十四話「正体」
自分の椅子に尻をつき、本日一つめの眠気を猛烈に誘う数学の授業が開始された。担当の教師は黒板に正面を向け、文系の者には黒魔法の古代文章にも見えてくる数式を、腕と口同時に器用に動かしながら書きつづっている。
が、今の守にはそんな教師の意欲的な姿は目に入らず、また、必死に生徒に理解させようとさせているであろう数式の説明も右から左へと耳を通り抜けてしまっていた。
目線を机の上のノートへと向け、片手でペンを回しながら一人孤独に考え込んでいた。
(なんなんだ・・・あの子は・・・)
そう、今朝屋上で会話を交わした女性のことである。
(ランの正体を知っている・・・?何故・・・?)
本日何度目の問であろうか?さすがに今さっきのあの僅かな会話のやりとりでは、この問題の答えの欠片も見つかりそうにない。
一度大きく下に位置する自分の数学教科書へとため息を放ち、ふとランの座っている方向へと目を向ける。
ランは朝、まるで何処かのアニメの新入生のような表情で遅刻ギリギリに教室に飛び込んで来た。そのため、守と会話を交わす時間の猶予などあるはずもなく、教室のドアの前で一度守を睨んだだけであった。
今となってはその表情も落ち着きを取り戻しているように見え、いつもの無表情で教師に目線を合わせている。
(・・・そうだ・・・何他人の心配してるんだ・・・俺。他人には干渉せず、そして干渉されずが一番だ)
ランを見た瞬間昨日の感情がこみ上げてしまった。
そしていつものように自分の腕を枕代わりにし、机に顔を伏せ夢の世界へと入ろうとする。
(・・・・・・・・・・)
が、眠れなかった。
今朝の女性のランとの関係が守の脳裏に張り付いてしまい、睡眠を妨げる疑問となっている。
(・・・・後で加治に聞いてみるか・・・あいつなら顔のいい女のことは調べているはずだ・・・)
机へと伏せていた顔を一度ノロノロと上げ、再度ランの方向へと目線をやる。
(・・・・・・・・)
またもランのことが脳内の引き出しから出し入れされている自分に気がつき、複雑な感情がこみ上げた。
数学教師は時間を計っていたかのように正確にチャイムと同時に授業を終了させ、小休憩時間に入る。
それと同時に隣で机に顔を伏せている加治の体へと手の平をあて、左右に大きく揺さぶりをかけてみた。
「加治・・・加治!」
「う・・・・ん・・・・?」
「ちょっと聞きたいことがある。起きてくれ。」
「後にしてくれぇ。眠い・・・」
「いいから起きろ。」
そう言い加治の体を左右へとさらに激しくユサユサと揺さぶる。
「うぅぅ・・・ん・・・」
が、中々起きない。
そうしている間にランが守の席へといつの間にやらやってきていた。
「守。今日は何故一人で行った?起きたらお前が居なくて少々焦ったのだが。」
「・・・・・・・・・」
昨日あのようなことが起きたとは思えないいつもの口調、そして感情を表に出さない表情で話しかけて来るラン。
その口調、そして表情から再度昨日の理解不能の感情がこみ上げて来てしまった。
「悪いな。今こいつ(加治)に話あるんだわ。どっか行ってくれ。」
ランに顔を振り向けることもなく加治の方向に目線を向けたまま、少々乱暴に答える。
その言葉に、相手が何かに憤怒していることを確信し、問いかけることにしたラン。
「・・・何を怒っているんだ?」
守が何に怒っているのかわからないランにとっては当然の疑問の問である。
しかし、これがさらに守の不安定な感情を逆撫でしてしまう。
「・・・加治!起きろ加治!」
ランの言葉を無視し、停止していた腕を再度動かし、加治の体を左右に揺さぶる。
「あぁぁぁ・・・わかったよ!起きるよ!」
ようやく加治が目を覚まし、両腕を高々と上げ大きなアクビをする。
「んで、話って何だ?」
目を擦りながら守の顔面をまじまじと見つめて来た。
「ここではなんだから・・・廊下で話そう。」
ランを知っている者の話を本人に聞かれるのはマズイかもしれないと思った守は、移動を要求した。
「へいへい。んじゃ、行きますか。」
席をゆっくりと立ち上がり、廊下へ向かおうとする二人。
「ちょっと待て守。私の話がまだ終わってないぞ?」
これをランが止めに入った。
が、守はまたも威圧的に返事を返す。
「どっか行ってくれって言ったろ?こいつと話すことがあるんだ。じゃあな」
これを聞きランは教室に一人取り残された。守から『近づくな』という無言のオーラを感じ取ったのか、それ以上追っては来なかった。
一連の動作を見ていた加治は不思議そうに守に話しかける。
「なんだお前ら・・・何かあったのか?」
「いや・・・何も無いよ。いつもこんな感じだ。」
いつもの態度と違う守にこれ以上話すのはいささか気が引けると考え、加治はこの話を深く探索しては来なかった。
「んで、話ってなによ?」
廊下に移動し、二人で窓際に体を預ける。
多数の生徒が自分たちを横切っているが、別に聞き耳を立てている奴もいないであろうと考え内容を話し始めることにした。無意識に音量はセーブしていたが・・・。
「ここの生徒についてな・・・ちょっと聞きたいことがあるんだ。」
「ほほう。」
「身長は俺より少し高い170前後、長い黒髪につり上がった目の女なんだが・・・」
「その条件だと三人心当たりあるな。他に特徴は?」
「うーん・・・ああ、そうだ。常に人を馬鹿にしたような態度だったな。」
「ああ。それだと一人しか居ないわ。」
「出来れば聞かせてくれ。」
「いいけど・・・何?恋!?君にはランちゃんと言うものがありながらさらに高みを目指そうと言うのですか!?」
「そういったこととは断じて違う!!」
「あらそう。つまらない男ね。」
「・・・・殴っていいか?」
そう言い拳を前に出し、息をハァっと吹き付ける真似事をしてみる。
「はいはい。わかったわかった。俺が知ってることだけ教えてやるよ。」
「もうそろそろ次の授業も始まるから早めにな。」
「多分・・・そいつは俺らの一個下の音無 明菜だな。」
「一個下ってことは・・・一年か。」
「だな。音無は結構有名だぞ。大丈夫かお前?」
日頃から他人と関わることを極力避けている守にとって、今回のような学園の有名人などはまったくの無頓着であった。
「大丈夫。んで、他に情報は?」
「音無が他人と喋ったりしているところ見ないからな・・・あんま知ってること無いんだわ。ま、それでいて美人だから周りにはミステリアスに見えるのかもな。」
「そうか・・・」
「まぁあれだ。他人ととけ込めない社会不適合者・・・みたいな?(笑)」
そう加治が冗談を言うと、次の授業開始のチャイムが鳴り響いた。
それを聞き急ぎ足で教室へと戻る二人。
教室へ入ると、二人の会話が終わるのを待っていたのか、ランは主人を待つ番犬のような表情で未だに守の席の前で腕を組ながら立っていた。
が、さすがにチャイムが鳴ったと同時に、一度戻って来た守へと目線をやり睨みつけるも、名残惜しそうに自分の席へと戻っていった。
(一年・・・か、今日もう一度話してみる必要がありそうだな。)
今度の授業もまた、机に顔を向け考え込む守。
(昼休み・・・一年のクラスに行ってみるか・・・)
これ以上は考えても何もわかることが無さそうである。
一度ランの方向を無意識に見ると、またもモヤモヤとした感情がこみ上げ、机に顔を伏せると目を閉じてしまった。