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人間ワールドの皆さんへ

 ここは人間ワールドです。

 人間達が創り上げた、人間達が住む世界。ここには色々な人達が住んでいます。絵を描くのが好きな人、お金を稼ぐのが好きな人、傲慢な人、謙虚な人、何かを頑ななまでに信じ込んでいる人。実に様々。

 でも、だからって、何もかもが滅茶苦茶な訳じゃありません。ある程度は“同じ”何かを持っています。だって、ほら、皆はご飯を食べるし、寝るし、便を出すでしょう。そんなの他の動物だって同じじゃないかって言いますか? なら、お金を使います。言葉や文字を使ってコミュニケーションを取りますってのならどうでしょう? これなら、他の動物はまずやらないでしょう。まぁ、ここまでやられちゃったなら、その“他の動物”は同じとは言わなくても、人間として扱われる可能性は大いにあるとは思いますが。

 ただ、ある程度は“同じ”という事は、逆を言えばある程度は“違う”訳です。そしてこの“同じ”事と、“違う”事が共存しているってのが、中々に一筋縄ではいかないのです。それらは互いが関係をする中で、利点にもなるし、問題点にもなります。もちろん問題点は、なんとか解決、或いは緩和しなくちゃなりません。そして、だからこそ、人間ワールドの皆さんには、その為のルールが必要なのでした。このルールは時代と共に徐々に進化しています。王様が命令して、自分達にとって都合の良いように決めるのが当たり前だった時代から、皆の都合に合わせてルールを設定する時代へと(もちろん、この代表は民主主義)。中には、そのルールを設定する事で、社会全体が高度な集団的知性を獲得するようなものまであります(これは、主に資本主義の市場原理ですね。他にもありますけど)。


 さて。

 この人間ワールドには、少年Aという人間が住んでいました。少年Aは、日本という変な国に住んでいます。

 あ、そんな事を地の文で書いたら、少し怒った顔でこちらを見てますよ、彼。何か気に障ってしまったようです。

 「何の根拠もなしに、“変”とか決めつけないでくれるかな? ちょっと、失礼じゃないか。大体、“変”って事は、何か“正”があるのだろう? そう言い切るのなら、その“正”を示してくれよ」

 案の定怒っていたようで、少年Aはそう文句を言ってきました。まぁ、確かにその通り。軽率だったかもしれません。彼の言う通りでしょう。“正”もないのに、“変”だとは言い切れません。“正”からの逸脱をもって、“変”というのでしょうから。

 ――ごめんなさい。

 なので、素直に謝ってみました。ただ、そう謝ってみたら、彼、ちょっと困ったような顔をした後で、独り言をのように、こう呟きました。

 「まぁ、でも、多分、“変”ってのは、正しいとは思うけど」

 ――そうでしょう?

 そう応えても、彼はそれを無視して歩き続けます。季節は冬。彼はジャンパーを着ていて、そのポケットに両手を突っ込み、片方のポケットからはリードが出ている。リードの先にはもちろん犬。茶色と白。ビーグル犬に似ているけど、それよりも少し小さくて、室内犬として飼えそうな感じ。その犬は、彼の飼い犬で、名前はポー。

 少年Aはポーに対して不満がありました。雑種犬のポーは、異常に人懐っこくて、少しでも人間が傍にいないともう駄目で、留守番を少しさせているだけで、独りぼっちのその不安に耐え切れず、オシッコを漏らしてしまうのです。

 “いくらなんでも、依存し過ぎじゃないか。これで本当にいいのか?”

 何もオシッコを漏らす事に対して、彼は不満があるのじゃないのです。生物の特性として、人間に依存し過ぎのこの犬に、こんなので良いのか?と疑問と憤懣とを思っているだけなのです。少年Aは、或いは自立心というものに対して、価値を見出しているのかもしれません。だから、そこから著しく外れる犬のポーに不満があるのです。

 聞くところに拠ると、ポーのように人間との分離不安を抱える犬は少なくないのだそうです。人間が傍にいないと、不安で泣き出しそうになってしまう。流石、人間と共に生きるように進化し、その社会の中で適応をし続けた動物の内で、もっとも人間に懐いた種類と言われるだけはあります。

 “まぁ、人間社会が滅びない限り、大丈夫なのかもしれないけど。数だけを見れば、犬は祖先のオオカミなんかよりも、ずっと成功している訳だし”

 少年は怒っても仕方がないと、ドックランまでの道を淡々と歩き続けました。それに、まぁ、可愛いし、とも思いながら。


 ――遺伝的アルゴリズム。

 というものを皆さんはご存知ですか? これは、ごくごく簡単に言うのなら、生物の変異と拡大の生き残りのロジックと同様なものを利用して、解あるいは近似解を導こうってな発想の、思考方法みたいなもんです。

 例えば、スーパーコンピュータ上に、数の並べ替え処理を行うプログラムをいっぱい作って、少しずつ変異させながら優秀なものだけを生き残らせ、繁殖淘汰を繰り返し進化させると、ある程度まで進めば、かなり優秀な“数の並べ替え処理”プログラミングが誕生します。

 『優秀な数の並べ替え処理プログラミングを導け』というのが問題だとするのなら、この操作でその解または近似解を導けている、という事になりますね。

 もしも厚い毛皮を持った生物を生み出したいと思ったら、環境を寒くして、厚い毛皮を持った生物を誕生させればいい…

 なんて発想にも当然、この思考方法は結びついてきます。

 この思考方法、複雑系科学やコンピュータに興味がなければ、知る機会なんてないだろうから、別に知らなくても恥ずかしがる必要はありませんが、中々に面白いし、それに有用なものでもあるです。この世界を観る手段の一つとして。

 だから、少なくとも頭の片隅くらいには、置いておくべきだと僕は思ったりするのですよね。

 もっとも、この『遺伝的アルゴリズム』という概念が誕生する以前から、人間社会は、これを利用しています。まぁ、気付いた人もいるかもしれませんが、動物の家畜化や作物の品種改良は、これを応用したもんですね。ただ、そういった生物的なものにだけ、この思考方法を応用するってのは、少々、発想が貧困だとは思ったりしませんか?

 僕は、まぁ、思うのですが。


 ……正直な話。

 3月11日の、原子力発電所の事故は、僕にとってまったくの予想外の出来事だった。原発にはそれ以前から反対で、事故が起こる可能性だってある事を認めてはいたけど(数を造っていけば、一個一個の事故発生確率は低くても、全体での確率は跳ね上がる)、まさかあれほどの事故が日本で起こるだなんて。

 反原発派の書いた内容を、それ以前から少しは読んではいて、そこには日本の原発管理体制がいかに杜撰でいい加減かが赤裸々に訴えられていたのだけど、それを大して重要視して来なかったことを恥ずかしく思う。事故後、数々の失態や妄言で、そこに書かれあった内容が真実であると分かったから、尚更だ。これで何も反省をしなかったら、よっぽど馬鹿で傲慢な人間だろう。

 ところで、原発事故後、少し腑に落ちない点がある。これだけの事態を引き起こしながら、原発を推進した人間達が、何かしら責任を取ったという話を聞かないのだ。極一部の人間達にしか、それは適応されていない(しかも、恐らくは不充分だろう)。普通に考えるのなら、職を失うだけじゃ足りず、賠償責任だって負わなくちゃいけないのじゃないか。全財産のほとんどを没収でも不思議じゃない。でも、誰もその責任を取らない。そればかりか、どうやら、原発を推進した人間達はまだ国の中枢にいるらしい。

 もちろん、法律で守られているって点は重々承知の上で、僕はこれを言っている。ここまででかい問題なら、例え法律で守られていたって、何かしらの責任を取らせるべきだと思う(そもそも、法律で守られている事自体、おかしい)。

 そして、更に異常なのは、これがまったく“予想通り”の展開だってことだ。多分、多くの人が、「まぁ、そうなるのじゃないかな」と、思っていたはずだ。


 “まったく、変な国だ……”


 「本当に変な国よね」


 女性Bが、ある電子掲示板を見ながらそう呟いた。そこには原発擁護派の書き込みがあって、それに対して多くの人が反論をしていた。女性Bもそんなうちの一人で、彼女は反論というか意見をそこに書き込んだのだけど、その彼女の反論には原発擁護派は何も返してはこなかった。無視。スルーされていたのだ。

 その原発擁護派は、放射能の害が過大に評価され過ぎていると主張して、低レベルの放射能などそれほど恐れる必要もないのに、原発を否定するのはただの素人判断だ、と述べていた。

 それを読んで、女性Bは、“いやいやいや……”と思った訳だ。

 そもそも原発問題には、ウラン資源枯渇問題から、核廃棄物の処理問題、国防問題など様々にある。どうして、低レベル放射能問題だけを取り上げているんだ、この人は?

 それでまずはその点を指摘してみたのだけど、何も返しがない。そこで、次に女性Bはこう書き込んでみた。

 『まずは、今回の事故事件の責任追及から始めないといけないのじゃないですか? 誰も責任を取らないような体制じゃ、何を言っても説得力はないですよ』

 しかし、それにも何もない。

 誰も責任を取らない。だから、いい加減な嘘がたくさん言われたり、杜撰な管理に陥っているんだ。これは、原発の仕組みの大きな問題点の一つで、それを是正する事こそが、まずは第一のはず。

 原発を推進したいのなら、今回の事故事件の責任を、責任者に取らせるべき。

 なんで、こんな単純な点を理解できないのだろう? 社会システム上の常識だと思うのだけど。

 この傾向は、その掲示板の原発擁護派だけでなく、この社会全体で同様だろう。だからこそ、彼女はこの国は変だと思った訳だけど。


 “本当に、へーん…”


 少年Aは、ドッグランに着くと、リードを首輪から外し、犬のポーをそこに放ちました。ポーは直ぐに他の犬と挨拶を始めます。相手の臭いを嗅いでいる。犬同士のコミュニケーション。このドッグランは、正式なドッグランではありません。市営の多目的広場の一つで、別に犬の散歩用に用意されたものではないのです。

 ところが、犬を飼っている人達が自然に集まるようになって、そこはドッグランとして機能するようになってしまったのです。正式なドッグランではないので、別にルールも何も設定されていないのですが、皆さん、ちゃんと糞を持ち帰っているし、犬をそこに置いていったりもしません。暗黙の了解で、秩序が自然発生しているのです。お蔭で、何の問題もなくドッグランとして利用できています。

 少しオーバーな事を言いますが、この現象は“美しい”と思います。人間社会に希望を見出させてくれる……

 少年Aはそこである中年男性に話しかけられました。その男性は、愛犬仲間の一人で、よく彼と話をするのです。話題は漫画。少年Aの興味対象に合わせたのでしょう。その昔から、漫画がどう進化してきたかの話を、その男性はしました。

 「読者がより面白い漫画を選ぶ、ということを繰り返し、漫画は進化してきたのだね。海外から日本の漫画のレベルが高く評価されているのもこれがあると思うよ。ある意味じゃ、日本の漫画は読者が育てたんだ」

 少年Aはそれを聞いて、ふと思います。

 “ああ、遺伝的アルゴリズム”

 そうです。その通りです。これは、遺伝的アルゴリズムですね。

 「日本の漫画は、自然と進化して来たのですね。誰に何を命令された訳でもなく」

 少年Aは、それからそう言いました。中年男性はそれを聞くと、少し不思議そうな顔をしつつも、

 「そうだね。その通りだ」

 と、そう応えました。

 それから少年Aはドッグランを見渡します。そして、こう思いました。

 “――もしかしたら、このドッグランも……”

 いやいや、それは違うと思いますよ。


 ――と。

 突然ですが、ここで、遺伝的アルゴリズムの観点から、政治家や官僚の“進化”を考えてみたいと思います。

 いえ、もちろん、そんなに難しい考察をする訳じゃありません。とっても単純な話をするだけです。

 さて。

 腐っても日本は民主主義です。国全体の運営責任、主権が自分達にあることを、どれだけの国民が自覚できているかは分かりませんが、それでも民主主義です。

 政治家や官僚はだから、国民の顔色を窺いながら行動を執ります。国民が本気で怒れば、彼らは国民には絶対に勝てません。特に政治家は、国民から直に選挙によって選ばれます。漫画が読者から選ばれる事によって進化してきた事実を思い出してくださいね。そして、その漫画が世界的にも高く評価されている、という事を。

 ならば、国民から選ばれて生き残って来た政治家達は、さぞ優秀なはず… と、もちろんこれは、単なる皮肉です。今更語るまでもなく、日本の政治家が、とぉっても無能なのは周知の事実ですね。

 日本人が政治家を、自分達にとって有益な行動を執ったものを高く評価する、という基準で選んでいれば、それもまた違ったかもしれませんが、残念ながらそもそも日本人には、政治家を選ぶ基準すら欠落している、と言わざるを得ません。

 その結果、政治家と官僚は、国民を欺く手段だけは高度に進化させてきました。もちろん、そういう政治家や官僚が生き残る環境にあったからこそ、そうなったのですね。寒い環境に住む動物が、厚い毛皮を手に入れるのと同じ理屈で、ズルをした人の方が生き残り繁殖をする環境なのです。日本の政治の場というのは。

 その欺く手段の例を軽く挙げるのなら、

 甘い完全失業率の算定基準… 日本は“失業”の判定が甘いので、その実態を反映してない、というのは有名な話です。本当は、もっと酷いのですね。

 カロリーベースの食糧自給率… 低く食糧自給率を演出し予算を多く獲得する為に、農林水産省は、世界でも稀なカロリーベースで食糧自給率を算定し、発表しています。その結果、40%ほどの低い値になってしまっている。ところが、世界基準の価格ベースで計算するのならば、実はまだ70%ほどあります。まぁ、日本の農業がピンチなのは本当ですが。

 原発のコスト計算… 最近になって、有名になりましたが、原発は様々な経費を計上せず、コストを無理矢理に安く見せていました。もちろん、原発を推進する為ですね。因みに太陽電池ではこの逆に、無理矢理に高く見せる処置をしています。当然、他の再生可能エネルギーでも、似たような事をやっている可能性があります。

 と、他に幾らでも出てきますが、軽く出しただけでも、これだけあります。他にも、スキャンダルでスキャンダルを潰す、などの手段を取って来た疑いもあります(まぁ、これについては眉唾な陰謀論も多々含まれているのですが)

 もちろんこれは小手先の嘘に簡単に騙される国民側の政治に対する無関心があるからこそ、成立するものです。言い換えるのなら、国民の無関心こそが、政治を悪くした環境となるでしょう。

 もっとも、国民ばかりを責められない事情も、日本にはあるのですがね……


 ――ある少女がテストを受けていた。

 社会科のテスト。今は、こんな問題を解こうとしている最中。

 この国の中から、社会主義の国に○をつけよ。


 北朝鮮 日本 アメリカ


 少女は少し迷うと、北朝鮮と日本に○を付けた。


 もしも、この少女の親があなたなら、“あー”と思っているところでしょう。“間違えちゃった”、と。もちろん、日本は資本主義ですから、○は北朝鮮だけ(実質的には、専制政治だとは思いますが)。普通に考えるのなら、この少女の回答は×です。ただ、これが多少、癖のある教師なら、この回答に△をつける可能性もあるのじゃないかと思います。

 何故なら、日本は海外から、『社会主義国家』と揶揄されているからです。日本は、資本主義経済を採用しているとはいえ、閉鎖的で、まるで統制経済のように思える側面があるので、そう馬鹿にされているのです。公共事業を全国的に行い、経済を無理矢理に刺激してきたような歴史的経緯がその代表例です(因みに、民主主義批判と言いながら、この日本の社会主義的側面を攻撃している人がいました)。

 日本の長期国債が、ずっと売れ続けている要因にも、日本のこの社会主義的側面が関係しています。

 長い間、僕は日本の国債がどうして国内で売れ続けているか不思議でした。目ぼしい資金運用先がないのは事実でしょうが、この金利の低さは、どう考えても不自然です(買い手が多ければ多いほど、金利は安くなるんです)。

 で、日銀が国債を買い入れている、という事ももちろんあるのでしょうが、それだけじゃないのじゃないか、と疑っていたんです。だから、“何らかの圧力があるのかも”と、そんな事を書きもしました。

 最近になって、この推測が正しい事が分かりました。『この国で起きている本当のこと 朝日新聞出版』という本に依ると、財務省がほぼ無理矢理に各金融機関に国債を買わせているらしいです。つまり、自由市場に則らずに、国債という金融商品の売買が行われているのです。

 これ、少なくとも国債に関しては、とてもじゃありませんが、資本主義経済とは言えません。世界に大きく報道されたら、それだけで日本はダメージを受けます。

 じゃ、どうして、こんな事になっているのでしょう?


 ……子供の頃。

 僕は『一票の格差』の問題をニュースで聞いて、恥ずかしながらこう思ってしまった。

 “それの、何が問題なの?”

 これが平たく言えば、“国民の政治家を選ぶ力に差がある”事だとは分かっていた。でも、それが重要な問題点だとは分かっていなかったんだ。平等という理想論をただ訴えているだけだと思ってしまった。

 “機能的に問題がなければ、仮に不平等でも別に良いじゃないか”

 ニュースを見終った後で、そう考えた。まったく、当時の僕は浅慮だ。ただ、でも、ニュースを伝える側にも問題はあると思う。もっと、どうして重要なのかを、簡単な事例を出して説明してくれれば、分かり易かったのに。


 ――さて、これを読んでいる、あなた。

 一票の格差が、どうしてそれほど問題なのかが分かりますか?

 もしかしたら、子供の頃の僕と同じ様に、あまりピンと来ていないのじゃないですか?

 答えを書いちゃうとですね、一票の格差があると、多く権限を与えられた一部の人達にとってのみ都合の良いルールが設定される可能性があるのですが、それが問題なんです。社会全体にとって悪影響でも一部の人達にとって都合が良ければ、それがルールになってしまう、なんてケースもあるからですね。

 例えば、兼業農家に対する過度の優遇措置。本来ならば、専業農家や農業法人を助け、規模の拡大によって海外に対抗できる農業を育てるべきなのに、兼業農家の票が欲しいが為に、むしろそれを政治家が邪魔している。兼業農家が農地を確保しているので、専業農家や農業法人が、規模を大きくできないのですね。

 これで、「日本の農業を護る為に…」とか言われても、って気になりません?

 僕は、まぁ、なるのですが。

 もちろん、こんなのはほんの一例です。一票の格差だけでなく、選挙における、地方に地盤を持つ政治家の有利が当たり前の現状は、これと似たような弊害をもたらします。つまりは、“そもそも国民に平等に政治家を選ぶ権利が与えられてない”のです。だからこそ、政治は歪むし、まともに機能しなくなっていく。もちろん、そこに国民の方をまったく見ようとしない“官僚”という人達の存在も大きく重なってきます。彼らは、自分達の利益の為に国全体を利用しようとしていて、しかも内部ではそれが正義となってしまっている、という歪な構造を持っています。そして官僚は、そもそも、国民が選挙で選ぶ事ができません。

 そして、そんな政治家と官僚でタッグが結成されれば、状況は最悪です。更に、政治家に、官僚へ対抗できる程の実力がなければ、まぁ、どうなるかは分かったようなもんで… 日本の政治中枢は、悪い方向へ悪い方向へと進化し続けてきた、とも言えます。

 ……これ、もしかしたら、自己組織化現象の一つと言えなくもないかもしれません(もちろん、悪く作用するケース)。いや、突然、そんな事を書かれても、

 『“自己組織化現象”って、なんじゃいな?』

 ってな話なのかもしれませんが。


 ――マンチェスター。

 イギリスの北西部にある都市。この街は、18世紀から19世紀にかけて起こった産業革命をもっとも象徴する場所の一つだ。交通の拠点となる歴史的な川、蒸気紡績機の発明、銀行、世界市場と労働力。それらが合流した事により、この街は瞬く間に巨大な都市へと成長してしまった。

 その得たいの知れないパワーと、おぞましさは様々な人達の注目を集め、それは文学などにも影響を与えた。文明の奇跡と悪夢を同時に見させてくれる場所。野蛮人に貶められた人々が、文明社会に暮らしている。金持ちの悪ガキ、貧しい悪漢、飲んだくれ、売春婦。この街の主流をなす人々。1773年の推計ではわずか2万4千人だった人口は1800年代半ばには25万以上に達していた。わずか75年で、十倍以上の増加。マンチェスターは、人類史上、稀に観る速度で成長したと言えるだろう。この街の歴史を観れば、産業革命が人間社会に与えたインパクトの大きさを窺い知る事ができるはずだ。

 だが、この街にはもう一つ、非常に注目すべきポイントがある。その暴力的とも言える成長を遂げた時期、この巨大都市マンチェスターには、地方政府が存在しなかった。警察もなく、国会に代表すら送らず、そして、都市計画者と呼ぶべき存在もなかった。この街が公式に都市として認知されたのは、その成長の終焉の辺り、1853年の事だったのだ。

 だが、にも拘らず、この都市にはある種の秩序、構造が存在していた。そこには商店街があり、金持ちが暮らす場所があり、スラム街がある。誰も何も計画をしなかったのに。人々はその現象を不思議がったが、当時、その答えに気付く事はなかった。しかし、今という時代の科学は、その現象に既に名前を与えている。

 ――自己組織化現象、

 と。

 雑多な要素が、個々の自分達のバラバラな目的で行動をしているのに、全体として、あるパターンが生じる現象。もちろん、そこには何らかのルールのようなものが存在するが、飽くまで統率者の存在はない。

 当時は誰も理解していなかったが、マンチェスターの急成長とその構造化は、人間社会に起こった、自己組織化現象の顕著な例の一つなのだ。

 だが、皮肉にも、意識せず、人間社会は既にこの頃、自分達の社会システムに、自己組織化現象を取り入れてもいた。その一つは、資本主義。自由市場において、様々な生産物が取引され、全体が組織化する現象は当にそれだ。そしてもう一つは、民主主義。

 国民に主権を与え、自由意思、主体を認めるという考え方は、そのまま自己組織化現象の下地となっている。そしてそれは、選挙を通じてもっとも具体的に、社会に影響を与えてもいる。


 「じゃあ、このドッグランは、どうやって出来上がったっていうのさ?」

 そう言ったのは、少年Aでした。遺伝的アルゴリズムで、ドッグランが出来上がったという話を否定されて、彼、少しばかり不機嫌になっているようです。

 ――だって、遺伝的アルゴリズムの場合は、生物みたいなものと、その生き残りを決める環境のようなものが必要でしょう? どちらもこのドッグランにはないじゃないですか。

 犬の飼い主達が、いくつかのドッグランを選んだってのなら、まだ話は分かりますが、ドッグランに使えるような場所はそんなに多くはありません。むしろ、選択の余地はなかったと見なすべきでしょう。

 それを聞くと、少年Aはこう言いました。

 「だから、違うならどうやって出来上がったのか?って、訊いているの!」

 ま、確かにそうですが。

 ――多分、自己組織化現象ですよ。

 そう返すと、少年Aはこう尋ねてきました。

 「自己組織化現象って?」

 ――誰も何も計画しなくても、個々の自由な行動で、勝手に組織化が起こる、みたいな現象です。

 そう返すと少年Aは考え込み始めました。この内容は、まだ彼には少しばかり早かったかもしれません。それで、更に説明を追加してみました。

 ――ここに関して言えば、例えばこんな感じじゃないですか?

 誰かがここに犬の散歩にやって来た。それを見た犬の飼い主の何人かも、『グッドアイデア!』と、自分達も同じように利用し始める。本来は多目的広場なのだけど、それほど利用率は高くなかったから、誰もそれに文句を言ったりはしない。文句が出ないなら、と安心した他の犬の飼い主達も、同じ様に利用し始める。糞を持ち帰らなかったり、他のマナー違反があれば、他の飼い主達から白い目で見られるだろうから、ルールが明文化されていなくても、誰も迷惑になるような行動を執らない。そしてそれが自己調節機能の役目を果たし、ドッグランの荒廃を防いでくれる。

 少年Aはそれを聞くと黙り込みました。納得できてしまった事が、彼にとってはむしろ腹立たしかったのかもしれません。

 因みにこれ、“合成の誤謬”問題を乗り越えた現象でもあります。

 “合成の誤謬”というのは、個々にとっては利益になる行動を全体で行うと、不利益になってしまうものを言います。このドッグランで説明するのなら、糞の後始末を怠けるのは、個々の飼い主にとっては楽になるので利益になると言えますが、それを皆がやり始めると、ドッグランが荒れ、使用不可能になって不利益になる… って感じですか。

 一般社会でなら、労働賃金の引き下げで起こるデフレスパイラルがこの代表例に当たりますし、その他でも、選挙をサボれば、自由な時間ができて得だけど、それを皆がやれば民主主義が機能しなくなって、社会全体が荒廃していってしまう、というのもこれに当たります。

 だから、ま、投票…、行きましょうね。

 ……と、そんな話に繋げてみた訳ですが。


 ――実は選挙というのは、人間社会を自己調節させる上で、なくてはならない民主主義の重要なシステムなんです。だから、投票をサボっちゃいけませんよ。

 え? そんな事を言われても、誰に投票すれば良いか分からない?

 確かにそうかもしれませんが、大丈夫です。仮にそうでも、単に投票に行くだけで、社会に良い影響を与えられますから。

 どういう事なのか分かりませんか?

 じゃ、ちょっと説明します。

 「僕なんて、そもそもまだ投票できないんだけど」

 そこでそう言ったのは少年Aでした。ごもっとも、ごもっとも。投票できる人達は、きちんとその責任を果たさなくちゃなりませんよね。


 古くから人間社会には、大きな問題が一つありました。それは“権力の集中”。ちょっと想像力を働かせてみてくださいね。もしも、あなたが権力者で何でも自由に決められる立場だったなら、どのようにルールを決めますか? 普通に考えて、自分にとって有利になるようにルールを決めませんか?

 実は歴史上の権力者と言われる人達の多くはそのようにルールを決めたのです。で、そうなればもちろん、更にその人達の権力は強くなります。それが極限に達すれば、社会はその負荷に耐え切れず、自己組織化臨界点を迎えて、相転移現象を起こすのです。ま、革命とかそういうのですね。

 これを防ぐ為に、人間社会は権力を分散する事をルールとしました。有名な三権分立はその一つですね。司法、立法、行政。因みに、司法は裁判官で、立法が政治家、行政は官僚だと思ってください。

 ところがどっこい、長らく同じ人達がこれらの仕事をやっていると、やがてはこれらが結びついて、やはり権力の集中化と同じ事が起こってしまうのです。水は淀むと腐るもの。例えば、立法と行政が結びついて、利己的なルールを設定したり。

 まぁ、もちろん、今の日本にはこれが起こっているのですが。それどころか、本来は立法者である政治家が法律を作らないで、行政者である官僚が作ったりしています。三権分立が成立していないのだから、大問題ですね。

 これを防ぐ為には、人を変えてやれば良いんです。そうすれば、政治家と官僚の結びつきは(少なくとも一時的には)消えます。官僚の方は、国民に彼らの人事を決める権利は与えられていませんが(政治家を通じて間接的に行うものは別として)、政治家は選挙で選ぶ事が可能です。だから、官僚と政治家が結びついているなぁと思ったら、取り敢えず、別の人に変えておけば良いってことになります。ちょっと乱暴な発想ですがね。

 分かりましたかね?

 選挙で誰に投票すれば良いのか分からなかったら、現政権以外に投票すれば良いのです。それだけで、随分と世の中は良くなります。

 が、

 実はもっと乱暴で簡単な理屈もあるんです。そんな事すら考えないで、単に投票に行けば、それだけで充分に好影響だという…

 説明します。


 あなたが仮に政治家だとしてください。で、若者の投票率は低く、高齢者達の投票率は高い。さて。あなたが当選したいと思ったら、誰にとって利益になる法律を作りますか?

 まぁ、高齢者に有利な法律を作りますよね。ただでさえ、高齢社会で、高齢者の方が多いのだし。じゃ、もし若者がもっと積極的に投票するようになったら、どうなります? 若者に有利な法律を作ろうとしませんか?

 仮にあなたが若者だとした場合ですが、政治家の立場になってみると、単に投票に行くってだけでも、充分に政治家のその行動を変える力になってくれるのです。

 ただ、政治家の行動を変えるだけで充分か?と問われたなら、僕は言葉を濁してしまいますが…


 よく、「日本は民主主義が弱い」と評価されます。残念ながら、これは事実でしょう。これを変える為には、政治に関心を持ってもらうことはもちろんですが、既にそれだけじゃ足りない現状まで来ているように思います。もっと、抜本的なルールの改変が必要ではないでしょうか?

 キーワードは、恐らく、


 “官僚”


 官僚が国民の為に仕事をしない。

 例えば、厚生労働省の薬害エイズ問題や、薬害肝炎問題。病原菌感染の疑いを知りながら、天下り先企業の利益を護る為に、厚生労働省はその販売を禁止しなかった。これは、ほぼ直接的な殺人事件と言える。

 もちろん、これは厚生労働省だけの問題ではない。各省庁、自分達の利益を確保する為に、天下り先に便宜を図っている。例え国民の命が危険にさらされようとお構いなしだ。これは、原子力問題を見ても簡単に分かるだろう。

 この官僚の性質を変えなければいけない。国民の為に仕事をするように。では、その為には何をすれば良いか?

 もっとも簡単なのは、政治家と同じ様に、官僚も国民が選ぶ制度を作る事。もちろん、頻繁に人が入れ替われば、行政が混乱してしまう。国が機能しなくなる。だから、政治家とは違って、その選出は現職の職員の中から選ぶとする。

 簡単に言えば、現職の職員の人事、出世の判断を国民の手に委ねるのだ。

 出世したいと思う職員は、自らの簡単な経歴を分かり易く国民に開示し、今まで自分が国民の為にどんな事をやって来て、どんな実績があるのかをアピールし、これから何をするつもりでいるのかを伝える。政治家達の意見に賛同しているか、反対しているのかを書くのも良い。それを見て、国民は出世させるべき官僚を選ぶ。もちろん、その後も国民は官僚を監視し、その仕事を評価する。そしてその評価が官僚の所得や地位に結びつく。

 これならば、状況は劇的に改善するはずだ。もっとも、裏で何かしら悪事をやられる危険性もあるが。


 ――あなたはインターネットで、珍しく日本内閣のサイトを見ていた。普段なら、そんなページは間違っても開かないが、その時は事情が違った。

 今、日本で初めての官僚の選挙が行われようとしているのだ。そして、各立候補者の実績や主張が、そこには載っている。

 あなたは珍しく、政治に関心を示していた。名前を連呼したり、マニフェスト破りが当たり前の政治家の選挙とは違って、官僚達は確かな実績をそこにアピールしている。それに、政治家を操り、実質的に日本を運営して来たのは、近年では間違いなく彼らなのだ。

 “重みが違う”

 もっとも、その選挙は国の正式な選挙ではない。飽くまで主催は政権与党で、法的な拘束力はなく、そもそも政治家が官僚を選ぶ際の参考程度のものでしかない。だから、選挙もそれほど金をかけないで行われるし、厳密さも正式な選挙とは程遠い。

 “どちらかと言えば、選挙と言うよりは、人気投票に近いか”

 あなたはそう思う。しかし、それでも充分に意味はあった。これで、官僚が国民の為に行動するかもしれない。

 その試みは、国際的にも注目を集めていた。もしも、これが日本の政治改革に繋がれば、他国でも同様の事が行われる可能性はある。日本には数々の弱点がある。しかし、だからこそ、それを補う為に、工夫して様々なシステムを試してみるべきなのだ。


 ……少し前、僕は『原発のメリットデメリット』というタイトルのエッセイを書いて、ネット上で公開をしました。

 原子力発電のメリットとデメリットをまとめ、是か非かを論じたものですが、それを投稿した時に、ある女性の方から、どうして日本は脱原発に動かないのか、と意見を求められました。その時僕は、それほど深く考えずにそれに返してしまったのですが、後から「もしかしたら、日本は民主主義が弱いからかもしれない」と、そう思うようになりました。その問題点は随分と前から、指摘されていたのです。

 もしかしたら、官僚や政治家は、時間が過ぎれば反原発運動もやがては下火になり、また原発推進が可能だと高をくくっていたのかもしれません。今まで、日本人はいつもそうで、簡単に誤魔化せていたからです(だからこそ、日本はこんなにも衰退しました)。

 国が発表した消費税増税に伴う成長戦略で、何故か太陽電池や風力発電には少しも触れず、蓄電池を推していたのを、今でも僕は覚えています。恐らくは、原発推進の為に、再生可能エネルギーの普及を後押しするような計画は駄目だったのでしょう。

 彼らは国民を馬鹿にしています。

 ところが、今回ばかりは彼らの思惑通りに行きそうにありません。反原発運動は、今でも維持され続けています。

 正直、僕はこの事実に感動しました。この国に対して、希望を抱かせてくれた。

 そして、2012年の8月の半ば、遂に野田内閣は、原発ゼロの方針を明らかにしました。これを一時だけの主張にしてはいけません。

 日本が民主主義である事を、大いに証明していきましょう。


 ……ただ、ちょっと注意点。

 民主主義の弱点、

 って、知ってますか?

 さんざん、民主主義を強くするような事をいっておきながらあれですが、どんなシステムにも問題点があるのは当然で、それを認識し改善する意味でも、最後にその点を指摘しておきたいと思います。

 簡単に言ってしまうのなら、それは“多数決の暴力”です。民主主義ってのは、多数決の世界ですから、数に物を言わせて、少数派に不利なルールが設定されてしまう危険性は大いにあるのです。

 さんざん他でも指摘されていますがね。

 今は、高齢社会です。つまり、高齢者に有利。だから、高齢者に都合の良いルールが設定され易い。しかもそれが、条件反射的な目の前の利益を得たいが為の浅慮なケースも多々観られます。若者に負担を押し付ければ、当然、国力は疲弊していきます(普通は、若い世代に投資して、社会は成長を目指すもの)。そして、国力が疲弊すれば、高齢者達も窮地に立たされる。自業自得で苦しむ事になります。愚かな選択ですね。

 こういった事を防ぐ為に、どうか皆さん、広い視野と確かな知識を身に付けてください。

テーマで繋げて、断片的に様々なタイプの文章を羅列する…

この手法、やってみれば分かると思いますが、かなり難しいです。

だから、偶にしかやらないのですが。


自分で点数をつけるのなら、今回の出来は、30点~50点くらい。

満足していないので、近いうちに、またやろうかな……?

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― 新着の感想 ―
[一言] 共感させられる行が多く、うんうん頷きながら読ませていただきました。 >誰もその責任を取らない。 >そして、更に異常なのは、これがまったく“予想通り”の展開だってことだ。 本当に仰る通りで…
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