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 ノノヴィの申し出におどろいたのはユージンだけではなかった。エンプワーリもまた柔和な表情の中にいくらかの戸惑いを示した。


「ノノヴィもこの孤児院にいた子供のひとりなんだね?」

「……はい。孤児院の口利きで酒場に住み込みで働いていましたが、先ほどの通りもう酒場に戻るのはむずかしいですし……」


 つい先ほどまでノノヴィの雇い主であった酒場の店主が、その後どのような処分を受けるのか、あるいは放免されるのかは今のところ不明だ。ただ、もう二度とあの酒場には戻れないだろうし――戻りたくない、という気持ちだけはノノヴィの中でたしかにあった。


 ノノヴィはエンプワーリたちの行動を見て、自分が虐げられ、搾取されていたことに気づいたのだ。


 しかしかと言って、やはり行く当てがないという現実は変わらない。


 別の街の孤児院は、警官であるユージンが身寄りのない子供たちの移動先として挙げたのだから、ノノヴィがずっといたこの街の孤児院よりはマシな場所なのだろう。


 けれどもノノヴィは新しい孤児院に移るよりも、己のことをその前世が「愛したひと」とのたまうエンプワーリについていくほうがいいんじゃないかと思ったのだ。


 その発想が、己の浅ましい保身から出たことは、ノノヴィ自身がだれよりもよくわかっている。


 けれども固い床でノミだらけの布にくるまって寝るのも、夜中じゅう馬車馬のごとく働かされた挙句、貞操を奪われそうになるなんてことは、ノノヴィはもうこりごりだった。


 エンプワーリはノノヴィのことを、なぜか「愛したひと」だと思い込んでいる。本来であれば「なぜか」の部分に関心を寄せなければならないのだろうが、今のノノヴィにとってはそんなことはどうでもよかった。


 重要なのは、これからの己の身の振り方である。だからノノヴィは浅ましい保身に走った。


「エンプワーリさんのことは、まだ思い出せないんです。でも、どこかで見たような記憶は、あって……」


 全部が全部、まるきり嘘だった。ノノヴィはエンプワーリとは初対面なのだから、思い出すもなにもない。すべてはエンプワーリに取り入るための真っ赤な嘘だった。


 ノノヴィの脳裏には、孤児院の院長たち大人に上手く取り入って、院内で便宜を図ってもらっていた一派の姿が思い浮かぶ。


 ノノヴィたち、あまり要領のよくない子供たちは、上手いことやっているその一派に対しもちろんいい感情は抱いていなかった。妬みだけではなく、憎しみの目を向ける子供もいた。ノノヴィとてその一派に一切の悪感情を持っていなかったと問われれば、多少なりともそう思ってはいた、と答えるだろう。


 けれども今のノノヴィはどうだ。あの一派としていることに大差はない。自己保身のために浅ましい嘘をつき、大人に取り入ろうとしている。しかも真っ赤な嘘をつき、欺いて。


 だが今のノノヴィにきれいごとを口にする余裕はなかった。


 たしかに心は痛んだ。嘘をついていることに対し、うしろめたい気持ちがないとは言い切れない。ノノヴィは多くのことを知らないが、善悪の区別くらいはつく。


 しかし今夜の寝床、明日口にする食事が今より少しでもよくなるのなら――。ノノヴィは、その誘惑には抗えなかった。


「そんなことがあるのか?」


 ユージンは困惑を隠さず、ノノヴィの顔をじっと見る。ノノヴィは罪悪感から少しだけ目を伏せた。


「前世がどうのだなんて、詐欺師の常套句だ――。……あ、いや、君が嘘をついていると頭から決めてかかっているわけではないのだが……しかし……」


 ユージンは己の常識と照らし合わせてノノヴィの弁を疑っているようだ。当たり前だ、とノノヴィは思った。


 だがエンプワーリは花がつぼみをほころばせるように、朗らかに破顔する。


「前世の記憶を引き継ぐ魔法は少しは成功したみたいだ!」

「そんなこと、あるのか……?」

「今ここにいるじゃないか! ノノヴィは私のもとに帰ってきてくれたんだ!」


 疑念を払拭しきれないユージンとは対照的に、エンプワーリはノノヴィの言い分を完全に信じ切っていることが見て取れた。


 ノノヴィは小さなトゲが心臓に刺さったかのように、胸が痛む錯覚をした。だが今さら「全部嘘です」と言い出す勇気もない。もはやノノヴィには、自らが作り出した嘘を突き通し、その流れに乗りきることしかできない。


「ああ、もう一度ノノヴィと会えるなんて……!」


 感極まったのか、エンプワーリのたれたまなじりにはかすかに涙が浮かんでいる。


 エンプワーリは、そうして涙を浮かべるほどにそのひとを愛していたのだろう。前世の記憶を引き継ぐという、前代未聞の魔法を作り出すほどに。


 ここが分水嶺だった。しかしノノヴィはそれをただ見送った。エンプワーリの「愛したひと」であると偽り、欺いた。真っ赤な嘘をついた。


 エンプワーリと元から顔見知りらしいユージンは、複雑な表情でエンプワーリを見ている。ノノヴィの言葉を彼は頭から信じ切ったわけではないものの、一方ですっかり感激しているエンプワーリに冷や水を浴びせかけるようなマネはしたくないと思っていることは、なんとなくノノヴィにも察することができた。


 ノノヴィの中に良心の呵責がないわけではなかった。けれども結局、ノノヴィは「今よりいい暮らしができるかもしれない」という誘惑に屈し、嘘を弄して、エンプワーリが「愛したひと」に成り代わった。



 エンプワーリがノノヴィを連れて行くことについて、ユージンは当たり前だが難色を示した。それでも結局エンプワーリの情熱と、どこまでも食い下がる態度に負けたらしく、ノノヴィを連れて行くことについては折れた。


 そうして、ノノヴィはその足でエンプワーリの屋敷へ向かうことになった。

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