第十話:研究資料を盗まれた!? そして裏にいるのは貴族派閥だった件
──深夜、理央の研究室。
薄暗いランタンの光だけが、書きかけの術式図と演算式を照らしていた。
理央は白衣を脱ぎ、アリシアが淹れてくれた紅茶を飲みながら机に寄りかかっていた。
「……これで“第五構造式”の初期仮説はまとまった。あとは波形演算だけ……」
「すごいですわ……それ、わたくしには全然分かりませんけど」
「うん、分からなくていいよ。今はまだ“言葉”になってないから。でも、形にしてみせる。必ず」
だがその夜──。
事件は、静かに起きた。
翌朝。
学園の研究棟がざわついていた。
窓ガラスが割られ、室内に土足の足跡。散乱した紙束と──消えた一冊のノート。
「……やられた。構造式ノート、β7までの改良データが全部……!」
「し、信じられませんわ! 学園の中で、こんな……!」
理央は歯を噛みしめた。
あのノートには、彼女の“理論魔導”の核心が記されていた。
もし悪意ある誰かの手に渡れば、それは研究ではなく“兵器”として利用されかねない。
「誰が、こんなことを……?」
その答えは、意外な形で明らかになる。
翌日──学園の中庭。
理央のもとに、同級生の一人がこっそりと近づいてきた。
「……理央さん。ちょっと、聞いてもらえますか」
それは平民出の眼鏡の男子生徒、キール。
魔法そのものにはあまり縁がなく、普段は静かな図書室にいる生徒だ。
「昨日の夜、寮の裏庭で……貴族の生徒が何かを渡しているのを見ました。
──“赤い封筒”と、“黒革のノート”。多分……あなたのです」
「誰だったか、分かる?」
「……たぶん、クラウゼン家の側近です。前にあなたと戦った、ジークの取り巻きの一人です」
──クラウゼン家。
貴族派閥の中でも、“血統主義”を強く掲げる旧貴族の本家。
(……つまり、“構造魔法”を潰したい連中が、先に動いたってわけか)
その夜、理央は単身、王都西区のクラウゼン屋敷に乗り込んだ。
「……お客様のお名前を──」
「一ノ瀬理央。魔法学園の生徒です。用件はひとつ、“盗まれたノート”の返還交渉です」
「──!」
門番が色を失ったように顔を引きつらせる。
やがて中から現れたのは、ジーク=クラウゼンその人だった。
「……何の話か分からないな。“証拠”でもあるのか?」
「あるよ。“ノートの綴じ穴の跡”と、私がノートの隅に描いた回路図の欠片。
そして、あなたの側近が赤い封筒と交換していたという目撃証言もある」
ジークの口元が引きつる。
「理央。君のその魔導理論は、王国にとって危険すぎる。
“誰でも魔法が使える世界”が来たら、我々貴族の存在意義はどうなる? 血統とは、何だったのか?」
「……私には、特権を守るために“可能性”を潰す連中の方が、よほど危険に思えるけど」
「君は、分かっていない。
“正しい”ことが、“正義”になるとは限らないんだ」
「だったら、“正しいことを押し通す力”を持てばいい──それが、研究者ってもんでしょ」
そう言って、理央は静かに手を差し出す。
「ノートを返して。……今なら、あなたを公には告発しないでおく」
ジークは数秒沈黙し──やがて、苦々しげに懐から黒革のノートを差し出した。
「君は、いずれ刺されるぞ。理屈だけで世界は変えられない」
「心配してくれてありがとう。でも──私、理屈で世界を変えるつもりだから」
その言葉に、ジークは何も言えなくなった。
学園の研究室に戻った理央は、ノートを確認し、
無事にすべてのデータが残っていることを確認すると、大きく息を吐いた。
アリシアがそっと、紅茶を差し出す。
「お帰りなさいませ、理央さま。……大丈夫、でしたか?」
「うん。資料も回収できたし、“次の段階”に進める」
「次……?」
「“第五構造式”。
今の式を応用して、“魔力そのもの”を操作対象にできる可能性が見えてきた。
つまり──“魔法の根源”に、手が届くかもしれない」
アリシアの目が見開かれる。
「このままいけば、魔法を“再現”するんじゃなく、“再定義”できる」
そう──この日をもって、“第一章”は終わりを迎える。
だが理央の戦いは、まだ序章にすぎない。
これから先、理論魔導を巡る派閥抗争、学術戦争、さらには──
王国の根幹にかかわる“魔法の起源”を巡る陰謀が、静かに幕を開けようとしていた。
(第一章・完)
はじめまして、ここまでお読みいただきありがとうございます。
本作『ブラック研究室から異世界へ!数式で解き明かす魔法理論、最強の魔導式は私が作る』第一章、いかがでしたでしょうか。
本作の主人公・理央は、「魔力量ゼロ」「才能なし」「血筋も無し」という、ファンタジー世界では“最弱”とされがちな立ち位置から物語をスタートしています。しかし彼女は、それでも前に進み、独自の視点と理論で世界に食らいついていきます。
それはきっと、何かを諦めてきた人や、「向いていない」と切り捨てられた誰かに届くと信じています。
魔法というロマンのある概念に、「数式」や「構造解析」といったロジックを持ち込む試みは、やや地味かもしれません。けれど、それを面白く、熱く、そして誰よりも“痛快”な物語にすることを目指して、筆を取りました。
読んでくださった皆様の中に、少しでも「こういう魔法の使い方、ありかも」と思っていただけた方がいたら、本当に嬉しいです。
ここまで読んでくださったあなたに、心から感謝を込めて──ありがとうございました。
感想などもお待ちしております。