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8:大家と駆け落ちカップル・3

 自分の想いに気がついたものの、ミナはその想いを隠し通す事に決めた。

 ミナの身分では、ラジャの「遊び」に付き合うのは認められるだろうけれど、ラジャが地位を投げ打って逃げるほどの「本気」の相手である事は認められない。

 恐らく元の世界に戻れば、二人は引き離される。

 そしてミナは領主ラジャを誘惑してその地位を貶めんとしたとして、処刑されるだろう。

 仮にラジャがそれを望まなかったとしても。

 逃げる道中ミナを気遣ってくれたラジャに、一片の優しさが無いとは思えない。

 そしてこちらの世界に来てから取ったラジャの行動には、欲望以上の感情が全く無いとは言い切れない。

 ラジャが傷つかないように。

 そして自分も傷つかないように。

 もしも「遊び」の延長だった場合、あちらに戻れば自分が捨てられる日は遠くは無い。

 ならば最初から手に入れなければいい。

 元々ラジャは領主。ミナは使用人でしかない。

 その原則に基づいた行動を取り続ける。それがミナの出した結論だった。



「大家さん」


 朝、サチが朝食の準備をしていると、背後からミナに声を掛けられる。


「おはようミナ。今日は早いんだね」


 早朝というほどの時間ではないが、普段この時間には台所に姿を見せる店子はいない。

 ミナが早起きなのを不審に思うこともなく、サチはいつもどおりの笑顔を見せる。


「大家さんに相談があるのですが」

「……うーんと、じゃあこの玉子焼きを巻いてからでいいかな?」

「もちろんです。大家さんのお仕事の手が開いた時で結構です」

「じゃあ一つだけお願いしてもいい? テーブルをまだ布巾で拭いていないからお願いしてもいいかな?」

「畏まりました」


 くすりとサチが笑みを零す。


「私には敬語じゃなくてもいいよー」


 そう言って笑ったサチに、ミナもにっこりと笑みを返した。

 ミナにとってこの年下の大家は取っ付きやすく、お互い無言でいても居心地の悪さを感じさせない不思議な相手だ。

 他の店子は異性ということもあってラジャが話すことを嫌がるのもあり、殆ど会話らしい会話を交わしたことがないが、大家だけは特別だ。

 たまに一緒に買い物に出たりもする。

 服のコーディネートについて助言を貰ったりすることもあるし、大家の掃除や洗濯や炊事の手伝いをする事もある。

 向こうの世界の使用人仲間とはまた違った気安さを感じさせる存在で、息が詰まりがちな現状ではミナの心の強張りを和らげてくれる相手でもある。

 玉子焼きを巻き終えたサチが手をエプロンで拭きながらダイニング兼リビングへと入ってくる。


「ここで大丈夫?」


 ちらっとサチが天井に視線を移すので、ラジャに聞かれても大丈夫かと暗に聞かれているのだとミナは理解する。

 もしも会話の内容をラジャに聞かれたらと思うと、即首を縦に振ることは出来なかった。

 そんなミナの戸惑いを察して、サチはエプロンをポンっと自分の椅子へと掛ける。


「部屋に学校のものを取りに行きたいから、一緒に来て貰える?」

「はい」


 サチの配慮に、ミナは頷いて笑みを返した。

 確か16歳と聞いているけれど、年齢よりもずっと目端が利くサチにミナは感謝のお辞儀をしたが、サチの視界には入っていない。

 サチの頭の中では、もしかしたらこのカップルは上手くいっていないのかもしれないという想像が働き、今後に起こるであろう様々なトラブルを予想していた。

 ラジャは領主という身分のせいか、自分の思うとおりに事が運ばないと機嫌を損ねるタイプだという事をサチも感じている。

 例えば食事一つとってもそうで、自分の気に入らない食事が食卓に並ぶと、あからさまに嘆息したりする。ついでに突っつくだけで残したりするので、マナーに煩い他の店子たちの反感を買っている。

 厄介なことにならなければいいけれど。

 サチは決して口には出さないけれど、心の中ではそう思っていた。



 ミナの相談とは、働きに出たいという事だった。

 日中部屋に篭っているだけでする事が無いというのも持て余してしまうのでというミナに、ラジャはいいのとサチが問いかけたが、ミナは曖昧に笑うだけだった。

 けれどミナが働きたいと願うのならば大家として出来うる限りの事をする。

 サチは翌々日にはバイト先を見つけてきて、幸いなことにミナはそこでバイトすることに決まった。

 こうなると機嫌が悪くなるのがラジャである。

 自分を全く無視してミナが働く事を決めたのがまず許せない。そして大家であるサチも何故自分にミナを働かせて良いのかお伺いを立てないのか。

 そもそもミナは自分のことだけをすれば良いとラジャは思っている。

 ただ自分の傍にいれば、それでいい。

 何故働く必要があるのか。

 実際にミナ自身にそう問いかけて苛立ちをぶつけたし、時には手を上げそうにもなった。

 が、ミナは曖昧に微笑むだけ。

 そんな状況が数日続くと、ラジャの怒りは限界に達した。



「大家」


 低い不機嫌な声が食卓に響く。

 それがラジャの怒りの沸点を超えた声だと知っているミナは青褪める。

 反射的に体も心も強張り、口を挟む事さえ出来ない。

 ルイは眉間に皺を寄せてラジャを睨み、おっさんもまたニコニコ笑顔を消してラジャを見つめる。


「なに? この味付けが気に入らなかった?」


 相変わらず突っつくだけで口には運ぼうともしない煮魚の事だろうと思って問いかけたサチに、バンっと大きな音を立ててテーブルを叩きラジャが威嚇する。

 サチもラジャのここ最近の不機嫌は気がついていたし、ミナがラジャには相談せずに働き出したので、いつか面倒が降りかかるだろうとは思っていたので慌てることは無い。

 テーブルを叩いて睨むラジャに溜息を吐き、ふとミナへと視線を移すと、ミナがガクガクと体を震わせているのが視界に入る。

 多分ラジャだって気がついているだろう。気がつかないフリをしているだけで。


「そうではないっ。何故ミナを外で働かせるっ。きちんとヤチンとやらも払っているし、ミナが働く必要はなかろうっ。何故俺の許可もなしにミナを連れ出す」

「こっちからミナに働いてってお願いした事は一度も無いわ。ミナが働く事を望んだから、仕事を紹介したの」

「何故?」

「それ、聞かれてもわかんない。ちゃんと二人で話し合いなよ。テーブル叩いたって手が痛くなるだけだし、イライラしたってご飯は美味しくならないよ」


 正論を吐くサチに、ラジャの頭の中でブチンと理性が切れる。

 立ち上がり、掴みかからんとサチに向かって腕を伸ばしたラジャをおっさんが制し、ルイがサチを背後から抱き込む。

 ルイはサチの体の前で腕をクロスして、決して腕の中から逃がさないようにしつつも、ラジャに対してはサチに手を出せば即反撃すると言わんばかりの目で睨みつける。

 おっさんはおっさんで、日頃現場で鍛えている上腕二頭筋をここぞとばかりに活用し、腕一本でラジャを動けなくしている。とても魔法使いの行動とは思えないと、おっさんは自嘲の笑みを浮かべる。

 しかしおっさんの自嘲の笑みは、動きを止められたラジャには鼻でせせら笑われたように感じ、おっさんの襟元に掴みかかる。


「貴様っ」


 激昂するラジャを冷ややかに見下ろしその手を跳ね除けると、おっさんはサチとの間に立ちはだかるようにしてラジャを見つめる。

 筋肉ゆえのというわけではない威圧感に、ラジャはくっと悔しげに顔を歪める。

 小者が。

 ルイとおっさんは、ほぼ同時に心の中でラジャを愚弄する。


「何が言いたいの、ラジャ」


 この程度のトラブルは何度か経験した事があるので、サチの表情は変わらない。

 おっさんとルイがサチを守ってくれているというのも、平常心を保てる理由の一つではあるが。


「いきなり感情的になられても理解出来ないから。ちゃんと言いたいことがあるなら言って。ただ料理の味付けとか食事内容についてのクレームは受け付けないけどね」


 こっちの世界の食事に馴染んで貰わなくては、こちらに残ると決めた後に困るのはラジャだからという本音は付け加えなかった。

 ただこの調子だと向こうに早々に戻りそうだなと、サチだけでなくルイもおっさんも思ってはいたが。


「ミナは俺の傍にいればいいんだ。それでいいんだ。何故俺からミナを取り上げるんだ」

「取り上げる? 人聞きの悪いこと言わないで。ミナが働きたいって言ったから仕事を探してきただけ。そもそも何でそんな事私に言うの」

「何故だと? 決まっている。お前がミナを外に出したからだっ」

「だーかーらー。そうしたいって言ったのはミナなのっ。だから私に文句言う前にラジャとミナでちゃんと話し合いなよ。何でミナが働こうと思ったかとか、どうして考えてあげないの?」

「考える必要などない。俺はミナといる為に領主の座を投げ打ったんだ。ただミナと共にありたかっただけなんだ」

「それはラジャの気持ちでしょ。ミナの気持ちはどうなのよ? そもそも領主なんだから、その辺上手くやれば良かっただけでしょ。わざわざ駆け落ちなんかしなくたって、ラジャって……」

「ストップ」


 ルイの手がサチの口を塞ぐ。

 火に油を注ぎそうな発言をしそうだと感じたからだ。

 ルイはこの二人がシェアハウスに来た時から感じていたが、本当に領主だというのならば、使用人に手を付けようが文句を言われる事は無いはずだ。

 それこそ権力をもって、不平不満など押し込めてしまえばいい。

 もしくは正妻と愛人と持てばいいだけであり、全てを投げ打って逃げたり、果ては心中するような必要はないはずだ。

 そして何よりも、ラジャからミナに対する一方的な執着は感じるものの、ミナのラジャへの態度は主に仕える使用人そのものだ。

 ラジャが気がついているかは知らないが、ラジャにしても「執着」は見せるが、「愛情」をミナに示す事はしていない。

 ただひたすらに「支配」しようとしているようにしか、ルイには思えない。


「ミナの、気持ち」


 ラジャは未だ怒りの収まらない表情のまま、青褪めて立ち尽くすミナへと視線を移す。

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