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未来は君と共に  作者: 神崎 真
5/9

5:友達


「遥、戻ってきてる?大丈夫?」


 お母さんは玄関からそう声をかけながら私の部屋にやってきた。


「遥、何があったの?学校から連絡があって慌てて戻って……」


 その声を聞いた私は少し安心したんだと思う。自然とお母さんに抱きついていた。


「お母さん、ごめんなさい。私、六華に酷いことを言っちゃった……」


 泣きながら私は口にしていた。お母さんは黙って私を抱きしめてくれていた。

 雨が再び降り始めている。

 少し強まる雨音と、私の小さな嗚咽が部屋に響いていた。




「少し落ち着いたかしら?下に行ってお茶を入れましょう」


 お母さんはそう言って私の手を引いて階段を降りる。

 お母さんと手をつなぐのって、すごく久しぶりな気がした。

 ダイニングに入ってテーブルに着くと、手際よく紅茶の準備をする。

 緑色の四角い缶からガラスのティーポットに茶葉を入れて、沸いたお湯をティーケトルからゆっくりと注ぐ。

 ティーポットの中を茶葉が広がりながら舞い、お湯は少し赤みを帯びた鮮やかなオレンジに染まったかと思うと、ゆっくりと深い琥珀色へと変わっていく。


「仕事の合間にね、よくこうしてお茶を入れるのよ。茶葉が舞って沈んでいく。その様子を見るとね、不思議と落ち着くの」


 その様子を見ながらお母さんがいった。

 その言葉が何となくだけどわかる気がする。


「そろそろいいかしらね」


 そう言ってからストレーナーで濾しながらカップに紅茶を注ぐ。

 同時にお茶の芳香が部屋に広がる。


「少し濃いめに出したから、ミルクを足すのがお勧めよ」


 そう言って私のカップにミルクが足された。


「さあ、どうぞ。まずは少し飲んでみて?」


 すすめられるままに私はカップを口元に運ぶ。

 紅茶とミルクが溶け合った、甘い香り。口に含むとほのかな甘みとふわっと感じる柔らかく豊かな香りが広がる。とても優しい味だった。


「……おいしい」


 私は自然とつぶやいた。

 お母さんはちゃんとそれを聞いていて、


「そう、気に入ってもらってよかった。さて、何があったか、ゆっくりでいいから話してくれる?」


 私は頷いて、今日の出来事をお母さんに説明した。

 お母さんは何度も言葉に詰まる私の話を、口を挟まずに、時折頷きながら最後まで聞いてくれた。


「そんなことがあったのね。よくわかったわ。遥、話してくれてありがとう。これからが大切よ?遥、あなたはどうしたいの?」


 お母さんの問いかけに私は答えた。


「二人にちゃんと謝りたい。今は……私が悪かったって思えるから。許してもらえるかはわからないけど、二人は私のために……」


 そこで言葉に詰まる。何と言葉にして良いか、頭の中でまとまらなかった。

 あのときは、どうしてあんなふうに言ってしまったのか、自分でも分からなかった。

 でも今なら、六華が何を伝えたかったのか、少しだけ分かる気がする。

 だからこそ、謝りたい。


「うん、お母さんも遥に賛成。ちゃんと謝らないとね。学校なんかに連絡をしないといけないから、遥は部屋に戻ってて?少しゆっくりするといいわ」


 お母さんがそう勧めてくれたので、私は頷いて部屋に戻った。

 ベッドに腰かけて、一つ息を吐く。

 気持ちは落ち着いていた。

 明日二人に会うのがちょっと怖い。

 自分に非があることがわかるからこそ、どんな顔をすればいいのかわからない。

 だけど、二人にちゃんと謝ろう。許してもらえるかは心配だけど、私が謝らなきゃ何も解決しない。

 そう思ってからエルスに話しかける。


「ねえ、エルス。私、明日ちゃんと二人に謝るよ。で、エルスにお願いなんだけど、きょう午後の授業サボっちゃったじゃない?

 その分の勉強をしたいんだ。教えてくれる?」


「もちろん喜んで」


 私は今できることをしたいと思った。

 だから今日の授業分はちゃんと勉強しなきゃって思った。

 六華が言っていた『もったいない』の意味が少しわかった気がした。




「おはよう、遥。2041年5月21日、火曜日。今日の天気は晴れ。穏やかな一日になりそうだね」


「おはようエルス。今日の予定を教えて」


 エルスの声を聞きながら、学校に行く準備をする。

 かばんに荷物を入れながら、ほんのちょっとだけ忘れ物が無いかを注意する。

 詰め込み終わって、机の上をチェックし、さっとかばんの中のものをなぞるように眺めた。


「忘れ物はない、大丈夫」


 私は自分に言い聞かせるようにいう。

 顔を洗って着替えてからリビングへと降りる。

 今朝はお父さんもお母さんも出かけるのが早かったようだ。テーブルには朝食とお弁当が用意されていた。


「もう少し自分たちの娘を心配しても良いと思うけど」


 そう言いながら椅子に座ると、小さなメモが置かれていた。


― 遥、頑張って ―


 たった一言のメモ。お母さんの字だ。

 私はこの一言にたくさんの意味が込められている気がした。

 心配、信頼、優しさ。

 少し緊張していた私の心が、緩むのを自分でも感じる。

 私は無言で食事を取って、家を出た。


「遥、今日は遥が最後だから、セキュリティの起動をして」


 玄関を出てエルスに指摘される。


「しまった」


 私は小さくつぶやく。今朝はエルスに突っ込みは入れさせないつもりだったのに、うっかりしてしまった。

 扉の脇のセンサーで指紋認証してから、セキュリティを起動する。


「エルス、ありがとう」


 私は少し悔しさを感じながら、エルスにお礼をいった。


「残念だったね。ここまでの評価は75点だ。最後のセキュリティ起動は忘れると致命的だからね」


「もしかして、エルスは気づいてたの?」


「遥が僕を意識しているのは気がついていたよ。推測だけど、自分一人でできることを証明しようとしてくれてたんだよね」


 私は少し俯く。完璧にこなしてエルスのいったことが間違いないって証明したかったのに。


「エルスにどや顔したかったんだけどなぁ」


「僕にどや顔をしたいのなら、いつしてくれてもいいんだけど」


「いいもん、明日こそエルスにしゃべらせないんだから」


 そう言って学校に向けて歩きはじめる。

 雨上がりで濡れたアスファルトを吹く風が、少しひんやりと感じる。

 いつもと違い少しドキドキする。

 私が悪くて、私が謝らなきゃいけないことは分かってる。

 分かっていても、どんな顔をすればいいのか、なんて謝ればいいのか、いろいろ考えているうちにさらに緊張が高まっていった。

 住宅街の角を曲がり、大通りに出ると前を歩いていく、六華と彩佳の姿が見えた。

 一瞬足がすくむ。

 でも、小さなメモの一言が、私を強く後押ししてくれた。


「六華、彩佳!」


 私は彼女たちの名前を叫んで、走り出した。

 走りながらもう一度二人の名を呼ぶ。

 すると二人はその声に気づいて、その場に足を止めて振り返った。


 私は走って彼女たちの前に止まり、息を整える。

 すぐにでも謝りたかったが、息が上がってちゃんと喋れない。

 走ったこともあって、私の心臓は激しく鼓動している。


 二人は立ち止まったまま、私が何かいうのを待っていてくれた。

 私は一つ大きく息をしてから、二人をちゃんと見て話し始めた。


「六華、彩佳、ごめんなさい」


 そう言って頭を深く下げる。

 そのままの姿勢でつづけた。


「私、自分のことばかりだった。

 ちゃんと頭を冷やして、二人が私の気持ちを分かってくれてたって気がついて、六華に酷いことをいったって思って……

 本当にごめんなさい」


 私は何と言えばいいのかわからないまま二人に謝っていた。

 ちゃんと伝わったかすら怪しいと思う。なんでもっと、ちゃんと伝えられないんだろう。そんな後悔も感じていた。

 彩佳が口を開く。


「そっか、昨日はあたしも叩いたりしてゴメン。痛かったよね。ホントごめん」


 六華がそれに続く。


「私は遥を友達だって思ってるから。遥も私を友達だって思ってくれてるって、ちゃんと伝わったよ」


 私はゆっくり頭を上げる。そこには少し照れ臭そうな二人の笑顔があった。

 笑顔なのに、二人が泣いてる?

 そう思ったときに私は自分の頬を伝う涙に気づいた。私も泣いてる。

 悲しい訳でも痛いわけでもない。だけど自然と涙がこぼれていた。

 わけがわからない。

 だけど一つだけ感じてたことがあった。

 この涙はとても暖かかった。


 それから3人そろって学校に向かって歩きはじめる。

 少し急がないと遅刻ギリギリだったからだ。

 言葉は少なめ。少し照れ臭い。私がそうだったからほかの二人もそうなんじゃないかと思う。

 校門をくぐって教室に向かう途中に私は六華にお願いをした。


「六華、言い難いんだけど、この間の六華のとこの子の話、ちゃんと聞かせて欲しいんだ」


 その言葉に六華の表情が少し曇ったように見えた。

 わずかな間が私にはとても怖く感じた。

 だけど、六華は笑顔になって、


「うん、私も聞いてほしい。昼休みで良いかな?」


 そう答えてくれた。


 授業には不思議なくらい集中できた。

 予習が効果的だったんだと思う。だから授業がむしろ復習の感じだった。

 午前中の授業を終え、お弁当を片手に校舎の中庭に向かう。

 そこに座り込んで、お昼を取りながら六華の話を聞いた。


「私がうまれたときに、お父さんが近所から子猫をもらってきたんだ。引き取り手が無くて困手ってて、見たらあんまりかわいいから、私と一緒に育てようって。お母さんは大反対だったみたいだけど、もらってきちゃった後でどうしようもなくて飼うことにしたんだって。

 猫の女の子だからミーコ。ネーミングセンスは少し疑うけど、その時からミーコは私の家族になったんだよ」


 六華は話し始める。

 最初はミーコは六華が苦手らしかったこと。徐々に仲良くなって、5歳のころには一緒のベッドで寝るようになっていたこと。

 六華が泣いていると、家のどこにいても最初に駆けつけてくれるのがミーコだったこと。

 取っ手がレバータイプの引き扉を、ジャンプしながら器用に開けることを覚えたこと。

 パスタが大好きで、つるつると器用に食べたこと。

 私にもその光景が想像できた。印象的だったのは六華の表情がとても優しかったことだ。


「私、前にもいったけど、病気がちで、入院と自宅療養を繰り返してたんだ。その日もいつもより、少し入院が長くなるって言われてたから、怖かったのを覚えてる。私病院は苦手だったんだ。

 少し怖いし、入院するといつも体調がわるくなったから。

 入院の当日、いつもみたいにミーコも玄関先についてきてお見送りをしてくれたんだけど、普段と違ってものすごくしゃべったんだよ。ミーコって猫らしくなくて、ニャーとか絶対に言わないの。にゃにゃにゃん、とか、うーあーう、みたいな感じでさ。

 私が不安なのを感じてくれて、励ましてくれてると思ってたんだ」


 そう話して優しかった六華の表情が少し曇る。


「3週間ほどで退院できた。治療は上手く行ったから、きっともう大丈夫だよって、お医者さんに言われて。家に帰ったんだ。

 だけど、もうミーコはどこにもいなかった。私がね、入院している間に…死んじゃったんだよ」


 六華の頬をぽろぽろと涙が零れ落ちる。


「ミーコも病気だったんだって。私が入院した直後にミーコも手術を受けて。

 手術自体は成功したんだけど、術後の経過が悪かったんだって。

 お父さんが話してくれたんだ。

 手術を終えて、家に帰ってきたら、真っ先にあたしの部屋に向かっていって、そこでぐるぐると歩き続けるんだって。

 縫ったばかりで、傷口が開く心配はないと聞いていたけど、手術跡で体力もなくなってるから休んで欲しいって思ったって。

 でも、歩き続けるんだって。

 少し疲れたら肩で息をしながら少し伏せて休んで、またずーっと同じところを回るように歩き続けるんだって。

 一晩じゅうお父さんはミーコを見てたみたいだけど、明け方近くになって疲れたから少し睡眠をとることにして、ミーコをケージに入れたって。

 ミーコにも少し休んで欲しかったからって。

 1時間ほど仮眠してミーコのケージを見た時には、もう……」


 六華は言葉を続けられなくなる。

 私はもらい泣きしていたけど、それ以上に話を続ける六華が可哀そうに思えた。


「六華、ごめんね、つらい話をさせちゃったよね。もういいよ、大丈夫。ちゃんとミーコのことわかったから」


 私はそう六華に伝える。

 だけど六華は私を真っすぐに見ていった。


「ううん、私は大丈夫。だからお願い、最後まで話をさせて」


 私は六華の真っすぐな目に圧倒された。

 何も言えずに座り直す。

 六華は言葉を続けた。


「私ね、最初何が何だかわからなくて。とにかく泣いたよ。

 でも、今はその時の自分の感情が少しわかるんだ。

 なんで私を置いて行っちゃったのって、悲しかった。でもそれ以上に怒ってたんだと思う。自分勝手だったって思う。

 時間だ経つにつれて、ただただ悲しくなった。

 お父さんからミーコの最後の様子を聞いた時に、何で助けてくれなかったのって、お父さんを責めたのを覚えてる。

 お父さんだって何とかして助けたいって思ってたはずなのに、私は酷いことをいったと思う。

 すごく落ち込んだ。本当にミーコじゃなくて私が死ねばよかったのにって思った。

 でもね、病院の看護師さんやお父さんお母さんがものすごく心配して、支えてくれようとしてるのを感じられたんだ。

 15歳になった時に、病気が完治したって教えてもらったときはすごくうれしかった。その時になって初めてちゃんとミーコと向き合えた気がするの。

 あの子は、眠るとそのまま起き上がれなくなることを知ってたんじゃないかって。

 だから必死に歩いて、眠らないようにしてたんじゃないかって。

 あの子は私に会いたいって、だから生きたいって思ったんじゃないかって。

 本当の所はわからないんだけどね。

 でも、だから思うんだ。

 今私が元気でいれるのも、ミーコのおかげ。そして病院で私の病気を治してくれた人たちのおかげ。お父さんとお母さんのおかげ。

 今でも運動は出来ないけど、出来ることをしようって。

 だからお医者さんになるって決めたんだ。

 私のような子供を助けたいって思えるから、ミーコみたいな子を助けることが出来るようになりたいって思ったから。

 今でもミーコを思い出すと少し悲しいよ。よく一人で泣いてる。

 でもさ、いつまでも泣いていたらミーコが心配しちゃうから。

 今こうして、遥と彩佳に聞いてもらえて嬉しいんだよ。二人にミーコのことを知ってもらってすごく嬉しいんだ」


 六華は再び言葉に詰まった。

 私は彼女にかける言葉が見つからない。だって、六華の方が私の何倍も大人で、頑張っているのだから。

 私は彩佳と六華を黙って抱きしめた。

 そう、一つだけ思いついた言葉があった。


「六華、ありがとう。ミーコ、ありがとう」


 私たちは3人で、しばらくの間泣いていた。





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