十話「怒り」
「おまえが私を襲うかもしれない・・・と?」
自分が言えたくても口には出来なかった言葉が、相手から飛び出しまたも体が言うことを聞かなくなってしまった。
寒くもないのに氷河期のような寒気を肌全体にヒシヒシと伝わるような、そんな言葉にしにくい空間が包み込んでいる。
それでも何とか口だけは必死に上下に動かそうを試みた。
「いや・・・無いと思うけど・・・そういうことも有るかもしれないってことさ」
自分の持てる力を振り絞って言った一言にも、ランは何事もなかったかのように冷静沈着にすぐさま答えて来た。
「何だ、そんなことか?」
「いや・・・そんなことって・・・」
「ふぅ」と小さく息を漏らし、守から目線を放さずに続け様に言葉を放つラン。
「もしもお前が私と面識もなく襲ってきたのなら、間違いなく体が数個に分解されているところだが・・・・」
さらに一息つき口を動かす。
「だが、お前なら私はかまわぬのだぞ?」
思いもよらない言葉がランから発せられた!
この言葉にいつも冷製に物事を対処している守も頭がパニックになる。
瞳をいつもの1.5倍ほど見開き、驚きのあまり思考すらストップしてしまいそうだ。
と、言っても未だ体は上からつま先まで微動だに出来ないのだが・・・
「・・・・ランさん?な・・・何を?」
「言葉通りの意味だが?」
頭が混乱しつつも、守は嬉しかった。
ランが言う「行為」にではなく、ランが「自分なら良い」と言ってくれたことにである。なんだろうか、この初体験の感情は。
ここで初めて・・・守は自分がランのことを「異性として好きなのかもしれない」と言うことが脳裏に走った。
「・・・・・・・・・・・」
頭からつま先、そして唇までもが完全に凝固してしまった守。
時間にして約10秒だろうか・・・沈黙の妖精が部屋を支配する。
それに痺れを切らしたのか、終始無表情のランが声を上げた。
「お前・・・いつまでそこで突っ立っているのだ?」
子供が欲しい玩具をいつまでも凝視している姿を見るような目で守のことを見つめてくるラン。
「・・・・・・・・・・」
だが、未だ頭が混乱しており、その言葉に答えることが出来ない守。
「・・・私は先に寝るぞ?」
そう言うと、ゆっくりとベットに目線を向け体を預けようとするラン。
その瞬間、守は自分では意識していなかったが・・・いや、考える前に体が動いてしまったと言うべきか、ランの手首を乱暴に掴み取り、ベットに押し倒した体勢に持って行っていた。
ランに覆い被さる形になる二人。それでも二人の体と体の間には空間が出来ており、見つめ合う体位になっている。
嫌でも目に飛び込んでくる自分の下に位置する少女の透き通るような肌、そして大きめの青い瞳。
それでも少女の表情はピクリともせず、普段と何も変わらない。
自分でも・・・何をやっているんだ!?と、思ってしまう守。
しかし・・・それと比例してわき上がってくる気持ち・・・
ランが欲しい・・・体も・・・そして心も。
自分が唯一心を許せる存在、そして好意を持てる存在・・・。
その人が自分を求めてくれている・・・これほど嬉しいことが存在するであろうか?
だが・・・ここに来て守の錯乱していた頭がようやく落ち着きを取り戻す。
「あ・・・ご・・・ごめん!」
そう言うも未だランの手首を強く握りしめ、ベットに押しつけた状態を維持してしまっている。
「かまわぬ。」
その言動にさらに喜びを感じてしまう守。
ランの表情も無表情に近いがいつもとは少し・・・ほんの少し変わっていたように感じた。
それも守の勘違いであるかもしれないが・・・今の高揚している自分にはそう感じてしまう、見えてしまう。
ああ・・・これが異性を好きになると言うことなんだろうな・・・と、心から思う。
不覚にも、自分が生きてきた路線上で、始めて感じるこの感情に少しの間浸ってしまっていた。
だが・・・次にランの口から予想もしていない言葉が飛び出してきた・・・。
それは今の守の高ぶった感情、そして思考を完全に破壊する一言・・・。
何もかもが崩れてしまいそうな・・・そんな瞬間でもあった・・・。
「・・・3つ目の願いはこれで良いのだな?」
この言葉を聞き、守の中で何かが崩壊していった。自分でもわかる、言葉では表せない「何か」が崩れ落ちる瞬間。
そう・・・ランは「自分だから良い」のではなく、「願いを叶える自分の責任」のために一連の行動を取ったのでは無いだろうか?
いや、もしかしたら聞き間違いでは無いだろうか・・・そうも考えてしまった。
「違うのか・・・?」
だが、無情にも自分の勘違いでは無いことが、相手から直に肯定されてしまう結果となる。
何なのだろうか・・・この気持ちは・・・。
今まで思い描いていたことが全て覆されたような感覚。
憤怒、悲しみ、脱落感、いや・・・その全てが混ざったような、今まで感じたことのないこの感情・・・。
言葉では表せないモヤモヤとした嫌な思考が脳内をもの凄い速さでかけめくっているのがわかる。
全てを裏切られたような・・・そんな・・・。
違う・・・俺の好きなランは・・・こんなんじゃない・・・と、思ってしまった。
守は一気に冷静さを取り戻し、握りしめていたランの手首を開放すると、スッとその場に立ち上がった。
ランの体勢は未だベットに横たわっている形である。
「・・・・・寝ようか。」
立ったままそう一言だけ言葉を出す。
「・・・・・・?」
今の状況からいきなり態度が変わった守を頭を横にひねり見つめる。
仰向けになっていた体を起こし、またベットに腰をかけた状態に戻すラン。
先ほどのことがあったのか表情もいつもの無表情とは少し違っている。
「俺、居間で寝るからさ。ランはここ使っていいよ。」
普段と何も変わらない様子に戻った守の顔をジッと見つめるラン。
「・・・・なんだ?いきなりどうした?」
が・・・ランのその言葉に耳も傾けず、部屋を後にしようとする守。その足はすでに動き出していた。
部屋の扉の前にさしかかった所でランもベットから立ち上がり、守に近寄ろうとする。
「・・・・何?」
いつもの表情で一度後ろに振り返り、ランに問いかける。
「お前が居間で寝ると言うなら私もそうしよう。」
「来るんじゃねーよ!!」
普段の守からは絶対に聞くことの無いような暴力的な言葉が大音量で家へと響き渡る。
その音量からか、周りの空気が震えているようにも感じてしまう。
普段からは予想も出来ない守の言葉にランは体を一瞬ビクンとさせてしまった。
振り返った守の目は、光が感じられず・・・深い闇色だけが覆っていたように見えた。
「そういうことだから・・・」
そう言い残し、守の言葉に金縛りにあったようなランの姿に背を向け部屋を出て行った。