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1:大家と店子・1

「大家ー。客だぞー」


 声を掛けてみるものの返事は無い。

 くるくるふわふわの金髪を掻き揚げ、少年と青年の合間の幼さと精悍さを兼ね備えたような風貌を歪め、コンコンと扉を叩く。

 大家はいつも部屋に鍵を掛けないのを知っている。

 だが一応扉をノックし、中からの返答を待つ。


「仕方ねえな」


 可愛らしさを内在しているにも関わらず、口調は非常に乱雑である。


「大家。起きろ」


 その声に呼ばれた相手は反応しない。

 穏やかな夢の中から帰って来る気配すらない。

 ベッドで眠る相手を見下ろし、未だ起きる気配の無い相手ににやりと頬を歪めて笑う。


「起きないお前が悪い」



「大家。起きないとキスするよ?」


 耳元に息を吹きかけられ、身じろぎする。

 言われた内容は聞こえてはくるものの、理解するにはまだ脳が起動していない。

 目を擦る為に毛布から出した右腕は、手首を掴まれベッドに縫い付けられる。

 それでもなお頭が目覚めず、左手が目を擦りだす。が、その手首も掴まれて顔の横に縫い付けられる。


「うーん。目が痒い」


 くすっと頭上から笑い声が降ってくる。

 と同時に、右の頬から目尻に掛けてを何か生暖かいものが触れる。


「パンダ?」


 白地に黒の斑があるからと名付けた飼い猫の名を呼んでみる。けれど呼べば返事をする愛猫の鳴き声は聞こえてこない。


「パンダはこんな事するんだ?」


 その問いかけに何かがおかしいと思いながらまどろんでいると、首筋をつーっと撫でられ、ぴりっと痛みが走る。

 覚えのあるその痛みに、カっと目を見開く。


「ぎゃー!!」


 ぱっと両手を離し、金髪の男は両耳を塞ぐ。

 至近距離で喚かれて耳鳴りを味わうのは今日に限った事じゃない。

 しかし相変わらず、ベッドで眠る『大家』をまたぐようにしている。


「ルイっ!」


 真っ赤な顔で金髪の男を眺めた『大家』は咄嗟に毛布を引き上げようとして、ルイが自分を見下ろすようにまたがり、更に毛布の上にいる事に気付く。


「うら若い乙女の部屋で何してんのよっ」


 ふっとルイは鼻白んだ笑みを浮かべる。


「客が来たから起こしに来てやったんだよ。別に手は出してない」

「出してるじゃないっ。首、また付けたんでしょっ」

「付けられる前に気付いて起きろよ。別に胸を揉んだりキスしたりしてねえから文句ねえだろ」

「あるに決まってるじゃないのよっ! もー普通に起こしてよ」

 真っ赤な顔のまま起き上がろうとする『大家』にルイが手を差し出すけれど、その手を取ろうとはせずにぷいっと横を向く。

「一人で起きられる」

「あっそう」


 ルイはベッドを降り、スタスタと部屋を出て行く。

 一人残された『大家』は指先で先ほど痛みを感じた左の首筋を撫でる。

 溜息を吐きだしながらベッドを降り、自室の鏡を覗き込む。

 思ったとおり、そこには赤い鬱血した痕が残っている。


「あのセクハラエロガキめっ。朝ご飯は抜いてやるっ」




 自室のある離れの洗面で顔を洗って髪を整え、制服に着替えてから母屋に行く。

 母屋のダイニング兼リビングでは、ルイの他に三人がダイニングテーブルを囲むように座って神妙そうな顔をしている。

 ルイと髭のおっさん(自称も他称もおっさん。もしくは原さん)は店子たなごなので知っている。

 ということは、あの時代錯誤の民族衣装っぽい服を着ているのが客だろう。

 そう検討をつけて『大家』は自分用の椅子に腰を下ろす。

 おっさんと客の前にはマグカップに恐らく紅茶が入っている。

 きちんとティーコゼーを被せたポットがテーブルに置かれているので、恐らくはおっさんが西洋系と睨んでこのお茶を出したのだろう。

 相変わらず気の回る人だ、と『大家』は心の中で呟く。


「こちらのお嬢さんは」


 客である褐色の肌の青年が不審さを隠そうともせずに『大家』を見る。

 その質問はおっさんへと投げかけられたものだ。


「このシャアハウスの大家さんですよ」


 腰の低いおっさんは、にっこりと客の青年に笑みを向ける。

 自分よりも若い『大家』に頭を下げる気など無いといった雰囲気で、客の青年は慇懃無礼な挨拶をする。

 が『大家』もこういう事には慣れているので、憤りを感じることは無い。


「こちらは最長6ヶ月を期限としたシェアハウスです。こちらの世界に生活の基盤を移すつもりですか」


 祖母から引き継いだA4サイズのノートを開きながら『大家』は青年に問いかける。


「シェアハウス?」

「はい。祖母の代の頃は下宿と呼んでいましたが。現在は異世界人専門シャアハウス『日本』です」

「ニホン?」

「今あなたがいる世界の、今あなたがいる国の名前から取っています。同じ世界の中にある他の異世界人専用シェアハウスとの区別の為に」

「センスのカケラも無いよな」


 ルイの意地の悪い笑みをシカトして『大家』は青年に向き直る。

 おっさんはルイと『大家』の二人に残っていた紅茶を入れ、空になったティーポットを手に持ってキッチンというよりは台所と呼んだほうが相応しい炊事場へと消える。

 ティーポットの茶葉を替え、先代の『大家』である祖母の代から使っている昔ながらの花柄の魔法瓶に入れたお湯をティーポットに入れる。

 その間も青年への説明は続けられている。


「何らかの理由であちらの世界からこちらへの世界へ来られたのだと思いますが、こちらも慈善事業ではありませんので、ここで生活をするつもりでしたら家賃を頂きます」

「ヤチン?」


 家賃という言葉の意味がわからないといった様子の青年に対し、さもありなんという思いを隠しながら説明する。

 青年が身に着けている民族衣装。仕立てだとか細かいことはわからないが、縫製の丁寧さや意匠を見れば、それが高級品であるとわかる。

 それからさりげなく身に着けている貴金属にしても、石の大きさ等から、今まで来た異世界人の中でも上位の立場にいるものであると推測が出来る。

 恐らくはルイと同程度か。

 ルイを横目で見るが、そんな『大家』の視線は無視して、ルイはルイで客の観察をしている。

 自分と同じ世界の人間ではない。違う「平行世界」のどこかから来たのだろう。ルイの世界には青年のような風貌のものはいない。

 身に着けている衣、微妙に違うイントネーション。

 そういったものがルイの想像を確信に変える。

 ただ青年の連れはともかく、青年に関していえばかなりの上客と言えるだろう。

 半年分、一括で家賃を払える程度の。


 ただこいつに……。

 思うところはあるが、ルイは口を噤んだまま『大家』による家賃の説明をBGMに紅茶を飲む。

 おっさんはゴツイ風貌と無骨な指のわりに、繊細な紅茶を入れる。

 その味はルイが普段飲んでいたものと比較しても、遜色の無いものだ。

 ルイの苦手な緑茶に関しては『大家』のほうが上手に淹れるとおっさんは言うが、ルイはおっさんの紅茶のほうを好んで飲んだ。


「家賃には水道光熱費、それから食費が含まれます。一人あたりの一ヶ月の食費は1万5千円程度を想定しています。これは朝晩の食費で、お昼は含まれません。お貸し出来る二人用の部屋の一ヶ月の家賃は4万円。それに食費二人分で3万円を追加して、一月あたり7万円になります」

「……それは、高いのか? 安いのか?」

「さあ。一般的なシェアハウスの相場がわかりませんのでお答え出来ませんが、この辺りの一般的なワンルームの相場が光熱費は含まず家賃だけで7万円以上しますから、安いほうになるのでは? ただ他人との共同生活に耐えられればですけれど」


 今までの経験から、赤の他人と生活するなんて無理だと言い出す輩も多いので、ちくりと釘を刺すことを忘れず、ただ自分のところがお得だという事は明確に示す。

 そもそもこんな怪しげな異世界人(一般的視点から言うと外国人)に敷金礼金保証人なしで家を貸す不動産屋など無いだろう。

 それをわかっていながらも、その事は口には出さずに青年の反応を見る。

 青年の連れの女性は、終始一貫口を閉じたまま俯いて顔を上げようとはしない。



「大家さん、学校、遅れますよ」


 台所から顔を出したおっさんの一言に『大家』は青褪める。


「うっそ。もうそんな時間? 朝ご飯どうしよう」

「サンドイッチで良ければすぐに出せますよ。あいにくスコーンを焼くほどの時間はありませんでしたが」

「嬉しいっ。おっさんのサンドイッチ食べるっ」

「……大家さん、出来ればおっさんではなく原さんと呼んで頂けると」


 言いながら人数分のサンドイッチを10人は座れる大きなダイニングテーブルに並べ、おっさんは苦笑する。


「ごめんごめん。原さんは今日は仕事?」

「8時から現場が」

「あー。そうなんだ。じゃあルイ。帰って来るまでこの人たちよろしくっ」


 ルイは肩を竦めて溜息を吐き出す。


「余は4時からバイト」

「じゃあそれまでには帰って来るから。よろしくね」

「……晩御飯を豚の角煮にしてくれるなら、考えてもいい」

「角煮かー。今日仕込んで明日食べたほうが絶対に美味しいと思うから、角煮は明日でいい?」

「いいよ」


 ルイは外向けの笑顔を『大家』に向ける。

 まるで邪気の無い少年のような笑顔に、絶対裏があるなと『大家』は思わずにはいられなかった。

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