第十五話『崇め奉られし偶像の祟り〜転編』
気を失っていたような気がする。意識が黒く塗りつぶされたのが一瞬だったのか数秒だったのか数十秒だったのか。生きているということは、少なくとも数分以上は経っていないだろうが。
突き飛ばされて、いくつもの枝をへし折りながら進んで、背中に衝撃を感じて、気付けば地面に倒れていた。
木にぶつかったのかとも思ったが、後ろを見ても、ぶつかったであろう木は見当たらない。どうやら、光峰が張っていた結界に衝突したらしい。これが無かったらどこまで運ばれていた事か……ゴルフじゃねぇんだから、そんなにポンポン飛ばすなっての。
「……生きてるか……」
どこへともなく問うと、少し離れたところから返事があった。
「……無論、だ」
かろうじて、といった感じか。こっちも似たようなもんだが、まぁ、文句は言えない。泥に足を滑らせて回避出来ませんでしたとか、かっこ悪すぎだろ。
俺は、まだ思念体がこっちへ来ていないことを寝たまま確認してから光峰に言う。
「あいつに風林火山の風を食わせてやれ。……囮は俺がやる」
くそ、喋るのもしんどい。肋骨が逝ってるかもしれん。
「……できるのか」
と、光峰が確認する。
「誰にものを言ってやがる。……できなければ終わる。そんだけだろうが」
肘で地面を押して上体を起こす。膝小僧を掴んで震えを押さえて、無理矢理立ち上がる。
「そうだな」
がさ、と、腐葉土を掻き分ける音が隣から聞こえた。光峰も、ゆっくりと立ち上がっているようだ。立てる程度で済んだんなら上等だろう。
気を失っている間に落としていたらしい木刀と縁太刀を拾う。ついでに、地べたに刺さっていた鋏とカッターを遠隔操作で浮かび上がらせる。
ここはフィールドの最端。もう後ろへは下がれない。
もう帰りたい。それが本音だ。
当然だ。敵を見失った。
結界を張っている以上は敵もバリケードから出る事は出来ないだろうが、向こうはこっちがどこに居るかを既に知っている可能性がある。物陰の多い場所だ。しかも向こうは基本的に物に触れない。つまり、木々をすり抜けての奇襲が可能。
だが、色々と訳あって帰れない。
「お前、認識妨害は、使えるか」
最後のひと勝負が始まる前に確認すると、
「いや、使えるが、自分の気配を絶つには至らない、な」
と、光峰は苦しそうに答え、続けた。
「せめて、対象の存在感を薄くするのと、意識を別のところへ向けさせるくらい、だろう」
まぁ、春香程度にも至らない、という事だろうが、なんにせよ全く使えない俺よりはずっとマシだ。
「なら、てめぇは後ろでチャンスを伺え。もう次の風以外の術は使うな」
「ふむ……一応聞くが、なぜ」
「帰るためだ」
茂みの向こうに意識を向けたまま答える。
光峰は俺の言いたい事を察したのか、鼻で笑った。失礼なやつだ。
「引きつけ役が貴様では不安だが、仕方あるまい。任せてやろう」
「ぬかせ。大船に乗ったつもりで構えとけ」
そして。
「右だ!」
光峰が叫びながら前へと飛んだ。
すかさず俺も同じ回避を取る。
その瞬間に、右の大木をすり抜けて、思念体が突進してきた。
ヘッドスライディングよろしくのダイブで直撃は避けたが、それでも風圧でいくらか飛ばされ、着地に膝を着く。着いた膝がぬかるみに嵌り、いくらか地面を抉った。
「下がっとけ、光峰!」
苦しい呼吸でなんとか吐き出す。
「あい解った!」
そして光峰が視界から消えた。
立ち上がる。
思念体は既に切り返している。
体勢を低くして、突進に備えた。
だが思念体は突進して来ず、口を開いた。
雄叫びを上げるつもりだ。
俺は上空にカッターを飛ばす。そして、上を向いて叫ぼうとした思念体の口の中へと走らせた。
ぐがるぅ、という悲鳴のような嗚咽のような声を漏らし、思念体が怯む。
思念体は生物とは違うが、生物の姿を模している以上、ある程度はその生態も似通う。
皮膚が固いなら、内側から破壊する他に無い。
口の中なら柔らかい。だからカッターが刺さった。これが勝算。
問題は、敵がでかいという事だ。速いのも問題ではあるが、でかさほどではない。
光峰の風の刃が、その弱点に届かないのだ。
勿論、俺の縁太刀も木刀もだ。
なんとかして、思念体に、頭を垂れさせなければならない。
木刀と縁太刀を構え、よく見る。
俺の役目はひとつ。
敵の動きを止めたうえで口を開かせ、なおかつ低頭させる。大分難しいが、それを実行する方法はさっきばっか俺自身が体験した。
「袖振り合うては奇跡の縁。繫ぎし箍を統べりし偶像」
詠唱。今日三回目だ。集中しなければ発動もしないだろう。しかも前回の詠唱で操っている鋏を接続したままで。つまり連続詠唱。体力的にも発動するかは解らない。
が、やるしかなかろう。
思念体が突撃してくる。願わくばもう少しだけ怯んでて欲しかったが、さっきの雄叫びを中断出来ただけでも及第点だろう。
横へ飛ぶ。
が、回避行動が早すぎたらしい、思念体も進行方向を修正。俺へと迫る。
木刀を地面に突き刺し、おもいっきり力を込めて、木刀を支えにして空中で加速する。
木刀を手放してさらに飛ぶ。足元に風が巻き起こる。風圧でいくらか運ばれる。が、着地に成功。その場で振り向き、さっき加速装置に使って手放した木刀を確認するが、木刀はさっきの場所には無かった。思念体にぶっ飛ばされたか。
なら、木刀は諦めよう。
「禊ぎ合いては軌跡の縁。腐りて違えた総ての群像」
思念体が振り向く。こちらへと駆け出す。
俺は横へ駆け出した。思念体も着いてくる。断然向こうのほうが速いし、なにより向こうは木々をすり抜ける。距離はすぐさま無くなった。
俺は急停止し、しゃがみこんだ。
頭上をトカゲが通過していく。足や尻尾に巻き込まれぬよう留意する。まだ反撃の時ではない。
通り過ぎていった思念体がすぐさま停止。横凪に尻尾を振るってくる。屈んでいた俺へと向けて、低空飛行の攻撃。
俺は飛んだ。
だが高さが足りない。
身体を捻る。
円形に回転させた身体。その流れはまるで、俺が尻尾に巻きつくかのような動きだった。
胴体と尻尾が距離数センチ。取り残されていた腕が直撃コースだったため、さらに身を捩れさせて腕を上げる。引き替えに、尻尾の通過し終えたところへと俺の身体が来る。
回避に成功。
しかし、攻撃は一凪では無い。
俺が着地せぬまま、尻尾が切り返してきた。
その尻尾に、下から救い上げるようにして縁太刀を走らせる。
当然だが切れない。だが、切れなくていい。尻尾と鍔迫り合いになる、下から上へと力を込める太刀。太刀に込められた力はしかし思念体に押し返され、全ての力が俺へと、俺の落下を早める力へと換算される。
よって、俺は尻尾の回避に成功し、代償に泥だらけの地面に叩きつけられる。
ぬかるんだ腐葉土。その気色悪い感触に手を突っ込んで身体を起こし、腕で、足で、獣のような四つん這いで後退し、トカゲの尻尾の射程外へと飛んだ。
三激目は足元を流れていった。全ての攻撃の回避に成功。ただ、それでも無傷ではいられない。痛めていた肋骨に無理させていたため、俺はその場へ倒れこむ。くそ痛てぇ。力が入らん。立ち上がるのに、いくらかの時間が要りそうだ。
「合縁奇縁を絶つ術はなく、その接ぎ穂に彼は祟られた」
思念体がこっちを見る。
その足を、こちらへ向ける。
そのまま駆け出そうとして、しかし、
「崇め奉られし偶像の祟り、今、彼の往く導を閉ざせ」
ぐるん、と、思念体の足元が歪む。
踏み込み駆け出さんとしていたそいつは体勢を崩し、そして、足元のぬかるみに、その腐葉土に巻き付かれるようにして、その場に倒れた。
詠唱は成功した。
思念体が呻く。倒れた体勢で口を開ける。
だがまだだ。まだ俺の仕事は終わっていない。
思念体は暴れている。その度に、その足元を、ぬかるみを、腐葉土を、詠唱で操作可能にした泥達を操り、立て直させまいと邪魔をする。
それでも限度はある。足元を歪ませるまでしか、俺の力では出来なかった。流石に、地面を操作する、なんてのは、オーバーロードだったらしい。
だがまだだ。
最後の力を振り絞り立ち上がる。
敵の片目へと鋏を走らせる。突き刺さり、敵はいきり立つ。
俺がなんとかそいつの目前まで来ると、上体を起こした思念体が噛み付かんとしてくる。
数秒しか持たないだろう。
もしかしたら、コンマしか維持できないかもしれない。
それでも。
それでも倒さなければならない。
俺は、その上顎に縁太刀を突き刺し、下顎を踏みつける。
思念体の顎の力は、当然のように俺の全身の力よりも強かった。今にも押しつぶされて咀嚼されそうだ。
それでも。
「…………っつ」
嗚咽さえも漏れない。敵の牙が俺の腕に、足に食い込んでいる。痛みに感覚が鈍っていく。肋骨だって、何度も突き飛ばされて限界気味の各所の骨だってぎしぎしと鳴いている。そんな苦痛の中で頭に浮かんだのは、電灯に照らされた、とある女の言葉だった。
――私はきっと、神田川君を許しちゃうんだと思う。だって私は、神田川君がその可能性を見せてくれたから、話し合えば色んな人と繫がれるっていう事を教えてくれたから、今こうして大光司とか青衣ちゃんと一緒に居られるから。だから、神田川君なら、私との仲も修正してくれるって、そう思うんだ。……そうであって欲しいって、どうしても思っちゃうんだ。
俺は、あいつには最初からずっと、神田川を見捨てろとか縁を切れとか友達を選べとか、そう言い聞かせてきた。そして、あいつが神田川をどう思ってるか、告白される前はどういう関係だったのかとかを、聞かないでいた。
今回のお勤めにおいては、何よりも重要な事だ。
愛野と神田川の二人の物語があって、俺はそれを知らない。
愛野を、誰も切り捨てられない正確に仕立て上げた張本人。それが、神田川弘毅という人間だったと、愛野は言う。
俺は愛野に絆されている。そりゃもう情けない事に、少なくとも今回の件に関しては、愛野によって突き動かされたと言える程に。
なんでこんな事してんのかは解らない。
なんでこんな風に考えるのかも解らない。
それでもだ。
「づっ……づ、ま、け、る、くあぁあぁぁぁあぁああああぁあああああああ!」
愛野と神田川の縁があったがために愛野と俺の縁が生まれたというのなら、この神田川という男を救ってやるため、多少の時間と力と命を削るのは構わない。
確かに俺は、そう思ったのだ。
そして。
「――せいやぁぁああああ!」
俺の背後から、横から伸びた見えない刃。そして、細い腕。黒い髪。
俺が開け放した思念体の口の中へ、その喉元へ、光峰が風の刃を突き刺した。
気を抜いたわけではない。しかしそこで限界を向かえたせいで、思念体の口が半分ほど閉じる。
その牙が、俺や光峰の随所に刺さる。
けれどそこに留まらず、光峰はさらに踏み込んだ。深く深く、喉元を貫く。貫き、捻り、留めを刺す。
向こうとて無抵抗ではない。このまま俺達を食い潰さんとして力を込めてくる。
互いに風前の灯火。捨て身も良いところだ。
深く突き刺しあう刃。これ以上は閉じさせまいと堪える俺と、一刻も早く息の根を止めようと踏み込む光峰。
決着の瞬間は、あっけなかった。
まるで全てが幻だったかのように、俺達を潰そうとしていた力は一瞬で消え、変わりに光の粒となって降り注ぐ。
その場に倒れようとした俺を、片膝を着いた光峰が受け止め、けれどそのままではいられず、ゆっくりと地面に降ろす。降ろし終えたなら、手に持っていた刃を放り投げ、その場にヘ垂れ込んだ。
「終わった……」
力なく、光峰が呟いた。
俺はもう力を使い果たして口も開かん。開かんのだが、それでも、言わんといかんし動かにゃならん。気力を振り絞る。枯れ果てた気力だ。もう空っぽで干からびている。ああ、俺の心はナハラ砂漠。
「……帰るか」
「そうだな」
立ち上がって、自分の足で下山しなければならない。
下山した後も仕事は残っている。山登りを終えた同級生達を待って、バスに乗り込んで、解散式みたいなのをやって、そういう手順を踏んで帰らなければならない。
まだまだ山積みだ。やらなければならない事が残っている。
それでも、俺達は勝利した。
目を逸らし続けていた因縁は、確かに、決着を迎えた。
光峰には、僅かばかりだろうが余力を残させている。
その光峰の肩を借りて歩き出す。
愛野の回収は神田川がするだろう。
俺達は、この後、騒がれる事なく、平穏を装って、帰る。
ほんとうに、帰るまでが遠足とはよく言ったものだ。嫌味かっての。
ここからが、正念場だ。




