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9:大家と駆け落ちカップル・4

「ミナ」


 ラジャの声は震えていた。

 何故ミナを呼ぶ自分の声が震えているのか。

 一瞬戸惑いを見せたものの、ラジャは自分の背後で青褪めているミナに再び声を掛ける。


「ミナ」


 ゆっくりと逸らしていた視線をラジャに戻したミナは、何かを言おうという素振りを見せたものの、俯いて黙り込んでしまう。

 しばらく二人の様子を眺めていたサチは、自分を抱きしめたままのルイの腕をとんとんと叩く。

 もう大丈夫だと伝えたつもりだったのに、ルイがサチを抱く力は弱まることは無い。

 ラジャはミナを見つめ、ミナは俯いたまま顔を上げようともしない。

 誰も口を開く事が出来ない時間は、ほんの数分だったのかもしれないが、そこにいる誰もが長い時間だと感じるほどだった。


「込み入った話をするなら、こちらではないほうがよろしいのでは」


 おっさんがラジャとミナに切り出すと、ふっと張り詰めた空気が軽くなる。


「あ。ご飯は食べちゃってね。片付かないから」


 サチの言葉にふっとルイが笑みを漏らす。

 その吐息が耳をくすぐり、サチの頬はほんの少しだけ赤らんだ。



「あの二人、なんか変」


 ラジャとミナの二人が二階へと上がった後、おっさんの入れたお茶を飲みながらサチが呟く。

 飲んでいたお茶のカップをソーサーに戻し、話を促すように首を傾げたおっさんに、サチはカップを両手で支えたまま頷く。


「駆け落ちしてきたんだよね」

「まー。一応?」


 テレビを消しながら、ルイが答える。

 パチっと画面が聞け、リビングダイニングには静けさが広がっていく。

 ふと上の階の物音に全員が集中したが、声も物音も聞こえては来ない。


「何が変だと思ったんですか」

「だってさー。何であんなに他人行儀なの? 変じゃない? 一緒に崖から飛び降りて心中したくらいの仲なんだよ」

「記憶喪失かもしれないだろ」


 ルイの適当すぎる答えに、サチが「馬鹿なの?」と返しただけで無視する。

 あからさまにルイに背を向けて、おっさんだけが視界に入るようにサチが椅子の向きを変える。


「ミナはラジャに怯えてるし、ラジャはあんなだし。全然恋人には見えないよね。王様と使用人って感じ」

「実際に領主と使用人だろ」


 わざわざ王様のところを入れ替えてから立ち上がり、ルイは台所へと歩いていく。


「ねー、おっさん」

「……大家さん。おっさんではなく、原さんと」

「あの二人、本当に駆け落ちしたの? 無理心中したんじゃないの? ラジャが」


 まるっとおっさんの訴えを無視し、サチは自分の中の結論を話し出す。


「何があってもラジャに逆らえないミナが、一緒に来てくれとか一緒に死んでくれとか言われて断るわけないもん。それに甘ったるい雰囲気なんて全然ないし」

「だから無理心中?」


 せせら笑うような口調で言ったルイの手にはシュークリームが一つ。


「わたしのは?」

「無い。何で余がお前のものまで用意しなくてはならないのだ」

「えっらそー」

「くださいと頼めば、半分くらいはやっても良いと思っていたのに。残念だな」


 ぱくりとシュークリームに齧りついたルイをじとーっと見つめたサチが、あっ! と突然大きな声を出す。


「なんだよ。うるさい」

「ほら! ルイとラジャって似てるじゃない。この俺様具合が。いかにも下僕に口をきいてやっている雰囲気、ラジャそっくり」


 くすっと笑みを漏らしたおっさんを、ルイが睨みつける。


「ルイだって、わたしに恋愛感情なんて無いでしょ。それとおんなじよー」


 黙々とシュークリームを口に運ぶルイは、サチを睨めるに留める。

 ラジャと同類扱いされるのは我慢ならなかったが、ここで何を言っても揚げ足を取られるだけだと思ったからだ。


「それに」


 真顔になったサチに、こくりとおっさんが頷く。


「本当に偉い人なら、わざわざ駆け落ちする必要なんて無いはずよね」

「そうですね」

「領主なら、ミナを手元に置く方法は幾らでもあったはずよね。こんな回りくどい方法を使わなくても。ましてや死のうとしなくても」


 サチの視線がルイに向けられる。

 自称国王。

 言質を取ろうということで確認したようだ。

 ルイは同意の意味で首を縦に振る。


「余なら、正妃に難しいなら側妃にでも側妾にでもして手許に置くだろうな。国を出るメリットが無い」

「メリットね。ということは、ラジャには国を出るメリットがあったという事よね」

「そうなるかもしれないな。もしくは……」


 言いかけてルイが口を噤む。

 来た時から感じていた違和感の正体。

 サチには話していなかったが、おっさんはわかっているだろう。


「出なくてはならなかったのでしょう。正確には『いられなくなった』のかもしれませんね」


 ふと、おっさんの視線が酷薄なものになる。

 こういう表情をする時、いつもの人の良いおっさんの雰囲気が霧散して、サチは少しだけおっさんが遠くに行ってしまったような気がする。

 手を伸ばしてサチがおっさんの服の袖を掴むと、おっさんの雰囲気がふわりと和らぐ。


「大丈夫ですよ」


 ぽんぽんっとサチの手を叩き、そっと服から指を剥がす。


「ただ上は、修羅場かもしれませんね」



 上の二人、ラジャとミナは硬直状態で互いに口を開けずにいた。

 ミナは何を言ったらいいのかわからない恐慌状態に陥っていたし、ラジャは口を開いたら罵倒する言葉しか出てきそうになかったからだ。

 大人しく相も変わらずの口に合わない食事を無理やり流し込んだだけでも不快なのに、ミナの怯えるような顔を見ていたら、どんどん怒りが込み上げてくる。

 ラジャは自分の感情の行き場を持て余していた。

 膨れ上がって今にも弾けそうな怒りは、物を投げるという形で発散される。

 ガタンっと大きな音を立てて、ラジャが投げた枕が扉に当たる。

 びくりと肩を震わせたミナの表情に、ラジャは余計に腹が立った。


「俺が怖いか」


 地を這うような低い声に、ミナは自然と目に涙が溜まってくる。

 過去の経験から、こういった時に下手な事を言ったりしたりすれば『お仕置き』される事がわかっている。

 ここに『お仕置き部屋』は無いし、鞭打たれる事は無いだろうけれど。


「ミナ、返事をしろ」

「……は」


 はい、と答えようとして、慌てて口を閉じる。

 返事をしろの問いに対しての「はい」を、怖いかの問いの「はい」と捉えられ、詰問されるのを恐れたからだ。

 しかしミナの浅い思考などはラジャには手に取るようにわかり、ふんっと鼻で笑う。


「怖くないわけがないだろう。俺は冷酷非道な領主だからな。誰からも嫌われる。力でねじ伏せる事しか出来ない領主だからな」


 ぐいっとミナの顎を持ち上げるラジャの手には、その言葉のような非道さは無い。

 むしろ優しく労わるようだった。

 ラジャの指先にはミナの震えが伝わってくる。

 至近距離で見れば、目に涙が溜まっているのもわかる。

 つきん、と胸が痛みの音を上げる。

 けれどラジャはどう接すればミナの恐怖が無くなるかなどわからない。

 常に権力で押さえこむように人と接してきて、それ以外の方法を知らないからだ。


「外で働くな。お前は俺の傍にいれば良い。それとも、俺の傍にいるのがイヤで外に出るのか?」


 試すような言い方に、ふるふるとミナは首を横に振る。


「嫌ではございませんっ。お許しください。お許しくださいっ」


 かつてラジャに鞭を振るわれた記憶が、ミナの心を強張らせる。

 またラジャも、意図せずとも圧力をかけるような物言いになってしまう。


「ならば常に傍にいよ。離れるな。わかったな」

「はい」


 短いけれど望むとおりの答えに、ラジャの心は落ち着きを取り戻す。

 傍にいれば良い。たった一つだけ望んだものを、ここで手放すわけにはいかない。

 顎を持ち上げていた指を離し、ミナを包み込もうようにラジャが抱き込む。

 決して力強いものではなく、ふわりと羽のようにミナを包み込む。

 けれどそれがミナには真綿で首を絞められるかのように息苦しいものに感じる。


「逃げるな。良いな?」

「はい。ラジャ様」


 ミナの気持ちはどうなのと言った大家のことなどすっかり忘れ、ラジャはミナが外に働きに出ないという言質が取れたことに気を良くした。

 そして腕の中から抜けようともしないミナの首元に顔を埋める。

 ぴくりと反応を示したものの、決して離れようとはしないミナに、ラジャは気を良くする。


「お前の為に領地も捨てたのだ。今更どこにも行きはしないよな」


 本人は愛の囁きだと思っているそれは、ミナの罪悪感を煽るだけだということをラジャは知らない。

 重たい荷がミナの心を潰してしまう。

 小さな小さな、本人すら持て余していたラジャへの恋慕を。

 だらりと下がっていた重い腕を持ち上げ、ミナは恐る恐るラジャの背に手を回す。


「いきません。どこにも。お慕いしております。ラジャ様」


 震える声で本音を混ぜたそれを、ふっとラジャが鼻で笑う。


「皆そう言う」


 意図的に耳を舐めるようにして呟いた声に、ミナの身体が強張る。

 自分の気持ちが伝わっていない事が明確だからだ。

 恐怖に支配されて、領主ラジャには皆がそう言うのを、ミナは幾度もその目で見てきた。

 それと同じだと感じていると、短いラジャの言葉から感じた。


「本当にお慕いしております。ラジャ様」

「ふんっ。どうだか」


 言いながら、ラジャは言葉の荒さとは対照的な優しさで、ミナを畳に縫い付ける。

 真下に見下ろしたミナの瞳は涙で潤んでおり、ラジャの心がぎゅっと掴まれる。

 愛おしさと罪悪感と同時に、どうしようもない嗜虐心がラジャの心の中に広がっていく。


「慕っているのならば、拒む事は無いな。ミナ」


 ニヤリと笑って、ラジャはミナの首元を撫で、華奢な鎖骨を指で撫で上げる。


「可愛がってやろう。存分にな」

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