第1話 はじめてのおつかい
「お金が……ないですっ!」
ここは大小20の州から成る、広大なイルシオン王国の王都・ロサ。
多種多様な人々や辻馬車が行き交う大通りで、その少女──シャルロットは大量の荷物を石畳に積み上げ、頭を抱えていた。
「路銀は確かに頂いたよ、毎度あり! 幸運を祈ってるよお嬢ちゃん!」
そう言って、最後の乗客だったシャルロットと荷物を豪快に降ろし、晴れ晴れとした笑顔で去って行った幌馬車のおじさんを見送ってから、もう30分が過ぎようとしていた。
「これからどうしようぅ……」
生まれ育った村から馬車で10日以上も掛かるこのロサの都に、シャルロットは『とある頼まれごと』を果たすため、やってきた。
お金がないとは言っても、別に物盗りにあったわけではない。
初めての一人旅だからと、村人が総出で手を尽くし、評判のいい長距離幌馬車を手配してくれたし、幌馬車の親父さんもこの道数十年というベテラン。途中、乗合で一緒になった他の乗客も皆人柄が良く、それはそれは快適な馬車旅だったのだが。
生まれて初めての村の外への旅、元来持っていた買い物好きの血が、煌びやかなアイテム達との出会いで大暴れした結果、路銀以外のお金を使い果たしてしまったのである。
休憩で立ち寄った町ごとに、嬉々として買い物をするシャルロットに不安を抱いた親父さんが止めてくれなければ、路銀も払うことができなかったかもしれない。
ちらり、と財布の中を覗く。
少女の一人旅にしては十分過ぎる程の金貨が入っていたはずなのに、そこにはもう数枚の銀貨が残されているだけだった。
村ではご馳走にありつける額だが、物価が違うこの王都では、恐らくパンとミルク代になればマシな方だろう。
シャルロットは、荷物の山の中から頑丈そうな革張りのトランクを引っ張り出すと、よいしょ、とそれに腰を下ろし、もう一度財布の中を覗きこんだ。
「宿代……にもならない、かなぁ……」
そう言うと、肩を落とし、がっくりとうな垂れた。
***
「おや?」
昼食後、休憩時間が終わるまで腹ごなしに町をぶらぶらしていたアリアスは、道の片隅で、無防備に大荷物を積み上げ、何やら思案している少女に目を留めた。
(──旅行者かな?それにしても無用心な)
いくら治安の良い王都とは言え、まだ年端もいかない少女が大荷物を抱えてぼーっとしていては、良からぬ輩の的になりやすいだろう。
自他共に認める女好き……いや、フェミニストであるアリアスとしては、そんな様子を見ては放っておけない。
行き交う馬車や人を器用に避けながら向かいの通りに渡ると、その少女、シャルロットに声を掛けた。
「こんにちは、お嬢さん。何かお困り事ですか?」
「ひゃっ!」
背後からふいに声を掛けられ驚いたシャルロットは、そう小さく呻くと、大きく目を見開きながら、恐る恐ると振り向いた。
歳の頃なら14~15歳、肩上でキレイに切り揃えられたプラチナブロンドの髪に、吸い込まれそうな澄んだ碧眼、『美少女』と言っても過言ではない容姿の少女であった。
(──これはこれは。2、3年後が楽しみな)
値踏みするつもりはなかったが、思わずそう思う。しかしそんなことはおくびにも出さず、笑顔で再度少女に話しかけた。
「こんな所で大荷物を抱えて一人で居ては危ないですよ。ご両親やお連れの方は?」
「あ、あの、一人旅なんです」
シャルロットはおずおずと答えると、そうだ、と小さく手を打って言葉を続けた。
「すみません、お城に行きたいのですが、どう行けばいいのでしょうか」
(──ああ、お城の新しい侍女かな)
町村の良家の子女が、侍女として城に奉公に出されるのは珍しい事ではない。
一人納得したアリアスは「この大通りを真っ直ぐ進むと城門が見えてきますよ」と言って指差した。
その先を背伸びしながら確認していたシャルロットは、密集した建物の隙間に、城の一角と思われる赤レンガ造りの尖った屋根を見つけると、勢いよくお辞儀して礼を言った。
「ありがとうございます!……とにかく、まずはお使いを終わらせなくちゃ」
後半は独り言なのか、そう言うといそいそと荷物をまとめ始めた。──とはいえ、到底一人で運べる量ではない。
アリアスはチラリと広場の時計台に目をやり、休憩時間がまだ少し残っているのを確認すると、シャルロットの荷物をひょいひょいと抱え「城まで送って差し上げます」とウインクした。
*
「ところで君はどこから来たんですか?」
城門までの道すがら、何の気なしにアリアスはそう尋ねた。
2人は先ほどの大通りを、大荷物を抱えぼちぼちと歩いている。
「クラベル村です。お花がたくさんで、とてもきれいな所なんですよ」
シャルロットは故郷を思い浮かべながら、満面の笑みでそう答えた。
「それは随分と遠いところから。ご両親と離れてのお城勤めは寂しいとは思いますが、何かあったらいつでも……」
将来有望な美少女と顔見知りになっておくのも悪くない。あわよくば連絡先を渡しておくつもりでそう言ったアリアスに、シャルロットは不思議そうな顔で尋ねた。
「お城勤め……ですか?」
「君はお城で働くために田舎から出てきたんじゃ?」
ふるふると首を横に振る。
「じゃあ一体何の用事があって……」
アリアスがそこまで言うと、シャルロットは、ああ、と言う顔をして
「王妃様にお会いするためにきました」とにこにこしながら答えた。
これにはアリアスが不思議そうな顔で返す。
「君は王妃様の知り合い?」
しかしこの問いにも、シャルロットはふるふると首を横に振った。
その様子に、アリアスの心に徐々に不安が広がり始める。
「じゃ、じゃあ紹介状は?」
「紹介……状?」
そこまで聞くとさすがに何かに気付いたのか、シャルロットも一気に青ざめて言った。
「も、もしかして、王妃様には簡単にはお会いできませんか!?」
アリアスは参った、という風に一度天を仰いだが、すぐにシャルロットの方に向きなおすと、諭すように言った。
「王や王妃は民にお優しい方とは聞きますが、さすがに紹介状もなく、どこの誰かもわからない旅行者ではお城に入ることすらできませんよ」
「ど、どうしよう……っ!」
どうしよう、はアリアスのセリフでもあった。
不安的中、とんでもない世間知らずのお嬢さんに当たってしまったようである。
とはいえこのまま放ってもおけない。
眉間に深い皺を寄せると、アリアスは状況を整理するために一度立ち止まった。
「つまり君は、王妃様にお会いする為だけに故郷から出てきたんですね?」
「はい、お渡ししたいものがあって」
今にも泣き出しそうな顔でシャルロットはそう答える。
「うーん……献上品なら城の者に頼めば、お渡しすることは可能かもしれないですが。
ただ、厳しいチェックは入るでしょうから、確実に届くとは言い切れません」
「そ、そうなんですか……」
ショックのあまりへなへなとその場に座り込んでしまったシャルロットを、アリアスは手を差し伸べながらしげしげと見つめた。
こんな少女が王妃に会うためだけに、何日も掛けて田舎から出てきたのには、それ相応の訳があるのだろう。この少女は一体何者なんだろうか。
そして、その腰に下がっている、3つに折りたたまれたロッドに目を留めると、少し驚いたように再び口を開いた。
「そのロッド、もしかして君は精霊士ですか?」
「あ、はい、一応……」
何故か自信なさげにそう答えるシャルロット。
精霊士であれば大したものだ。この世界の力の根源である精霊の力を借り、その力を具現化して術を行使する、いわゆる「魔法使い」である。
精霊士になるためには「素質」と、より上位の精霊士の下で「修練」が必要となるため、傭兵ほど数は多くはない。傭兵10人の中に、1人精霊士がいればいい方だろう。
──カラーン……カラーン。
そこまで話した時、町中に1時を告げる鐘の音が響き渡った。
アリアスはハッとして顔を上げる。
「しまった、昼休みが……とりあえず僕と一緒に来てください」
そう言うと、シャルロットの返事も聞かず、足早に歩き出した。
「は、はい!」
荷物を運んでもらっている以上、シャルロットには付いていくという選択肢しかない。慌てて残りの荷物を担ぐと、アリアスの後を小走りで追いかけていった。
アリアス=グレイ=ブラッドリー24才。
初めて女性に声を掛けたことを後悔した日であった。