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 ノノヴィはエンプワーリを騙した以上、その嘘を突き通すつもりだった。幸い彼はノノヴィの前世が、かつて「愛したひと」であることを毛の先ほども疑っていない。いかにもお人好しそうに見えて、それでいて思い込みが激しいらしいエンプワーリを欺き続けるのは、ノノヴィには一見簡単そうに思えた。


 エンプワーリの家はひとりで暮らすには大きいが、しかし裕福な家庭ほどには広くない、屋敷という言葉からイメージするにはこじんまりとした作りのものだった。ただこの家にノノヴィが新たに暮らすことになっても手狭になることはないだろうということは、その外観からも容易に察せられるていどの規模だ。


 家屋に対し庭は広めに取られていて、定期的に手が入れられているのか、見た目は見苦しくない。今の季節には花をつけている植物が多く、その広い庭を華美な印象へと飾り立てることに寄与している。


 エンプワーリがノノヴィに求めることはなにひとつなかった。今は心身ともに休むのが重要な時期だとエンプワーリは言った。そしてノノヴィを家に入れた途端豹変することもなかった。そういうわけで、ノノヴィがエンプワーリに対し当初から抱いている穏やかな印象は変わりがなかった。


 エンプワーリは――ありていに言ってしまえば、「バカ」なのかもしれないとノノヴィは思った。


 しかしすぐに、ノノヴィは自分も「バカ」なのだということを思い知った。


 ノノヴィはエンプワーリを欺くことは簡単だと思っていた。そして、実際にそうだった。彼はノノヴィの、前世の記憶がほとんどないという主張を頭から信じきっているように見えた。ノノヴィがどんな言動を取ろうと、彼はノノヴィを疑う素振りを見せなかった。


 先に音を上げたのはノノヴィだった。


 エンプワーリの屋敷において、ノノヴィの役割は特になかった。エンプワーリはノノヴィには甘い顔をして、労働やその他のことを求めたことはなかった。ノノヴィはその事実に、すぐ耐え切れなくなった。


 ノノヴィはエンプワーリを騙し、欺き続けようとしているのだから、まず善人ではない。ノノヴィも自分のしていることを絶対的に正しいなどと思ったことはなかったし、己を善きひとだと錯覚したこともなかった。


 かといって、悪人の才能があるわけでもなかった。ノノヴィはエンプワーリのことを内心でバカだと嘲笑って、良心の呵責もなく欺き続けることが、できなかった。


 ノノヴィは己が善人でもなければ、悪人にもなりきれない――言ってしまえば中途半端な凡人であるとの自覚を得た。


「――そうだね。少しはこの家の中でも役割があるほうが、ノノヴィの心身の健康にはいいよね」


 ノノヴィはエンプワーリに、仕事を振ってくれるよう意を決して頼んだ。とは言えどもノノヴィはなにか手に職があるわけではない。ただ孤児院や、働きに出された酒場での経験から、掃除に洗濯、軽食を作ることくらいはできる。


 ただエンプワーリの家は、彼の魔法であるていどは清潔に保たれており、手仕事が発生するのはたまのことだということは、ノノヴィもよくわかっていた。だからノノヴィにとって、エンプワーリに仕事を振ってくれるよう頼むのは勇気の要ることだった。「君にできる仕事なんてない」と言われるのは、なんだか己の無力さを突きつけられるようで嫌だったからだ。


 けれどもエンプワーリはそう言うことはなかった。


 しかし彼が頭を悩ませていることは、短い付き合いのノノヴィにもすぐに察することができて、少し申し訳ない気持ちになる。だが彼が言うように、ノノヴィの心身の健康のためには、なにか役割があるほうがいいということは、ふたりとも理解していた。


「うーん……じゃあ庭の世話を頼もうかな。ノノヴィは得意でしょ――って、そうだ、記憶は完全には戻ってないんだった……」


 エンプワーリは眉を下げ、「失敗した」と言わんばかりの顔をする。


 ノノヴィには理由は定かではなかったものの、エンプワーリはノノヴィの前世を「いとしいひと」と呼びながらも、彼女について話したがらない傾向がある。記憶が戻って欲しくないのかといえば、そういうことでもないらしい。「こういうのは自然の流れに任せるのがいい」とは彼の弁であったが、そこにどれだけの妥当性があるのか、ノノヴィには推し量ることはできなかった。


 ノノヴィはあえてエンプワーリの表情を見ないフリをした。ノノヴィはエンプワーリに「見覚えがある」などと前世の記憶がほのかにでもあるようなことを匂わせたものの、実際のところそれは嘘っぱちなのである。


 ノノヴィは己の心臓の拍動が速まったような気がした。それはエンプワーリに嘘をついて、彼を欺いているうしろめたさからくるものでもあり――ノノヴィが隠していた「あること」について言い当てられたと、ノノヴィ自身が感じたことも関係している。


「花は好き?」


 ノノヴィは庭仕事欲しさに、エンプワーリの言葉に黙ってうなずいた。


「そうだよね。前世の君も花が好きで、花を愛していた。花の声に耳を傾けるのが好きだった……」


 エンプワーリが感慨深そうに言ったので、ノノヴィはひとまず内心で安堵する。


 ノノヴィは、「花の声」が聞こえる。


 だからと言ってそれがなにかの役に立ったことはなく、むしろ他人からはバカにされるか、頭がおかしいやつだと思われるかのどちらかだったので、ノノヴィは長ずるにつれて「花の声」についてだれかに話すようなことはしなくなった。どうやら、ノノヴィ以外の人間には「花の声」は聞こえないらしいと理解するまでに、少し時間はかかったが。


 エンプワーリの先ほどの物言いでは、彼の「愛したひと」とやらがノノヴィと同じく「花の声」が聞こえたかまではわからない。花々の世話をするのが上手いということを指した、比喩的な表現かもしれない。しかしなんとなく、ノノヴィは見えない風が自分を後押ししているような気持ちになった。


「明日、君に似合う帽子を買ってくるよ。軍手やスコップとかは家にあるけど、手に合わなかったらすぐに言ってね。今の時期にはすぐに熱中症にはならないと思うけれど、水分補給はこまめに……それから怪我には気をつけて――」


 エンプワーリはずいぶんと心配性のようだ。ノノヴィはそう思って、悪いと思いつつ彼の言葉の三分の一くらいは聞き流した。

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