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ある魔心導師と愚者の話  作者: 藤一左
《禍根の瞳》編
14/42

第十一話『枯れゆく月と夕暮れ』

 三日後。


「ねぇ今なにしたのよ! 結局どうなったの!?」


「いや、まって……もう無理」


 俺が根を上げました。


 愛野に気色悪い思念体のひとつでも見せてやればそれだけで挫折するかと思っていたのだが、思念共鳴をするために必要な条件である同じ感情を抱くという事が出来ていないせいか、愛野とは一度も共鳴出来ないでいた。


 さらに同行者も居るということで、俺は比較的難易度の高い駅前は避け、公園やら廃れかけたデパートの近くやらでお勤めをしていた。あまり手ごわい思念体が現れない場所だ。そこで雑魚な思念体をいたぶったりして俺の人格を疑わせようという作戦も敷いてみたが、思念体を完全に悪者だと思い込んでいるらしい愛野は、それさえも正義の鉄槌だと勘違いし、目を輝かせている。


「今のは、嫉妬の思念体だったんだ。生活が苦しいやつが、安いもんしか買えない自分達を脇に高価なもんを次々買ってくやつを見て、嫉妬したんだろうな」


 デパート脇にある駐車場の影で、俺はそんな説明を愛野にした。


「まぁそれは可哀想ね。でも、そんな感情だったら無いに越したこと無いじゃない。というか、思念体になるほどそういうのに嫉妬しちゃうんなら、もうちょっと頑張って生活費を稼げばいいのに」


 一見正論のようだが、まるで見当違いだ。完全に学生の考え方で、自分で金を稼いだ事が無いから言える事だろう。


「もう日が沈む。帰るか」


「うん」


 俺が歩き出すと、愛野は飼い犬のように俺の後ろにぴょこぴょこと着いてくる。


 駐車場の影から出て、少しだけ人通りのある場所へ出ると、小さくて真ん丸い思念体が俺達の足元に居る事に気付いた。そいつはのろのろと俺の横を通り過ぎ、愛野のほうへ向かっていく。


「じょ、女子……女子高生……高校生の、ぱ、ぽぱぱ、パンチラ」


「そりゃただのパンモロだ」


 呟きながら、その思念体を踏み潰した。女子高生のパンチラを狙って足元に這い寄ったって、主にその映像が届くわけでもなかろうに。つーかそこまでしたらチラリズムでもなんでもねぇ。思念体を飛ばせばパンチラ狙えるなら、俺はいくらでも思念体飛ばすよ? そもそも思念体を飛ばすって事自体が、意図的には出来ない事なんだが。


 ちなみに愛野は制服だが、俺は一度帰って私服に着替えている。制服でお勤めは極力したくないのである。


 ともかく俺が突然おかしな行動をしたからか、愛野は「ひゃ」と小さな悲鳴を上げた。


「なに、なに? もしかして今もなんか居た?」


 慎重な口調で問われ、はたと考える。


 こいつの事だ。事実を説明すれば、また助けられたと勘違いするだろう。


「……虫が居たから潰しただけだ」


 適当な事を嘯いて、また歩く。ただ歩く。


「ああ、そうなの。うん、ありがと」


 何故か礼を言われた。虫が嫌いなのか? おいおい生物差別すんなよ。嫌うなら俺みたいに全部嫌えよ。


「あーあ、どうして私には思念体が視えないんだろ。共鳴? だっけ? それも出来ないみたいだし」


 それは俺も疑問だった。春香とは簡単に共鳴出来るため、誰とでも簡単に共鳴は出来るもんだと思っていたのだが、そうでは無かったらしい。春香も俺と同じクズだから、クズ同士で共鳴出来ているのかもしれない。


 そういえば、春香はまだ口を効いてくれない。若干後悔してきた。実は春香と喧嘩した事はただの一度も無かったのだ。春香がすぐ泣くため俺が根を上げるか、春香が従順に俺の言う事を聞くかして、喧嘩になる前に事が終わっていた。


 まぁ、「下着見せて」と言って無視されるようになるのはどう考えても喧嘩じゃないんだけどな。


「知らねぇよ。ただ、そろそろ解ったろ。思念体も視えない。戦えない。そんなお前がお勤めに着いてきたって、意味も価値も皆無だ」


 余計な気を遣いながら戦うのは、なかなかに精神を削る。どうして俺が愛野の心配をしながら戦わなければならない、という話だ。さっさと諦めて欲しいものである。


「……やっぱ、迷惑?」


 出た、弱々しい口調。伺うようにして聞けばなんだって許されると思い込んでやがるこいつ。


 だが、ただ、春香の時と同様で、今俺がラクなお勤めばかりしていられるのは、愛野が同行している事を母さんが知っているからだ。そうでなければこんなラクな場所ばかり仕事場所に選ぶ事は出来ない。怒られるし。


 そう考えると、存外こいつにも、利用価値はあるかもしれない。


「……好きにしろ」


「やった。じゃあ明日もお世話になりまーす」


 拳を握って喜ぶ愛野。何がそこまで楽しいんだか。何がそこまで嬉しいんだか。全く理解出来ない。クズに利用されているだけという事に気付かないとは、なんて都合の良い女なんだろう。


 都合が良いついでに、こいつってスタイル良いのは知ってたが、いやしかし良いケツしてんなぁ。


 よし、ここはいっちょ、俺の性欲を満たして、なおかつこいつに嫌われるという一石二鳥の必殺技、通称セクハラをしてみるか。


 手を伸ばし、ちょこんと触り、そして、必殺技が炸裂。


「ひ」小さな悲鳴を上げ「い」愛野はくるりと身を翻し「やぁぁぁあああああ!」


 そりゃもう戦闘のプロ顔負けの勢いと速度でもって、回し蹴りをかましてきた。


「ぐぼふっ!」


 きょ、強、烈……。


 地面に倒れて、なかなか起き上がれなかった。


「ご、ごめん、つい反射で」


「お、おう、そうか、反射か」


 セクハラを接触事故だとでも思ったのか、愛野は赤面しながら手を伸ばしてくる。その手を取って立ち上がりながらも、俺は戦慄していた。


「その……電車とかに乗ると結構、痴漢? みたいなの居るから、お尻とか触られると身体が勝手に攻撃態勢に入っちゃうのよね。だから、事故とはいえ気をつけてね」


「ああ、理解した」


 もうほんとね、この身をもって理解しました。そりゃもう触った感覚すら味わえないくらいの反射速度でしたし。


「この間もバイト先の店長にセクハラされて、反射でクビになっちゃって……」


「お前武将とかになれるんじゃね?」


 反射でクビになるようなことするとか、危険度高すぎだろ。


「解ってるのよ? 治さなきゃいけない癖だって。でも……」


 もじもじと恥ずかしそうにしながら愛野は続ける。


「――セクハラされた女が男を返り討ちにするって、ドラマみたいでかっこいいじゃない?」


「恥じらうポイントが全く解らん」


 なんで恥じらいながらわざわざ聞いてもいないことを言ったんですかね?


「女がそんな力任せに頼る、みたいなのは恥じるべきポイントなのよ」


 頬を膨らませながら言って、しかしはたと目を丸くする。


「大光司はあんまり、恥とか無さそうね」


「はっ、馬鹿言うな。友達居ないから恥を掻く場面に遭遇しねぇだけで、なんなら俺の人生そのものが恥だ」


「いきなり卑屈になられても困るんだけど……」


 いやほんとね、恥の多い生涯なんですよ。どれくらい恥が多いかっていうと、勢い余って太宰(だざい)っちゃうくらいだ。


「でも大光司は普通に人とも話せるみたいだし、やろうと思えば友達も出来るんじゃない?」


 そうは言うが、そいつは楽観的に過ぎるというものだ。


「人と話せるコミュニケーション障害者ってのも居るんだよ」


 俺みたいに否定しか出来ないやつとか、あと、会話センスがねぇのに自分が面白いと思い込んでるやつとかな。


「うーん、大光司はそうじゃないような気がするけど……」


 それは愛野が都合の良い女だからだ。


 誰にだって好意的で、誰にでも友好的になろうとする。だからこそ、俺みたいな人間にも良いところを見出そうとする。破綻した好意としか俺は思えない。


 そんな都合の良い女を後ろに、町を進む。そしてとある十字路にて。


「じゃ、また明日ね」


「…………」


 俺とは別の道を行く愛野。見送る事も挨拶を返す事もせず、俺は自分の家へ向かう。


 そういえば、最近忙しさとかにかまけて、エロ本を買ってないな。調度私服だし、行き着けのあの店に行って、停学中に燃やしてしまった代わりのエロ本を買ってから帰るか。


 そう算段を着けて、駅前に向かった。


 人の流れが多い駅前。そういえば、停学期間中は夜中にしか来てないし、停学後はずっと駅前を避けてお勤めをしていたせいで、この時間にこっちへ来るのは久しぶりだ。


 相変わらず鬱陶しい人の流れ。そして思念体の数。虫のように踏み潰しながら進めるやつは潰しながら歩く。これもお勤めだ。


 ……しかし増えたな。


 流石に二週間以上開けると、小さな思念体が増えている事に気付く。


 無視をかませる量を逸脱している。仕方ない。やりますか。


 自販機の前で立ち止まり、ペットボトルの水を買う。すぐに辺りを見回して路地裏に入った。


「ここでいいだろ」


 呟き、鞄を漁る。割と鋭利な鋏もあるが、それよりも切れ味の良いカッターを取り出して口に咥え、ペットボトルを握る腕の袖を捲り上げた。


 肘までをむき出しにして、そこに半分くらい水を掛けてからペットボトルを下に置く。そして、手首と肘の中間辺りにカッターを当てた。


術儀(じゅつぎ)転化」


 言って、カッターを当てたそこに一線、やや深めの切り口を入れる。


 鋭い痛みに一瞬だけ片目を閉ざすが、慣れた痛みだ。すぐに術の詠唱を掛ける。


思念残滓(しねんざんし)名ヲ未浄魂(みじょうこん)重畳短鎖(ちょうじょうたんさ)()血肉(ちにく)無キ(いのち)(なり)――命鍾(めいしょう)


 滴ろうとした血と地面に着いた血が、ゆっくりと揺らぎ、そして蒸発した。


 唯一思念体に触れられる魔心導師の身体、その血は、思念体にとって天敵だ。故にこの術は、自身の血を対思念体の毒に変え、詠唱でもって空気中に馴染ませるのだ。血は、元々が自分の身体なだけあって遠隔操作がしやすい。少なくとも俺は得意だ。だから出来る荒業(あらわざ)


 撒き散らされた毒。それに()てられれば、思念体がダメージを負うのは必然だろう。だが、毒といえども空気中に広げて薄くなっているため、弱い思念体しか倒せない。


 それでも、弱い思念体なら一掃出来る。


 数分ほど術を操って付近の弱い思念体を片付ける。それから止血措置をした。応急処置の小道具を持ち歩くのは、我々魔心導師のたしなみです。絆創膏を持ち歩くのは乙女のたしなみ、みたいな感じな。


 一仕事終えて、身体がかなりだるくなっていた。血も失くすしめちゃくちゃ疲れるから、嫌いなんだよ、これ。


 内心で文句を垂れながらも本屋へ向かおうと歩き出す。


 ふと、俺の目前を、一人のOLが横切った。


 その瞬間に、全身の筋肉が針金に変わる。俺は動けなくなった。


 視界からは既に、さっきのOLは消えている。それでもまだ動けなかった。


 ――今のは、なんだ?


 針金になっていた筋肉が脱力して、なんとか動かせるようになった。それでも身体は重い。


 ぎしり、ぎしりと、軋むように痛む首を無理矢理動かして、俺は再び、さっき通り過ぎたOLの背中を見る。三週間程前、愛野と天秤に掛けて、明日にしようと言って放置した、思念体に憑かれたOLを目で追う。


「やっべぇ、忘れてた……」


 冷や汗が垂れた。


 OLの背中には、三週間前と同じ程度の大きさの、つまり人と同じくらいの大きさの、人と同じ形をした思念体が張り付いている。いや、この表現は間違いだ。先日見た時は、まるでおんぶでもされているかのように張り付いていただけだった。


 だが、今は違う。


 今、その思念体は、OLの背中から生えていた。


 腰から下が同化している。腰から上はOLの身体と思念体の身体に分かれていて、その思念体はあろうことか、OLの首を絞めていた。


「……まじかよ」


 確認したせいで、俺はまた動けなくなった。


 思念体は悪化すると、様々な被害を、人知れず人々へ与える。行き過ぎて集まり過ぎた思念体は集団発狂を促したり、幽霊屋敷を作り上げたり、歴史を遡れば思念体が引き起こした災害なんかもあるほどだ。誰もが、それを思念体のせいだとは思わない。


 そしてあれも、そんな気付かれない内に与えられる被害。


 憑依(ひょうい)思念体。


 思念体が、身体を乗っ取ろうとしているのだ。


 いや、もはや殆ど、乗っ取っているのと変わらない。


 思念体に乗っ取られた場合の被害は、最も軽いもので『心変わり』が上げられる。いきなりやる気が無くなったとか、好きだった人が突然、なんの前触れもなく好きでは無くなったりするのだ。このパターンが最も多い。


 ある日を境にキレやすくなったり、何故か人に優しく出来なくなったり、今まで出来ていた日常的な事がどうしようもなく出来なくなったり、最も悪いと、犯罪行為に走ったり、自殺に行き着いたりする。


 つまり人の身体を乗っ取る思念体というのは、思念体の中でも比較的悪質に分類されるものだ、という事である。


 例えるなら。


 本気で例えるなら、やりたくないと本気で思っているのに、抗おうとしているのに、身体が勝手に動いてしまうような。


 誰も傷付けたくないと思っていたのに、身体が勝手に、誰か達を切り刻もうとしたりするような。


「……はぁあ、仕方ねぇ」


 エロ本を買いに行くのは中断だ。今日は諦める。明日も諦める。先日自分がラクをした罰だ。仕方ない。今日明日中に片付けよう。


「すみません」


 俺はそのOLを追って、そして声をかけた。


 振り向いたOLは、そりゃもう酷い顔色だ。首を絞められているのだから当然だろう。といっても、思念体に首を絞められたから息が出来なくなる、というわけではない。気分的に息苦しくなったり、息が詰まるような感覚に襲われたりする程度だ。


「……なんでしょうか」


 OLは静かに、大人しく、しかし目の下に明確な隈を携えていた。


 俺は固唾(かたず)を呑んだ。俺が今しなければならない仕事は、魔心導師の中でも指折りで面倒な仕事だからだ。


「最近、肩が重かったりするんじゃないすか」


「!?」


 表情で、驚いたのがはっきり解った。流石にあんなんに憑かれてれば自覚もするか。


「妙にネガティブになる事があったり、任されてる事を全部投げ出したくなったり、今まで大好きだったはずのものがいきなり嫌いになったり、日課として続けていた事に手が着かなくなったり、他人に八つ当たりする事が多くなったり、死にたい、って思ったり。なんか、覚えがあるんじゃないすか?」


 言葉に攻撃を乗せた覚えは無いのに、OLは半口を開けて、目を見開いて、そして僅かに震えていた。なんでそれを知っている、とでも言いたげな目をしている。当然だ。俺は知っている。思念体に身体を乗っ取られかけている人間によくある典型的な事例を上げたまでなのだから。


「俺、大光寺っつー寺で、そういうのを専門に取り扱ってるもんです。だから解るんですけど、どうっすか」


「えっと……どういう、意味でしょうか」


 吐息のような、今にも消え入りそうな静かな声だった。改めて見ると、顔色さえ良ければ、きっとなかなかに上等な外見なのだろうと思う。働く女と言うに相応しい、きっぱりとさっぱりしたミディアムヘアーと適度なメイク。そのメイクでは隠し切れないほどの隈さえ無ければ、と、少しばかり勿体なく思う。まぁ、俺には関係無い事だが。


「悩みがあるなら話を聞きます。ああ、金は要らないです。別に営業じゃないんで。明日、今くらいの時間に大光寺に来て下さい」


 気だるげに言葉を紡いでいく。別に口調まで営業的なものにする必要はない。このOLが本気で助かりたいと思っているのなら来るだろうし、藁にもすがりたいと思うに至らなかったのなら来ない。それだけの話だ。


 OLは、荒れた海に沈みかけているところで流れてきた木の板にでも掴まるかのような素振りで、俺の手を取ってきた。


「た、助けて、くれるんですか」


 助けて、という表現を使ったという事は、今自分が特殊な環境に居ることまで自覚しているらしい。


「さぁ」


 俺は冷静に状況を見て、そう応えた。


「少なくとも、ラクにはなるかと」

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