第四話:試しに自作してみた、理論式魔導陣(β版)
「この線、角度を七度だけずらして。そう、ほんの少しだけ」
「七度……こう、ですの?」
「完璧。やるじゃない、アリシア」
王立書庫の奥にある実験室の一角で、理央とアリシアは床一面に魔導陣を描いていた。
手にしたチョークの先が、まるでコンパスのように滑らかに円弧を描いていく。
描いているのは、理央が設計した**“理論式魔導陣β版”**。
装飾や祈りを排し、構造と機能を明確化した、いわば「構造設計図」そのものの魔法陣だ。
「これ……まるで回路みたいですのね」
「実際そういう発想で作ってるからね。魔力の流れは電流と似てるし、
入力・増幅・共振・出力という工程は、オシロスコープの波形と同じ。……あ、ごめん。そっちはまだこの世界に無いか」
「おしろす……こーぷ?」
「うん、いつか作る」
アリシアは理央の言葉を半分以上理解していないが、それでも笑って頷いた。
彼女の視線は、今までに見たことのない美しい構造体に釘付けになっている。
「じゃあ、あとはここに“導電触媒”として、銀粉をまいて……」
理央は小瓶から銀色の粉を撒き、魔導陣の要となる“焦点”を接続した。
「構造安定よし。媒質反応よし。入力量は低レベル──じゃあ、やってみようか」
「は、はいっ!」
アリシアが緊張に息を飲み、理央は微笑む。
「魔法の才能も、魔力量もいらない。必要なのは、構造と再現性。それと──」
理央はアリシアの手を取り、陣の中央へと導いた。
「……ちょっとの勇気だけ」
「──始動」
理央の合図で、アリシアがそっと手を魔導陣の中央へ重ねた。
最初は何も起きなかった。
だが、彼女の心が魔導陣へと向いた瞬間──
ピチ……ッ!
火花が走った。
空気がわずかに揺れ、陣の輪郭が青白く輝き始める。
周囲の空気中にあった微細な粒子が、まるで引き寄せられるように中心へと集まり──
バチィン!
ごく小規模ながら、確かな“雷”が放たれた。
魔導陣の外縁から生まれた放電が、机の金属器具に飛び、閃光が走る。
「……!」
アリシアが目を見開いた。
指先に、ビリッとした感覚が残っている。
だが、熱も痛みもない。ただ“魔法”を使ったという実感が、確かにそこにあった。
「い、今の……!」
「成功。論理式魔導陣β、起動確認」
理央はまるで物理実験のデータが初めて通ったかのように、ほっと肩を落とした。
「おめでとう、アリシア。君は魔力量ゼロに近くても、ちゃんと魔法を使えた。
──これは大発見よ」
「すごい……本当に、使えましたのね……! わたくし、魔法が……!」
アリシアは目にうっすら涙を浮かべながら、手を握りしめた。
「理央さまっ、これは……本当に、世界を変えるものになるのでは……?」
「まだβ版だけどね。でも──ここから先は加速度的に進むわよ。
なにせ、これからは“才能”じゃなく“設計”で魔法を語れるんだから」
既存の魔法理論が追いつかない場所に、理央は一歩足を踏み出した。
彼女は知っている。理屈が世界を変えることを。
この現象もまた、現象である限り──法則があり、式があり、解析できる。
それは、理央にとって当たり前のことだった。
その日の夕方。
研究記録のメモをまとめながら、理央は一息ついてアリシアに尋ねた。
「ねえ、アリシア。もしこの魔導式が完成して、誰でも魔法を使えるようになったら、どうなると思う?」
「……それはきっと、素晴らしいことですわ。
魔力がなくて泣いた人が救われる、そんな世界が来るってことですもの」
「そうだね。でも──きっと、誰かが怒るよ」
「え……?」
「“特別だったはずの人たち”が、自分の価値が脅かされるのを怖がるから」
理央は目を細める。
「でも、そんなの関係ない。私はただ、“こうすれば魔法が使える”って示したいだけ。
研究者っていうのはね、“正しいことを証明するために、世界とケンカする生き物”なのよ」
その言葉に、アリシアは息を飲み──やがて、まっすぐに頷いた。
「……では、わたくしも、世界とケンカする研究者になってみせますわ」
「ふふ、頼もしいじゃない」
二人は笑い合いながら、新しい式の構築に取りかかる。
──その時、誰も気づいていなかった。
このβ版魔導式が、数週間後には王国を揺るがす“革命”の火種になることを。