未来形書店アルバイターの妄想
イツムは仕事中にもかかわらず大きなあくびをした。アルバイトとは言え、仕事中にあくびするのは不謹慎である。
だが、今日ぐらいは店長も目をつぶってくれるだろう。
今日は、雨が降っているから。
“予告された”雨の日に、わざわざブックスタンドなんかにやって来る変わった客はめったにいない。
とは言え、年中無休が売り文句の手前、店を閉めるわけにもいかず、こうやってアルバイト店員が奇特な客を待っているのだ。
ここ――月と地球の間に人類が浮かべた5つの衛星都市(宇宙コロニー)では、気象は人によって完全に制御される。降雨については、開始及び終了時刻が事前に政府から発表されるので、わざわざ雨の中を歩く者は少ない。
そんな雨の中、速効性情報発信という意味では廃れつつあるブックスタンドに来店する者はいない、と言い切っても言い過ぎではない。
眠気覚ましに本日3回目の店内清掃を始めるべく、イツムがレジスペースから出ようとした時、今日最初のドアチャイムが鳴った。
もちろん、チャイムが鳴ったのはドアが開いたからで、ドアが開いたのは雨の中ブックスタンドにやってきた奇特な客が来たからだ。
客を見た瞬間、イツムの眠気は吹き飛んでしまった。原因は客にあった。
客は女性で、しかも美人だった。
よほど急いで来たにちがいない。息は切れているし、丁寧にスタイリングしていただろう髪も、完全に乱れている。
客は一直線にレジのイツムを目指し、携帯端末を差し出した。
「今日10時配信の『スポエキプレス』下さい」
スポエキプレスとはニュース配信会社の最大手「サテライトプレス」のスポーツや芸能専門プレスのことだった。
プレスは購読申し込みさえすれば、スレートで無線受信できる。わざわざブックスタンドでプレスを受信するのは、普段は購読していないということだ。
……今日のスポエキプレスには、彼女にとってかなり重要な記事が載っているのだろう。
そこまで考えてイツムは予感がした。彼女はプレスにスクープされた、スポーツ選手や芸能人の“熱愛相手”かもしれない。
街で10人がすれ違ったら8人はふりかえるだろうという美人が、わざわざ雨の日に、時代遅れのブックスタンドで、年若い女性は普通読まないだろう「スポエキプレス」を、かなりの慌てぶりで、手に入れようとしている。
可能性は、高い。
イツムは他のプレス受信客と同じように、彼女から受け取ったスレートをレジ脇のプレスダウンロード用のコネクタプラグにつなぎ「スポエキプレス」のデータをダウンロードする操作をした。
ダウンロード中、イツムは彼女の顔をさりげなく、かつ、しっかりと意識して見る。あとでスポエキプレスで彼女をさがすつもりだった。
ピッ、と音がして、イツムはスレートに目を戻した。見るともなしに、スレートのカバーに「SAKIKO」と書いてあるのが見えた。たぶん、彼女の名前だ。
サキコ、とイツムは心の中でつぶやいて記憶した。
スレートを彼女に戻しながら、レジで普通に会計をする。
「ありがとうございました」
いつもより少し深く頭を下げてあいさつし、店を出て行く客を見送る。
と、イツムは自分のスレートを取り出し、「スポエキプレス」をダウンロードした。スレートを操作し、<次へ>のアイコンを押しながら1ページ1ページ、画像を確認していく。
「……あれ?」
彼女の顔を探せないまま、イツムは最終ページまでめくってしまった。
「考えすぎだったかな」
あきらめきれないイツムは、駄目でもともとと語句検索機能を呼び出した。入力する語句は「サキコ」。
検索結果は1件だった。検索した語句のある場所は、最終ページと表示される。
再び最終ページを表示したイツムは、そこに「サキコ」の文字を見つけた。
はやる気持ちをなだめながら、サキコはスレートのモニタに表示されたプレスの画面の<次へ>のアイコンを選択していく。
やがて、モニタにはプレスの最終ページが表示された。
「あった」
思わず声を出してしまったサキコはあたりを見回す。
見回してから、彼女は思った。今日は見回す必要のない日だったのだ。
今日は雨。街中を歩いている人はほとんどいない日なのだから。
彼女の名前はプレスの最終ページにあった。
編集後記の欄に「新人記者サキコ」と。
彼女の記者人生は、今日から始まる。
Fin