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6:大家と駆け落ちカップル・1

 ラジャとミナはシェアハウスから出ることも無く、殆ど自室に篭ったままサチやルイやおっさんと交流する事さえも拒んでいるかのように殻に篭っている。

 そういう事は珍しいことではないので、サチは無理に出ることを促す事も無く、淡々と大家の仕事をしている。

 朝食と夕食は作って出す。

 必要最低限しか手は出さない。

 そのスタンスを崩す事なく、ラジャとミナが来る前と同じように大家兼女子高生生活を淡々と送っている。

 ルイはルイでコンビニでのバイトが無い時にはふらりと出かけていくこともあるし、自室で何かをしていたり、リビングでテレビを見て過ごしている。

 おっさんは雨以外の平日は建築現場に出かけていって、雨の日はお寺に行くという生活リズムを崩さない。

 ラジャとミナが来て二週間ほど過ぎたころ、サチが夕食の準備をしていると、ふらりとミナが台所に姿を現す。


「飲み物?」

「……いいえ」


 白米を洗っていた手を止めて、サチがミナに振り返る。

 今まで篭っていて殆ど会話らしい会話もしたことがないし、話す時はもっぱらラジャが相手だった。

 ミナの声は数えるほどしか聞いたことが無い。

 どうしたの? と問いかけることは簡単だけれど、サチは祖母の教えを守って、ミナが話してくるのをじっと待つ。

 この待つ時間というのは居心地が悪くて、ついつい自分から声を掛けたくなるけれど、祖母にはゆっくり待つのよと言われている。

 問いかけることによって、問い詰められているとか責められているように感じる人もいるからと。

 話しかけるだけでもとても勇気がいることだから、ゆっくり待ってあげるのよと。


 ふと、サチの記憶の中に何かが過ぎった。

 祖母が他界したのが二年前。まだ中学生だった頃。

 あれ、それなのに……?

 何かに疑問を抱いたのとミナが顔を上げて「あの」と言ったのが同時だった。

 サチの意識は、古い記憶からミナへと移る。


「もしよかったら私に夕食を作らせて頂けませんか?」


 思いがけない提案に、サチがにっこりと微笑む。


「お願いしてもいいかな。ミナの住んでいたところで使っていたような調味料があればいいんだけれど」


 言いながらパタパタと調味料のある棚を空ける。

 色々な店子がいたので、普段は使わないような香辛料なども揃っている。

 サチが作るのは和食か〇〇の素というものを使った料理なので、普段は手の届かない高い棚の上にしまわれている。

 普段使っている調味料、それから小麦粉や片栗粉などのある場所も教えると、ミナが無表情よりは少しだけ和らいだ表情で首を縦に振る。


「大丈夫です」

「お米は炊く?」

「……はい。それはどうしたらいいですか?」

「もう研いだから、ここに入れてこのボタン押すだけ」

「わかりました」


 淡々と答えたミナに、サチは予備のエプロンを渡す。

 目の前に差し出されたそれを受け取ると、ミナはこくりと首を縦に振る。


「お願いします。リビングで宿題してるから、何かあったら声掛けてね」

「はい」


 その後に「畏まりました、ご主人様」と付いても不思議ないような堅苦しさで答えたミナに夕食の準備を託し、サチは一端自室へ宿題を取りに戻る。



「あれ、大家?」


 廊下を歩いている時にふいに一号室の扉が開いた。

 金髪ふわふわくるくるの自称王様の部屋も純然たる和室だ。


「メシは?」

「ミナが作ってくれるって。だから宿題しようかと思って」

「ふーん」


 ルイはサチに手を伸ばし、その真っ黒な艶やかな髪に触れる。

 それを特に咎めることなく、されるがままになっているサチにふっとルイが口元を歪めるように笑みを浮かべる。

 その心から笑っているのとは種類の違う笑みを、以前にも見たことがあったような気がしたけれど、思い出すことは出来なかった。


「ラジャとミナ、どうするのかな?」

「さーな。少なくともこちらに馴染む意思はなさそうに見える」

「んー。だよねぇ。かといって戻るようにも見えないんだよね」



 ふいに頭の中に記憶の断片が過ぎる。


 --戻るの?

 --こっちに馴染む気は無いが……。


 サチ自身の声と誰かの声が頭を過ぎった瞬間、ちくりとしたような痛みが眉間を襲う。

 思わず苦痛に顔を歪めるのを見て、ルイが腰を屈めてサチの顔を覗き込む。


「どうした?」

「……うん。なんか頭がずきってしただけ」


 おでこを手で押さえて怪訝そうに眉を顰めるサチの手首を掴み、おでこにチュっと音を立ててルイがキスをする。


「何すんのよっ」

「痛いんだろ」

「そんなことしたって治らないからっ」


 真っ赤な顔でぷりぷり怒りながらドスドスと大きな音を立てて離れへ歩いていくサチに、ルイは溜息を吐き出す。


「そろそろまずいかもな」


 そんな言葉をルイが呟いたことを、サチは知る由もなかった。



 ダイニングテーブルで宿題をしていると、ふいにミナに声を掛けられる。


「大家さん、あの」

「どうしたの?」

「欲しい材料があるのですがどうしたらいいでしょうか」


 サチはにっこりと笑って広げていた宿題のノートを閉じる。


「じゃあ一緒に買い物に行こう」

「買い物に? いいのですか?」

「構わないよ。大体いつも夕食用に買い物に出かけるし。ミナ、ここに来てからまだ外に出たことないでしょ? だから行こう」


 一瞬嬉しそうな顔を浮かべたが、ミナはすぐに表情を曇らせる。

 思い当たる節があるので、サチは天井を、正確には二階の真上の部屋を見上げる。


「ラジャ?」

「……はい。出かけても良いか確認して参ります」

「うん。わかった」


 ラジャとミナの関係は、サチからすると恋仲というよりは主従関係というほうが的確なように見える。

 とことんラジャに気をつかって、お伺いを立てて行動しているミナ。それを当たり前のように享受しているラジャ。

 とても二人が駆け落ちしようと逃げ出して、しかも心中しようとしたなんて風には思えない。

 どちらかというと、逃げ出した領主様とそれに付き従う女中とでも言ったほうが適切な関係のように見える。

 でも知らないところでは愛を語り合っちゃったりしているのかもしれないしと、サチは結論付ける。

 しばらくしてミナが階段を下りてきて、嬉しそうな顔をサチにする。


「出かけても構わないそうです。大家さん、よろしくお願いします」

「任せといてっ」


 二人は肩を並べてシェアハウスを出て買い物へと出かける。

 髪の色と瞳の色は日本人と変わらないけれど、褐色の肌のミナはどうしても目立つ。

 けれど町内の人はサチの家が異国人向けシェアハウスを営んでいると知っているので、好奇の目でじろじろ見られることは無い。

 それでも向けられる視線に、徐々にミナは俯いていく。

 ここで生きていくならば、ずっとこういう視線に晒され続ける。

 ミナがどうするつもりかはわからないけれど、ここにいればこういう目でみられるという事をサチは知っておいて欲しかった。

 勢いだけで、こちらの世界に住むことは難しい。

 必ず綻びが生じて、耐え切れない瞬間がやってくる。

 だから、こちらに残るにしても、残らないにしても、ここがどういう世界で、どういう風に自分が捉えられるのかを知っておいて欲しかった。

 5分くらい歩くとスーパーに着く。

 途中にはルイがアルバイトをしているコンビニがあるが、今日はルイはバイトの日では無いので、そこで働いている事だけを説明して通り過ぎた。



 買ってきた材料を並べ、再びミナは料理に取り掛かる。

 そして出来上がったのはカレー。

 所謂日本的なルーを溶かして作るカレーではなく、お店で食べるような本格的なカレーで、クレープよりは厚くてホットケーキよりは薄い丸いパンが添えられている。


「美味しそう」


 感嘆の声を上げたサチに、ミナが嬉しそうに微笑む。


「ありがとうございます。お口に合えば良いのですが」

「きっと合うよ。食べるの楽しみー。ラジャもきっと喜ぶね。これってミナの世界の料理なんでしょ?」

「そうです。向こうではこのようなものを食べていました」

「そっか。おっさんとルイもきっと喜ぶと思うよ。おっさんが帰ってきたらみんなで食べようね」

「はい」


 その日を境に、ミナはサチや他の店子ともよく話をするようになってきた。

 たまにミナ特製カレーを振舞う事もある。

 けれどそれに反比例するかのように、ラジャは自分の殻に篭りきりになり、食事の時以外は姿を見せなくなった。

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