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5:大家と店子・5

 翌朝、おっさんは共用品部屋においてあって、今は自分の物として利用している大きめのリュックサックを背負ってリビングへとやってくる。

「おはようございます」


 朝食を作っていたサチが手を止めておっさんに笑顔を向ける。


「おはよう。今日は仕事早いの?」

「いいえ。雨なので現場は休みになりますから、ちょっと寺まで行ってきます」

「夜は?」

「7時には戻ってこようと思っています」

「じゃあ一緒に晩御飯食べようね」

「はい」


 おっさんはくしゃりと笑顔を作り、ぐりぐりっとサチの頭を撫でる。

 ルイのようなスキンシップはしないが、おっさんはおっさんなりにサチを年の離れた妹のように思っているので、ついついこのような行動に出てしまう。

 けれどサチは嫌な顔せず受け入れる。

 サチもまた口には出さないものの、おっさんに親愛の情を感じていた。


「魔具、見つかるといいね」


 どうやらどこかのお寺にあるらしいという情報を掴んでいるが、未だに目的の魔具は見つかっていない。

 それどころか、おっさんの目的は魔具から仏像を眺めることや、禅寺であれば写経したり座禅する事になっている。

 全く習俗も違う「歪んだ世界」に来て、思うように魔法を使えない事に苛立ちを覚えた事もあるが、気がつけばこちらの文化の虜になっていた。

 最初は奇妙な味としか思えなかった和食も美味しい。ルイの好物の豚の角煮も美味しい。それよりなによりも寿司が好きだ。

 しかも回転寿司に行くと、普段サチがなかなか作ってくれない茶碗蒸しが食べられる。

 お寺の周囲には日本食のお店が多い。

 天ぷらや刺身を外食して食べるのもとても楽しい。こちらの食が舌にあったせいか、積極的に魔具を探そうという気持ちはいつの間にか薄れている。

 けれどサチにそれは言えなかった。

 約束の半年まではあと一月半しかない。それ以降もこちらにいたいなんて受け入れられない気がするからだ。


「原さんは仏像を見られればそれで満足なんですけれどね」


 くすっとサチが笑う。


「今日はどこまで行くの?」

「鎌倉へ行こうかと思っています。雨の長谷寺も風情があっていいですよね」


 ふふふっとサチが笑い声を上げる。


「私よりもずっと詳しそう」

「そうかもしれませんね。いつの間にかお寺通になってます」


 真面目腐った顔で言うおっさんに、サチはおかしくてたまらないという感じで笑い声を大きくする。

 ひとしきり笑った後、サチがお盆に各自の皿や茶碗を並べ出す。


「今日は和食だけれど、ラジャとミナは大丈夫かな?」


 ご飯にお味噌汁に漬物。それに出し巻き卵に干物。このシャアハウスでは定番の朝食だが、「あちら」から来た者の中にあっさりと受け入れられた者はいない。

 おっさんにしてもルイにしても、慣れたから食べられるだけである。

 もっとも、これはこれで美味しいと思っているが。


「んー。慣れて貰うしかありませんよね」


 やっぱりダメかなーと思いつつも、郷に入っては郷に従えといわんばかりに、サチは朝は和食というスタンスを崩さない。

 こちらの世界に生活の拠点を移すつもりがあるのならば、これに慣れてもらう必要があるというのもあるからだ。



 おっさんに手伝って貰いながら配膳をしていくと、ルイが気だるそうな顔でリビングに入ってくる。


「おはよう。大家、おっさん」

「おはよう」


 配膳をしつつもしっかりルイのほうに顔を向けて挨拶し、サチは台所へと入っていく。

 和食には緑茶かな。でも麦茶のほうがいいかな。

 そんな事を考えていると、料理の為にシュシュで結んでポニーテールにした髪を引っ張られる。


「何するのよ」


 そんな事をするのはルイ一人だと知っているので、わざわざ振り返りもしない。

 トンと顎をサチの左の肩に乗せ、ルイがチュっと首筋にキスを落とす。


「見えてるけどいいの? これ」


 自分のつけた赤い痣をわざとらしく舐め上げ、反撃が来ることを予測してサチから離れる。

 予想通りお盆を振り下ろして来たサチを交わし、ルイが冷蔵庫から麦茶を取り出す。


「もうっ。支度終わったら髪の毛下ろすからいいのっ。セクハラクソガキはあっち行っててっ」


 くすくす笑いながらルイは自分のコップと麦茶のボトルを手にして台所を出て行く。


「あ、クソガキ扱いされたけれど、余は160歳を超えているからな。年上を敬う態度は忘れるな、大家」

「うるさいっ」


 暖簾をくぐる前に付け加えたルイにお盆を投げつけてやろうかと思ったが、辛うじて思いとどまる。

 見た目はサチと同じかそれより下に見えるのに。

 セクハラ大王め。毎日毎日飽きずにセクハラしてくるのは、向こうでの教育間違ってたんじゃないの? あんなのが王様なんて絶対おかしすぎるっ。国、滅んでんじゃないの?

 サチは心の中でこれでもかというくらい、ルイを罵った。


 全員分の配膳を終え、微妙に顔を引きつらせたラジャとミナもテーブルに揃うと、シェアハウスの朝食が始まる。

 慣れた様子で和朝食を食べているおっさんとルイとは対照的に、ラジャとミナの箸は進まない。

 一応箸は使いにくいかもしれないと配慮して、フォークとスプーンも並べてある。

 あまり食の進まない二人の様子を気にする事も無く、ささっと食事を終えたサチがバタバタと自分の食器を台所に片付け、エプロンを外して出て行く。

 それを咎めるでもなく、声を掛けるでもなく、おっさんとルイはマイペースに食事をしている。

 時折テレビから流れてくるニュースに耳を傾けながら。

 本当は食事中にテレビをつけるのは食事のマナーとして良くないとサチは思っているが、この世界を知るキッカケになって貰えればと思って、リビングに人が入る時にはテレビをつけるようにしている。

 ダイニング兼リビングを出て行ったサチは歯磨きをして髪を整えて、鞄を持って再び戻ってくる。


「じゃあ行ってくるね。ルイは今日バイトは?」

「無い」

「わかった。ラジャとミナも好きに過ごしてね。外に出てもいいし、家でのんびりしててもいいし」

「はい」


 食事は殆ど手付かずのままだったが、不満を口にする事はせず、サチの提案にラジャが同意する。


「行ってきまーす」

「いってらっしゃい」


 4つの異なった声がサチを送り出す。

 いつもよりもちょっと遅くなったので、自転車を漕ぐ足に力を籠めた。



 シェアハウスに残された四人は、会話も無くテレビの音だけをBGMにして黙々と食事をしている。

 一向に箸が進まないラジャとミナに、おっさんが声を掛ける。


「苦手かもしれませんが、こちらで生活するならその食事に慣れないと厳しいですよ」


 食後の緑茶をすすりながら、にっこりと笑ったおっさんに対し、ラジャが難しい顔をする。


「……これからどうしたらいいのでしょう」


 愚痴めいた言葉に、ルイがフンっと鼻を鳴らす。

 死ぬつもりだったのだから、戻って死ぬか、こちらで死んだつもりでやり直すかのどちらかしかなかろうに。

 そんな単純なこともわからないような小者の領主だから、上手い事立ち回る事も出来ず、こっちに来る事になったのだろうが。

 もっとも、自分だってこっちに来た経緯は偉そうに語れるものじゃない。おっさんのように目的があってこっちに来たわけじゃない。

 どちらかというと、ラジャとミナのほうがルイがこっちに来た経緯に近いものがある。なので自分があれこれ能書きを垂れるほど高尚な存在ではない事はわかっている。

 ほんの少し玉座に疲れ、叛乱の予兆を知りながらも潰す気さえ失せていた。

 自分の両肩にあるものを投げ出してみたくなった。

 だから王宮の最奥にある部屋の中に篭ってみたくなった。そこに救いがあると言われていた場所に。

 救いがあるどころか、あったのは異世界だったが。


「うーん。あちらに戻る気はあるのならば早めに戻ったほうがいいと思いますよ」


 おっさんの言葉にラジャは俯く。

 ラジャの脳裏には幾本もの松明の明かりとミナと共に飛び降りた崖が思い浮かぶ、

 死んでも構わない。

 そう思って飛び込んだのにも関わらず、思いがけず生き長らえてしまった。

 今生きている事に意味があるのだろう。そう思わなくも無いが、何をしたらいいのか全く想像もつかない。

 ミナと共に生きる。そう思って飛び出した領地。だが結果選んだのは共に死ぬ事。

 あれ以来ミナは殆ど話をする事も無い。ラジャを見ようともしない。

 ミナはどうしたいのだろうか。それさえもわからない。

 仮に戻ったとしても、ラジャとミナには平穏なんて無いだろう。

 だけれどこちらの、この奇妙な食事に慣れるとも思えない。こちらで生きていく為には生活の糧だって必要だろう。


「戻るにしても残るにしても……」


 生き地獄に違いない。

 ラジャはその言葉を口にしなかった。してはいけないような気がしたからだ。

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