第二話 博徒の企み
浅草の裏通りは、昼でも人が多い。屋台の湯気が流れ、魚屋の声が路地に響く。人の肩がぶつかり、笑い声が混ざる。俺は肩を回しながら歩いた。
「やっぱりここは騒がしいな」
光太郎は腕を組んだまま歩いている。視線だけが町の奥を追っていた。
「金が動く」
「そりゃそうだ」
俺は笑った。
「浅草だぜ」
しばらく歩くと、見慣れた裏路地に入る。表通りの賑やかさが嘘みたいに静かだ。奥の建物の戸をくぐる。
賭場だ。中では声が飛んでいた。
「丁か半か!」
壺が振られる。賽が転がる。客が笑い、負けた男が舌打ちをした。
俺は壁際へ寄り、部屋を見回す。光太郎は少し離れて柱にもたれ、腕を組んだ。
いかつい顔の小頭が、黙って茶を持ってくる。俺は一口すすった。味がしない。
「小頭」
「なんだ」
「たまにはうまい茶が飲みたい」
「親分に言っておく」
「毎回それだな」
小頭は何も言わず戻っていった。卓では丁半が続く。
「丁か半か!」
壺が振られる。小気味良い音がして、壺が置かれる。客が笑う。穏やかな勝負だ。
光太郎は柱にもたれたまま、静かに賭けている。負ける時は小さく。勝つ時は大きく。全部当てれば怪しまれる。
光太郎は外さない……ああいうのは真似できねぇ。
「待て!」
怒鳴り声が上がった。卓の一つで男が立ち上がっている。
「今のはおかしい!」
場がざわつく。壺振りの男が眉をひそめた。
「何がおかしい」
「賽だ!」
「賽?」
「今の振りはおかしい!」
客たちがざわめく。俺はゆっくり歩いた。男の腕を掴む。
「落ち着け」
「離せ!」
俺は少し力を入れた。男の顔が歪む。
「放せ!」
「言われて放すなら」
俺は肩をすくめた。
「用心棒はいらねぇよ」
賭場が静まる。
「ほう」
奥から声がした。低い声。人が自然に道を空ける。誰にもぶつからない。
権蔵が歩いてきた。大柄な体が、ゆっくり卓の前へ出る。俺は肩をすくめた。
「地獄耳だな」
権蔵がちらりと俺を見る。それから男へ視線を移す。
「聞いたぞ」
静かな声だった。
「わしの賭場で、いかさまだと?」
男は一瞬ひるんだ。だが言い返す。
「そうだ!」
権蔵は壺振りを見る。
「壺と賽を出せ」
壺振りが差し出す。権蔵は壺を手に取る。賽を転がす。ころり。もう一度転がす。ころころ。壺を逆さにする。しばらく黙って見ていた。それから卓へ戻す。
「問題ない」
場がざわめく。壺振りがほっと息を吐いた。権蔵は男を見る。
「今度はお前だ。なぜそう思った」
男は汗を流す。
「そ、それは……」
権蔵は腕を組んだ。
「言え」
賭場が静まり返る。男は視線を泳がせた。そして叫ぶ。
「聞いたんだ!」
客たちが顔を上げる。
「ここはガキの用心棒だってな!」
ざわめきが広がる。男は俺を指さした。
「そいつだ!」
俺はゆっくり首を傾げる。
「なるほど」
男は続ける。
「簡単にひっくり返せるって言われたんだ!」
権蔵が口を開いた。
「そうか」
男が黙る。権蔵の声だけが響く。
「わしに」
一歩近づく。
「人を見る目が無いと思われたわけだな」
空気が凍る。客も壺振りも動かない。権蔵は静かに続けた。
「この賭場の用心棒は」
「わしが決めている」
「それを侮った」
男の顔が青くなる。権蔵は振り返る。
「章吉」
「なんだ」
「よく止めた」
俺は肩をすくめた。
「壊したら片付けが面倒だろ」
客が小さく笑った。だが権蔵は笑っていない。配下を見る。
「納屋へ連れていけ」
「やめてくれ!」
「誰に聞いた」
男は黙る。視線を逸らす。
「……知らねぇ」
権蔵は少し考えた。
「納屋で聞く」
配下を見る。
「まだ殺すな」
配下が頷く。
男は引きずられていった。しばらくして、賭場の音が戻る。
「丁か半か!」
壺が振られる。賽が転がる。客が笑う。いつもの賭場だ。
俺は柱へ戻った。腕を組む。その横で光太郎が言った。
「妙だ」
「またそれか」
「手がもどきと同じ」
俺は思わず手を見た。手には、刀を握り続けてできた胼胝がある。
俺はため息をつく。光太郎は入口を見ている。
「さっきの男」
「ただの馬鹿だろ」
光太郎は首を振った。
「違う。あの男。死ぬことを怖がってなかった」
俺は黙った。
賽の音が転がる。客が笑う。
だが光太郎は、まだ入口を見ていた。




