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第五話 大家と三人組

 地回りが去ると、路地は静かになった。

 しばらくして、井戸の滑車がきしむ。

 桶を置く音。子どもの声。

 長屋の日常が、何事もなかったように戻ってきた。


 俺は刀を鞘に納め、肩を回した。

 重俊が刀を布で拭きながら頷く。


「やれやれだな」

「朝から刀を抜くとは思わなかった」


 重俊が笑う。


「拙者は思った」

「お前は思うな」


 その横で光太郎が腕を組んでいた。

 路地の奥を見ている。


「どうした」


 光太郎は少し考えた。


「さっきの武士だ」

「殿か?」


 光太郎は小さく頷く。


「強い」

「柳生だからな」


 重俊が肩をすくめる。

 光太郎は首を傾げた。


「それだけではない」

「何がだ」


 光太郎は言葉を探すように黙った。


「刃が静かだ」

「静か?」

「普通の剣士は、斬る気配を出す」


 光太郎は腕を組んだまま続けた。


「だが、あの男は出さない」


 重俊が笑う。


「それが柳生だ」

「違う」


 光太郎は首を振った。


「出さないのではない。必要がない」


 その時だった。


 足音が近づく。宗冬だった。

 着流しの袖を払うと、こちらを見る。


「章吉」

「殿」


 宗冬は軽く頷いた。


「明日のことは聞いたな」

「聞きましたよ」


 俺は顔をしかめる。重俊が横で笑う。


「権蔵には話をつけてある。暇な宗春を其方の代わりに用心棒をさせる」

「殿の根回しは相変わらずだ」


 宗冬は気にしない。


「無駄な手間は省く」

「俺の生活は省かれてますけどね」


 宗冬はそれには答えず、視線を動かした。光太郎を見ている。

 光太郎も宗冬を見ていた。


 しばらく沈黙。

 宗冬が口を開く。


「お前、刃を向けられても目を逸らさなかったな」

「逸らす必要がなかった」

「普通の人間は逸らす」


 宗冬は淡々と言った。


「それに――」


 宗冬の視線が光太郎の足元へ落ちる。


「人は、あの間合いでは踏み込めない」

「殿、初対面でそこまで見ますか」


 宗冬は答えない。

 光太郎を見ている。

 光太郎は少し考えた。


「強いな」

「お前もな」


 宗冬がわずかに笑う。

 俺は慌てて割り込む。


「二人ともそこで剣談義を始めないでください」


 宗冬は俺を見る。


「章吉」

「はい」

「明日遅れるな」

「逃げたら?」

「追う」


 俺は深くため息をついた。


「やっぱり逃げられないか」


 宗冬は小さく頷くと、踵を返した。


 着流しの背が路地の向こうへ消えていく。


 重俊が腕を組む。


「相変わらずだな」

「人の生活を壊すのが早い」


 俺はため息をついた。

 光太郎が言う。


「面白い男だ」

「殿がか?」


 光太郎は頷く。


「久しぶりだ」

「何がだ」

「殺さずに済む相手」


 俺は顔をしかめた。


「物騒なこと言うな」


 重俊が笑う。


「長屋の朝には似合わんな」


 俺は歩き出した。


「戻るか」

「腹が減った」

「さっき食ってただろ」


 重俊は真顔で言う。


「途中だった」

「我も食う」


 光太郎が歩き出す。

 俺は顔をしかめる。


「お前は二杯食った」

「足りぬ」


 光太郎は平然と言う。


「我が買って、炊いた飯よ」


 重俊が笑う。


「確かにな」


 部屋の戸口が見えてきた。俺は戸を開けた。


「まったく」

「今日は騒がしかった」


 重俊も光太郎も入ってくる。


「我は楽しかった」

「お前だけだ」

「確かにな」


 重俊が肩を揺らす。光太郎は真顔ままだ。


「江戸は面白い」

「まだ半日だぞ」


 俺はため息をついた。


「ならば、もっと面白くなるな」

「やめろ」


 重俊が笑う。

 俺は窓の外を見た。


 井戸の音。洗濯の音。

 子どもの笑い声。

 長屋の朝は、いつも通り騒がしい。

 俺は小さく息を吐いた。


「……まあ」

「なんだ」


 重俊が顔を上げる。俺は肩をすくめた。


「どうやら、それも今日までらしい」

「何がだ」


 光太郎が振り向く。俺は首を振った。


「なんでもない」


 井戸の滑車がまた鳴った。

 長屋の朝は騒がしい。


 そして――

 どうやら、これからもっと騒がしくなりそうだった。


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