二十話「責任」
これほどまでに時の刻みを長く感じたことはあっただろうか?
濡れた衣服を着替えはしたが、未だに全速力で駆け抜けさせられた自分の体は熱を持ち、息も完全には整っていないことがわかる。
レイナがランのそばに居ること、そして自宅に到着したこともあり思考を巡らせるだけの落ち着きは取り戻せたようであるが、それでもいつもの冷静な判断は今現在出来る自信はない。
何をやるでもなく・・・・・・いや、何も出来ない状況で、ただあぐらで地べたに座り込みジッと下に位置する畳の目を見つめる。
(くそ・・・・・・まだか?)
自分が呼ばれる時を刻一刻とただただ大人しく待機する時間。自分の部屋を半ば追い出された形で後にし、一階の居間で待機を始めまだ5分と経っていないが、今の守にはすでにそれ以上の長い時を過ごしたような感覚に襲われていた。
チクタクチクタクと、時計が一定の間隔を保った機械音だけが耳に入り込んでくる。いつもならば何事も感じることのないこの音も、今は自分を焦らすような不快な音楽へと変化している気さえする。
……どれくらいの時間が過ぎたであろうか? ようやく待ちわびた言葉が家へとこだました。
「守くーん!来ていいよー!」
気持ち控えめのような音量でレイナの自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「守くーん!来・・・・・・」と、レイナが全てを言い切る前にすでに守の体は立ち上がり、足を動かしていた。
勢いよく部屋へと続く階段を駆け上り、五月蠅く扉をこじ開けた。
と、それと同時にレイナが人差し指一本だけを立て、口元へと当てている姿が瞳に映る。
「シッ!チビ今、気失ってるのかわからないけど寝てるからさ。」
ならあなたが俺を呼んだ時はどうなんだ? と、突っ込む場面であったがそんなことを今は考えられる状態ではなかった。
「・・・・・・」
無言で頷き、毛布で体を隠し顔だけが確認出来るベットで横たわっているランへと忍び足で駆け寄ってみる。
濡れた髪もレイナが拭いてくれたのか、そこにはまるで風呂上がりのようなランの姿があった。
荒々しい息遣いはそのままで、頬を朱色にし辛そうに目を閉じている。
「大丈夫だよ。」
座りもせず、立ち惚けたままの守を見かねたレイナが一言声をかけてくる。
どこが大丈夫なんだ? これのどこが? 適当なこと言うんじゃねーよ。そう言いかけてしまったがレイナを攻めるのはまさにお門違いである。そう、この事態を招いてしまった原因は誰でもない…まさに守自身が招いたことなのだから…。
一瞬だけレイナに対し睨みつけるような瞳で顔を向けてしまい、すぐさま顔面を背ける。
それを見つけたレイナは、何故か一度困ったような難しい表情を作ったがすぐさまいつもの笑みを含めた表情へと戻っていった。
「んじゃ、私チビの服片付けて来るよー。」
小さな声でそう一言言うと、さっさと濡れた衣服を抱え込み下の階へと降りて行ってしまった。
またも静寂に包まれた空間が完成された。
そっとランの額へと自分の手のひらを優しくあててみると、人間はここまで熱を持てるのだろうか? と、疑問が出てしまうほどの高熱が伝わってくる。
出来ることならばどうにかしてやりたい、出来ることならば自分が立場を代わってやりたい・・・・・・そう脳裏に走るが、そんなことが出来るはずがない。
半時ほどの時が流れ、椅子に腰を降ろしはしたが、今も守はランの横たわるベットの横でジッとその姿を見つめていた。
そして、それと同時に廻らせる一つの考え・・・・・・。
『自分はランをどうしたいのだろう?』・・・・・・いや、『自分はランにどうして欲しいのだろう?』と、いう一つの思い。
ランが好きだ。それは自分でも理解している。だが、相手が自分と同じ気持ちであるとは限らない。
それを勝手にランも自分と同じ気持ちなのだと決めつけ、勝手に憤怒し、勝手に相手と距離をとった。
(最低だな・・・・・・)
まったく、このときほど自分の愚かさを痛感したことは無かった。
(俺は・・・・・・ランにどうして欲しいんだ・・・・・・?)
もちろん、本音を言うと『自分に好意を抱いていて欲しい』だが、果たしてそんなことがありえるのだろうか?
自分とランの立場はあくまでも『殺される者、殺す者』である。それ以外の何者でもない。
そんな両者の間に好意と呼ばれるものが生まれるだろうか?
(普通に考えて、ありえないよな・・・・・・)
そう、『ありえない』のである。
だが、判っていても認めたくはない。
頭では判っていても、心では認めていない・・・・・・そんな矛盾した葛藤が無限に続いていた。
と、ここで静かだった部屋に自分の名前を呼ぶ声が小さく響いた。
「守君、ちょっといいかな?」
部屋の扉へと目を向けると、そこには普段は見せないような真面目な表情で自分を手招いているレイナの姿があった。