第四話 追跡
襖が静かに閉まった。俺と光太郎は下座に座らされていた。
畳は新しくはないが、磨かれている。床の間には墨跡の掛軸。障子の向こうで松の影が揺れている。
重俊はすでに座っていた。背筋を伸ばし、膝の上に手を置いている。長屋で見る顔とは別人だった。
俺は小さく息を吐く。
「深川を出たところで捕まった」
重俊が眉を寄せる。
「だから逃げるなと言った」
俺は肩をすくめた。
「逃げたつもりだったんだがな」
光太郎が静かに言う。
「柳生の門弟は足が速い」
「それは知ってる」
俺はぼそりと答える。
◇
襖の向こうで足音が止まった。控えていた家臣が声を落とす。
「宗冬様」
襖が開いた。柳生宗冬が座敷へ入る。薄い裃。刀を脇に置く。吉原で酒を飲んでいた男とは別人だった。
横に家臣が二人控えている。
宗冬は上座に座った。家臣がこちらを睨む。
「無礼であろう」
「よい」
宗冬が静かに言った。家臣はすぐ口を閉じる。宗冬は三人を見た。
「呼んだ理由は一つだ。日本橋の盗みの件である」
「義賊の噂ですか」
「そうだ」
宗冬は続けた。
「日本橋の淀屋が破られた」
扇子を膝に置く。
「盗まれた金は千両ほど」
「大金だ」
重俊が小さく息を飲む。
「だが」
宗冬は静かに続ける。
「町に流れている噂では三百両ほど」
光太郎が口を開いた。
「勘定が合いません」
「合わぬ」
宗冬は即座に答える。扇子に指を置いた。
「まず言っておく」
視線が三人を順に移る。
「盗みを追うのは本来、奉行所の仕事だ」
「大目付の管轄でもありませんし」
「その通りだ」
宗冬はゆったりと話し続ける。
「江戸の治安は町方が支えている。そこへ大目付が口を出せば」
宗冬はわずかに肩を動かす。俺は宗冬の後を続ける。
「働きづらくなる。町方に臍を曲げられても困る」
「その通りだ」
宗冬は頷いた。
「それに淀屋も騒ぎを望まぬ」
俺は首を傾げる。
「金を盗まれたからですか」
「盗まれたことが広まるからだ。商家は信用で立つ。破られた店と知られれば」
扇子が小さく動く。
「それだけで金の流れが止まる」
重俊が静かに言った。
「屋台骨が揺れます」
「そうだ」
宗冬は頷く。
「だから奉行所も動きづらい。店も大きく騒ぎたくない」
宗冬は三人を見た。
「だが、妙な点がある」
光太郎が言う。
「残り七百両」
「それだけではない」
宗冬は続けた。
「噂の広がりが早すぎる」
座敷が静まり返る。宗冬は三人を見る。
「日本橋の話が三日で浅草。さらに深川。これは自然ではない」
光太郎が眉を寄せる。
「誰かが流している」
「その通り」
宗冬はゆっくり言った。
「義賊の話は人の耳に残る。だからこそ。利用される」
視線が鋭くなる。
「これはただの盗みではない」
座敷の空気が重くなる。宗冬は三人を見た。
「そう考えておる」
しばらく沈黙が落ちた。宗冬が口を開く。
「大目付はこの件を表で追うことは出来ぬ。だから其方らに探索を頼みたい」
俺は眉を上げる。
「町方に見つかったら」
「下手をすれば、其方らに町方の手が伸びる」
重俊が顔を上げる。
「危険が及ぶと」
「そうだ」
宗冬は三人を見る。
「それでも、このままにはしておけぬ。噂が作られているなら、いずれ騒ぎになる」
静かな声で続けた。
「江戸が荒れる」
座敷が静まり返る。
「余は表では動けぬ。だが見過ごすわけにもいかぬ」
宗冬は深く頭を下げた。
「だから頼む」
家臣が慌てる。
「宗冬様!」
重俊も身を乗り出す。
「おやめください!」
俺は少し黙っていた。それから息を吐く。
「頭を上げてください」
宗冬は顔を上げない。
「店賃の安い長屋に住まわせてもらってる恩があります」
宗冬が顔を上げる。俺は肩をすくめた。
「そのくらいは返します」
「我も」
重俊が深く息を吐いた。
「拙者も力を貸そう」
宗冬は首を振る。
「重俊」
重俊が顔を上げる。
「其方は屋敷に残れ」
「え」
「其方には別の役目がある」
重俊が驚いた顔をする。
宗冬は二人を見る。俺と光太郎を見た。
座敷の空気が静かに動いた。
「追ってもらう。義賊を」




