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夢への冒険

作者: 斉藤 霊

 これは、遠い遠いとある国の、冒険嫌いの男の子のお話です。


 その国には不思議な夢を創り出す魔女様が代々暮らしていました。魔女様は何不自由なく暮らせる保障の代わりに、国と約束を交わしていたといいます。その約束とは、十ニ歳を過ぎた子どもたちを夢の世界で冒険させるというものでした。

 そうして今日も、魔女様のもとに腐れ縁の三人の子どもたちがやって来たのです。



「ぼくは冒険なんてごめんだ。冒険には何の価値もないし、時間を無駄にするだけだ。家で絵を描いていた方がずっといい」

 目の前にすれば子どもの誰もが震え上がる魔女様が目と鼻の先にいるというのに、少年はフンッと鼻息を荒くしてそう言ってみせました。

 少年の名はアート、今日冒険に出る予定の一人です。

「そんなこと言って、本当は怖いだけなんじゃないか?」

 そうからかうのは、体を動かすのが得意なポーツ。

「や、やめなよ。喧嘩はよくないよ。ま、魔女様の前なんだし」

 へっぴり腰のトランは二人の間に挟まれて震えていました。


「喧嘩は冒険に出てからするといい。さぁ、このベッドに寝なさい」

 魔女様が指をさした先には、紫色の液体で満たされたお風呂のようなベッドでした。三人はそれを見た途端、ぎょっと目を開いて驚いてしまいます。

「ま、魔女さま、服が濡れちゃいますよ」

「魔法の水さ、濡れないし、息ができなくなることもない。それよりも、大事なものは持ってきたかい?」

 三人は頷いてそれぞれ家から持ってきた大事にしている物を取り出しました。

 ポーツはぼろぼろの運動靴。トランは角の折れたカードの束。そしてアートは新品のようにピカピカの絵筆。三人はまったく違う物を大事に大事に抱えています。

「二人とも、大事な物のはずなのに、どうしてそんなに汚いの?」

 そう言ってアートは自慢げに絵筆を見せびらかします。ポーツは怒った顔をして、トランは泣きそうな顔になってしまいます。

「ほぅら、喧嘩はよそに、大事なものを持ったままベッドに横になりなさい」

 三人はそれぞれ別の表情をしながらも横になり、魔法の水に浸かって目を閉じました。

「おやすみ、そしていってらっしゃい」



「ぼくはコンテストで賞を取ったことだってあるんだ、君たちのように遊びで夢を語っているわけじゃない」

 アートはそう言ってずんずんと先頭を歩きます。

 絵画の中のような色鮮やかなジャングルを三人は突き進んでいました。冒険のゴールははるか遠くに見える、空高く立ち上がる光の柱です。

「こんなの子ども騙しじゃないか。ぜんぶ魔女の思うままだろう?」

「ち、ちがうよ。魔女様も夢の内容は決められないって」

「ママやパパから聴いてないのか?持ち込んだ大事な物によって夢の中身が変わるって」

 ポーツはキラキラと赤色に輝く運動靴を見ながら言いました。ぼろぼろだった運動靴が新品よりもピカピカになったことで、ポーツはとても嬉しそうです。

 アートも負けじと黄色に輝く絵筆を見せびらかします。空中で想像を膨らまして筆を走らせると、その場に思い思いに絵を描くことができる魔法の筆でした。

「もちろん聴いたさ。でもくだらないことに変わりはないだろう?」

「あ、アートにとってはくだらないのかもしれないけど、わたしはいい経験になると思う」

「トランの言うとおり。夢の中だろうと冒険はくだらなくない。それに、おれたちにはアートみたいに賞を取った経験はないけど、だからといってただの遊びだったり、不真面目に好きなことをやっているわけじゃない」

 ポーツはアートを追い越して言いました。

「君たちは昔から変わらず、実らないことに熱心だね」

 そんな心無い言葉に、前を歩くポーツの顔が赤くなったとき、後ろからトランの悲鳴が聞こえました。


 驚いた二人は同時に振り返り、そうしてまた驚きます。

 大きな大きなヘビが木の上からぶら下がり、トランを頭から食べようと見つめていたのでした。

「仲の悪そうな空気だなぁ、オレさまの好きな匂いだぁ」

 ヘビは怯えるトランの体をぐるっと一回りして意地悪に笑います。

「ぽ、ポーツ、君のその靴で倒せるだろう?」

「あんな大きな蛇じゃ近づけっこない!あの長い尻尾にはたかれたら、きっとうちの猫にパンチされるより痛い思いをしそうだ。それよりもアート、お前の筆で何か役に立ちそうな物は描けないか?」

 今にもトランは食べられてしまいそうです。アートは頭を悩ませ、そんなときふと、ポーツの靴に目がいきました。

「そうだ!」

 そうつぶやいたアートは筆をとり、空中にたくさんの丸を描いていきます。出来上がった丸は地面に落ちると、よく弾むボールになりました。

「君はサッカーも得意だろう」

「もちろん!」

 赤色に輝く運動靴がボールを次々と蹴り上げます。ボールはすべてヘビの頭に命中し、ヘビは悲鳴を上げて藪の中に逃げていきました。

「大丈夫かトラン?」

「う、うん。ありがとう二人とも」

「ふんっ!たかが夢の世界の蛇じゃないか。あそこまで怯える必要なんてなかっただろう」

 そう言う割に、アートの膝は大笑いをしていましたが、二人は見て見ぬふりをしてあげることにしたようです。

「早く行こう、時間がもったいない」

 二人分の水筒を描いて渡したアートはそそくさと歩き出してしまいました。

 ポーツとトランは顔を見合わせると、やれやれと苦笑いを互いにして、水筒を手に彼のあとを追いかけるのでした。


「ど、道中には道を塞ぐ番人が待ち構えていて、試練を突破しなければいけないとは聞いていたけど……」

 臆病なトランはそう言うなり二人の後ろに隠れてしまいました。

 それもそのはずです。ジャングルを抜けて川のほとりに出た三人の前には、唯一の橋の前で通せんぼをするウサギがいたからです。ウサギといっても、太っちょで意地悪そうな顔をした、それはそれは大きなウサギでした。

「よく来たね、子どもたち」

 ウサギは穏和な動きと声で三人に話しかけます。

「僕はウサギのフルーカ、絵を描くのが趣味なんだ。早速だけど、僕と絵の勝負をしないかい?三人の内一人でいい、僕か観客を満足させれば君たちの勝ちで、この橋を渡ることを許そう」

 「それなら」と、一歩前に出るのは他ならぬアートです。

「趣味でやっている程度の相手なら、ぼく一人で十分さ」

「ほう?君一人で?二人はそれでいいのかい?」

 ポーツとトランは頷きます。絵に関しては二人とも、アートの実力を認めていたからです。アートが勝てなければ、二人に勝つ術はありません。

 自信満々のアートとそれを認める二人を見たフルーカは、いたずらを思いついた悪い子のような顔をして見せました。

「ふふふ、いいだろう。君の名前を教えてくれないか?」

「アート、未来の超有名画家さ」

「ふふふっ、それじゃあアート、始めようか」

 フルーカがどこからともなく真っ黒な絵筆を取り出すと、いったいどこに隠れていたのか、ジャングルの中からたくさんの観客が出てきました。なんとその中には、ついさっきトランを食べようとしたヘビもいました。

 怯えるトランをよそに、アートも黄色の絵筆を取り出しました。用意されたキャンバスに向かい、構図を考えます。

「アート、もうフルーカは描き始めてるぞ!さっきの蛇もこっちをすごく見てる!」

 アートからフルーカのキャンバスは見えませんが、大きなキャンバスから時々はみ出すふわふわの腕から確かに描き始めているのが分かります。

「うるさいなぁ、まともに考えずに描いた絵にぼくが負けるわけないんだから、安心して待ってればいいんだよ」

 そうしてフルーカの手が止まったころにようやくアートは描き始めました。黄色の筆がキャンバスの上を踊るように走ります。想像力と技術が合わさり、それはもう素晴らしい絵が出来上がりました。仲間の二人も、ジャングルの観客たちも感嘆の声を上げます。

「おやおや、いい絵だねえ」

「そうだろう。だからさっさと橋を渡らせてくれないかい?」

「まあまあ、まずは僕の絵を見てくれないかい。絵に詳しい君なら、なにかしら評価を出せると思うんだ」

 「いいだろう、ぼくの絵とどれだけ競えるか見てみよう」と、アートは大手を振ってフルーカのキャンバスの前に立ち止まりました。そして、ぽかんと口を開けて固まってしまいました。

 そこに描かれていたのはこの川辺のなんてことない風景画でした。しかし、不思議なことにアートはそのなんてことない絵から目が離せません。それは見ているみんなも同じようで、観客たちからは「何度見ても、なんだかよくわからないけど、なんかいいな」「絵のことは分からないけど、不思議な魅力があるね」「男の子のほうも色鮮やかで素敵なんだけど、なんというか、フルーカはよく世界を見ているってことがこの絵から伝わってくるわ」等々、どれもフルーカの絵を賞賛する声でした。

 残る二人はというと、「おれはアートの絵もいいと思う。まぁ、この絵も悪くはない……けど」と、誤魔化すのが下手なポーツに、「うん、アートの絵はカラフルで、自身に満ち溢れてたと思うよ。いつも通り上手かったし。でも、どちらがより上手かと言われたら……」と、結構ストレートに刺してくるトランでした。

 アートはやがて、わなわなと肩を震わせてフルーカを見上げて言います。

「なんで!なんで趣味なんかでやってる君がこんな絵を描けるんだ!おかしい、おかしいよ…………!」

 地団駄を踏んで、筆を振り回してアートは怒りをあらわにします。よほど頭にきたのか、涙まで浮かべています。

「はっはっはっ!君は子どもだが、しっかりと負けを認められるいい子のようだね。それなら、君が負けてしまった理由を説明したうえで、コツを教えたあと、もう一度――――」

「なあなあなあ、負けたんだろう、なら食ってもいいよな?」

 突然、大きなヘビがフルーカの話を遮って会話に乱入してきました。そうです、トランを食べようとしたあの恐ろしいヘビです。

「グリー、だめに決まってるだろう。これからなんだ」

「うるさいなぁ、オレさまは勝負がつくまで待ってたぜ。それにあいつは負けを認めた。だから、オレさまの出番さ」

 ヘビのグリーがとぐろを巻いていた体を解いてよだれを垂らします。

 標的となって呆然とするアートは動けませんでしたが、ポーツに手を引かれて無理やり走り出しました。

「ま、まさかぼくが負けるなんて」

「とにかく逃げる方法を探さないと」

「わぁぁぁ、う、うしろにき、来てるよぉぉぉ!」

 グリーが大きくて長い体をしならせて近づいてきます。その距離はどんどん狭くなっていき、ついにはグリーの細長い舌がアートの背中を舐めるほどまで迫っていました。

 アートは急いで筆を走らせます。思い描いたのはダーツの矢でした。しかし、実際に出来たものは線が曲がって左右も不対称のなんとも不格好なものでした。一応投げてみますが、まるで地面が恋しいというようにすぐに地面に落ちてしまいます。突き刺さりもしません。

 そのあともいくつか描いてみますが、どれも絵が苦手な子どもが描いたようなものしかできません。

 フルーカに負けを認めざるを得なかったときですらアートの自尊心は大きく傷ついてしまっていたのに、こうもなってしまうともうぼろぼろです。

「くそうっ!くそうっ!!ぼくには絵しかなかったのに!こんな……こんなもの!」

 アートは振り返って、腕を振りかぶり、そしてなんと、大切な絵筆をグリーに投げつけてしまいました。

「うぎゃあぁぁ!!」

 絵筆は空中で文字通り弘を描きながらグリーの顔に直撃しました。たまらず悲鳴を上げて身を逸らしています。

「今のうちにどうにかしないと!」

「トラン、お前はなんだかんだでおれたちの中で一番頭がいいんだから、なにか思いつかないか?」

「か、考えてるよぉ!で、でも何にも思いつかないよぉ…………あっ、思いついた!」

 そう言うなりトランは胸のポケットから青色に輝くカードの束を取り出しました。そしてカードの一枚を空高く掲げると声高らかに唱えます。

「たすけてコウノトリーーー!!」

 その瞬間、カードが光り輝き、その光の中から一羽の大きなトリが現れたかと思うと、あっという間に三人を真っ白な風呂敷に包んで飛び立ちました。鳥の脚に摑まれた風呂敷の中で三人はもみくちゃにされてしまいましたが、トランが「降ろしてー」と叫ぶとすぐに地面に降り立ち、カードの中に戻っていきました。


「ありがとうトラン、助かった」

「う、うん」

 三人は川の向こう側の平原にいました。どうやら橋を渡らずに先に進んでしまったようです。

「…………ありがとう、トラン」

 アートは膝を抱えてしょぼくれています。それもそのはずです。高く伸ばしていた鼻を折られてしまったのですから。

 ポーツとトランはアートにどう声をかけようかと悩みますが、これといって良い案が思い浮かびませんでした。そうこうしているうちにアートが立ち上がり、「行こう、何はともあれ先に進めたんだ。このままゴールを目指そう」と言って歩き出してしまい、二人は慌ててそのしょぼくれた背中を追いかけました。



「ね、ねぇアート、あなたの言っていたとおり、ここは夢の世界でその……くだらない、から、だから気を落とす必要はない……と思うよ」

「慰めてもらう必要なんてない……ぼくは唯一の取り柄であった絵を失ったんだ。むしろ、今まで威張っていたぼくを笑うといい。笑われるのがお似合いさ」

 なんとも情けない物言いには、気遣っていた二人もさすがに苦笑いを隠せません。とぼとぼと歩くうら淋しい姿はまさに彼の心情を表していました。

「君たちは素晴らしいよ。成果を得られずとも直向きに努力し続けていて、それに加えて他のことにも良く手を伸ばしている。たった一度の成功で浮かれて、他の物事を疎かにしていたぼくよりずっと素晴らしいよ」

 卑屈になったアートは卑屈な言葉でどんどん自分を否定してしまいます。そんな彼から目を離すわけにもいかず、二人はその後ろから、どうしたものかと呆れていました。

 そんな時です。


「やあやあやあ!楽しくなさげなお三方!オイラたちとおひとつダンスはどうだい?」「どうだい?」「「どうだい?」」

 なんとも陽気な声がどこからか重なって聞こえてきます。二人は辺りを見渡してみますが、談笑するヒツジに木をつつくのに勤しむキツツキなどで、こちらに話しかけるそれらしき人も動物の姿もありません。

「下さ下さ、下を向いてごらん」「ごらん」「「ごらん」」

 言われるがまま下を見てみると、地面に開いた穴の入り口から一匹の小さなネズミが器用に二足で立って前足を振っていました。

「やあやあやあ。川沿いに住む親戚から聞いたんだが、君たちはあの悪食(あくじき)なヘビに一つ痛い目を見せてやったんだろう?どうかそのお礼をさせてくれよ」「くれよ」「「くれよ」」

「ど、どうする?」

「どうするもこうするも、まずはほうけて歩き続けてるアートを止めないと!」


 どうにかこうにかして、二人はなんとかアートを止めることに成功しました。

「ぼくはダンスの気分じゃないよ。目立たない端っこの方で終わるまで待ってるから」

 開口一番卑屈さ全開のアートをネズミが笑い飛ばします。

「あっはっはっはっはっ!そんな暗いこと言ってどうしたんだい?この世界はたまに蛇みたいないけ好かない奴もいるが、楽しいこともたくさんあるはずさ。周りを見てごらん、この平原にはたくさんのおもしろいものがあるからさ」

 ネズミはアートの肩までよじ登ると、頬を叩いて周りを見るように催促しました。アートはムッとジト目になりますが、言われたとおり周りを見てみます。

 そして、あっと口を開けました。

 いつの間にか、空は暗くなっており、その下では賑やかな宴が開かれていたのです。

「い、いつの間に!?どこから!?」

 驚くアートに対して、ネズミは豪快に笑いながら語ります。

「はっはっはっ!君が前ばかり見ていたから気がつかなかっただけさ!ほら、君の友人たちはもう楽しんでいるよ」

 ネズミの指さす先では、ポーツとトランがネズミやヒツジに手を引かれて宴の輪に入るところでした。二人は困惑しているようでしたが、キツツキが木をつついてリズムを取り、それに合わせて平原の動物たちが踊り出すと、だんだんと笑顔になり一緒に踊り始めました。

「ほらね、前だけを見て突き進むのもいいけど、たまには立ち止まって踊ってみるのもいいだろう?」「だろう?」「「だろう?」」

 ネズミは手際よく用意された台に登ると、ネズミ色のコートを羽織って優雅にお辞儀をしました。

「オイラはラート、平原の案内人さ。兄弟たちとここで君たちを待っていたんだ」「いたんだ」「「いたんだ」」

 ネズミのラートとその兄弟たちはアートを囲み、隅っこでそっぽを向いていた彼の体の向きを変えてあげます。

「一休みするでも、混ざりに行って踊ってみるでも、楽しみ方は自由さ。オイラたちの宴にようこそ」「ようこそ」「「ようこそ」」

 アートは不格好ながらも楽しそうにダンスをする二人を見ます。その雰囲気を肌身に感じたせいでしょうか、アートのつま先がリズムに合わせて地面を叩いています。

「ぼくは…………混じる気にはなれない。でも、少しだけ休もうかな」

 不格好なダンスと木をつつく陽気なリズム、平原の動物たちが集まり思い思いに楽しんだり、見物したりします。アートは端っこより少し真ん中に近づいて、運んできてもらった椅子に座って愉快な光景を眺めました。


「この谷の底を一直線に進めばゴールにまた近づけるはずさ」「はずさ」「「はずさ」」

「あ、ありがとう。ラートさん、と、弟さんたち」

「おかげで楽しかったし、平原の先の谷を迷わずに来れた」

 三人は宴を楽しんだあと、一夜休んで明るくなってからラートたちの案内で平原を抜け、山に続く谷の迷路を進み、次の番人のすぐ近くまでたどり着いていました。

 アートは愉快なネズミの紳士の前にしゃがみ込むと、少し恥ずかしそうにしながらも「ありがとう、もう少しゆっくりしてみてもいいかなって思えたよ」と、はにかみました。

「いいってことさ。さあ、ゴールはまだ先だ。三人とも、良い旅を!」「良い旅を!」「「良い旅を!」」

 こうして三人はネズミたちと別れ、次なる試練に向かうのでした。



 険しい山の入り口には、アートたちと背丈の変わらないサルが待っていました。

「ヤッホー!俺はキーン、体を動かすことが大好きなパワフルボーイだ!この先の山を登りたいなら、俺と遊んで俺を満足させるくらいじゃなきゃ登れないぜ」

「つまりはおれの出番ってわけだな」

 ポーツが肩を回して意気込みます。残る二人もそれに異論はないようです。

「いやいや、役割を分担してもいいが、全員参加だぜ」

「そ、そ、そ、そんなぁ!」

 トランの悲痛な声が、高い山の向こうにまで響きました。


「競技は四つ、まずはかけっこだ。山の入り口のここから、谷の出口で折り返してここまで帰ってくる速さを競う。準備はいいか?」

「ああ!」

 ポーツは自信満々に両手の指を地面に着けます。――――そして、木の実が落ちたのを合図に一人と一匹は走り出しました。

 ポーツもキーンも足の速さは変わりませんでした。瞬く間に彼らは谷まで半分の地点にたどり着きます。そこにはトランが待ち構えており、ポーツはトランにバトンを渡します。トランは必死に走りますが到底かないません。みるみる距離を離されてしまい、半泣きのトランが谷の出口にたどり着いたときには折り返したキーンの背中がはるか遠くにありました。

「おつかれトラン」

「はぁ……はぁ……」

 トランからバトンを受け取ったアートは遠い背中に向けて走り始めます。トランほどではないにせよ、アートは運動が得意ではありませんでした。それでも破裂しそうな肺と弾けそうな脚に鞭を打って走ります。

「アートもう少しだ!」

 待ちかねたポーツが交代を予定していた場所よりも近づいてきます。

 厳密なルールはないのでこれくらいなら許してくれるでしょう。

「追いつけるのかい?」

「分からないけど、やるしかない!」

 そう言ってアートからバトンを受け取るなりポーツはすごい勢いで走り去ります。それでも開いた差は大きく、さらにキーンの方はもうゴール目前です。

「くそう、やっぱりだめなのか…………でも、まだ諦めるわけには」

 そのとき、ポーツの靴が赤色に煌めきます。魔法の力を受けた靴は、大切にされてきた恩を返すかのように、ポーツに力を貸しました。

「体が軽い!?これなら!」

 キーンはみるみる加速するポーツに気が付きますが、もう遅かったのです。ゴールラインまであと一歩のところで、先に伸びたのはポーツの指先でした。

「な、なにぃぃ!?」

 驚愕するキーンを見てポーツはニイっと笑ってみせます。「どうだ、すごいだろ」、といったふうに。

「だが、まだほかの競技がある!」

 闘争心を燃やしたキーンがピンッとポーツを指差し、彼も同じ炎を目に宿して頷きました。


 それからというもの、おもにキーンとポーツの熱い戦いが続きました。テニスでは三対一にもかかわらず苦戦を強いられます。ほとんどアートとトランのせいです。それでも二人はめげることなくポーツに食らいつきました。

 バスケットボールも同様に、足を引っ張りながらも二人は出来る限りのことをして、ポーツは引きずられた足を持ち前の運動神経と体力で引きずり上げます。

 そして、最後のサッカーです。例のごとく接戦を繰り広げますが、最後の最後でキーンにボールを奪われてしまいました。

「アート!そっちに行ったぞ!」

「そ、そんなぁ!?」

 疲れ果ててゴールキーパーのふりをして休んでいたアートのもとにボールが迫ります。勢いよく蹴り上げられたボールがゴールの角に見事なコースで飛びました。しかし、なんとそれをアートがジャンプして、身を挺して守り切ってみせました。

 丁度その瞬間、終了の合図が鳴り響きました。


「最後は引き分けだったが、よく三人とも根を上げずにやり切ったな。合格だよ。この山を越えてその先の丘に光の柱、ゴールがある。頑張れよ!」

 元気に手を振るキーンに見送られ、まだまだ余力のあるポーツと、へとへとになった二人は木々の生い茂る山に入りました。山の中はサルや他の動物たちで賑わっていましたが、先に進むにつれて徐々にその様子を変えていきます。

「な、なんか枯れちゃった木が多くない?」

「多いっていうより、枯れ木しかないような……」

「二人とも怖がるなって。というか、ただの夢なんだしくだらないんじゃなかったのか、アート?」

 「う……」とアートは口ごもります。

「まあ、その様子だと考えが少し変わったってことでいいのか。さっきの試練でも、以前のお前だったらこんなことに時間を使えないとか言って途中で抜け出していたかもしれないし」

「う、うん、そうなんじゃないかなってわたしも思ってた」

「そ、そんなこと」

 アートは否定しようと考えを巡らせますが、思い浮かぶのはどれも冒険を始める前に思っていたこととは違うということに気が付きます。

「いや、そうなのかもしれない。この冒険は、くだらなくないのかもしれない」

 アートは頬を赤らめてそう言いました。そんな彼を二人は優しく迎え入れます。

「あっ!そうだ、言うの忘れてたんだけど。アート、この水筒ありがとうね」

 それはジャングルでアートが二人の為に描いて渡したものでした。

「そうだった!そういえば言うタイミングが無くて忘れてた。ありがとな」

「いい、いいって別にお礼なんか。それに、ここでは水も食料も必要じゃなかったじゃないか!」

 アートは照れているようですが、同時に嬉しそうでもあります。

 始まりよりも鬱々とした景色の中を、始まりよりも嬉々とした三人は進んでいきました。


 雲がかかった薄暗い空の下で、枯れ木だらけの山頂に三人はやって来ました。先の丘には冒険のゴールが見えます。冒険の終わりが見えたところで一休みしようかと、そうアートが提案しましたが。

「ひ、ひぃぃぃぃ――――!?」

 トランの情けない悲鳴がアートの声もろとも提案を打ち消しました。

「あら、脅かしてしまってごめんなさいね。ごきげんよう、みなさん」

 周りの木たちと背比べできそうなほど大きなフクロウが現れたのです。大きな体に大きな目と、一見怖そうですが、腰を抜かしたトランをふわふわの翼で支えてくれる優しいフクロウのようです。

「私はオウル、最後の番人よ。あの丘には私が持ってる鍵がないと入れないの。鍵を手に入れる手段はもちろん、私の試練を突破することよ」

 もう片方の翼で口元を隠してオウルはふふふっと笑います。

「最後の試練は私を探すことよ、言ってしまえばかくれんぼかしら。範囲はこの山ぐるっと一周分ね。制限時間はそうね…………一時間としましょうか。それじゃあ、頑張ってね」

 オウルは大きな翼で羽ばたき、三人が強風から目を逸らしたその隙に忽然と消えてしまいました。


 ぽつんと残された三人の中で、ポーツが一番に叫びます。

「さ、探すだって!?この広大な山の中を!?しかもたった一時間で!?」

「落ち着くんだポーツ、あんなに大きなフクロウだぞ、そうそう隠れられる場所はないだろう」

「だとしても、三人で探すには限界があるだろ」

「そ、それはそうだけど」

 ポーツとアートが頭を悩ませるその一方で、トランはおもむろにカードの束を取り出します。青色に煌めくカードの一枚一枚には絵が描かれていました。トランはそのうちの一枚を掲げて唱えます。

「探し物を探すのを手伝って、おもちゃの兵隊」

 その声に応えるようにカードが光を発すると、光の中から小さなおもちゃの傭兵たちが十人も現れました。作戦会議から喧嘩に発展しかけていたアートたち二人は驚きます。

「ト、トラン、ヘビに襲われたときもそうだったけど、君はそのカードから動物やおもちゃとか、なんでも出せるのかい?」

「う、ううん。出せるのはカードに描かれてるものだけだよ。このカードに描かれてるのは…………たぶんわたしが信じてたものだと思う」

「信じてたもの?」

 ポーツが訊きます。

「うん。子どもを運んでくるコウノトリに、部屋で探し物を探してくれるおもちゃの兵隊。他にもユニコーンだったりとか」

 なんと素晴らしい能力でしょう。ポーツが羨ましそうに見つめます。

「お前は魔法使いにでもなった方がいいんじゃないか?」

「じょ、冗談は後にしよう。探さないと」

 こうして三人は山頂を中心に、おもちゃの兵隊とも協力して探し始めました。


 フクロウのオウルを探し始めて早五十分以上、成果はありません。

「ど、ど、どどど、どうしよう」

 結局一番取り乱すのはトランです。他の二人も焦りを隠せません。そんなとき、木の上から声が聞こえました。

「おばかさんたち、もう時間がないよ。試練に敗れて冒険が終われば、この冒険の記憶はぜーんぶ消えちまうよ」

 枯れ枝の上で真っ黒なカラスが嘲笑います。

「試練を突破できなかった奴の冒険の記憶は全部魔女の餌になるのさ。おばかさんたちのこの記憶も、もうじき腹をすかせた魔女の胃袋に入るんだろうねぇ。カッカッカッカッ!」

「そ、そんなこと聞いたことないぞ!」

「そりゃあ、負けた奴には負けた記憶が残らないからねぇ。せっかくこの冒険で成長したと思っても、負ければぜーんぶ魔女の供物さ!おばかさんたちは負けたことも思い出せずに、空っぽの記憶を見下ろして生きていくんだよ」

 カラスは大笑いして頭を仰け反らせます。

 ポーツもアートも恐怖や怒りで顔を歪ませます。しかし、トランは違いました。

「見下ろす…………」

 そうつぶやいたトランは曇天の空を見上げました。そして、「見下ろす!」と突然叫びました。

「ト、トランどうしたんだい?」

「何か思いついたのか?」

「うん!わたし、行ってもいい?」

 目を輝かせて訊くトランに返す言葉は二人とも決まっています。

「君はこの中で誰よりも頭が冴えているんだ」

「お前はいざっていうときはアートより頼りになるからな」

 余計な一言に怒るアートを無視してトランはカードを掲げます。

「雲の上に連れてって、ユニコーン!」

 カードから現れたユニコーンに跨ったトランは鳥よりも速く空に飛び立ちました。

 その一部始終を見ていたカラスは誰にも見られることなく、つまらなさそうに悪態を吐いてどこかへ消えました。


 トランは雲の向こうに見えなくなってから一分も経たずに帰ってきました。ユニコーンの後ろにはあの大きなフクロウも一緒です。無事に試練を超えられたことを確信したアートとポーツは抱き合って喜びました。


「三人ともおめでとう、これが丘に入る鍵よ。あとは丘からゴールの中に入るだけだから、実質冒険はここまでね。お疲れ様、いい経験ができたかしら?」

 オウルが首を曲げて三人を見ます。トランはまたビクついているようでしたが、三人とも自分が経験したことを大切に胸の中に抱いていました。

「その様子だと十二分のいい冒険だったようね。それなら、ほら、行きなさい。あんまり長居しすぎると魔女が意地悪してくるわよ」

 とんでもない脅し文句を言われて三人は急いで山を駆け降ります。しかし、三人ともどこか清々しい顔をしていました。



 山を降りきると、丘を境に半透明の膜が張られているのが見えました。三人がひし形の宝石のような鍵をかざすと、膜はその部分だけアーチ状に開け、三人を迎え入れました。

 もう、ゴールは目の前です。


 丘の緩やかな傾斜を上り、そう苦労もせずに頂上まで上がりきった三人は目を丸くします。

「よう、お前たちが試練を無視して進んだ愚か者だな?俺様はラゴン、ズルをした愚か者を問答無用で食っちまうドラゴンで、いうなれば最後の番人ってところだ」

 大きな大きな、大きな大きな大きな黒いドラゴンが待ち構えていたのです。

「ほう、俺様を見ても怖がらないか。なかなか胆が据わった奴らだなぁ」

 トランが珍しく悲鳴を上げないと見てみれば、白目をむいて立ったまま気絶していたのは秘密です。

「ま、待ってくれ!」

 アートは果敢にも一歩前に出ます。

「試練を投げ出したのはぼく一人だ。食べるならぼくだけを、二人は見逃してくれ!」

「ほうほうほう、胆が据わっていて仲間想いか。俺様はそういう奴が好きだ」

「ま、待てよ!お、おれは試練で少しだけズルをしたんだ。少し走る距離を誤魔化したんだ。だから食うならおれも!」

 アートはポーツによせと言いますが、根っから熱血な彼は言うことを聞きません。その間もドラゴンのラゴンは嬉々としています。

「だが、残念だ。子どもたちよ、この言葉を知っているか?」

 ラゴンは翼を広げて空中に浮き、黒い霧を口から噴射します。それは瞬く間に光の柱をぐるっと囲んでしまい、やがて光の柱は見えなくなってしまいました。

 ラゴンは三人に向き直ると一つ咳払いをして言葉の続きを口にします。

連帯責任(れんたいせきにん)という言葉を!」

 そう言うなり、ラゴンの大きな体が滑空して来ます。二人は直立状態で動かないトランを脇に抱えて走り出しました。


「くそぅ!ぼくのせいで全員道ずれなんて御免だ!」

「じゃあどうするっていうんだ!相手は馬鹿でかいドラゴンだぞ!」

「く…………せめて筆があれば何か武器を描けたのに」

 投げ捨ててしまった魔法の絵筆が脳裏に蘇ります。でも、後悔することしかできません。

「いったいどうすれば…………」

 轟音が空から聞こえました。その方向を見れば、ラゴンが口から紫色の炎を吐き出しているではありませんか。しかも、地面を燃やしながら近づいてきています。

「力を貸して、白馬の王子様!」

 トランのカードが輝きます。光の中から現れた白馬に跨った青年はラゴンに向けて弓を一射放ちました。矢は当たりはしなかったものの、危険を感じたラゴンは攻撃を中断します。

「でかしたぞトラン!君はやっぱり頼りになる」

「そ、それよりも降ろしてよぉ」

「おっとごめんごめん」

 アートは状況を簡潔にトランに話します。アートが謝ると、トランはその謝罪を受け取りませんでした。代わりにこう言うのです。

「最初に試練を受けたとき合格せずに先に進めたのなら、きっと最後の試練の今回もどうにか強引に抜けられるんじゃないかな?」

 アートとポーツは目を瞠り、耳を疑います。

「いや、でも可能性はあるかもしれない」

「そうだな、諦めるには早いな」

「うん、が、がんばろう!」

 白馬の王子様が時間を稼いでくれている間に作戦を考えます。といっても、トランのカードで注意を惹いて、ポーツが靴で蹴るなりなんなりして光の柱を囲む霧をどうにかするなんていったものです。お粗末な作戦ですが、今の状況ではそれくらいしか思いつきません。

 そして、アートはというと――――鈍いトランを背負ってラゴンの攻撃から逃げるだけです。重要でなくはないですが、一人だけ魔法の力が使えない彼にはどうあがいてもこれくらいしかできることがありません。アートはとても歯痒い思いを噛みしめながらトランを背に、ポーツの朗報を願って走ります。

「お、重くない?ごめんね、一度に使えるカードは一枚までみたいだから」

「大丈夫さ、ぼくがこんな顔をしているのは自分の無能さからさ」

「そ、そんなことないよ……」

 この冒険を通して、アートは以前の自分を顧みます。前しか見ずに他の全てを見下していた彼は、一度折れた志をそのまま放り投げました。しかし、これまでの冒険の経験が、そのまま消えてしまいそうになった志を繋ぎ止めたのです。

「それでも、ぼくはこの大切な冒険を無かったことにはしたくない!脚が棒になっても走り続けるよ!」

 アートは強く誓った思いを口にします。

「脚が棒になる前に終わらせてやろう!」

 ラゴンの炎が二人目がけて迫ります。しかし、危ういところで白馬の王子様が身を挺して庇ってくれました。

「そ、そんな!」

 転んで投げ出されたトランが顔を上げた頃には、王子と白馬はカードごと燃えて無くなってしまいました。アートも起き上がってその光景を目の当たりにし、空のラゴンを見て絶望します。

「ふたりともーー!!」

 ポーツが走ってきます。アートの中で希望の花が芽吹きます。

「だめだ!少しは削れるけど、すぐに埋まっちまうんだ!」

 その花は、咲き誇ることなくすぐに枯れてしまいました。

 ラゴンの大きな口がアートを捉えます。彼にはどうすることもできません。

「はぁ!」

「うおぉぅ!?」

 目の前に迫ったドラゴンの横顔に、ポーツの蹴りが刺さります。家の猫よりも凶暴そうなドラゴンにポーツは勇敢にも立ち向かったのです。

「こっちだデカブツ!」

「や、やってくれるなぁ……!」

 ラゴンの注意がアートから離れました。素早さも体力もあるポーツなら、もうしばらくは時間を稼げるでしょう。しかし、時間を稼いだところで解決策がなければ意味がありません。

「わ、わたし、ポーツを手伝ってくるね」

 ユニコーンをカードから出したトランが飛び立ち、アートはその場に一人取り残されてしまいました。

「ぼくはひどいやつだ」

――――――い――

「今なら分かる、ぼくは二人に心無いことを言ってきた」

――お――――――

「それでも二人はぼくを見捨てないでいてくれたんだ」

――おーーーい――

「そして、この世界にくだらないものなんて無かったんだ」

 アートは決意を再び胸に抱いて立ち上がりました。

「ぼくは、やっぱり、この冒険を、気づきを忘れたくなんかない!」

「おーーーい!」

 声が聞こえます。前でも後ろでも左右でもありません。アートは、はっと上を見上げました。そして、「わぁ!」と、悲鳴をあげました。空から大きなウサギが降ってきたのです。

「あいたたたた」

「き、きみは……フルーカ!?」

 なんと、最初の試練を務めていた番人、ウサギのフルーカがそこにはいたのです。

「いやぁ〜長い道のりだったよ。それにほら、見た目どおり僕は体を動かすのは得意ではないからね。平原はヘビのグリーの背に乗って、山道はサルのキーンに背負ってもらって、山頂からはフクロウのオウルにぶら下げられてここまで来たんだ」

 太っちょなウサギは目の上に傘をさしてラゴンやポーツたちを見ると、「どうやらなんとか間に合ったようだね」と言います。

「間に合ったって、この状況を君はどうにかできるのかい?」

 アートがすがるように問いかけると、フルーカは首を振ります。

「残念ながら僕には何もできない」

 フルーカはふわふわの手でアートの頭を優しく撫で、アートの目を食い入るように見つめました。

「でも…………うん、今の君なら大丈夫だ。手を出してごらん」

 言われた通り、アートは手を出しました。すると、フルーカが手の平に何かを置きます。細くて、でも芯があって、持っているだけで温かい気持ちになれるような気がしてきます。

「僕には何もできないが、君ならできる。僕はただ、落とし物を届けに来ただけなんだ」

 アートの手には魔法の絵筆が握られていました。持ち手の中ほどで二つに折れてしまっていたようですが、葉っぱやツタで修理された跡があります。アートはそれを大事に胸に抱きしめました。

「ありがとう、フルーカ。ぼく、やってみるよ!」

「ああ、いい作品を待ってる」

 自信と希望に満ち溢れた少年は、黄色に輝く筆を持ち上げました。

 この冒険で経験し、気づき、学んだことを一つ一つ思い出します。絵を失ったと思い込んだ挫折、立ち止まり周りを見ることの大切さ、友人たちの温かさ。どれもアートにとってかけがえのないものです。

 それを守りたいと強く願った途端、筆が七色に輝き始めます。

「今なら、描ける気がする」

 アートは七色の筆を空中で優雅に、それでいて几帳面に躍らせます。

 やがて出来上がったその絵は、なんてことない景色に一筋の虹が描かれたものでした。その絵の中の虹は絵の境界線を越え、ある一点を超えると一直線に光の柱へと伸びます。そして、柱を囲む黒い霧に当たったかと思うと、霧をほとんど吹き飛ばしてしまいました。

「な、なんだとぉ!?」

 ラゴンが追いかけることすら忘れて驚きます。

「はっはっはっ!素晴らしい作品だよ!僕の完敗だ!」

 フルーカは腹を抱えて大笑いしています。

「アート!乗って!」

 トランとポーツを乗せたユニコーンの背にアートは飛び込みます。そして、そのまま一直線に光の柱に突き進みました。

「ありがとうフルーカ!ぼくは君のことを忘れないよ!あと、君の絵も素晴らしかった!」

「どういたしまして!そしてよい目覚めを!」

 愕然として固まるラゴンを通り過ぎ、三人はついに、ゴールである光の柱、冒険の終わりへとたどり着いたのでした。



 『特別参加証』(今後に期待させていただきます。ぜひ次回も当コンテストへご参加ください)

 渾身の絵画の下に載せられた評価はこんなものでした。

「アート、気に病む必要はないわ。きっと審査官と趣向が合わなかったのよ」

「ううんお母さん、この評価も僕は受け入れるよ。成功とまではいかなかったけど、これも十分な経験なんだ。いろんな場所にコンテスト、描き方にイメージの勉強。どれも冒険して、少し立ち止まって自分の中に落とし込んでいくんだ。」

 少年は満足そうに自分の絵を眺めます。

「おっと、ごめんお母さん、今日はみんなと遊ぶ約束があったんだ」

「ふふ、いいのよ。いっぱい遊んで、いっぱい人生を冒険しなさい」

「うん!」

 少年は元気に走り始めました。

 友達のもとへと。夢へと。新しい冒険へと。




 めでたしめでたし。



 



  魔女は大きな欠伸をしてこう言います、「疲れた疲れた」と。

「魔女()だ。様を忘れちゃあいけないよ」

 ま、魔女様の仕事は子どもたちを夢の世界に連れていくことですが、今日はその仕事がないようです。

「魔女様~、近頃の子どもたちは優秀過ぎやしませんか?ぜんぜん記憶を食べれてませんよね?」

「うるさいねぇラゴン。あたしゃ子どもたちの記憶しか食べてないってわけじゃないんだよ。それに、以前ちょいと不都合があった三人組のときには、ちょいと手助けをしてやったくらいさ」

 手のひらサイズの可愛らしいドラゴンはため息を吐きます。

「だから俺様の仕事が増えたんじゃないですか~。夢の秩序を守るの大変なんですよ。ちょ、ちょっと聞いてますか。というか、その記憶をつまみ食いしていることをばらしちゃってよかったんですか?」

「カッカッカッカッ!そこはちゃ~んと消しといたさ、国にどやされたらたまったもんじゃないからねぇ。それよりもお前さんのキメ台詞がどうかと思うがねぇ。『子どもたちよ、連帯責任という言葉を――』」

「やめてやめてやめて!降参ですって!」

「そんなどうでもいいことはいいから、今日はもう寝るよ。まったく最近は子どもが多くて大変なんだ」

 魔女様は机にあった魔法の道具を全て片付けると、魔法の液体で満たされたベッドに深々と横になりました。

「ラゴン、ランプの明かりを消しておくれ」

「はいはい」

「あんたも、語り部おつかれさま。最後の言葉を言い終えたらゆっくり休むんだよ」

 ありが…………いえ、ラゴンが明かりを消すと部屋は真っ暗になります。今ごろは国中の子どもたちも夢の中でしょう。

「夢を見るのに大人も子どもも関係ないさ。そう、夢を見るのにも、夢に突き進むにも、ね」

 それを最後に魔女様は眠りにつきます。

 

 そう、夢には老若男女、種族も何も関係ないのです。子どもも、大人も、魔女様も。


 あなたにも。




 おしまい。





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― 新着の感想 ―
どんな夢を見るかは選べないですけれど、私はあんまりドキドキハラハラしない、のほほんとした夢がいいなぁって思っちゃいました(*´ω`*)
2025/02/07 20:17 退会済み
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