第十二話『枯れゆく月と日没』
翌日。母さん手伝いの元、俺は袴に着替えていた。祭祀然とした袴。事実、俺はこれから祭事を行なう。
「くぅあっこいいわね流石パパの子! 袴が似合うわ!」
と興奮してゴマすりをしているのが母さん。
「悪くないわね……あんた、それで学校に来ればモテるだろうに」
と、馬鹿みたいな事を言っているのが愛野だ。
「馬鹿言うな。自分のケツを拭くためとはいえ、こんな正装はごめんだっての」
着ぐるしいし堅苦しい。だが、これから俺は今から思念体に憑かれた人間と向き合って話をしなければならない。思念体が一般人には極力知られないほうが良い存在である以上、思念体の排除ではなく除霊を行うと勘違いさせたほうが色々と捗るのだ。
それに、俺はこの容姿だ。こういうちゃんとした服装でもしなきゃ、信用を得られない。
「でも、良い趣味してるわね、白袴なんて。いつもの私服は趣味悪いのに」
「うっせぇよぶっとばすぞ」
悪態を吐く愛野に悪態を返す。
じーっと、少し遠くから、春香がこっち見ている事に気付いた。巫女服の春香だ。あいつもこれから、祭事に参加するのである。ちなみに母さんも参加する。思念体を引き剥がした後にどっかへ逃げないようにするための見張りだ。
そして、それに愛野も参加する。だから愛野も巫女服に着替えている。巫女服の若者が二人。モノクロの袈裟を着たおばさんが一人。なんかアンバランスだな。ばばぁ消えろよ。いや、実力的には一番必要な人なんだけどね、このばばぁ。
今から行なうのは、思念体に乗っ取られかけている対象と思念体を引き剥がすための祭事だ。半分近く同化して乗っ取られている以上、あのままでは倒せない。絶対に不可能というわけではないが、魂が同化しているままあの思念体を倒せば、道連れで当人の心のほうも切り捨てる可能性がある。
となればその可能性は無いも同じで、普段通りの倒し方が出来ないという事になる。まずは魂と同化してしまっている思念体を引き剥がさなければいけない。だからめんどくさい。
「んじゃ、母さんは境内全体に結界。春香は出入り口を思念体に認識させないようにしてくれ。そんだけしてくれりゃ、あとは俺がやる」
「私っ、私は!?」
「身動きひとつすんな」
がーん、と落ち込んで床に両手を着く愛野。ずっとそのままにしてくれればいいのに。
「境内の準備すっぞ。母さんは手伝い、春香は、これから冬月璃燕って人が来るから、その人が来たらこっちに案内だ」
「りょーかいあいさー」
と気合を入れる母さん。
「…………」
返答はせずとも境内から出て行く春香。やる事はしっかりやってくれるなら構わない。だって俺のせいでああなってるわけだし。でも謝らない。いいじゃねぇかよ下着くらい。兄なんだし。
「縁太刀は?」
「ここにあるわ」
俺の確認にすぐさま応える母さん。その手には木製の鞘に収められた、鍔の無い短刀が握られている。
「これ、本物の刃物!?」
「うるせぇ黙ってろ」
驚く愛野を黙らせた。
「酒は?」
「勿論上等なのを用意したわ」
俺の確認に、母さんは二枚の赤い皿と酒の入った瓢箪を取り出す。
「ちょ、あんた未成年じゃないの!」
「うるせぇ黙ってろ」
止めようとした愛野を黙らせる。俺が今更未成年飲酒を気にすると思うか? と言いたいわけではなく、これから行なわれる祭事のためのアルコール摂取なのだから合法だ、という事である。そもそも、俺ってば酒はあんま好きじゃないのよ。
そしてそそくさと面倒な準備を続ける。いちいちきょどついている愛野に逐一「動くな」と注意していたら、何時の間にか愛野が銅像になっていた。はは、考える人の隣に並んでも違和感なさそうだ。タイトル、反省する人。
準備が終わる。
そして、母さんが寺全域に展開している結界を解除した。そうしなければ、思念体と殆ど合体してしまっている今回のお勤めの対象、冬月はこの寺へ入れないからだ。
「そろそろ時間ね」
と、母さん。ああ、もうすぐで約束の時間だ。
「愛野。よく見ておけ」
境内の隅で、母さんの隣で正座する愛野に向けて、俺は境内の真ん中で、簡単に用意した祭壇で座禅を組む。
「これから始まるのが、本当の意味での、俺のお勤めだ」
そして入り口を睨む。
外はもう暗くなっている。
境内の扉がゆっくり開く。
最初に見えたのは青ざめた顔の春香だ。春香が扉を開けたのだから当然だが、春香はそのまま中には入らず、道を開けた。
春香の後ろに隠れていた昨日の女性、スーツ姿のOL冬月が、後ろに悪質な思念体をくっつけて、中に入ってくる。既に思念共鳴は発動している。母さんと春香には、あの思念体が視えているだろう。だから、春香はあんなにも青ざめているのだろう。
父さんと思念共鳴して、あの程度なら何度も見ているはずの母さんはしかし、それでも険しい表情をする。もしかしたら母さんは、あの思念体の姿を見ただけで本質を見抜いたのかもしれない。
とり憑いた相手の首を絞めながら、身体を乗っ取ろうとする思念体。時折うめき声のような音を出す、全身ささくれだらけの、灰色の化物。俺ですら最初に見た時に鳥肌が立ったのだから、あれが見えない愛野が少し羨ましく思える。
「座って」
と、俺は俺の正面を掌で指し示す。冬月は会釈してから境内に入り、そして俺の正面まで歩いてきた。そこでまた一礼し、正座する。その後ろで、春香が扉を閉めた。
俺と冬月の間にあるのは、榎で出来た木の板と、一本の短刀、通称、縁太刀。ドスと言ったほうが近いかもしれない。呪文が刻まれた木の柄と鞘。刃渡り二十センチ。唾は無い。
その両端に一枚ずつ赤い皿が置かれ、俺の右手側に酒の入った瓢箪がある。
縁太刀は俗に言うところの縁切りの太刀と呼ばれるものだ。縁太刀。縁断ち。つまりなんらかとの縁を断ち切るための刃。多くは、悪縁を切る際に使われるものである。
魔心導ではこれを、思念体をひとつの縁と見做して使う。
「よ、よろしくお願いします」
やはり吐息のような声で言いながら、冬月は両手を床に着け、頭を下げた。俺も冬月からの最低限度の信頼を得やすくするため、一礼を返す。
「では、始めましょう」
本当の意味での、俺のお勤めを。