4:大家と店子・4
全員の胃袋が満たされホットプレートと取り皿を台所に片付けると、ルイがコンビニで買ってきたシュークリームが人数分出してくる。
おっさんは朝と同じように紅茶を入れ、マグカップではなくティーカップに紅茶を入れる。
どうやら正式にラジャとミナを「仲間」とみなしたようだ。
おっさんは客には紅茶を出しても、割られる可能性があるうちはティーカップを出さない。
「食器洗ってくるから、ゆっくりしてて」
サチが台所に消え、残された異世界人たちが互いに顔を見合わせる。
ルイとラジャとミナは何となく会話をする時間もあったが、おっさんに関しては殆ど初対面の時と変わらない。
大家であるサチが受け入れたのだから自分も受け入れるという認識しか持っていない。
四人の間に沈黙が流れ、どうにも落ち着かない雰囲気が流れる。
が、会話のキッカケが掴めず、結局は全員押し黙ったままサチが戻ってくるまで紅茶を飲むことだけに終始する。
「おまたせー。あれ? お茶もう無い? 保温ポット取ってくるね」
サチが戻ってくると空気が緩み、その姿が消えるとまた空気が張り詰める。
もしもサチがいなければ、仲良く焼肉をするような事は無いだろう。本人は気付いていないが、サチは全員のいい緩衝材になっている。
「おっさん、茶葉換える?」
「おっさんじゃなくて原さんね。大家が淹れたてを飲みたかったら換えるよ」
「換える換えるー。じゃあティーポット洗ってくるね。お茶、今日は何にしたの?」
「ダージリン」
「はーい」
パタパタとスリッパの音を立てながらサチが台所に消えると、また気まずい雰囲気が流れ出す。
元々おっさんにしてもルイにしても饒舌なほうではない。
ラジャとミナにしてもそうだ。
この異世界人たちで会話をしようというのが難しいのだ。
「よろしくお願いしますっ」
茶葉の缶とティーポットを持って律儀に頼んだサチに、おっさんの顔が緩む。
「畏まりました、大家様。3分ほどお待ち下さい」
まるでギャルソンのように礼をするおっさんに笑い声を上げ、サチは自分の椅子に座る。
「ラジャとミナね、心中しようと思って崖から湖に飛び込んだんだって」
「へえ」
対して興味も無いけれど、ルイが相槌を打つ。
「何で心中を?」
柔らかな物腰で問いかけたおっさんに、ラジャがミナの顔を見てから答える。
「私は領主の一人息子で、ミナは使用人で」
「ああ。定番の駆け落ちパターンね」
ラジャの話の途中で冷ややかな声を浴びせたルイに、おっさんは眉を顰める。
が、ルイを注意するでもなくラジャに話を促す。
「二人で領地を出て逃げたのですが、ありとあらゆるところに父や親族の者が手を回していて、これ以上は逃げられないと死を覚悟して湖に二人で飛び込んだら、ここにいました」
「それは驚いたでしょうね」
「はい。死んだはずなのに、全く見たことの無い場所にいましたので」
「何もかもが常識とは掛け離れた場所ですからね、ここは」
おっさんの同意に、サチが「何で?」と不本意げに問いかける。
「別に普通でしょ。何もおかしくないじゃない」
くすっと笑って、おっさんはテレビのリモコンを見せる。
「こういうものはあちらの世界には無いんですよ。それに畳や床の間なんて初めて見るものでしょうし」
「んー。まあそうかもしれないけれど」
そう言われてしまえばそうかもしれない。
サチはルイの土産のシュークリームに噛り付く。
「お二人はどうしてこちらに?」
おっさんとルイは互いに顔を見合わせ、ルイが顎をしゃくって「お前が話せ」と促すので、おっさんは自分の素性を話し出す。
「原さんの本名はハリーさんなんです。でもみんなはおっさんって呼びますけれどね。外では原さんです。この歪んだ世界に来たのは、こちらにしかない魔具を探しに来たからです。魔方陣書いたらここに飛んできました」
「魔法?」
ラジャの世界では魔法の概念は無いようだ。
おっさんはこちらの世界のことを「歪んだ世界」と呼ぶ。それは魔法の理が壊れているからだという。
それが真実かどうかは魔法使いではないサチを含む他の者にはわからない。
「世界一の魔術師ハリーと呼ばれていたのですが、今は毎日道路工事してますよ」
ははっと笑うおっさんに、ラジャは曖昧な笑みを浮かべる。
まず魔法というのがどういうものなのかわからないが、短髪に無精髭、それに日に焼けた筋肉質な体つきは、肉体労働者そのものだと思った。
そしてラジャの世界では階級が非常に細かく分かれている。
労働者階級は非常に下級に位置すると定義されており、支配者階級にある自分との地位の差を明確に感じたからだ。
だが、それをこちらの世界で表に出す事は好ましくないだろうと肌で感じ、口にも態度にも出さずに微笑んだ。
「こちらには長くいるの、ですか?」
思わず支配者然とした態度になりかけたのを、ラジャは慌てて修正する。
「魔具さえ見つかればいつ帰っても構わないのですけれど、未だに目当ての魔具が見つかりません。もう五ヶ月近くこちらに居座っています」
にっこりと笑って、おっさんは自分の淹れた紅茶を飲み干す。
シュークリームはサチが食器を洗っている間に食べてしまった。
新たに自分のカップに紅茶を入れ、視線をルイへと向ける。
ルイはくるくるのカールの掛かった金色の髪の長い前髪の向こう側からラジャとミナを見つめる。
見つめるというよりは、睨みつけるのほうが正しいかもしれない。
「お前の世界に王はいるのか?」
ルイの問いかけにラジャは首を傾げる。
どうやら王という概念も存在しないようだ。
「ならば土地を領主で分割統治しているということだな?」
「……そう、ですね。広い大陸を何人かの領主が各領地ごとに治めています」
ふーんとルイが興味なさげに相槌を打つ。
「余は一人で大陸全てを治めている。配下に幾人かの領主がいるが、大陸全土、全て余のものだ」
ふふんと鼻で笑うように言ったルイの姿に王としての威厳は感じられない。
サチと同じくらいの年頃にしか見えない外見で、まるで子供がいきがっているかのようだ。
「えらそー」
シュークリームを全部食べ終えて言ったサチをルイが睨みつける。
「偉そうではなく、偉いんだ」
「んじゃ何でそんなに偉い王様がこんなところで油売ってるのよ」
一瞬ルイの顔が歪み、顔に影が差すが、サチは気にする素振りも無い。
「この平行世界に来たくて来たわけじゃない。城の扉の一つを開けたら何故かここにいた。それだけだ」
「前にもそう言ってたね」
紅茶のカップの淵をなぞりながら、サチがルイの言葉に同意する。
「じゃあどうして帰らないの? 掛け軸捲ったらすぐに帰れるよ」
「帰って欲しいのか?」
「別に。聞いただけ」
素っ気無いサチの返答にルイが溜息を吐き出す。
その溜息を吐く姿も視界に入れず、サチはテレビのリモコンの電源ボタンを押す。
わははははというわざとらしい笑い声がテレビから響く。
ちょうどお笑い番組をやっていたようだ。
その陽気さとは対照的に、サチの声は暗くて重たい。
「沢山の人がこのシェアハウスに来たわ。でも必ずここを出て行く。それはルイもおっさんもラジャもミナも同じこと」
言い終えると、サチが席を立つ。
「宿題あるから部屋戻るね。お風呂、沸いてるから順番に入って。12時頃に洗うから」
言い終えるとサチは途中洗面所に寄って、洗濯機を回す。
基本的に各自で洗濯する事になっているが、自分のもの、店子たちの部屋のシーツやタオルなど、それなりに洗うものはある。
まずはシーツを洗おうと、ピピっと電子音を響かせながら洗濯機の操作をする。
ざーっと水が出てくるのを眺めていると、ぎゅっと背後から抱きしめられる。
誰かと問わなくても、そんな事をしてくるのはこのシェアハウスに一人しかいない。
過剰スキンシップの王様ルイ。
「大家、何かあったのか?」
「何も無い」
顔も見ずに答えると、ルイがサチの体をくるりと反転させる。
「何も無いって顔じゃないぞ、大家」
ぴくっとサチの肩が動く。
けれどサチ自身、一体何がこんなにも自分を不機嫌にさせているのか掴めていなかった。
サチのルイを見つめる視線が、ルイには自分に縋るように見える。
基本的に誰かに世話になることを良しとせず、ルイたち店子に対しては強い感情を見せることは少ないのだが。
「……よくわからない。ちゃんと話せるようになったら話す」
「わかった」
サチから手を離し、ルイは自室へと戻っていく。
ルイは1階の1号室を使っているため、必然的にサチの自室と同じ方向へ行く事になる。
サチは洗面所を出られなかった。
ちらりと鏡に映った自分の顔が、何故か泣きそうな顔に見えたからだ。