第十三話『崇め奉られし偶像の祟り〜起編』
筆記用具による道標を提案したのは、教師共を説得するためだけでは無い。それだけのために学年中から筆記用具を集めるなんて、効率が悪いし気分も悪い。俺としては遭難しないためってのが二番目の理由で、実際は、神田川弘毅の追跡を安全に、確実に行うためだ。
まずひとつの要因として、道標がある事で無関係の人間へ、ここはもう探した後だと告げる所にある。誰かが探したところをもう一度探すような馬鹿なら、この調査メンバーに選ばれないだろう。だがそうする事で、誰もが意図的に神田川から離れてくれる。結界や人払いを使うまでもなく、向こうがこっちを避けてくれるのだ。
そして次に、神田川を簡単に見つける事が出来る。
その道標は神田川が道に迷わないように、だけではなく、神田川がどこを探し、どちらへ向かったのかも当然教えてくれる。導を辿れば、すぐに神田川だ。
何故このような迂遠な方法を取ったかと言えば、まぁ他に良い策が思い浮かばなかったのもあるが、やはり確実性と効率の問題だろう。
神田川をすぐに見つけられる上、俺以外の人間は神田川から離れてくれる。さらにこの提案を教師にしたのは神田川本人だ。しかも学年を代表するような形で、同級生達の前でそれを披露してくれた。神田川は目立った。これでもかというほど。間違いなくこの遠足でのMVPだ。
思念体はこれ以上に無いほど肥沃化している。
肥沃化しているという事は、全ての要素が表面化しているという事だ。根こそぎ処理するには打ってつけの状況。引き替えに敵が強くなるから喜ばしいことばかりではないし、そもそもこんな面倒な事が義務化されている時点でとても喜べる状況じゃないが。
たった一手でここまでの効率化を図れるなら、やらない手は無いと判断した。だから実行した。
そして俺は今、おそらく神田川のであろう導を辿っている。
神田川の導じゃなかったとしたら引き返して別の導を辿ればいい。この工程だけは効率化出来ないが、闇雲に探すよりはよっぽど良いだろう。
さて。
前方に爽やかな髪型の、しかし陰鬱な雰囲気と巨大な思念体を背負った後ろ姿が見えた。どうやら当たりだったらしい。
まずは。
ひとまずは、問答から始めよう。
「神田川」
「……ん。どうした、奇遇、なのか?」
振り向いた神田川。俺は「まぁ、奇遇だわな」と白々しい返答をした後、神田川の横に並ぶ。
「一緒に探すのは非効率的だと言ったのは大光司だったと思うんだが」
「気が変わった」
簡単に言う。簡単に、素っ気無く、感情を殺す。
「だからって、言いだしっぺは君だろう」
ここで苦笑を混ぜたのは、糾弾をなるだけ柔らかくするためか。出来るだけ角を立てないように気を使ったのだろうが、それは要らん心配だ。角なら俺が立てるのだから。
「自分の持論は簡単に曲げる。それが俺の持論なもんでな」
「意味が解らないな」
と、神田川は鼻で笑う。
内心は愛野が心配で心配で仕方が無くて、笑っている余裕なんざ無かろうに。
実はそこまで心配するほど、最初から愛野なんてどうでもよくて、ただ顔が気に入ったから告白してみた。
そんな生半可なもんじゃないことくらい、もう察している。
「神田川」
だから俺は、歩を止めてこう言うのだ。
「お前に、愛野を助ける資格は無いぞ」
ぴたり、と。俺の数歩先へ進んでから、神田川も止まった。しかし、振り返らないし、返答も無い。
「今更お前になんざ手を差し伸べて欲しくないと愛野も思ってるだろ。それくらい、解ってんだろ」
言い方を変えて同じ事を繰り返す。すると神田川の視線がゆっくりとこちらを向いた。身体は前を向いたまま、けれど前へ進むことはせぬまま、視界だけは後ろを捉える。
「解ってる。それでも、俺は」
俺と視線を交錯させてそこまで言って、しかしすぐに俯いて、俯いたと思ったら、俺から視線を逃がすように前を向いて。
「それでも俺は、ただ謝りたいんだ。あんな目に遭わせてしまったこと。それなのになんの対処も出来なかった事。そういうの全部を謝りたい。それだけなんだ」
「謝って全部終わりにすると? 済まないと思ってる。そう伝えて、愛野には関わらないようすると?」
「……ああ、そうだ」
俺の言葉に、神田川は上を見上げた。木漏れ日が静かに差し込んでいる。地面が濡れているからか、砂埃は殆ど舞わない。空気中に霧散している塵や水分が光を反射して、嫌味なまでに眩しかった。それで目が眩んだのか、神田川はすぐ、下を見る。
そんな惨めな神田川に、俺は告げる。
「違うね。お前はその先も期待している」
その言葉に今日一番の反応を示した神田川は、顔は下を向いたまま、視線の角度だけ変えて、俺のほうを見た。睨む、というには、あまりにも無力で、無能で、なんの脅威も抱かせられないような、そういう視線。
「愛野は良いやつだ。それは俺なんかより、お前のほうがよっぽど知ってるだろう。謝って終わりにしようとしたところで、謝られただけであいつは簡単に、容易くお前を許すだろう。本当は内心ではびびってて、もう関わりたくないと思ってたとしても、あいつはお前の謝罪を認めるだろう。そんで気付けば同じ事を繰り返す。愛野は、また、お前のせいで苦しむ」
それはいつだか、俺が突きつけられた言葉に似ていた気がした。
あいつは多分、なんでも許すし、なんであろうと認める。認知し、関知し、関与し、気付けば主催者になって、他人事では居られなくなって、放っておけば良いものを自ら火中の栗を拾いに行く。
それが、愛野茲奈という人間だ。
「そうかも、しれないな」
きっと、どこを見れば良いのかも解らないのだろう。どちらが前かも解らないのだ。神田川は目を閉じて、そのまま首を倒して上を見る。いや、目を閉じているのだから、何も見えちゃいないだろうが。
「願わくば仲直り、なんて事は、難しいんだろうな」
その言葉は、酷く醜い願望で、儚く脆い祈りだ。夢物語でしかない。
「寝言は寝て言え」
と、俺は言う。
「友達ってのは、肩を並べて歩かにゃならんもんらしい。お前と愛野の間には既に、加害者と被害者っつぅ明確な違いが生まれてる。愛野がお前を許せば、愛野はまた前みたいな目に遭うだろう。もしも許さなかったとしても、それはそれで問題になる。お前の勝手な行動で、貧乏籤を引くのは決まって愛野だ。この時点で既に、対等な関係なんかじゃ居れねぇよ」
どうして神田川君を許さなかったのか。あの女は高慢だ。そんな陰口が、結局似たような結末を産む。そんな場面が容易に想像出来る。その結末が確定でなくても、堅実な判断とは言えない危険な賭けだ。
「それでも、なんとかしたいんだ!」
と、神田川はようやく、身体をこちらに向けた。いつの間にか開いていた目。後ろに居るトカゲが嘶いた。
「方法があるはずだ! 皆が仲良く出来る方法が! 一年の時みたいに、皆がなんの禍根も無く笑い合える方法が、どこかにある! それを諦めたくない! 崩してしまったのが俺だからこそ、ちゃんと作り直したいんだ!」
紡がれた夢物語の続き。なんと美しい光景だろう。全ての汚物を地価に埋めてコンクリートで覆って、その上にまた土を置いて木々を生やして、生き埋めの犠牲になった動物達はコンクリートの下で化石にもなれず朽ちていく。そんな理想郷。
「奇麗事は綺麗な身で言え」
と、俺は告げる。
「なんの禍根も無かったら、そもそもああなっちゃ居なかった。禍根は確かにあったんだ。だが、それを誰もが只隠しにしてやがっただけ。地下に埋められていた禍根が、お前の告白を機に外へと漏れ出した。禍根を肥料に着々と育ってた木々を枯らす、そんな毒がずっと、お前たちの中にはあった。そんな理想郷はな、ディストピアっつうんだよ。独裁政治だ」
たったひとつの問題が、違う問題へ飛び火する。そんなのはよくある事だ。英語の成績に関する説教を受けていたはずが、いつの間にか普段の授業態度への説教になっていて、果ては「そんなんだから友人が居ない」という文句に摩り替わっている。
本当に、よくある事だ。
神田川は唇を噛み締め、苦々しい口調で言葉を繋ぐ。
「……そんなのは解ってる……奇麗じゃないってのは解ってる……でも、もしも、誰もが、皆が少しでも、ほんの少しでも広い心を持って、皆と仲良くって思ってさえ居れば、誰かが苦しまなくても済んだはずで……。そうすれば、その理想郷だって維持出来て……それで」
「馬鹿も休み休み言え」
最後まで聞いていられなくて、俺は割って入った。
「誰も、そんな理想郷は望んじゃいねぇよ」
「…………なにを」
ここまでの問答で解ったことがある。
神田川は、愛野茲奈と酷似している。愛野が神田川をトレースしたのか、神田川が愛野を真似たのか、はたまた偶然の一致か。ともかくとして、独善的なまでに他人へ好意的なところが、酷く似ているのだ。
世の中の殆どの人間が善人であると、その本質は正義であると、この歳になって今もなお、信じているのだ。
「世の中誰もが自分本位だ。自分最優先で自分以外は全部モブだ。半分以上の人間がコミュニケーション障害者だよ。たまたま気の合うやつと運命的な出会いをしたやつらは勘違いしがちだが、世の中、いったいどれだけの人間が素知らぬ他人に優しく出来ると思ってるんだ?」
そこでひとつ間を置いて、
「気の合うやつ以外には愛想笑いしか出来ない。ジョークでしか人と接する事が出来ない。人格を偽っている。打算で付き合いを選んでいる。そういうやつばっかだ。そういうやつ以外に見たことねぇよ」
俺はそう吐き捨てた。
だから。
「だから、そんな善意と好意に満ちた机上の空論的な美しき世界はな、はた迷惑なんだよ。その好意的な世界は、他人に対して好意的になれない人間をそれだけで糾弾する。人に優しく出来ないお前は劣っていると、そう断罪する。優しくなんかなれないのに、自分んは優しくないのに、世界は優しい。異端なのは自分だ。そんなの、誰だって認めたくねぇさ」
だから。
「だから、人は無差別で見返りを求めない優しさを偽善と呼んで悪と見做す」
神田川の表情が固まっている。何を言っているんだこいつは、信じられない。そう言いたげな目で、つまり、俺が向けられるに相応しい視線だった。最近は愛野だなんだののせいで効力が弱まってる気がするが、クズこそが俺の真骨頂で、真髄で、脊髄だ。これが無ければ俺じゃない。
「はた迷惑だ余計なお世話だ。偽善だなんだとエトセトラ。そういう言葉が流行れば、善人が善行を躊躇うようになる。そうなれば、皆平等だ。悪人が善人との比較で苦しまされずに済む」
「違う!」
ここでようやく、神田川が反論を述べた。
「皆、不器用なだけだ。話してみれば解る。皆、なにかしら良いところを持ってる。関わった事もないくせに、知ったふうに言うな」
力の籠もった、今度こそ怨敵を睨む目。遠回しに、いや、そうでもないな。結構ストレートに友達を馬鹿にしたから、そりゃ怒る。怒らなければ困る。
感情は、爆発した時こそが最も強烈な本物となる。
理性や知性が強ければ強いほど、その適正が高ければ高いほど、言動と感情は一致しにくくなる。なんなら、爆発しなければ本物じゃないとさえ思う。
「告白された相手を妬んで、嫉妬のあまりそいつを校舎裏に呼び出して『学校辞めろ』と脅迫する。随分とユニークな善人だな」
「……っつ」
神田川が唇を噛み、変わりに俺は嘲笑する。
「『誰も傷付けたくない』と主張した愛野の言い分に耳も傾けず、こちらの主張を聞き入れない限りは嫌がらせを続けると偉ぶって、相手の言動の全てを弾圧して黙殺する。随分と広義な『話せば解る』だな」
「そ、それは……」
またも俯く神田川弘毅。抜かるんだ地面に食い込んだスニーカーが、少しずつ泥水を吸い上げている。
「現実を見ろよ神田川弘毅。お前の周りは善人ばかりじゃない。お前を高く持ち上げる事で、神輿に担ぎ上げる事で、そんなすごいやつと友達な自分かっけぇ、と思いたいだけなやつだって居る。お前と友人だっていうレッテルが欲しいだけのやつだって居るだろう。そういう人間は絶対に居る。――人間は基本的に悪人だ」
神田川の目から光が失われていく。感情が消えた、とも思ったがそんなもんが視認出来たわけではなく、ただ木漏れ日の角度が変わり、暗くなっただけだった。
多分、俺の言い分を理解したのだ。そして、納得してしまったのだ。抵抗を止めた事が、黙ってしまったことが、何より雄弁に、その諦観を語っている。
「……俺はさ」
そして、抵抗の変わりに、力を無くしたままの口調で、神田川を語りだす。
「誰かにちゃんと謝った事が無いんだ」
弱りきって、身体も脱力して、今にも倒れそうだった。
「ちゃんと謝らないといけないような事をした経験が無い、って言ったほうが近いかな。そうなる前に事が片付いてたり、丸く治めたり。そうできなかった事は大抵は向こうが悪いって事になって、俺が謝る必要は無かった」
なんとなくだが、驚きは無かった。そうだろうなとは思っていた。
俺と同じだ。ちゃんと謝った事が無い。まぁ、俺の場合はちゃんと謝らないといけない事があっても、そうして来なかっただけなんだが。
ただひとつだけ。
一度だけ、ちゃんと謝罪をした経験がある。
奇しくも、神田川弘毅が謝りたいと言っている、同じ人間に対して。
「認めたくなかった」
力が籠もり、それでも静かで、行き場を失った力が口の中で反射して震える。そんな、今にも崩れそうな弱い声。
「俺のせいでこうなったなんて、思いたくなかった。だってそうだろう? 好きな子に告白して、付き合えたならそのまま幸せになって、フラれたとしても友達からネタにされたりからかわれたり励まされたり。それが普通だって、そうなるって思うだろう? 誰が予想出来た? どうすれば、俺が茲奈に告白したら、茲奈が不幸になるなんて察知出来る? 仕方ないじゃないか。そんなの誰にも出来ない。出来るわけがない。俺は悪くない」
そりゃそうだ。神田川は悪くない。悪いのは、それをチャンスとみて愛野を貶めた連中と、そういうやつらを作り上げた社会と、気付けなかった神田川の三つ巴の共犯だ。責任の所在は、神田川一人に押し付けられて良いものじゃない。
だから、神田川に悪意が無かった事だけは考慮されなければ、断罪は妥当では無いだろう。
しかし、それを、その言い逃れを許さない人間が居た。
「自分がそう思ってる事が、なによりも嫌だった」
神田川本人が、そう言ったのだ。
「自分のせいでこうなったのに、それに対して理屈とか理論とか固めて言い訳して、誰にいつ糾弾されても論破出来るように身構えてる俺が居たんだ。馬鹿じゃないのか。そんなわけないのに、全部俺が悪いのに。許されていいわけがないのに」
なのに。
なのに、と、神田川は自分の身体を抱いた。目が充血している。感情的になっている。
後ろの思念体がさらに巨大化する。
「許されたくて、そう思ってしまっている自分を認めて欲しくて、だけどそれが卑しい好意だって事は解ってて……どうしたらいいか解らなくて、でも、今更、ただ会って、頭を下げるだけじゃ、なんの誠意も伝わらないっていうのも気付いてて……」
神田川の後ろで泣き喚く思念体。そのせいで今にもかき消されそうな神田川の懺悔。
「結局どうしようも無くて、良い方法なんて何ひとつとして思い浮かばなくて、気付けば俺は、俺の周りは皆良いやつだから、だから、皆が着いてる俺は何も間違えちゃいないって、友達さえも言い訳に使った……! そんな自分が、そんな醜くて卑怯な自分が誰に認められるって言うんだ! こんな事をしてる時点で、許されるわけがないのに!」
その言葉で、全てのピースが揃った。神田川の心は、今ここに露見した。
おそらく神田川の周りに居た連中も、似たようなもんなのだ。神田川が正しいのなら、神田川に着いている自分達もまた、それだけで正しいのだと。なにせ神田川は今まで間違えずにここまで生きてきた。それが正しさの保証になる。
自分達は正しいと。断罪されるべき立場ではないと。清らかであると。そう主張したのがあの思念体。あのトカゲは、学年中の願いだ。神田川弘毅は正しい。故にこそ、神田川が正しいと信じている自分達も正しい。まるで宗教だ。
正義だと思って振りかざしていた刃が実は偽者で、被害者は愛野ただ一人で、他の全ての人間が加害者だったのだ。例えるならばそう、醜い魔物を倒して毛皮を剥いだら、中から天使の死体が出てきて、そこで初めて、自分達が天使狩りをさせられたと気付いたような。
常人がその状況を拒否したいのは解る。堪えられないのは至極当然だ。
代表として、神田川が正しくあればと願った。神田川は正しくあれと。神田川はその名だけでもって正しいはずだと。醜く狭量で卑怯な思念体。だからこそ人間らしい化け物。
それを、神田川本人が否定し続けた。自分は悪だ。断罪されなければならない。
自らを正義に仕立て上げようとする他人達が、自らを悪だと主張し断罪を望んだ神田川本人を押し留めた。悪であると認められては困るから。
その二律背反が、自家撞着が、神田川を縛り付けた。身動きを封じて逃げ場も無くして罪悪感の牢獄で閉じ込めて言動の自由を奪った。
断罪を望み、贖罪を渇望し、けれどそれが叶わぬ夢で。
故にこそ、神田川の思念体は分離思念体となり、断罪者として、神田川弘毅を罰するために生誕した。
「購い方を知りたいか」
俺は、神田川にそう問いた。
神田川はしばし呆然と俺を見詰め、いくらかしてから、
「そんなものが、もしもあるのなら」
と、真っ直ぐ俺を見た。希望など見つけちゃいないが。希望を見つける事すらも、思念体が拒んでいるのだが。それでも、その精神力だけで、神田川は未だ贖罪の機を伺っている。
「あほ言うな。方法なんざいくらでも転がってる」
例えば。
「他の連中を全部切り捨てろ」
例えば、愛野と同じ土俵に下りる事。
愛野は、神田川のせいで友達を失い、苦しんだ。そこへ来てその原因が、諸悪の根源が大量の友達を背に謝罪しに来たところで、それは誠意に欠けるというものだろう。
孤独を知らない人間に、孤独を語られたくはない。
孤独な思いをさせた。謝りたい。申し訳ない。そんな言葉は要らない。お前は孤独の痛みが解るのか? 何故孤独が悪い事かを知っているのか? なにも解らないくせに勝手な事を言うな。そうなるだけだ。
知らないなら語るな。それは、神田川が言った事だ。
「他人なんざ知ったことか。お前は愛野に謝罪したい。なら、物語の主人公はお前で、ヒロインは愛野だ。ハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうとそれは変わらん。だがなぁ、その物語に、モブが必要か?」
「……それは」
神田川は一言だけ口を動かし、しかしすぐに黙った。
そうだ。必要無い。その物語はたった一ページで終わるべきものだった。だが、モブ達が居るせいでそれはこんな事態を引き起こすところまで肥えた。体脂肪で身動きが取れなくなるほどなのだから、大した肥え方だ。
「選ぶのはお前だ。邪魔するもんを切り捨てるか、目的を諦めるか。誰でもねぇよ、てめぇが選ぶんだ」
脂肪を削ぎ落とすのは容易ではなかろう。それさえも思念体が邪魔をする。だから、神田川はそれをすぐに決定する事は出来ない。
「……そうだな。少し、考える時間が欲しい」
大事な選択だ。そう言うのも無理は無い。そもそも思念体のせいで、その選択以外を奪われている。
「ああ、そうしろ……さて、面倒だが、仕事に戻るか」
「面倒とか言うな。人の命に関わる問題だ」
「それなんだが」
俺は太陽の下のほうを指差す。愛野が隠れている小屋のある方角だ。
「さっき、向こうのほうから愛野らしき悲鳴が聞こえた。俺が行ってもいいが、残念ながら俺は筆記用具が尽きちまって引き返さにゃならん。つーわけで、お前、見てきてくれ」
「……君はさっき、僕には彼女を救う資格が無い、って言わなかったか?」
「俺は自分の持論を曲げる事を持論に掲げてる、とも言ったはずだが?」
「そうだったな」
神田川は苦笑する。苦笑して、俺に背を向ける。空気的に「あとは任せた」とか言ったほうがカッコ良さそうだが、まぁそれは狙いすぎだそう。
しばしその場に立ち尽くし、神田川を見送る。正確には、神田川が思念体と共に遠ざかる様を見届ける。
そして、俺は自分が持っていた杖、その鞘を外し、僕とうを取り出す。
「絶」
一定以上の距離が開いた瞬間に呟く。
時間が止まる。
それが合図だ。
木陰から機会を伺っていた光峰が、風の刃を握り締めて飛び出し、思念体へ強襲を仕掛けた。




