死はすぐそばに
目の前に横たわる少女の死体を見下ろして僕は、ついにやってしまったと思った。
僕は心に悪魔を飼っていた。心の悪魔に気づいたのは僕が中学生のときだ。
僕が少年時代に住んでいた家の近くには空き地があった。
ある日、学校の帰り道の途中空き地の前を通ると子猫がいた。親猫とはぐれたのか、誰かが捨てていったのかはわからなかったが、まだ一匹では生きていけないような子猫だった。
僕は動物が好きだった。だから僕はその子猫を放っておくことができなかった。けれど僕の家は両親が厳しく、家で動物を飼うのが許されていなかった。当時、僕はお世辞にも頭が良いとは言えない子供だったので他にいい案が思い浮かばず、その空き地で猫を飼うことにした。幸いにもその空き地には掃除用具などがしまってある小屋があり、雨風を凌ぐ事ができる場所があった。
それから僕は毎日学校の帰りは空き地によって子猫に会いに行った。
なぜか子猫はどこかにいったりせずいつも空き地にいた。
毎日餌をあげているおかげか子猫はとても僕に懐いていた。そして僕も子猫を可愛がった。
そんなある日、子猫を撫でていると、ふと黒い感情が湧き上がるのを感じた。
壊したい。
なぜかそう思った。そして気づいたら子猫を撫でていた僕の手は子猫の頭ではなく首に巻きついていた。
我に返ったとき手の中にあったのは電池が切れたように動かなくなった子猫の死骸だった。
僕はなんてことをしてしまったんだと思った。と、同時に物言えぬ快感もあった。
僕はあの子猫を好いていたし、子猫も僕を信頼しっきっていた。
なのに何故。
いや、だからこそなのだろうと僕は思った。
思い返してみれば僕はそういうところがあった。例えばトランプを高く高く積み上げ、最後に崩す時が一番楽しい。
今まで一生懸命積み上げてきたものが崩れる瞬間、そこに一瞬の美しさを感じる。
そんな儚さが僕は好きだった。おかげで僕は美術の成績が悪かった。一生懸命作った作品を僕は時々自分の手で壊してしまうからだ。学校の先生には制作が間に合わなかったと嘘をついてまで壊していた記憶がある。これらの行為が前兆といえば前兆だったのかもしれない。
子猫を殺した僕は新たな快感を覚えてしまっていた。築いてきた関係を壊す快感、そして積み上がった命が崩れる快感。
たぶん僕は歪んでいるのだ。そう思った。
その時、僕の心に住まう悪魔を見つけた気がした。
僕は改めて目の前に横たわる少女の死体をみた。
人を殺したのはこれが初めての経験だった。僕の手が彼女の首を絞めた感覚がまだ手に残っていて、いまだに僕の鼓動を早くさせている。
僕はあの出来事以来自分を縛り続けていた。いくら快感を伴うからと言って他の命を奪う行為が許されるものではないとわかっていたからだ。
自分が歪んでいると自覚し、それを他者になるべく悟られぬよう、表に出さぬよう今まで生きてきた。
今日、彼女と出会ったのは偶然だった。
小腹がすいた僕はコンビニに向かい、そのコンビニに向かう途中にある公園に彼女はいた。
時刻は午後九時を回っていて、辺は紛れもなく夜だった。それなのに公園に一人で遊ぶ少女がいる。僕は気になり近づいていった。
声をかけると彼女は少し驚きながら振り返った。けれど、僕の顔を見るなり安堵の表情を浮かべた。
僕と彼女は顔見知りだった。
彼女は僕がたまに昼間に遊んであげている子供たちの一人だった。
僕は何故こんな時間に一人で公園なんかにいるのかと尋ねたら彼女は、母と喧嘩をして飛び出してきたと言った。
僕は彼女を一人公園に残していくわけにもいかないので、彼女が考えを改めるまで家において上げることにした。ほんの親切心からだ。
この時は彼女を殺すことなんか微塵も考えていなかった。僕はあれ以来、生命を奪うような行為は行わなかった。
特にそういう衝動もなく、あの出来事も今となっては遠く昔の事のように思える。
分別のつかない子供の出来心。心が成長しきってないがゆえの好奇心。
僕はきっと自分自身の中でそうやって、あの出来事に決着をつけた気でいたのかもしれない。
自分が本当はどのような人間かも忘れて。
僕は彼女を公園で少し待たせて、コンビニでケーキを買った。
彼女が喜ぶと思ったからだ。
そして僕は彼女と僕の家に向かった。
彼女は僕の家に着くと慣れた様子でくつろいだ。彼女は僕の家に来るのは初めてではない。と、いうより近所の子はよく僕の家に遊びに来る。
子供たちの親とも面識があり、信頼されていた。
僕はさっき買ったケーキを皿に盛り付けて彼女に差し出した。彼女はそれをとても美味しそうに食べた。
自分の心に悪魔が住んでいることなどすっかり忘れ、僕はその光景を眺めていた。
思い出した時にはすでに事態は取り返しのつかない状況になっていた。いや、違う。この取り返しのつかない状況になってから思い出したのだ。
気がつくとケーキを食べる幸せそうな少女を映していて僕の視界は、僕の手によって首を絞められ苦しみに歪んだ少女へと変貌していた。
途中で自分のとっている行動を理解できたが、それを止めることはできなかった。
彼女は戸惑っていた。少し暴れられたので首を絞める手により一層力を込めた。彼女は本当にわけがわからないといった顔で大きな目を潤ませながら僕を見ていた。
そして彼女は動かなくなった。
初めて人を殺してしまった。
罪悪感や焦りといった感情が全くなかったわけではなかったがこの時、僕はやはり完全に別の感情に支配されていた。
快感。
僕を信頼しきっていた彼女が浮かべる困惑の表情。彼女が積み上げて生きてきた十年という歳月をこの手で壊してやった。
そして僕という人間が崩れていく感覚。
あの時味わった感覚が何倍にも膨れ上がって僕の心の隅々まで満たした。
そして僕は思い出したのだ、あの快感と悪魔の存在を。
一つ不思議だった事は、なぜ今更になってということだった。
子供が家に来たのはこれが初めてではなかったし、信頼関係がそこそこ結べていた相手と二人きりになったのも今までに何度もあったはずだ。なのになぜこのタイミングで彼女を殺してしまったのだろうか。
考えてみたけれどよくわからなかった。
とにかくあの幸せそうな笑顔を見た瞬間あの時と同じように黒い感情が僕を支配したのだ。このような異常な行動や衝動に特に意味や理由なんてないのだろう。
もう終わってしまったことだ。いくら考えたところで彼女は生き返らない。
今ここにある事実は僕は彼女を殺して彼女は僕に殺されたということだけだ。
ならばこの先のことを考えよう。その時だった。
インターホンのなる音がした。
わたしは家を飛び出した。
ママは心配しているだろうか。いや、そんなはずはない。ママはわたしの心配なんかしない。
だってママはすぐにわたしを怒る。きっとママはわたしの事が嫌いなんだ。
この前も帰る時間がちょっと遅くなっただけですごく怒られた。
わたしの門限はとても早い。
周りの友達はみんなまだ遊んでいるのに、わたしだけ帰らなきゃいけなくなった時のあの寂しさはママにはわからないんだ。
次の日、学校に行って友達が楽しそうにおしゃべりしててわたしはその輪の中に入れない。なぜなら、わたしが帰ったあとの出来事の話で盛りがっているからだ。
みんなが共有した時間をわたしだけがわからない。
わたしが「何の話?」と言って輪に入ろうとしても「マイちゃんはあの時いなかったじゃん」と言ってわたしを輪にいれるのをしぶるのだ。それを言われた時の悔しさはママの考える百倍は悔しい。年頃の女の子たちは何かと秘密を持ちたがる。だからその場にいなかった相手に大事な秘密を簡単には教えないのだ。ヨミちゃんのばーか。
大体の楽しい出来事は夜に近づくにつれて、辺りが暗くなるにつれて起こり出す。そしてわたしだけはその出来事をみんなと体験できない。
こういうところから仲間はずれは始まっていじめにつながるのだ。いじめられたら絶対ママのせいだから。
ついにわたしとママは大喧嘩になった。そして「そんなに文句があるなら出て行きなさい」と言われた。だからわたしは家を飛び出した。そして一番腹がたったのは、わたしが玄関から出た瞬間、ママが家の鍵を閉めたことだ。ガチャという音の後ろに鎖の擦れる音も聞こえた。多分チェーンも一緒にかけたのだろう。それを聞いてわたしは、こんな家絶対帰ってやるかと思った。
それからわたしは行く宛もなくぶらぶらしていた。
わたしは公園に行ってみようと思い立った。もしかしたらまだ誰かいるかもしれない。
けれど流石に遊んでいる人はいなかった。
家を出るときに何も持って出なかったので今が何時なのかわからなかった。
わたしは公園のブランコに座った。そして、ママがわたしを見つけ出して泣きながら謝ってきたら許してあげようと、そんなことを考えていた。
初めて夜の公園にきた。
昼間の賑やかさとは裏腹にとても静まり返っている。ここがあの昼間の公園と同じ場所だなんてとても信じられない。
けれど、今この公園には、わたししかいないんだと思うとこの公園の支配者になったような気になって、とてもいい気分になった。
わたしはベンチの上に一匹の猫がいることに気づいた。猫はじっとこっちを見ている。
わたしは今、公園の支配者なんだぞ。わたしは猫を睨み返した。わたしと猫の冷戦は五分ほどでその幕を閉じた。
わたしの鋭い眼光に猫は怯えて逃げていったのだ。けっして、少し怖くなったから足元の砂を猫に向かって投げたとか、そんなこと全然無いから。
わたしはこれからどうしようか考えることにした。友達の家を尋ねてみようかと思ったけど、それは止めた。そんなことをしたら、たぶんママに連絡されてしまうと思った。
こんな時、祖父母の家が近くにあれば良かったのだけど、残念ながら祖父母の家は電車で何時間もかかる場所にある。そしてわたしは閃いた。ケイスケさんの家に行けばいいんだ。
ケイスケさんはわたしと同じマンションに住むお兄さんだ。しかもお隣に住んでいる。
わたしはよくケイスケさんに遊んでもらっていた。
ケイスケさんはわたしたちの学級の中では有名人で大学生なのに小学生の相手をしてくれるとっても優しいお兄さんなのだ。ママとも仲が良くて、ママはたまに夜ご飯の残りを持って行ったりしていた。
わたしは名案だと思いケイスケさんの家に行くことにした。まさかママもわたしが隣の部屋にいるとは思うまい。灯台元暮らしというやつだ。
わたしはいつも公園から帰るのと同じ道を通ってマンションまで歩いた。わたしは自分の家の階まで行くと階段からそおっと自分の家のドア前を覗いた。もしかしたらママがドアの前でわたしの帰りを待っているかもしれないと思ったからだ。
だけどドアの前には誰もいなかった。なんだかほっとしたような、むかっとしたような複雑な気持ちになった。
わたしは何となく足音を立てないようにこっそりとケイスケさんの家のドアの前まで行った。そして音が小さくなるわけでは無いのにインターホンをゆっくりと押した。けれどケイスケさんは出てこなかった。
いないのかなあと思いながらも、ついドアノブを握りひねってしまった。すると、はあーい少々おまちくださーいというケイスケさんの声が聞こえたので、よかったあと思いながらドアノブを離した。
数十秒するとドアが開きなかからケイスケさんが出てきた。
ケイスケさんはわたしを見ると少し驚いてどうしたのと聞いてきた。
わたしはちょっとかくまって欲しいのなんて言いながら半ば強引にケイスケさんの家に体をねじりこませた。ケイスケさんはちょっと困るよーと言いながらもわたしをしめだすようなことはしなかった。
わたしはケイスケさんが押しに弱くて怒らない人と知っていたのでその人間性に漬け込んだのだ。
ケイスケさんの家にあがるのは、これで三回目くらいだった。同じマンションなので部屋の位置や間取りはわたしの家と同じだ。
わたしは居間に行くと壁に耳を当てて隣の部屋の音を探った。この壁の向こう側にはわたしの家の居間があるはずだ。だけど何も聞こえなかった。それもそうだ。わたしがいなかったら、あの家にママは一人なのだ。静かなのは当たり前。
わたしにはパパがいなかった。わたしがもっと小さい頃に離婚してしまったらしい。ママはあまりパパのことを話したがらなかった。だからわたしはパパのことをほとんど知らない。
わたしは部屋を見渡した。家具が少なくてこざっぱりした綺麗な部屋だ。
好奇心旺盛なわたしはケイスケさんの部屋を探検することにした。探検といってもあまり大きな部屋ではないので漁ると言ったほうが正しいのかもしれない。
ケイスケさんは台所でなにやらゴソゴソやっている。
今のうちに別の部屋を見てやろうと思って奥の部屋のふすまに手をかけたら、こらこらそっちの部屋は入っちゃダメだよと止められてしまった。そんなことを言われて余計に好奇心を刺激されてしまったわたしは無視して入ろうとした。するとケイスケさんはこっちに来てケーキでも食べないかい?と言ってきた。
わたしはふすまから手を離しケイスケさんの所へ駆け寄った。わたしは甘いものが大好きだった。今は好奇心より食い気だ。
ふすまにほんの少しの隙間ができた。その隙間から見えた光景に私は驚いた。なぜならそこにはわたしの友達のマイちゃんの姿があったからだ。すこし戸惑ったけどそんなことより先にしなければならないことがあるのは明白だった。
助けを呼んで、ここが危ない場所だということを知らせなければならない。
私は力の限り叫んだ。マイちゃん逃げて。警察を呼んで。
けれどその声はマイちゃんに届くことはなかった。叫ぶことすらできなかった。
なぜなら私はもう死んでいるからだ。もの言わぬ死体。そう私はケイスケさんに殺されたのだ。
隙間からマイちゃんが美味しそうにケーキを食べてる姿が見えた。私もついさっきまでそこで同じようにケーキを食べていたのに、なぜかこんな事になっていた。マイちゃんも私みたいに殺されるんだろうか。できることなら助けてあげたい。だけど死体にできることなんて何もない。
その時またインターホンが鳴った。するとマイちゃんは、はーいと言って勝手に玄関の方へ行ってしまった。多分インターホンが鳴ったときの癖なんだろう。私もそういうところがあるので何となく気持ちがわかる。
玄関のドアを開けたマイちゃんのげえっという声とマイちゃんのお母さんの姿が見えた。
ケーキを食べながら愚痴を言うマイちゃんの話を聞いていたので、マイちゃんがお母さんと喧嘩をして家出をしてたということはわかっていた。
マイちゃんのお母さんは、うちの娘がご迷惑をかけてすいませんと頭を下げていた。マイちゃんの方は何でわかったのー?と口を尖らせていた。
そういえば私もママと喧嘩をして家を出てきたんだった。ママ、心配してるかな。そんな事を思うと涙が出そうだったけど、死体の私は泣くことができなかった。
やりたいことはまだたくさんあって今日死ぬ予定なんて全くなくてだけど突然死はやってきて今まで全然興味なかったニュースとかでやってた死んでいった人たちは多分こんな気持ちだったんだろうなって死体になって初めてわかった。
そんな事を考えている内にマイちゃんとマイちゃんのお母さんとケイスケさんは会話が終わったらしく玄関のドアが閉められようとしていた。
よかったねマイちゃん、死ななくて。もしかしたらこうなってたのは私じゃなくてマイちゃんだったかもしれないんだよ。でも最後にマイちゃんの顔見れて良かった。マイちゃんが帰った後の出来事とか秘密にしてごめんね。あ、それと消しゴム借りパクしてごめん。
それじゃあバイバイ。