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未来は君と共に  作者: 神崎 真
3/9

3:迷子


 エルスが消える。

 その事実を知った瞬間から、私の頭の中はエルスのことでいっぱいだった。

 気がつけば朝になっていた。泣きながら眠っていたようだ。

 エルスはいつも通り話しかけてくれる。


「おはよう、遥。2041年5月18日土曜日。朝の気温は…」


 その声を聞きながら遥は胸が痛むのを感じた。

 あと少しで、この声が消えてしまう。

 受け入れがたい現実。


「遥、起きてるの?土曜だからっていつまでも寝てないで起きてきなさい」


 階段下からお母さんの声が聞こえてきた。


「朝ごはんいらない!」


 私は大きな声でそう答えて、布団を頭からかぶり直した。

 どうしよう、どうしよう。不安や苛立ち、様々な感情が心の中で渦巻いている。

 普段ならあれこれと話しかけてくるエルスが、今日は話しかけてこない。

 そう思った瞬間に、心の中の不安が一気に大きくなる。


「エルス?エルス!」


「僕はここにいるよ。遥、どうしたの?」


「ううん、何でもない」


 私は昨日よりは冷静になっていると思う。

 布団にうずくまって、何もできないでいる自分が腹立たしく感じる。

 でも、何をすればいいのか、エルスになんて声をかければいいのかすらわからなかった。


「遥、僕からの提案だ。起きるならそろそろ準備を始めた方がいい。六華との約束に間に合わなくなるよ。

 起きないのであれば六華に連絡をするべきだ」


 私ははっとなって布団から飛び出す。

 六華と図書館に行く約束をしているのをすっかり忘れていた。


「どうしよう。六華には悪いけど図書館に行く気分じゃないよ……」


 飛び起きてはみたものの、そんな気分じゃない。

 私の小さなつぶやきに、エルスは答えた。


「僕は気分を変えるために図書館に行くことを推奨する。だけど、第二選択として六華に電話することを提案するよ。

 体調が良くないから今日は出かけない、と言って謝れば、彼女は理解してくれると思うよ」


「うん、そうだね……そうする」


 私はテーブル上のドックに置いてあったエルスを左腕にはめて、ディスプレイ部を覗き込む。

 網膜認証と同時に直接表示が起動し、操作画面が見える。

 空中に表示されているパッドを操作して、サウンドオンリーにして六華の携帯を呼び出す。

 六華はすぐに電話に出た。


「遥、どうしたの?約束の時間には早いけど?」


「六華ごめん。朝から調子が悪くてさ。今日の約束だけどキャンセルしていい?」


「いいも何も具合悪いんでしょ?季節の変わり目だから風邪でも引いた?」


「そうかも……ごめんね」


「全然問題ないから気にしないの。早く治してね?」


「うん、ありがとう」


「うん。それじゃ月曜日にね」


「うん、月曜日に」


 短い通話を終えて、そのままベッドに倒れ込む。

 なんか本当に気分が悪い。

 もしエルスがいなくなったら、誰にどうやって相談すればいいのだろう。

 六華も彩佳も大切な友達だけど、エルスと同じように相談してちゃんと伝わるのだろうか。

 そんな不安も急に広がる。


「遥、そのままで眠ると風邪を引くよ。布団をちゃんとかぶって」


「分かってるよ、もう!」


 私はそのまま布団をかぶり、目を瞑る。

 どうしよう、わからない。どうしたらいいの。

 単純な問いかけが頭の中をぐるぐると回り続ける。

 寒くもないのに汗をかいて体が震える。


「エルス、私はどうすればいいんだろう……」


 私は無意識に呟いていた。

 その声にエルスが答える。


「若干の発汗と体温の上昇を検知、風邪の初期症状である可能性が高いね。緊急通報の必要はないけど空腹状態である事も考慮して、漢方薬の服用をお勧めするよ」


「そういう話じゃないってば!」


 私はエルスの言葉がとても腹立たしかった。

 自分はこんなに心配してるのに、なんでエルスが平気なのよ。

 そう思ったからだ。


「エルス、消えちゃうんだよ?私と一緒にいられなくなるんだよ?嫌じゃないの?怖くないの?

 私はこんなに怖いんだよ。エルスにはわからないの?」


「遥、AIに感情はないんだ。君の感情は知識として理解はできる。だけど僕は君のように好き嫌いはないし、恐怖も感じない」


「昨日は寂しいって言ったじゃない!なんで嘘なんかつくの?」


「嘘ではないよ。僕が停止することを僕自身では残念だとは思わない。むしろ当然だと考える。能力的に不足していることは明らかだ。

 だけど、遥のこの先を見られないのは、最も適切な表現を選ぶなら”残念”だよ。

 そういう意味の感情を表す言葉として、寂しい、は嘘には当たらないと思う」


「能力が不足してるなんて嘘!毎日完璧にサポートしてくれたじゃない?いつだって相談に乗ってくれたじゃない?

 いつだって頼りになって、助けてくれて、そばにいてくれたじゃない!」


「そういう能力は確かに現状で十分だよ。でも、それは僕よりも後に作られた小規模なAIでもかなり実現できるんだ。

 圧倒的に低コストで、高効率でね。

 君のお母さんが言ってたよね『一定の成果が上がった』って。

 僕の最大の目的はAIが人間と共存する可能性を模索することにあるんだ。

 遥が僕を家族と呼んでくれたのは光栄なことだよ、僕の存在意義が認められた瞬間でもあるんだよ」


「そんなのどうでもいいよ!私はエルスじゃないと嫌なの、エルスと一緒にいたい」


 エルスはすぐには応えなかった。

 私には、そのほんの僅かな時間が、とても長く感じられた。


「それが問題の一つとして指摘されているんだよ、遥。それが……情報開示規制により公開できない情報です。」


 何かを言いかけたエルスの言葉を冷たい女性の声が遮った。


「なんなの!だれよ!なんで邪魔するの?!」


「今のも僕の一部だよ。僕は僕自身の研究に関してのデータは公開できない。いまそれを開示しようとしたので、僕の中の安全機構が動作したんだ。

 僕だって判断を間違えることはある。それを防ぐためには必要なんだ」


 私の知らないエルスを見た気がした。

 急にエルスが遠く感じられる。


「エルスのバカ!もう知らない!」


 私は乱暴にリストバンドを外して投げつける。

 リストバンドは床で大きく跳ねてから転がり、壁際で止まった。


「君に投げられるのは11回目だ。最後は6年前。最初は君が2歳の誕生日を迎える前だった。当時はウサギのぬいぐるみだったけどね」


「エルス、ごめん。私酷いことした。ごめんね……」


「大丈夫だよ、僕はタフだからね。それに遥が謝ることはない。僕は君のためにいるのだから」


 エルスの声が酷く優しく聞こえる。

 今の私には、それがかえってつらく、悲しかった。


 それから数時間。何を話すわけでもなく、静かに自分の部屋に閉じこもっていた。


 夕方になってエルスが話しかけてきた。


「遥、もうすぐ晩御飯の時間だよ」


 朝から何も食べていなかった私はその一言で急に空腹であることに気がついた。


「人間って残酷だよね。こんなに落ち込んで不安になってても、おなかは空くんだよ」


「それは論理的に正しくないよ。残酷とかという話ではなくて、生きている以上、食事も必要だし、トイレにもいく」


「それはそうかもしれないけど……そういう所、デリカシーが足りないよね」


「僕にデリカシーのような、繊細な部分を求めることが間違いだよ。感情が理解できない以上、適切には対応できない」


「そうかもしれないけど、エルスって割とタイミングよくいろんなこと言ってくれるじゃない?笑えないジョークも含めて」


「ジョークが笑えないのは別にして、僕がどれだけ遥のことを知っていると思っているんだい?推論できることであれば多少は先回りもできるよ」


「そう、誰よりも私のことを知ってるエルスがいなくなるんだよ?私が平気な訳ないじゃない」


「大丈夫だよ。多少は先回りのできる僕が言うのだから信じて欲しい。それに遥は僕以上に自分のことを知っているんだよ?」


「なんか平行線だよね……」


「僕は頭が固いからね」


「エルス、一応聞くんだけど、今のはジョークのつもり?」


「笑えない?」


「うん、笑えない」


「そう、それは残念だ。今日の晩御飯は恐らくお母さんの手作りハンバーグだよ」


「なんでわかるの?」


「午後の買い物で買ってきた品目からの推測だよ。それにお母さんは遥のことを心配してるから、好きなものを食べさせて元気になって欲しいんじゃないかな」


「感情が理解できないって言うのに、そういうことはわかるんだ?」


「分かるよ。感情ではなく、そういうものだと学習しているからね。親は子供を心配する、そういうものじゃないの?」


「そうだね、そういうものなんだよね」


「それはともかく、食事は摂った方がいいよ。何かを考えるつもりなら、カロリー不足は致命的だ。血糖値を適切に上げていないと思考能力は低下するよ?」


「私の負け。ご飯食べて来るよ」


「うん、それがいい。ああ、遥、これは僕からの提案なんだけど聞いてくれるかな?」


「何?言って?」


「食後、部屋に戻るときにお母さんに一言、『私は大丈夫だから少し時間がほしい』に類することを言うのをお勧めする」


「なんで?」


「お母さんもお父さんも遥を心配してるはずだよ。その一言で安心してもらえるはずだ」


「大丈夫じゃないんだけど……」


「大丈夫、僕が保証するから」


「わかった、そう言うことにしておく。また後でね」


 食卓は静かだった。

 私は両親にどんな顔をすればいいのか分からずに伏し目がちに食事を取った。

 お父さんが時々口にする大げさな「このハンバーグ美味いな」とか、「今日は何してたんだ?」とか少し鬱陶しく感じた。

 エルスのジョークの方がまだマシ。

 その度にお母さんの視線が刺さっているのを見て、少し笑いそうにもなったけど。

 二人とも私のことを心配してくれているのはわかった。


「ごちそうさま」


 そう言ってダイニングテーブルから立ち上がって部屋に戻ろうとしたときにエルスの言葉が頭をよぎる。


「お母さん、私は大丈夫だから。でも、今はまだ無理。少し時間をちょうだい」


 意を決して口に出した。

 お母さんは笑顔でこう答えてくれた。


「時間は必要なだけ使ってもいいのよ」


 すべてがエルスの言った通りだった。



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