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まほうつかいのおまじない

作者: 唯央

魔法使いの男の子と人間女の子の話

 お母さんが言っていた。彼は魔法使いなのだと。だから近づくなと。

 魔法使いは人間よりもすごく長生きだから、人間じゃ不可能なことをいとも簡単にやってのけるから、考えていることがおかしいから、分かり合えるはずがないのだから、仲良くしてはいけないのだと。

 けれども、彼はお母さんが言うような魔法使いには思えなかった。見た目だって私たちと何ら変わりない、少し泣き虫で、人見知りな、ごく普通の男の子。心があって、考えがあって、人格があって、同じように物事を感じ取って生きている。

 私たちが仲良くすることに対してお母さんはやっぱり良い顔をしなかったけれど、私達はそんなことどうでもよかった。


「シオンはどんな魔法を使うの?」


 小さい頃の私は、初めて見る魔法使いにそれはそれは興味津々だった。絵本の中で見る彼らは、箒で空を気持ちよさそうに飛んだり、目の前に一瞬で物を現したりと、私たち人間が決して出来やしないようなことをいとも簡単にしてみせる。彼もそんなことが出来るのだろうかと期待の眼差しでそう尋ねた。

 けれども彼は首を横に振った。まだ彼自身に魔法が現れてから間もなかったため、今できることといえば少しだけ物を浮かせられる程度で、空を飛んだりものを現したりすることは難しいのだそう。なぁんだ、と残念そうに肩を落とす私に、いつから使えるようになってみせるからと小さな小指をきゅっと絡めて約束をしてくれた。

 毎日のように遊んで、シオンの魔法の練習を眺めて。その度に魔法を上手く扱えるようになるものだから、次は次はと私は急かすように彼にもっと魔法を見せてくれと強請った。そんな私の我儘にも、シオンは嫌な顔一つせず笑顔でそれを私に見せてくれた。その時間が好きだったし、今でも鮮明に思い出せる。シオンの魔法は、それこそ恋をしたような高揚感に見舞われる程に不思議で、温かいものだった。どんな御伽噺よりもきらきらした、優しい時間だった。

 ずっとずっとこの時間が続けばいいのに。そんな願望が叶うはずもなく、私たちはあっという間に歳を重ね、学校へ行かなければならない歳になった。私はてっきりシオン一緒の学校に行けるものだと思っていたのに、彼は全寮制の魔法学校へ行くのだという。嫌だと我儘を言う私に、人間には人間の勉強、魔法使いには魔法使いの勉強があるのだとお母さんは言った。確かに魔法使いは科学なんて使わなくてもいいし、人間は魔法を使えない。仕方のないことだ。もう二歳や三歳の子供ではないのだからと私は大人しく聞き入れた。シオンは私よりも少し駄々をこねたけれど。


「泣きそうな顔してるね」

「…俺、魔法使うのやめようかな」


 とんでもないことを言い出す彼に目を丸くする。確かに魔法を使わなくても、人間と同じように科学を使って生きてはいけるけれども。私は他の誰でもない、シオンの使う魔法が好きなのに。

 魔法使いは周囲の"気"を使って魔法を使うのだと、彼が教えてくれたことがある。その土地、自然に存在するそれを操る、それが魔法らしい。だから心が動いて思考が揺れれば、周りの気も連動してざわめいたりするのだそう。今も周りの木々がざわざわと揺れている。彼は気を操る力が強いらしかった。


「何で?私シオンの魔法好きなのに」

「…ほんと?」

「ほんと」


 他の魔法使いも何人か見たことがあるけれど、シオン程温かく、穏やかな魔法を使う人はいなかった。


「…じゃあ、頑張る」


 ぐっと拳を握りしめる彼の背を頑張れと一叩きすれば、うぐ、と情けない声を出していた。大丈夫だろうか。学校で強い魔法使いにいじめられなければいいのだけれど。

 けれどもそんな私の心配は杞憂だったらしい。シオンのお母さん曰く、友達もできてそれなりに楽しくやっているという。私たちが学校に通い出してからというものの、帰省のタイミングが合えば、授業で習ったことや学校でのことをお互いに話すようになっていて。魔法のような科学の話、科学じゃ説明のつかない魔法の話、変わったクラスメイトの話、変な先生の話。お互いの見える世界の話を共有する瞬間は、いつもたまらなくわくわくする。シオンが話してくれることはどれもこれも私が経験したことのないような、それこそ絵本を読み聞かせて貰っているかのような感覚で好きだった。


「いいなあ、魔法使い」

「そう?」

「絵本みたい。聞いてるだけでわくわくする」

「俺は人間の方が良いかな」

「どうして?」

「…どうしてかな」


 シオンは昔ほど泣き虫じゃなくなったけれど、私に隠し事をすることも増えた。それは本人が隠しているなんて言わなくても、これだけ長くいれば簡単に分かることで。

 けれどもそれは私も同じことだった。これだけ長く一緒にいて、姉弟のようでなければ友達でもない、触れられそうで触れられないこの距離感の正体を知らない程、私は子供ではなかった。今でも会えば私の横にぴったりくっついてくるシオンは知らないだろうけれど。

 もし私が魔法使いなら、お母さんに嫌な顔されることもなく、シオンと同じ学校に通って、小さな頃と同じように、毎日会ってお喋りをして過ごせていたのだろうかと、毎日のように考える。放課後、一緒に図書室で勉強をして、一緒に食堂でご飯を食べて。たまに実技で失敗をして二人揃って先生に怒られるなんてこともあったのかもしれない。

 決して私の学校生活が退屈で友達がいないというわけではない。そこそこの成績を取って、友達もいて、毎日楽しいのは紛れもない事実だ。それでも、シオンの魔法を見れないことに関しては、退屈で仕方なかった。どんなに世界のことを知っても、科学の不思議を知っても、人間の学校なんてところにはシオンの使う魔法程面白くて夢中になれるものは無かった。所謂ないものねだりというやつだ。でも、シオンはそんなこと気にもしていないのだろう。

 だからこんなことを聞いてみても、シオンは何も気がつかないし気にもしないだろうと思っていた。


「ねえシオン」

「ん?」

「自分のことを好きにさせちゃう魔法とかない?」


 こんなことを聞いてしまった私は、やっぱり自分が思っているよりも子供なのかもしれない。真っ直ぐに彼の方を見て聞けるはずもなく、ぼんやりと前を見ながら答えが返ってくるのを待つ。

 唐突にそんなことを言い出したからか、隣がやけに静かになる。やけに長く感じる沈黙に耐えきれず、やっぱり変に思われたかな、と隣を見れば、見たことの無い表情で、何かを堪えるようにこちらを見据えるシオンの姿があった。宝石のような藍色の目が見たこともない程どろどろとした感情を抱えていて、一体この人はどこでそんなものを覚えてきたのだろうかと少し怖くなる。少なくとも、私の知るシオンではなかった。

 ざわざわと辺りの木々が揺らぐ。まるで嵐の来る前のような、体に纏わりつくような風。以前シオンが教えてくれたことを思い出す。魔法使いは周囲の気を使って魔法を使い、心が動けば周りの自然も揺れ動く。

 シオンは一体何に揺れ動かされているのだろうか。小さな頃も、魔法が上手くできないと泣いて雨が降ったり、かと思えば成功して晴れたりと忙しない子だったけれど、こんなに居心地の悪い空気は初めてだった。

 重い空気を割るように、ゆっくりとシオンが口を開く。


「好きな人がいるの?」


 核心を突かれ、心拍数が上がった。


「まあ」

「…ふうん」


 まるで興味のないかのような返事の仕方だけれど、シオン以外は正直だった。こういう時感情を隠せないのが、魔法使いの可愛らしいところであり、勝手の悪いところであり、怖いところだと思う。すっと空気が変わる。穏やかだった風がやけに冷たくなり、思わず身震いをした。


「そういう精神に干渉するような魔法は難しいし、ものによっては禁忌になるものもあるんだよね」

「…そっかあ」

「でも」


 ぐいと顔を持ち上げて上を向かされる。身長差のせいで首が少し痛い。いつの間にこんなにも背が伸びていたのだろうか。前は同じ目線で、捕まえられた顔を振り切れない程の力の差なんてなかったと思ったのに。無理矢理合わせられた目は逸らすことができなくて。


「少し勘違いさせるくらいなら」


 そう言ってシオンの纏う雰囲気が変わった。何度も見てきた魔法を使う時のそれに思わず身構える。ずっと一緒にいたけれど、自分自身に魔法をかけられたことは今まで一度だってなかった。少しの不安と少しの好奇心。何をされるか分からないけれど、シオンがかける魔法なら躊躇いなく身を預けられる。


「俺が、普通の人間だったらよかったのに。そうしたら、この長い寿命もお互いの見える世界の違いだって、全部関係なかったのかな」


 俺だけ見てればいいよ。身構えていればそう見当違いなことを言う彼に、はてと首をかしげる。何を当たり前のことを言っているのだろうか。私はシオンのことしか頭にないというのに。ほんのりと今まで感じたことのない感覚に魔法がかけられたのだと悟るけれど、何も変化がないことを不思議に思って、そしてこの魔法の意に気がついた。

 あぁ、なんだ。私だけじゃなかった。


「ずっとシオンしか見てないよ」


 魔法にあてられたわけでも、勘違いなんかでもない。ずっと私の心の中にあった感情だった。

 それを聞いたシオンは少し無言になった後、ぼんと顔を赤くさせた。すぐに魔法の気配は消え去って、いや、これは、なんて言い訳を探しているようだけれど、そんなものは必要ないと言うようにぽすりと彼の胸に頭を預けた。体重をかけてもびくともしない体にまた驚く。


 魔法使いと人間は分かり合えないというけれど、それは間違っている。


 魔法使いにだって、人間と同じように心があって、考えがあって、人格がある。だから人間が魔法使いに恋をすることがあるし、魔法使いが人間に恋をすることもある。これほど素敵なことがあるだろうか。持ち得ないものを求めて、惹かれ合う。どの絵本でも読んだことのない、まるで御伽噺のようじゃないか。

 上を見上げれば、藍色と目が合う。間違えてシオン自身に魔法をかけてしまったのではないかと思うほどに甘ったるい視線に恥ずかしくなって、今度は私が顔を赤くする番だった。

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