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7:大家と駆け落ちカップル・2

 いつものように大家は仕事をこなし、いつものように学校へと行く。

 店子たちも、仕事のあるおっさんとルイはそれぞれ仕事に出かけ、シェアハウスでもそれぞれ寛いで暮らしている。

 けれどラジャとミナは少し様子が違う。

 二人が来てからもうすぐ一ヶ月になろうとしているけれど、ラジャは引き篭もったまま他の店子と打ち解けようともしない。

 顔を出すのは食事の時だけ。

 ミナは同性の気安さか、サチとは会話を交わすこともあるけれど、他の二人の店子とは殆ど話すことは無い。

 シェアハウスに来て閉じ篭る人間はある程度いるので、サチはラジャを特段気遣う事も無い。

 が、実はそれがラジャにとっては気に入らない。

 支配者である自分が、何故他の下賎な職業の者たちと同格に扱われなくてはならないのか。敬って尽くすべきは自分であるのに。

 そういう思いを拭い去る事が出来ない。寧ろそれが正当な主張だと思っている。

 だから使用人であるサチがラジャの気持ちを慮って、伺いを立てて声を掛けるべきであって、こちらから馴れ合う必要は全く無い。

 部屋に篭っている間にどんどんその思いは強くなり、憤りと不満だけが募っていく。

 そしてそれはミナへと向けられる。


「つまらんっ」


 部屋の中で洗濯物を畳んでいるミナへと投げかけられた言葉に、ミナは苦笑を浮かべる。


「では何か本でもお持ちいたしましょうか。それとも息抜きに外に出てみられますか」

「本はつまらん。こちらの知識など別に欲しいとも思っておらんし、娯楽モノくらいしか無かろう。外に出ると他の連中に会うだろう」

「確か原さんはお仕事で、ルイさんは自分のお部屋にいらっしゃると思います。テレビを見る程度でしたら、他の方と顔を合わせる事も無いかと思います」


 前の世界と同じようにミナはラジャへと一歩引いた態度で提案する。

 それがまたラジャの癪に障る。

 ミナをどうしても欲しいと願って手を伸ばしたはずだった。

 共に生きようと手を取り合って領地から逃げた。

 そして全てに絶望し、共に死のうと覚悟をして飛び降りた。

 けれど、どうしてかこちらに来てからのミナは、まるで自分の使用人であった時のような態度を示す。

 ずうずうしい他の店子や大家のようにしても構わないと思っているのに、ミナは使用人然とした笑みを浮かべてご機嫌伺いするばかりだ。


「ミナ」


 洗濯物を畳んでいた手を引っ張って、自分の腕の中へとミナを引き込む。

 急速に高鳴る胸の音と、急激に襲ってくる衝動。

 それを隠そうともせずに、ラジャは性急にミナへと唇を近づける。

 そんなラジャの態度に驚いたものの、ミナは慌てて身を捩り、近付いてきたラジャの顔から自らの顔を背ける。

 腕の拘束を解こうと体を捩るけれど、ラジャの力に叶うわけもなく、畳の上にとんっと背中を押し付けられ、両腕を拘束される。


「何故逃げる」


 思いがけないミナの抵抗に、ラジャは腹を立てる。

 怒りがそのまま乗ったかのようなきつい口調に、ミナは傷ついたような瞳をラジャへと向ける。


「申し訳ございませんラジャ様」


 ミナの瞳には涙が浮かんでいる。

 全てを諦めたかのように腕の強張りを解くものの、体の震えは止まりそうに無い。

 そんなミナの様子を見下ろしていたラジャが、ふいに拘束していた手首を離し、ぐいっとミナの体を引っ張り上げる。

 ラジャの前に座る格好になったミナは、ラジャへと潤んだ瞳を向ける。体の震えはまだ止まらない。

 そんなミナをなだめるようにラジャはミナの髪を撫で、背を撫で、ぎゅっと腕の中に抱きしめる。


「……怖いか」

「いいえっ。ラジャ様が怖いわけではっ」


 震えが止まらぬ体で幾ら言っても、それが真実だとはラジャには思えなかった。

 領主としてのラジャは決して優しい領主ではなかった。暴君と言っても過言ではないだろう。

 気に入らぬものを投獄し、意見を言うものは斬る。

 少しでも粗相をした使用人には厳しい罰を与える。

 そのような領主に怯えぬ者はいないだろう。

 端正な顔に隠された苛烈な一面をミナは自らの目で見、体で体験している。鞭打たれた事も一度や二度ではない。叱責された回数などは数え切れないほどだ。

 自ら欲しいと求めた娘にさえ怯えられる現状に、ラジャは深い溜息を零す。


「すまぬが、茶を飲みたい」

「畏まりました」

「だがその前に、一つだけ望みを叶えてくれぬか」


 未だ逃げることの出来ない腕の中で、ミナには拒絶する事は出来ない。

 体と心に染み込んだ隷属の意識が抜けることは無い。


「どのような事でしょうか」


 こくりとラジャの喉が鳴る。

 抵抗しないミナに気を良くし、今度は逃げないように頤を掴んでゆっくりと自らの唇をミナの唇に重ね合わせる。

 ふわりと重なったそれは、ラジャの常の様子とは異なる、とても優しいものだった。

 幾度か角度を変えて重ね合わせた唇が離れた時、先程までは真っ青になっていたミナの頬が真っ赤になっている。


「もう叶った。茶を頼む」


 腕の拘束を解いたラジャに頷いて、ミナは畳みかけの洗濯物もそのままに、パタパタと音を立てて部屋を飛び出していく。

 その様子を面白そうに声を上げてラジャが笑うが、ミナの背中にはその笑い声は届かない。



 真っ赤な顔のまま台所までやってきたミナは、そこまで来てから力が抜けたようにへたりこむ。

 床にぺたりと座り込んで、指で唇に触れる。

 自分の指よりもずっと柔らかだったラジャの唇の感触を思い出して、再び頬が熱くなる。


「どうしてこのような……」


 ミナは状況を理解できずにいる。

 両手で頬を押さえ、未だにカタカタと震える体を持て余している。

 それはとても二人が恋仲とは思えないような反応だったが、幸いにして大家も店子たちもミナの様子には気がついてはいない。


「どうして、ラジャ様」


 ミナの頬を涙が伝っていく。

 あちらにいた時も、ラジャが気紛れに使用人たちに手を出す事はあった。

 気が向けば抱き、飽きれば捨てる。

 ミナの周りにもラジャの一時の寵愛を受ける者もいた。

 けれど決してラジャは誰にも口付けをしようとはしなかった。気持ち悪いからしないと言っていたと、ラジャの寵愛を受けた同僚から聞いたことがある。

 ミナに声を掛けたのも、ラジャの気紛れだと思っていた。

 共に逃げようと言われて、一使用人でしかないミナには領主であるラジャの言葉を断ることは出来なかった。

 好きかと問われた事も無い。好きだと言われた事も無い。

 けれど決して逃げる道中もミナを置いていこうとはしなかった。手を繋いで逃げてくれた。

 もうこれ以上逃げ切れないと思った時も、共に手を繋いで崖から飛び降りた。

 それは領主であるラジャへの忠義心でもなければ、ラジャに対する恐怖からでもない。

 数ヶ月の逃避行の間、馬にも乗れないミナを足手まといだと罵る事は一度も無かったし、歩みの遅いミナのペースに合わせてくれた。

 傲慢で残酷で冷酷は領主ラジャ。

 ミナが仕えていたのは確かにその人だった。

 けれど共に追っ手から逃げたラジャは、傲慢でも残酷でも冷酷でも無かった。

 流されるようにここまで来てしまったけれど、ミナはラジャの優しさに触れ、いつの間にかミナにとってラジャは大きな存在へと変わっていた。

 領地を逃げてから、正確に言えば逃げる前から、ラジャはかつて沢山の使用人たちにしていたようにミナに触れようとはしなかった。

 だからラジャにとってミナとは、逃げる間世話をする使用人なのかと思っていた。

 そう割り切っていた。

 共に逃げる間に芽生えた自分の感情には蓋をして。

 なのに、なのに……。

 堪えきれない涙がはらはらと零れ落ちる。

 止め処ない涙を止める術は無い。

 指で拭っても、袖で拭っても、どんなに拭っても拭っても涙は流れてくる。

 自分の中での明確な想いに気がついてしまい、これからどうしたらいいのか、ミナはわからなくなってしまった。

 使用人としてラジャに付き従っていけばいいと思っていた。

 ラジャが戻りたいというならば戻るし、こちらに残るというのなら残るつもりだった。

 だから残った時にラジャが少しでも過ごしやすくなるようにと、こちらの世界に馴染めるよう少しずつ努力もしてきた。

 ラジャの思うままに振舞えば良いのだと思っていた。

 けれど一度意識してしまった想いを上手く閉じ込めることが出来るだろうか。

 周囲に手をつけるのに丁度良い相手がいないから、たまたまミナに手を伸ばしただけかもしれない。

 そう思おうとしても、ミナは胸の高鳴りを止める事が出来そうになかった。

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