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第二話 吉原の噂

 大門をくぐった瞬間、空気が変わった。


 通りは灯で満ちている。

 赤い提灯がずらりと並び、昼より明るい。三味線の音が遠くから流れ、酒と香の匂いが混ざっていた。


 俺は思わず足を止めた。


「……なんだここ」


 人の波が絶えない。

 遊女の笑い声。客の怒鳴り声。下駄の音。

 宗冬は振り返らない。

 着流しの背が灯の中をまっすぐ進んでいく。

 重俊が眉をひそめた。


「拙者は苦手だ」

「来たばかりだぞ」

「それでも苦手だ」


 重俊は視線を上げない。


「武士が何言ってる」

「武士だから言うのだ」


 俺は肩をすくめた。

 光太郎は周囲を見ていた。

 提灯。格子。行き交う人。


「人が多い」

「江戸だからな」


 光太郎は格子の向こうを見た。

 遊女が笑いながら手を振る。


「お兄さん」


 光太郎が首を傾げる。


「呼ばれた」


 俺は慌てて腕を掴んだ。


「行くな」

「なぜだ」

「後で説明する」


 光太郎は少し考えた。


「なるほど」


 たぶん分かっていない。

 その時だった。


「おい」


 低い声が飛んできた。

 通りの入口に男が立っている。

 腕を組み、こちらを見ていた。

 廓の男だ。忘八。


 男が俺を見て眉をひそめる。


「若いのは帰れ」

「若くない」


 男は動かない。


「元服してるのか」

「してる」


 男は疑わしそうに俺を見た。

 宗冬が足を止めた。ゆっくり振り向く。


「通せ。余のつれぞ」


 静かな声だった。

 男の顔色が変わる。すぐに道を空けた。


「……どうぞ」


 俺は宗冬の背中を見ながら歩き出した。


「今の絶対俺の顔だろ」

「童顔だからな」


 俺は舌打ちする。


(何度生まれ変わっても、顔だけは十八のままだ)


 通りを進む。

 三味線の音が近くなる。

 格子の向こうで遊女が笑い、客が手を振る。灯が揺れていた。

 重俊は視線を逸らしたまま歩いている。


「落ち着かぬ」

「武士が何言ってる」

「武士だから言うのだ」


 俺は小さく笑った。

 宗冬は黙って歩いている。

 灯の中を迷いなく進んでいく。


「殿」

「なんだ」

「遊びですか」


 宗冬は少しだけ間を置いた。


「違う」


 短い答えだった。


「じゃあ何です」

「来ればわかる」


 俺はため息をつく。


「一番困る答えだな」


 灯がさらに増えていく。

 人の声も多い。笑い声。酒の匂い。

 重俊が足を止めた。


「ここは……」


 視線の先に大きな建物があった。

 格子が高く、灯が多い。


 宗冬が振り向く。


「三浦屋だ」


 俺は思わず口笛を吹いた。


「でかいな」


 灯の光が揺れている。

 格子の向こうで人影が動いた。

 宗冬が戸口へ向かう。

 その時、男が手を出した。


「刀は預かる」

「やっぱりか」


 忘八が肩をすくめる。


「ここは吉原だ。刃物は預けてもらう」


 重俊が眉をひそめた。


「拙者は武士だ」

「ここでは客だ」


 宗冬が言う。


「預けろ」


 重俊は少し考え、刀を外した。

 俺も脇差を抜き、男に渡す。

 光太郎が首を傾げた。


「我もか」

「お前は最初から持ってない」


 忘八が刀を受け取る。


「帰る時に返す」


 宗冬は何も言わず戸をくぐった。

 俺たちはその後を追う。

 見世の奥は思ったより広い。

 香の匂いが濃くなる。廊下の灯が静かに揺れていた。


 忘八が頭を下げる。


「こちらへ」


 案内され、階段を上がる。

 二階は下より静かだった。三味線の音が遠くに聞こえる。

 座敷へ通された。


 俺は部屋を見回した。


「……いい部屋だな」

「落ち着かぬ」


 重俊が腕を組む。

 その時、忘八が酒と盃を置いた。

 軽く頭を下げ、部屋を出ていく。


 俺は宗冬を見る。


「殿」

「なんだ」

「よくすんなり入れましたね」


 宗冬は酒を取り、盃へ注いだ。


「夢之介の手配だ」

「差配の顔、広すぎるだろ」


 俺は笑った。宗冬は肩をすくめた。


「吉原の噂は、あいつの方が早い」


 重俊が盃を見る。


「飲むのか」


 宗冬は答えない。

 酒を一口だけ口にした。


 光太郎がその様子を黙って見ていた。

 それから、静かに窓の外へ目を向けた。


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