「さて、なんだろうな」
「あっそ」
「聞いといて素っ気ねぇな」
「そりゃそうでしょ。彼方が何を考えてるかなんて、まだ付き合いの浅い私じゃ──」
当たり前のように愛野は言う。きっと最初から、それが答えだった。愛野はずっと知っていたのかもしれない。
俺もようやく解ってしまった。最近俺を悩ませ続けていた案件。すなわち、『友達ってなんぞや』その答えを見つけてしまった。
たぶん、こんな下らないものが答えなのだ。
「──考えるだけ無駄よ」
色々と考えるのが面倒になるほどに、思考を止めたくなるほどに、下らない答えだった。
ここまで読んでくださった方がもし居ましたら、ありがとうございます。作者です。
長かったですねぇ。
でも、ストーリーはじっくりめだった気がします。
多分読んで下さった方よりも、僕が一番楽しんだんだろうなぁ。好きだったなぁ、彼方。
お付き合いいただけて幸いです。
ありがとうございました。




