表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

お姉様、妃選抜試験はもう始まっています ~箸を舐めた長さで国妃が決まってたまるか~

掲載日:2026/08/01

※中華「風」ファンタジーなので、細かいところは気になさらず読んでいただけると幸いです

(早く帰りたいなぁ…)


 珠蘭(ジュラン)は巨大な門を目の前にして、これから始める茶番への煩わしさから溜息をこぼした。


「これが宮廷…!! 私のあるべき場所…!!」


 そんな珠蘭(ジュラン)とは対照的に、義姉である藍藍(ランラン)は自分が妃になると疑わない自信に満ち溢れた表情をしていた。


 今日はこの国の妃選抜試験の一日目。

 今年から妃選抜制度が改正され、すべての年頃の女性に受験資格が与えられた。

 この宮廷には現在、国母になることを願う国中の若い女性たちが集結しているのである。 


 キラキラと目を輝かせる義姉を一瞥した珠蘭(ジュラン)は、さっさと用を済ませたい一心で端的に告げる。


「行きましょう、姉様」

「…ちょっと! あんたは私の引き立て役でしょう? 私より後ろを歩きなさい!」


 ふんっと鼻を鳴らした藍藍(ランラン)は、今日のために特注した高価な衣をふわりと翻し、颯爽と歩き始める。


(……分かっておりますとも)


 対して、珠蘭(ジュラン)の装いはいつも通りの平民服だ。

 不倫相手だった後妻とその娘である藍藍(ランラン)にのみ愛情をそそぐ父は、終ぞ珠蘭(ジュラン)のために服を新調してくれることはなかった。


 だがそんな扱いはいつものこと。 

 家族全員から存在しないもののように扱われ、使用人同然の日々を送る。

 気に食わぬことがあれば、都合のよい八つ当たりの対象にされる。


 でも今朝は、毎朝恒例である義母のイビリはまだマシな方だった。

 それも全て、愛娘である藍藍(ランラン)への愛情のため。

 珠蘭(ジュラン)を妃選抜に参加する藍藍(ランラン)の付き添いとして外に出す必要があったからだ。


(どうでもいいから早く終わってくれ)


 宮廷内に入って試験会場まで続く長い道のりを歩きながら、珠蘭(ジュラン)は帰宅したあとに行う予定の勉強の続きについてだけを考えていた。


 官女の試験に合格し、この家から出て堅実に暮らす。


 それが珠蘭(ジュラン)の夢だった。

 夫からの愛情を受けられずに孤独に亡くなった実母を見て育った珠蘭は、他人に期待せず一人で生計を立てられる職に就くことを願っていた。


 だから、こんな女の欲と策略、嫉妬が入り混じるような妃選抜などにはつゆほども興味がない。


 しかし、一応ここは宮廷だ。

 粗相のないように振る舞わなければ、あとで藍藍(ランラン)によって父へ報告されてしまうかもしれない。

 そうなったら、自由に勉強する時間まで奪われるほどに家でこき使われる日々が待ち受けるだろう。


 それだけは避けなければと、珠蘭(ジュラン)は気を張り直した。

 改めて立派な建物がいくつも点在する宮廷内を見回せば、数多の日常業務に励む文官や官女たち、妃選抜試験会場への案内を務める役人たち、それから自分たちと同じように試験に挑みに来た年頃の女性たちといった様々な人々が行きかっている。


 そんな雑多な光景の中、珠蘭(ジュラン)はある違和感を見逃さなかった。


 文官たちに紛れて、なぜか屋外で筆をとる数名の役人たち。

 彼らは全く別の仕事に勤しんでいるように見えて、その実、ぞろぞろと会場へ向かう自分たちの方へ頻繁に視線を向けている。


(あぁ、なるほど…)


 気分が高潮しているからか時折姿勢を崩しながら前を歩く藍藍(ランラン)の背中を見ながら、珠蘭(ジュラン)は心の中で独り言ちた。


(姉様、試験はもう始まっていますよ)






 選抜試験を始める前に試験官から説明があるとのことで、集まった受験生たちは2つの建物に分けて案内された。

 おそらくこの分類は、先ほどの評価によるものだ。ここに来るまでの歩き姿や振る舞いなどの評価で二分されたのだろう。


 案内された建物内にいる他の受験生を伺う限り、先ほどの道のりで大笑いしながら友人と歩いていた娘たちや、慣れない衣装に足を引っかけて躓いたような娘たちはこちらの建物にはいないようだ。

 そこから推察するに、珠蘭(ジュラン)たちのいるこの建物が、合格と判断された者が集められている場所だろう。


 ちらっと横にいる藍藍(ランラン)を見れば、彼女は前に並び始めた秀麗な顔をもつ試験官に目を取られていた。


(…ぎりぎり合格の水準は超えられたみたいだ)


 もうすでに評価が行われたとは全く知らない呑気な義姉に、果たしてこの先の試験も同様に突破できるのだろうかと懸念が高まる。

 もっとも、珠蘭としては早く試験を終えて帰りたいので、順調に突破してもらう必要はないのだが。


 ギィッと軋む音とともに建物の扉が閉まり、受験生全員の分類の終了が告げられた。

 そわそわとしていた娘たちの声が段々と小さくなって静寂が訪れると、一人の試験官が話し始めた。


「本日は、お集まりいただきありがとうございます。皆さまご存じの通り、我が国の妃選抜は、今年より新たな制度へと変革を遂げることになりました。妃選抜への参加資格は、出身や身分に関係なく、我が国に定住しているすべての女性に開かれることになっています。昨今における西側諸国や南側諸国との交易の活発化、平民階級出身の優秀な官吏の台頭。そうした時代の変化を読み取られた聡明な陛下によるご判断があってのことです」


 前置きの挨拶や事前に周知されている情報についての話が長々と続き、珠蘭があくびをかみ殺すのに必死になっていると、試験官は顔つきを変えて告げた。


「―――ですが、皆さまにお伝えしていなかったことが一つございます」


 建物内に騒めきが広がる。

 皆が落ち着くのを待ってから、試験官は続けた。


「参加資格の変更とともに、選抜試験の内容も一新することになりました」


 さらに大きな騒めきと動揺が広がった。

 皆、例年の試験内容を人づてに聞くなどして対策してきたのだろう。

 その努力が今、すべて水の泡となったのだから、動揺するのも無理はない。


 現に、隣の義姉も「…噓でしょ。あんなに勉強したのに…!」とわなわなと肩を震わせながら憤っている。


 そんな阿鼻叫喚のなかで、試験官はよく通る声をさらに響かせるようにして続ける。


「内容は公平性を保つため公開しないものとし、選抜の段階を経るごとにその都度試験の概要をお知らせいたします。現時点で新たな試験について一つだけ言えることは、他国の妃選抜方法を参考にし、我が国独自のものとして再構成したものだということです。つまり、これまでの試験内容とはまったく異なるものだとご承知おきください」


(他国の妃選抜方法……)


 諸外国との交易が活発になっている昨今の世情の影響だろうか。

 どのような文化や儀礼に対しても適切に対応できる人物が求められているのであろう。


「本日は、この説明で終了となります。帰り際に、参加意向書だけ提出するようお願いいたします」


(今日は本格的な試験は実施しないんだな)


 軽い筆記試験か何かくらいは実施されるだろうと思っていたので拍子抜けだ。

 珠蘭としては早く帰れるのでありがたいが。


 そのとき、「最後に」と言って試験官が付け足す。


「陛下のご厚意で皆さまに昼食をお配りすることになりました。こちらの庭園と平屋を開放しております。ぜひ、お好きな場所でお召し上がってからお帰りください」






「はぁぁぁ…試験内容の一新って何よ! 昨日なんて夕飯後まで勉強したのに……」


 昼食を受け取って庭園に用意された席に腰を下ろした後も、藍藍(ランラン)はブツブツと文句を垂れていた。


「それに昼食も期待してたのに…携帯食なんて使用人たちが食べるものじゃない! がっかりだわ!」

「庭園でも食べやすい形態にしてくださったのでしょう。それに、内容はとても豪華ですよ」


 布で包まれた木箱の中には、米料理や数種類の肉料理、それに点心までもが併せて詰め込まれていた。

 木箱で提供されるなんて確かに変わっているが、料理はどれも彩り豊かで美味しそうだ。


 ともに提供された箸を使って食べ進めていると、藍藍が落ち着きなく周囲を見回しているのが気になった。


「…どうされたのですか?」

「今ここには国中から妃の座を狙う連中が集まっているのよ! 中には格式高い名家の令嬢だっている。好敵手になるだろうから、噂通りの美貌か確かめておかないと。……でもあまり見当たらないわね」

「身分の高い方々は身内が宮廷勤めの方もいるでしょうし…一般人とは異なる食事場所が設けられているのでは?」

「何それ、信じられない! 不公平よ、不公平! …あーぁ、せっかく張り切って来たのに、今日は面白くなさそうね。早く選抜を始めて、お高くとまってる人たちよりもわたしの方が優れてるって気づいてくれないかしら」


 不満気な顔をしながら食事をかきこむ藍藍に愛想笑いをこぼしつつ、珠蘭(ジュラン)も不自然にならぬ程度に周囲を見回した。


(おそらくこの食事も、試験の一環だ)


 会場へと向かう道と同様に、どこかで試験官が隠れて評価している可能性が高い。

 先ほどの分類で受験生は絞られただろうが、それでもまだ残った人数はかなり多い。

 今日は説明だけと言っていたが、試験官側としてはもう少し受験生をふるいにかけておきたいところだろう。


 珠蘭は気を配って辺りを見回すが、それらしき人物は見当たらない。

 いるのは、食べ終えた木箱や箸を回収する係だけ―――。


(…あ、そうか)


 そこで、珠蘭はこの試験の評価方法に気がついた。


 そして、ちらりと隣の義姉の使っている箸を一瞥する。


(……この先の試験に同行する必要はなくなったみたいだ)


 もし珠蘭の読み通りの評価が実施されているのなら、今の時点で藍藍は確実に不合格になる。


 そう悟った珠蘭は、義姉の話に軽く相槌を打ちつつ、片手間に周囲の様子を眺める。

 もうこの試験の場に来ることはないだろうから、どんな人物たちがいるのかを最後に一目見ておこうと思ったのだ。

 

 侍女らしい者を何人も侍らせ、優雅に食事をとる良家の子女。

 周囲の期待を背負って一張羅を纏ってきたのだろうが、場に委縮している町娘。

 記念として参加したと見られる、数人でお喋りに興じる娘たち。

 自分は選ばれないだろうと割り切り、良家の者に取り入ろうと話しかける現実思考の娘。


 各々が、さまざまな思惑を胸にこの場に参加している。


(千をゆうに超える娘がいる中で、選ばれるのは数十人がいいところ…か)


 妃選びとはそれほど過酷な選抜であり、藍藍のような夢見がちな娘が一朝一夕の努力をしたくらいで受かるものではない。

 

 珠蘭はだんだん派手な衣装と化粧に酔いそうになって、視線を中央へと戻した。

 その際、視界の端に一人の娘が映った。


(綺麗な人…)


 すらりとした上背のある立ち姿。

 端正な顔立ち。

 長く艶やかな髪を靡かせる彼女は、国中から集まった娘たちの中でも一際美しいと感じさせる容姿をもっていた。

 気品を感じさせる歩き方と所作を見る限り、おそらく良い家柄の出身だろう。

 例年のような容姿や家柄を偏重する試験ならば、彼女のような女性が妃として迎えられるのは間違いなかったはずだ。


「―――あぁ! 申し訳ありません!!」


 パシャッと液体が打ち付けられる音とともに、慌てて謝罪する声が背後から聞こえて来た。


「決してわざとではないのです! 小石に躓いてしまって…」

「大丈夫ですよ。水がかかったのは机の上だけですし。それに私はもう食事を終えていますから、何も問題はありません」


 どうやら、躓いた娘が手に持っていた水を通りすがりに他の受験生のもとへ溢してしまったらしい。

 食事をしていた机には、こぼれた液体の跡が滲んでいた。


 この状況だけ見れば、ただの不慮の事故のように見える。


 しかし、珠蘭は気づいていた。

 ―――水をこぼした娘は、机の上にある箸に向けて意図的に水をかけていたことに。

 ―――そして、その娘が謝罪して去る直前、一瞬だけ悪意を含んだ笑みを見せたことに。


「ほら、さっさと書類を提出して帰りましょ。お父様に頼んで、試験対策を練り直さないと」


 食事を終えた藍藍は、立ち上がって帰る気満々だった。

 そこで珠蘭は考えを巡らせる。


(やる気のない私や、藍藍が不合格になることに異論はない。だけど―――)


 珠蘭は水をかけられた被害者の娘に目を向けた。

 嫌な顔一つせず、せっせと机に飛び散った水の始末をしている気丈な姿に、珠蘭は決心を固めた。


(あの人は違う。理不尽に選抜から弾かれるなんて、見過ごせない)


 珠蘭は件の娘に近づいて声をかけた。


「…よろしければ、お済の器やお箸、私のと一緒に戻しますよ。机をお拭きになるのに厄介でしょう」

「本当ですか? ではお言葉に甘えさせていただこうかしら」


 ご親切にありがとうございます、と彼女は朗らかに笑った。


 珠蘭はそのまま受け取った木箱と箸を、回収係のもとへ届けに行く。

 ―――その際、さっと自分の箸と彼女の箸を取り換えた。


「ご返却ありがとうございます。…二人分あるようですが、もう一つはどなたの物ですか?」

「こちらが私のもので、こちらがあちらの机にいらっしゃる方のものです」


 予想通り、回収係は誰がどの木箱と箸を使ったかを記録して回収していた。

 ちらりと記録簿を見つつ、珠蘭はその場をあとにした。


「なに? 点数稼ぎでもしているつもり?」


 藍藍のもとへ戻るなり、彼女は嫌味を口にした。

 試験内容の変更や昼食への不満などによって、相当に機嫌が悪くなっているようだ。


「そんなことしても、あんたが選ばれるわけないわよ。あんな下っ端の片付け役に自分を売り込んだって、御上に伝わるわけないでしょ」


 ふんっと鼻を鳴らして歩き出した藍藍に、珠蘭も早足でついていく。


 ―――彼女たち二人が庭園を去った後、とある人物が回収係のもとへと近寄り、その耳元に囁いた。


「先の娘の評価、少し待ってくれないか」



***



「ど、どういうことよっ!?」


 宮廷での説明会に参加してから数日後。

 届いた文書を呼んだ藍藍(ランラン)の悲鳴を端緒に、家は大混乱を極めていた。


 ことは数分前、使用人の「宮廷から通達が届きました」という知らせから始まった。


 それを聞きつけた藍藍は大はしゃぎで使用人から手紙を奪い取るように受け取った。 

 父母に囲まれて「きっと次回の試験への案内だわ!」と言ってウキウキと中を確認した藍藍は、一気に顔を青ざめた。


「このわたしが落ちて、あの子が合格ですって!? っ、こんなの何かの間違いよ…!!」


 わなわなと身体を震わせて激しく憤る藍藍を横目に、珠蘭(ジュラン)自身もその通達に驚いていた。


(確かに箸を入れ替えたのだから、私も不合格のはずなのに…)


 ―――あの日、珠蘭は食事の評価基準を『箸を舐めた長さ』だと推察していた。


 つまり、使用後の箸先が湿っている長さが短いほど、繊細に箸を使い優雅に食事をとったということで、評価が高くなる仕組みだ。

 これは西南の国で用いられている妃選抜の手法の一つで、あのとき回収係が回収した箸をじっと観察している様子を見て、この評価基準を使っているのだろうと考えたのだ。


 だから、水をかけられて先が長く湿ってしまった例の娘の箸を自分が使ったものとして返却すれば、おのずと珠蘭も不合格になるはずだったのだ。

 だが実際は、藍藍が不合格で珠蘭が合格という通知が舞い込んできてしまった。


 想定外の状況に狼狽えていると、父が珠蘭のもとへと近寄ってきた。


「珠蘭、お前の代わりに藍藍を次の試験に行かせる。いいな?」

「……つまり藍藍を、私の名前で宮廷に送ると?」


 父の提案に、珠蘭はぴくりと眉を動かした。

 そんな宮廷を偽るような行為、露呈すれば我が家はただでは済まないだろうに。

 父はよほど藍藍のことが可愛いらしい。

 

「そうよ。あなた自身が試験に参加し続けることは許しません。おとなしく藍藍に譲りなさい」


 後ろに控える義母も応戦してきた。

 藍藍の望みが第一。それがこの家の基準なのだ。


 こうなれば、いつもと同じように珠蘭は首を縦に振るしかない。


「…はい、分かりま―――」


 返事をする間際、バンッと扉を開けて飛び込んできた使用人が慌てた様子で口を開く。


「失礼します!! き、宮廷から御使い様がいらっしゃいました!!」


 すると、藍藍は飛び上がって歓喜の声をあげる。


「っ~! はぁ~よかったっ!! きっと、間違えて送ったわたしへの不合格通知を取り消しに来たに違いないわ!! 何してるの! 急いで御使い様をお通ししてちょうだい!!」


 興奮する藍藍の命令に、使用人たちがバタバタと動き出す。

 少しすると、高位の官女らしき衣装を纏った背の高い女性が姿を現した。


「ようこそおいでくださいました。御使い様」

「宮廷からの遣いで参りました浩然(ハオラン)と申します。先日は、ご息女お二人の妃選抜試験へのご参加、誠にありがとうございました」


(…! この人、昨日の)


 彼女は珠蘭が宮廷で目を惹かれたあの背の高い女性だった。

 一際目立つ美しい容姿をもっていたが、まさか試験官側だったとは思いもしなかった。


「長ったらしい社交辞令は結構ですわ。早く本題に移ってくださいな!」


 丁寧に挨拶を述べる浩然を前に、待ちきれない藍藍はそう催促した。


「藍藍、はしたないからお止めなさい」

「いいじゃない! 御使い様、本題はわたしへの通知の手違いについてでしょう? 今回の手違いには驚きましたけれど、まったく気にしておりませんから! 今後の選抜への参加も楽しみにして―――」


 一気にまくしたてる藍藍に、浩然(ハオラン)はピシャリと言い放った。


「いえ、藍藍様の通知に間違いはございません」


 その一言で、部屋が一気にしんと静まり返る。

 目を丸くして固まった藍藍をよそに、浩然(ハオラン)は珠蘭の方へと向き直った。


「今回私が参りましたのは、珠蘭様を正式な国妃としてお迎えにあがるためです。本来は次回以降の試験の評価を踏まえて妃を決定するのですが、珠蘭様に関しては少し特殊な事情がございますので」

「……はい?」


 今度は珠蘭が目を丸くする番だった。


(私を正式な国妃にするって…!?)


 何がどうしてそんな突飛な結論が宮廷で導き出されたのか理解できなかった。

 混乱する珠蘭を前にして、浩然は手を差し出す。


「珠蘭様、ともに来てくださいますね?」


 微笑んだ浩然の後ろで、正気に戻った藍藍が騒ぎ出した。


「ありえない…ありえないわ!! どうしてそんなみすぼらしい子を選ぶのですか!? わたしの方がよっぽど賢く、美しい―――」

「よそからの客人に対してのその態度。言葉遣い。落ち着きのない所作。そのような方に、国の未来を背負う妃は任せられません」


 冷たく言い放たれた浩然(ハオラン)の言葉に、藍藍は一瞬怯むも今度は強気に言い返した。


「…っ! 何よ! ただの宮廷の遣い走りの分際で…!! 本物の試験官を呼びなさいよ、わたしを誰だと思っているの!? この国で最も未来の国母にふさわしい人間よっ!!」


 藍藍は、珠蘭ではなく自分を迎え入れろと騒ぐ。

 そんな藍藍に便乗するように、父母らも浩然を侮るように「上官を呼んでくれ」と喚き始めた。


「―――そちらこそ、わたしが何者かご存じないようですね」


 三人の言い分を黙って聞いていた浩然(ハオラン)は、突如そう言い放った。


「本来は立場を明かさずに帰るところでしたが、今後あなたが選抜に参加することは決してないので言わせていただきましょう。―――わたしこそが、今回の妃選抜をすべて取り仕切る最高責任者です」


 部屋中がしんと静まり返り、全員が口を開けて驚愕した。


「え…?」

「さあ、珠蘭様。お荷物がまとまり次第、出立いたしましょう」


 珠蘭の手を引こうとする浩然(ハオラン)に、父が慌てて頭を下げる。


「お、お待ちください…!! 娘が大変な失礼をいたしました。申し訳ございません! 藍藍! お前も早く謝るのだ!!」

「も、申し訳ありませんでした…」


 妃選抜という国の行く末にも関わる一大行事の最高責任者。その役職に就ける者なんて、皇族やそれに連なる高貴な家の出身者しかいない。


 目の前の女性がやんごとない身分であると分かると同時に、彼らは手のひらを反すようにへりくだった。

 いつも自分を侮辱して上から見下ろしてくる彼らが、勢ぞろいで頭を下げている様子を見るのは不思議な感覚だった。


(なんだかよく分からないけど、大事になってしまったな…)

 

 おそらく高貴な宮廷からの御使いである彼女は、なおも珠蘭に向かって手を差し伸べている。

 しかし、珠蘭の意思はすでに固まっていた。

 

「浩然様…大変恐縮ですが、宮廷への参上は辞退させていただきます」


 珠蘭の夢は、勉強を重ねて資格をとり、官女として安定した職を得ることである。

 後宮のような、皇帝の機嫌ひとつで立場が上下する不安定な環境に身を置くことなど、つゆほども望んでいないのだ。


 だが、浩然(ハオラン)は引き下がらなかった。


「いいえ、主上の決定が覆ることはありません。ともに来ていただきます」

「それはこちらが困るといいますか……」

「なぜですか? 珠蘭様は妃選抜試験に参加する意思を表示なさいましたよね? 妃になることをお望みだったのでしょう」

「いやー…そのー……」

 

 藍藍が心配な父と義母に命じられて、付き添いとして無理やり参加させられたなんて言える空気ではなかった。

 ちらりと家族の方へ視線をやれば、いまだに顔を上げることもできず怯えるように首を垂れていた。


「…分かりました。強引にお連れしないと約束するので、場所を変えてお話ししませんか? ここでは話しづらいと思うので」


 浩然(ハオラン)の提案に了承し、珠蘭は彼女とともに家を出た。






 家先には、馬をつないだ車が置かれていた。

 十分頑丈そうではあるが質素な造りをしているので、騒ぎにならないよう浩然(ハオラン)は身をやつして来たのかもしれない。


「ふぅ…すまないが、言葉を崩してもよいだろうか。この方が性に合っていてな」

「…はい、勿論です」


 敬語を崩した浩然は、さらに身に纏う気高さが増したように感じた。


「…あの、先日の試験にもいらっしゃっていましたよね。…女性のあなた様が、本当に妃選抜の最高責任者様なのですか?」


 馬車の中に座るよう指示されて一息ついた珠蘭(ジュラン)は、早速気になっていたことを切り出した。


「ああ、不思議に思うだろうな」


 浩然はさっと口元の紅を拭うと、不敵に微笑んだ。


「わたしは男だ」


(………え?)


 本日何度目かとなる衝撃を受けて、珠蘭は口をぽかんと開けた。


 たしかに言われてみれば男性然とした体つきをしているし、紅を落とした顔は中性的なものだ。

 だからといって、女性の装いをされれば見破ることなど到底できないだろう。


「今回の妃選抜は、試験官の表からの評価と、女装したわたしが妃たちに紛れて裏からの審査を行う。この二重体制で不正やその場しのぎの繕いを見抜く仕組みになっているんだ」

「な、なるほど…?」


 よくできた構造だとは思うが、男の試験官が女装して見回るだなんて浩然ほどの適正がある人物でないとできないだろう。

 改めて浩然の容姿をじろじろと観察していたところで、珠蘭は教えられた内容の重大さにハッとした。


「私なぞにそんな機密情報を話されてよろしいのですか? ただの商家の次女ですよ?」

「いいんだ。主上が認めた女性だから」

「認めた…と言われましても、私は何も…」

「いや、あなたは気づいていただろう? あの食事が『試験』だということに。―――そして、他の受験生の悪意により、危うく誤った評価をつけられそうになった娘まで救った」


(そこまで見抜かれていたとは…)


 箸のすり替えは誰にも見られないよう密かに行ったつもりだったのに、浩然の目は誤魔化せなかったらしい。 


「評価の基準は何だと推察した?」

「…何のことです?」

「とぼけても無駄だ。…一応の確認のために聞いているんだ。他でもない主上にまであなたの行動は報告されているから、もう逃げられはしないぞ」


 今からでも誤魔化せないかと試みたが、浩然の圧に屈した珠蘭は素直に話すことにした。


「…あの試験の基準は、『箸の先がどれだけ湿っているか』。箸を舐めた長さが短いほど、評価が高くなる仕組みでしょう? ―――これは西南の国の妃選抜で用いられている方法です。母が西南出身なもので幼い頃に聞かされたことがありましたし、あとは興味本位で調べた詳細をたまたま覚えていただけで…」


 あくまで偶然知っていただけなのだと釈明するが、そんな珠蘭の話を浩然は満足げに聞いていた。


「それで、どうして自分の評価を犠牲にしてまで他家の令嬢を助けたのだ」

「……私には高い評価を得て妃になりたいなどという野望は元からありませんでしたし、あんな不正は理不尽でしょう。不正を阻止して、自分は選抜から外れる。一挙両得です」


 どうせ藍藍が試験に落ちれば珠蘭もお役御免で次の試験に参加することはないのだから、最後にお節介を働いただけだ。

 理不尽を嫌う珠蘭は過去の行動に後悔などないが、まさかそれを見破られてこんな事態に陥るとは思ってもみなかった。


「ともかく、私は自力で評価基準を見破れるような聡明な人間ではないのです。どうか妃に迎えるという件は考え直してください」


 毅然とした態度で浩然を見据えた珠蘭は、はっきりと自分の意思を告げた。


 これで彼も、珠蘭が入内するに相応しい人物ではないと理解してくれただろう。

 そんな珠蘭の安堵は一瞬のうちに砕け散ることになった。


「……素晴らしい」

「…?」

「わたしが求めていたのは、あなたのように知識や洞察力、そして公正な目を持つ人物なのだ」


 ずいっと身を乗り出した浩然に、思わず珠蘭は身を後ろへと引く。


「端的に提案しよう。『妃選抜の管理人』として宮廷へ勤めてくれないか?」

「……はい?」

「それを呑むなら、主上を説得して、あなたを妃に迎えるという件は破談にしよう」


(妃ではなく宮廷勤め…?)


 突然の提案に狼狽える珠蘭に、浩然はとある書類を差し出した。


「まあ、まずはこれを見てくれ。この内情を知れば、あなたも協力したくなるはずだ」


 それは今回の食事試験の結果が記された書類だった。

 受験者の名前の横に箸を舐めた長さの計測値が記されている。どうやら長さが短い順に上から一覧にされているようである。


「高位試験官の中には、今後予定されている次回以降の試験を実施せず、この一覧に沿って上から順に『上級妃』『中級妃』『下級妃』と決定すればよいと言い張っていた連中がいるんだ」

「それはかなり莫迦な―――ゲフンゲフンッ…かなり斬新なお考えですね」


 危うく高貴な人々へ向けて無礼な言葉を吐きそうになりつつ、珠蘭は浩然の悩みに共感を示した。


「まったくだ。これでは判断材料が少なすぎるのに加えて不正や取り違えも起きやすい…そう根気強く説得して、何とか次回以降の試験実施の了承はもぎ取ったがな」


 浩然がいなければ、不十分な評価でこの国の未来を担う妃が決まっていたかもしれないという事実に、さすがの珠蘭も懸念を抱いた。

 西南の国だって、食事の試験は数ある試験の一段階にすぎず、その他の試験評価も含めて総合的に妃を決定するのだ。いくら他国を参考にして新たな試験を実施したとは言っても、こんなやり方ではまったく意味を成さないだろう。


「これで分かっただろう? この妃選抜を恙なく終えるためにも、私にはより多くの味方が必要なのだ。…それに先日の試験で痛感した。いくら私が裏から見張ろうと、見逃しが発生する可能性がある。だから信用できる女性の協力者ができればそれほど嬉しいことはない。―――どうか頼む」


 切実な表情で頼み込む浩然の様子に、珠蘭の心が揺らいだ。

 その隙につけこむように、彼はさらに一押しする。


「勿論、それなりの給金をはずもう。それから妃選抜を終えた後も、条件のよい就職先を提示する」


 珠蘭はパッと顔を上げた。


「…それは、たとえば官女の地位を望むことも可能ですか?」

「そのくらいの優遇なら難しくもない。が、それもあなたが条件を呑めばの話だ」


 妃選抜の手伝いをすれば、官女の職に就いた安定した生活が手に入る。

 ごくりと喉をならした珠蘭は、目の前にいる交渉相手に念押しをした。


「後から気が変わったなどとはおっしゃいませんね?」

「わたしの名にかけて誓おう。―――では、交渉成立ということで良いな?」


 珠蘭は差し出された彼の手をとった。


(色々言いたいことはあるけど、ともかく―――)


 交渉成立の証として互いに手を握り合う傍ら、考えが足りない国の上層部の惨状を憂うように、珠蘭は心の中で叫んだ。


(箸を舐めた長さだけで国妃が決まってたまるか!!!!!)


*****


「…それで、妃ではなく選抜の協力者として招くことにしたのですか?」

「ああ、それが一番円い収め方だと思ってな」


 執務室へと帰宅した浩然(ハオラン)は、積み重なった書類を整理する傍ら、側近の弘文(ホンウェン)に事の次第を説明していた。


「聞く限り強情そうな娘ですから、その結論に至ったのは分かりました。ですが、それを正式に処理する私の身にもなってください。……この大事な時期に御自らの外出を実現するため、各方面を騙して調整するのだって大変でしたのに」

「………」


 静かに憤る弘文から目をそらすように、浩然は他の書類へと筆をとる。

 この人は都合が悪くなるといつもこうだ。と、弘文は肩をすくめた。それでも、彼は主人に寄り添うように尋ねる。


「なぜ本当の身分を明かさなかったのですか?」


 浩然は書類を記入をやめて勿体ぶるように顔の前で手を組むと、微笑して答える。


「……振られたからな」

「『振られた』って……よかったんですか。あの娘を無理やりにでも妃にしなくて」

「そうしたかったけどな。あの強情さを見る限り難しかっただろう。…それに、勝手に妃を迎え入れるよりも、この方法のほうが連中の反発だって少ないはずだ」


 すっと立ち上がった浩然は、執務室の階下に広がる国の中心地を眺めて呟いた。


「彼女が新たな風を舞い込んでくれれば、それでいい」

「…もっと野心をお持ちになってください。貴方様は、この国の新皇帝ともなる御方なのですから」


 弘文に諭されて、彼は深く溜息をつく。


「分かっている。それに―――別に諦めてはいないぞ」


 運よく見つけた格好の得物を逃すまいとする浩然の細めた目がゆらりと光る。

 その様子に、弘文はまだ見たこともない娘を哀れに思い眉をすくめた。目の前の男は、意外と執着深い人物なのだ。


「それにしても困ったものですね、(グイ)太后には…。一日の試験だけで妃を最終決定しようだなんていい加減な提言も、きっとあの方の思惑によるものでしょう」

「…憶測で判断するな。あの人が黒幕だという証拠はまだない」

「明らかですよ。あの方は、自分の子を優位に立たせるために手段を選ばないのですから」


 先帝の息子は、(ジュ)太后を母にもつ浩然と、(グイ)太后を母にもつ公子の二人だった。


 浩然は先帝の遺言により皇位に就くことになったものの、(グイ)太后派の連中はいまだにその決定に異議を申し立てていた。

 母の(ジュ)太后を亡くしている浩然は味方が少なく、宮廷内では、(グイ)太后派が幅を利かせている状態なのだ。

 ―――今回の件も、十分な選抜試験を実施せず、学のない適当な妃を浩然へ当てがおうという嫌がらせなのかもしれない。


(単なる嫌がらせならまだいい。…が、無能な妃を当てがって内側からわたしを破滅させようとしている可能性だってある)


 妃とは、裏から宮廷と皇帝を支える存在であり、それほどに重要な立場なのだ。

 だからこそ、連中の目を盗み、そして公務の合間をぬって女装をしてまで、密かに試験を見守ることを決意したのである。


「まあ、さすがにあの案は通りませんでしたが、あの方々が調子に乗っているのは明らかです」

「あぁ、そうだな。……これ以上、連中の好きなようにはさせない」


 固い意思を心に宿した浩然は、その反撃の先駆けともなる、例の娘に思いを馳せた。


「これからが楽しみだな」


 浩然がそう呟くと同時に、遠く離れた町を歩く珠蘭(ジュラン)は悪寒が走るのを感じて肩を抱いた。

 これからどんな気苦労が待ち受けているかなど、彼女には知る由もないのだった。



食事(箸)の試験は、実際に古代琉球王国の王妃選抜で行われていたという説があるそうです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ