影をなくした魔法使い。
むかしむかし、とある世界、とある国に、とてもとても欲深い王様がいました。
その王様はとても強欲な人間で、なんでも自分の物にしなければ気が済まない性格をしていました。
それも、大変変わった趣味をしているので、王様の欲しがる物を毎回必死に集めてくる城の兵士や、執事のおじさんたちは、とても苦労していました。
今日もたくさんの変わったものに囲まれて生活している王様は突然とんでもないことを言い出しました。
「わしは影が欲しい。」
その言葉を執事のおじさんは理解できませんでした。当然です。
「は?王様、今なんと?」
思わず聞き返してしまうも、平然とした顔で王様は同じことを繰り返しました。
「影が欲しい!」
「影なら王様にもついているではございませんか。」
執事がそう言って王様をなだめようとしても、王様は執事の話を聞く気はありません。
「影が欲しい。国民の影が。わしはもう自分のこの影は見飽きたのじゃ。いろいろな変わった影が見たい。お前たちよ、国中の国民の影をすべて刈り取ってわしのもとへ持ってこい。わしの気に入るような影を持ってきたものには、たんと褒美をやるぞよ。」
王様はいかにも高そうな宝飾の付いたネックレスを乱暴に指で回しながら、そう言いました。
よくわからない命令に渋々に従う兵士たちは、影を刈り取るために、街へと繰り出したのです。
街の外れの暗い暗い森に、一人の少女が住んでいました。それも森の奥、誰も立ち入らないような奥に、小さな小屋を建て、一人ぼっちで住んでいました。
そんな彼女は魔法使いでした。
昔は彼女も街に住んでいたものの、その魔法の力を持つが故に、徐々に迫害され、森の奥へと追いやられて、もう何百年と一人ぼっちで住んでいます。
しかし、彼女は寂しくありませんでした。
なぜなら彼女は、その魔法の力で自分の影に自我を持たせ喋れるようにし、自分の影と仲良く二人で過ごしていたからです。
何年も何十年も前から一緒にいるこの二人は、もう親友以上の関係です。毎日話し、笑い、助け合い、お互いに無くてはならないかけがえのない存在でした。
そんなある朝、窓から木漏れ日がさす中、魔女の少女が目覚めると、いつもは枕元に座り、優しく頭を撫で起こしてくれる彼女の影が居ませんでした。慌てて家の中を探すもどこにもいません。大声で影の名前を叫んでみるも、影からの返事は一言もありませんでした。
魔女の少女は、影をなくしたのです。いつも傍にいてくれた影をなくした彼女の心には、ぽっかりと大きな穴が開きました。途端に悲しくなった彼女は、その場に泣き崩れてしまいました。大粒の涙を、その白い頬に流しながら大声で泣く彼女の透き通るような声は、森の中に響き渡りました。
その声に、彼女のことが心配になった森の動物たちが家の窓から覗いています。彼らはしゃべることはできないけれど、彼女とは友達でした。心の中で、大丈夫?と言葉をかけるも、その言葉は彼女の耳には届きません。
もう、どれだけの時間泣いたことでしょう。泣き止んだ彼女の目は真っ赤になっていました。
少し垂れた鼻水を拭き、一枚のタオルを持った彼女は家を出ました。
彼女の向かった先は小川でした。
小川の澄んだ水で顔を洗うと、真っ赤だった目も、元の吸い込まれるような青い瞳に戻っていました。
一息ついた彼女の顔には、寂しさと不安が溢れています。
彼女が家に帰ろうとして振り向くと、目の前の木に、森で一番の長寿を誇る賢者のフクロウが降りてきました。
「賢者さま………。」
彼女が低いトーンの声でそう呟くと、賢者のフクロウは彼女の頭の中に直接語りかけてきました。
―アニエスよ。君の影がなくなったのは、おそらくこの国の王様の所為であろう。昨夜君の家にも兵士が侵入し、影を連れ去っていったのだ。どういう訳かは儂にもわからないが、国中で影狩りが行われているらしい。もうこの国には影を持つ者は、城の人間を除いては、もう誰もおらんじゃろう―
その言葉にアニエスは、また涙を流しました。しかしさっきとは違い、頬に一筋の涙を一度流しただけでした。
「ありがとう賢者さま。アルベールは消えたわけじゃないんだね。」
涙を袖で拭うと、アニエスは賢者のフクロウに笑顔を見せました。満面の笑みではなかったけれど、今はこれが彼女の精一杯の笑顔でした。
―これからアニエスはどうするんじゃね?―
「ボクはアルベールを取り戻しに行くよ。どんなことをしてでも彼を取り戻すんだ。」
―そういうと思ったよ。だが気を付けるんじゃ。君が街にいたころよりも大分世界はかわっておる。時代の移り変わりは恐ろしいもんじゃて―
それだけを言うと、賢者のフクロウは笑いながらどこかへと飛び去って行きました。
アニエスはそれを見届けると、自分の家に戻ってゆきました。そして、黒いローブを羽織り、年期の入った箒を手に持ちました。
「よし、行く…かな。」
深呼吸した彼女は箒にまたがると、力を込めました。
するとアニエスの体はゆっくりと宙に浮いて、彼女の足が地面から離れました。そして、アニエスの身長以上の高さまで浮かび上がり、もう飛び立とうとする時でした。
急にその箒は力をなくして地面に落ち、アニエスの体も地面へと叩きつけられました。
あまりの痛さに涙を浮かべるも、彼女は諦めずに箒へとまたがります。
「体、痛い…な。」
しかし、今度はさっきのように宙に浮くことは無かったのです。
「久しぶりすぎて感覚がつかめないや…。もういいや、歩いて行こう…。まっててね、アルベール。」
一度家に戻り、持っていた箒を、今度は長い木でできた杖に持ち変えると、それを背中に背負い、街の方へと薄暗い森を歩いて行きました。
王様が大きな部屋の大きな扉を開けると、明かりがついているにもかかわらず、部屋の中は真っ暗でした。
真っ暗というよりは真っ黒と言った方が正しいでしょう。
なぜなら、この部屋の中には、国中から集めてきた影が置いてあるからなのです。
王様は部屋の中を歩きまわり、影を手にとっては、自分の影と見比べ、ほくそ笑んだり、喜んだり、驚いたりと、様々な表情を見せました。
部屋の奥にはもう一つ小さな扉がありました。
王様はその扉を開けると中に入りました。
その扉の先の部屋の中には、王様が特に気に入った影がきれいに並べてありました。
角の生えた人間の影や、尻尾の生えた人間の影、さらには腕が4本も生えている奇妙な影までありました。
しかし、その中でも、特に王様が気に入っている影は、ガラスでできたケースに入れられて部屋の中央に飾ってありました。
その影は、歩いて、喋る世にも珍しい影でした。
そう、アルベールです。
王様はその影を飽きずにずっと見ていました。
その影も、ひたすらにガラスのケースの内側から精一杯叫ぶも、ケースの外の王様の耳には何も届きはしません。
日が暮れるまでその影を眺めていた王様は、夕食の時間だと言って、その部屋を出てゆきました。
取り残されたアルベールは、周りを見渡しました。
ためしにアルベールは他の影に喋りかけてみるも、他の影たちはアルベールのように魔法が掛けられてはいないので、その声に反応を示すことはありませんでした。
そんなことは分かっていました。それでもアルベールが他の影に喋りかけていたのは、その寂しさを紛らわせるためです。
「アニエス……会いたいよ。」
苦笑いをした後、さみしい表情をしたアルベールは一言、そう呟くと、ガラスケースにもたれかかるように座り込みました。
☆一晩かけて森を抜けだしたアニエスは、森の近くの町まで来ていました。
町はたくさんの人々で賑わっています。
アニエスの格好に、初めは好奇の眼差しで彼女を見る人々も、次第に彼女のその格好に慣れてゆきました。町には様々な格好の人々がいるのです。
久しぶりにこんなにもたくさんの人を見て、人に見られたアニエスは、怖くなって目を逸らし、つい下を向いてしまいます。
するとアニエスは驚きました。待ちゆく人々の誰もが影を持っていませんでした。
それでも人々は平然と毎日変わらない生活をしています。
「ねぇ、みんな、影…ないよ?」
アニエスは、果物を売っている店の前に来ると、そこのおばさんに恐る恐る話しかけてみました。すると、そのおばさんは首を傾げました。
「何言ってんだい、アンタもじゃないか。」
「え…?」
アニエスは自分の足元を見てハッとしました。
「そ、そうだけど…。どうして影なくなっちゃたの?」
「なんでって、そりゃあアンタ、王様が影を欲しがったからだよ。この国の国民である以上は王様の命令には逆らえないしね。それに影なんて無くてもなにも困ることはありゃあしないだろう?」
その言葉にアニエスは驚きました。
でも、よく考えると自分以外の人の影は、喋ることもないし、自分で考えて動くこともない。だから影がなくたって何も困ることは無いのだ。
おばさんにお礼を言うと、リンゴを一つ買ってアニエスは、お城を目指すためにその町を出ました。
町を出たアニエスは、お城がある街の方角を目指して平原を歩いていました。
少し歩いて疲れたアニエスは、平原にぽつんと立っている木の根元で休むことにしました。さすがに強欲な王様も、建物や樹木の影まではとってゆきませんでした。
なのでアニエスは、その木陰で体を休めることにしました。
水を口に含み、のどを潤すと、アニエスは空を見上げました。
青い青い空でした。
彼女の瞳のように、どこまでも蒼く深く吸い込まれるような清々しい晴れ空です。
浮かぶ雲も、採りたての綿毛のように白く、地平線の彼方まで巨大にそびえたつように浮かんでいました。
ついついアニエスは、そんな空に目を奪われて見入っていました。
「何十年ぶりだろう、こんなに綺麗な青い空を見たのは。外の世界もいいものなんだね。忘れていたよ。」
大きく息を吸うと、汚れのない澄んだ空気が、彼女の鼻から、口から肺を満たして体の中を浄化してゆき、彼女の心の中の靄も晴れていったような気がしました。
瞳を閉じて風の音を聞く。
自然と、アニエスの口角が少しだけあがって、彼女は微笑みました。
十分に自然を感じたアニエスが目を開けると、そこには一匹の猫が居ました。
黄色い目の黒猫が居ました。
その黒猫はじっとアニエスを見ていました。
「こ…こんにちは?って通じるわけないっか。」
すると、黒猫はアニエスの方へと近寄ってきました。
「こんにちは、お嬢ちゃん。どうしてこんにゃところにいるんだい?」
「え!えええ!?猫が喋った!?」
急な事に驚きを隠せないアニエスでした。そんな彼女に黒猫は呆れた表情をしました。
「何を驚いているんだい。君から喋りかけてきたんじゃにゃいか。」
「そ、そうだけど!本当にしゃべるとは思わなくて!でも、どうして黒猫さんは喋ることができるの?」
「ふふ…。詳しく話すと長くにゃるんだけども、これでも昔は魔法使いだったにょさ。」
「へー、でもこんなに簡単に正体を明かしちゃってもいいの?この世界では魔法使いは異端な存在で、ばれたら迫害されちゃうんだよ?」
「君だって魔法使いだろうが。だからこんにゃにも簡単に言ったのさ。」
「ええ!?なんでボクが魔法使いだってばれてるの!?」
アニエスはとても驚いてその身をたじろかせました。
「にゃんでって、その大きな杖と、キミの体から少しだけども魔力が漏れてるからだよ。元が高度のな魔法使いだと、自然と見えるのさ。」
「そういうことだったのか…。」
「見たところキミも結構な腕の魔法使いにゃのに、そういうことは何も知らにゃいんだね。」
「だってボクは何十年も前に迫害されて深い森の奥に住んでいたから、他の魔法使いになんて出会ったことがないんだ。黒猫さんが初めてだよ。」
そのことを思い出してか、アニエスの表情が少し曇りました。
「ごめんね、悪いことを聞いちゃったようだね。」
「いいの、今は気にしてないから。」
「そっか、じゃあもう行くよ。またどこかで会えることがあるといいね。」
「うん、どこかで。」
アニエスが笑顔で手を振ると、黒猫もそれに応えるように、長い尻尾を振りました。
「あっ!黒猫さん!ちょっと待って!」
「どうしたんだい?」
黒猫はその場で立ち止まって、彼女の方を振り向きました。
アニエスが黒猫を止めた理由は、黒猫の足元にありました。
黒猫には、ある筈のないの影がしっかりと付いていたのです。
「黒猫さん、その影…どうしたの?今はみんな王様に影をとられちゃったんじゃないの?」
「ああ、これかい?東の谷の影職人たちが住んでいる村に行って、新しい影を作ってもらったんだよ。影がにゃいままじゃあかっこ悪いからね。」
黒猫は笑いながら尻尾で自分の影を指してそう言いました。
「影職人………。」
「どうしたの?キミも影を作りたくにゃってきたのかい?なんなら、その村まで案内してあげようか?」
ほんの一瞬だけアニエスは迷いました。しかしアルベールのことが頭に浮かぶと、その迷いは一瞬にして絶ち消えたのです。
「いや、いいよ。ありがとう。ボクにはあの影しかないんだ。」
「そうか、キミはよっぽどその影に愛着があるんだね。もしも王様から影を取り戻すことができたら、いままでみたいに大切にしてあげるんだよ。」
「うん。取り戻せたら…ね。」
「いや、キミならやれるさ。頑張ってね。」
「うん、ありがとう。」
それだけ言うと黒猫は、足早にその場を立ち去りました。アニエスは、草原に寝ころんで地平線の彼方まで黒猫が消えるのを見届けると、仰向けになり、空をみてアルベールのことを考えました。
まだ離れて二日しか経ってはいないけれど、アニエスは何年も離れ離れになっている恋人同士のように心の中をアルベールのことで満たしました。
昼ごろになると、アニエスの体も大分休まったようで、彼女は立ち上がり、また、お城のある街へと歩みを進めました。
次の日になってアニエスは、お城のある街へと到着しました。
その街の人々も、やはり他の町の人々と同様に影を持ってはいませんでした。
唯一の例外として城に努める兵士たちの足元には影がありました。
「やっぱり兵隊さんは影を持ってるのか…。」
そう呟くと、アニエスは街の中央にそびえ立つお城へ向かって走っていきました。
お城の大きな門の前には、当然のことながら兵士が立っていました。
アニエスは、その兵士の一人に、お城の中に入りたいと申し出ました。しかし、これまた当然のことながら、謁見の許可のないものは通せないと、追い返されてしまいました。
アニエスは悩みました。どうしたらお城に入れるのかと。
考えながら大きなお城の周りを一周してみました。
でも残念なことに、見つけた入口はすべて正面の門と同じように門番が立っていました。
「どうしよう…。これじゃあアルベールを取り戻せないよ…。」
途方に暮れたアニエスは城壁にもたれかかるように座り込みました。
「何を悩んでいるんだい?」
突然声が聞こえてきました。
「だ、誰?」
辺りを見渡してみても、そこにはアニエスしかいません。
「心配ににゃってきてみれば…。なんでこんにゃところで座っているんだい。」
「うわぁ!びっくりしたぁ!」
座り込んでいるアニエスの膝に、突然、黒猫が現れました。
「き、昨日の黒猫さん?」
「そうだよ。でもどうしたんだい?こんにゃところで。」
「どうしたって…。お城に入れなくて困ってるんだよ。入口には兵隊さんがいるし…。」
「ん?キミは不可視の魔法が使えないのかい?キミくらいの魔法使いならつかえるとおもったんだけどね。」
「不可視………。」
アニエスは少し考えました。自分の使える魔法を。
「あ、そういえば。」
「思い出したかい?」
「でも……。もう何十年も使ってないから使えるかどうか……。」
「大丈夫、キミなら使えるさ。ほら、やってみなよ。」
「うん…。」
頭の中で不可視の魔法を思い出しながら少しずつ魔力を解放してゆくと、徐々にアニエスの体は辺りの景色に溶け込んでゆき、次第に見えなくなりました。
「出来るじゃないか。」
「ホントだ!できた!」
透明になった自分の手を見て、アニエスも喜びました。
「さ、お友達を助けておいで。」
「うん、ありがとう黒猫さん!って、あれ?」
そこにはもう黒猫の姿はありませんでした。黒猫もまた姿を消して、その場を立ち去って行ったのです。
アニエスは自分の姿が消えていることを再び確認すると、お城の正面の門へと行きました。
相も変わらず二人の兵士が門番として立っていました。
その二人の間を息を殺してアニエスは忍び足で抜けていきました。
気を抜いたら魔法が解けて見つかってしまう。そんな恐怖に怯えながらも城内への侵入に成功したアニエスは、取りあえず城の中をぐるりと見渡しました。
正面には大きな階段があったり、左右対称に大きな扉があったりしましたが、普段、観光などにお城を解放していないからか、案内の表示などは一切ありません。
迷った末、アニエスはとりあえず右側の扉を開けてみることにしました。
アニエスの身長の何倍もある扉を力いっぱいに押すと、意外にも簡単にその扉は開きました。
中に入ると、部屋は真っ暗でした。それに人の気配は全くしません。扉を閉めたアニエスは、取りあえず明かりを探しました。
しかしそれらしいものは見つかりません。仕方ないので、アニエスは、魔法で明かりをつけることにしました。
「ハイ・ライティング!」
そう杖を構えてアニエスが言うと、杖の先がまばゆく光って部屋全体を明るく照らしました。
「うわぁ!びっくりした!」
明かりに照らされた部屋に驚き、アニエスは尻もちをついて転んでしまいました。
部屋には奇妙なものがたくさん飾ってありました。
どこで見つけてきたのか分からない変わった形の大きな石があったり、たくさんのミイラが壁に立て掛けてあったり、様々な奇病の標本が飾ってあったり、果ては現在では狩猟禁止になっている巨大なドラゴンの頭部の剥製までありました。
落ち着いたアニエスは、部屋の隅々まで探しましたが、アルベールどころか影の一つも見つかりませんでした。
諦めたアニエスはその部屋を出ました。
他の部屋の扉も開け、一部屋ずつ調べていきましたが、その中には、いままで見たこともない変わった物があるだけで、アルベールは見つかりませんでした。
最後の一部屋は王の間の横にありました。
アニエスが恐る恐る部屋の中を覗くと、だだっ広い部屋の中央にある金や宝石をふんだんに使った豪華な椅子に、小太りな王様が座っていました。
どうやって入ろうか考えながら王様見ていると、王様の首は上下に動いていました。
どうやら何もすることのない退屈な王様は、居眠りをしていたようです。
アニエスはこのチャンスを逃しませんでした。
王様を起こさないように、細心の注意を払いながら部屋の中に侵入しました。常に王様を気にしながら奥の扉まで行くと扉に手をかけました。
その扉は今までの扉とは違ってカギがかかっていて開きませんでした。
そのカギは王様の腰に掛けてあります。しかしアニエスには鍵なんて必要ありませんでした。もちろん魔法で開けます。
「アンロック…」
ぼそりとそう呟くと、甲高い大きな音で扉の鍵は開錠されました。
「ひゃっ!こ…こんなにも大きな音がするとは思わなかった…。」
思わず大きな声を出してしまったアニエスはゆっくりと後ろを向いて王様を見ました。
しかし、王様は今の音でも起きておらず、まだ眠っているままでした。
ほっと胸をなでおろしたアニエスはそーっと扉を開け中に入りました。
中に入って扉を閉めると、他の部屋と同じように明かりをつけます。
「あ、あれ?」
明かりを灯しても部屋の中は暗いままでした。というより黒いままでした。
そう、影たちが飾ってある部屋です。
「真っ黒だ…。」
不思議な光景です。光はドアとアニエスのみを照らして、あとはすべて影たちに吸収されていって漆黒でした。
「どこだろう…アルベールは。」
とりあえず部屋の中を見回すも、それらしい影は見当たりません。
「アルベール!アルベール!どこなのー!」
叫んでみるも、返事どころか物音ひとつとしてしませんでした。
「どこ…。アルベール…。」
アニエスの目にはうっすらと涙が滲んでいました。
目から零れ落ちる涙を袖で拭いとると、アニエスの視界に入口とは違うドアが見えました。
「あのドアは…?」
そのドアに近づいて行って扉を開けると、さっきまでとは打って変わってキレイな部屋でした。白を基調とした壁に変わった形の影が張り付けられています。
「アニエス!!」
その叫び声は聞きなれた声でした。その声のする方を目の色を変えて振り向くと、ガラスケースの中からアニエスを呼ぶアルベールが居ました。
アニエスは急いでアルベールのもとに向かって再会を喜びました。
お互い手を合わせようとするも、そこにはわずか5センチの隔たりがありました。
「待っててねアルベール、今このガラスを壊すから…」
「気を付けてねアニエス。」
アルベールはガラスから遠ざかり、アニエスは杖を構えました。
その時入口の方から靴の足音が聞こえてきました。
「そこまでだ。小娘。」
「アニエス!」
アニエスが振り返ると、そこには王様が立っていました。
「わしの大切なコレクションに手を出す出ない。」
「コレクション?コレクションだって?アルベールは私の大切な家族だよ!物扱いしないで!」
王様が微かに笑いました。
「ほう、その影はお前の物か。だが今はわしの物だ。」
「なんでアンタは人の物を取るんだ!」
「それはわしがこの国の王だからじゃ。王様は国で一番偉い。だから国民の所有物はすべて王様の物じゃ。だから、わしが欲しいものをわしが手にして何が悪い!」
「そんな…理由で。そんな理由でアルベールをさらって行ったのか!王様だからってそんな横暴が許されるわけがないだろ!影も…他の物も、みんなみんなその人の物に決まっているじゃないか!返せよ!」
「いやじゃ!これはわしが集めたものなのじゃ!全部全部わしの物なのじゃ!絶対に手放したりはせんぞ!」 その言葉を聞いたアニエスは王様に向かって杖を構えました。
「そんなに影が好きなら自分が影になればいいよ……。」
「やめるんだアニエス!!」
アルベールはアニエスにそう叫びましたが彼女の耳にその言葉は聞えていませんでした。
「やめろ……わしに近づくな……。やめろ、やめろおおおおおお!」
アニエスが呪文を王様に向けて放つと、王様の体は影になってしまいました。アルベールとは違い人格も感情もないただの影になりました。
アニエスは王様を影に変えると、何とも言えない複雑な表情のままアルベールの入っているケースを壊しました。
「助けてくれてありがとうアニエス、でもどうするのさ、王様を影に変えたりなんかして」
「そうだね……。」
「もう、普段から感情だけで行動するのはやめろって言ってるのに。このことが国の人たちに知れたら大騒ぎだね。」
「うん…。」
周りを見渡すと、アニエスは王様の影を見ました。
「どうするの?」
「うん…」
アニエスはその影に杖を構えて呪文を放つと、影は王様の形になりました。
「あ!」
「うん…。あとはこうして…。」
さらに今作った王様と、さっき影にした王様をくっつけました。
「ね?これで大丈夫だと思うんだけど…。」
「思うって…。」
「簡単な動きもできるようにしたし。」
そういうと、その王様の形をしたものは、ひとりでに歩いて行って王の玉座へと座りました。
「ね?」
「ね?って。」
「ほら、行こう?」
アニエスはアルベールの手を引いてまた不可視の呪文を使い透明になると、一緒に城を出ました。
「変に勘ぐられないといいけどね。」
「まぁ。」
二人で杖に乗ると東の空へ飛びました。
「あれ?家のある方向と違くない?」
「ちょっと最後にやる事があるんだ。」
その後、アニエスは東の谷の影職人たちの街へ行き、仕事を依頼しました。城に行き。国中の人々の影を戻してやってくれ、と。すると影職人たちは久しぶりの仕事だと喜び、街の方へ行き、数か月かけて国民すべての影を元の体に戻しました。
「やっぱり来ると思ってたよ。」
アニエスたちがこの職人の街に来たとき、物陰で一匹の猫がそっとそう呟きました。
「ねぇ、最近、王様がおとなしくなったと思わない?」
「そう?」
「そうだよ。無茶な命令とかもしてないみたいだし。人が変わったっていうかさ。」
「ふーん。でも私達には関係ないじゃん?一般市民なわけだし。」
「ま、そうか。行こ?」
「うん。」
王様の城下町では時折こんなうわさが聞こえていました。
でも、西の森の奥の小屋に戻り、アルベールと二人、元の静かな生活を送っていたアニエスの耳には届いていませんでしたとさ。
お わ り