アトリエの惨状2
ことのはじまりは数十分前にさかのぼる。
アマリア……フルネームはアマリア・エヴァーレ、十六歳が暮らす、男爵家の屋敷に来客があった。
アマリアの父、エヴァーレ卿を訪ねてきた伯爵家の賓客だ。
しかしやってきた彼、フレイディ・レノスブルはアマリアに用事があったわけではない。
よってアマリアは父に「挨拶をするように」と言われて、客間に軽く顔を出し、名前と年齢などを名乗って、二言三言、話をしただけでおしまいになっていた。
そのあとは父と客間で話をしていたようだったので、アマリアは日常に戻った。
私室で途中だった手紙など書いていたのだけど、そのあとここ、離れのアトリエにやってきたところ、この惨状だったというわけだ。
*****
「本当にすまなかった」
アトリエに続く渡り廊下のど真ん中。
深々と頭を下げるフレイディと、その前で腕を組んでしかめっ面をしているアマリア。
見るからにアンバランスなやりとりである。
しかし怒っても怒りきれない。
何故なら描きはじめてだいぶ経つ、お気に入りになりそうだと確信しつつあった絵を、散々な状態にされてしまったのだから。
フレイディの横に、気まずそうな様子で腰を下ろした白い大型犬・レオンの悪戯によって。
レオンはフレイディの飼い犬で、今日はお出掛けついでに散歩をさせようと、連れてきていたそうだ。
それがあだになってしまった形である。
「まったく、わんちゃんの行動くらい管理してくださいませ! どうしてアトリエに入り込んだっていうんでしょう!」
アマリアはちらっとレオンを見た。
絵の具だらけになってしまっている、白い毛並み。
フレイディと同じ、金色の瞳をしていた。
「ああ……それなんだが、なにか甘いものでもあったのではないだろうか……?」
フレイディは、アマリアの剣幕にだいぶ引いてしまったようなので、少々濁ってはいたけれどそう言った。
甘いもの。
アマリアはしばし考えることになる。
甘いもの……お菓子や砂糖の類なんてない。
絵を描くための部屋なのだから当然だけど。
でも、『甘い香り』のするものは確かに……。
「……蜜蝋、でしょうか」
「蜜蝋?」
思い当たって、口に出した。
フレイディは首をかしげる。
「絵の具の原料なのです。たまに調合からすることがあるので、昨日から置いていて……そう、そういえばまだ結構においがしておりました」
話していくうちに、原因は判明した。
アマリアの使っていた絵の具。
その原材料である蜜蠟の甘い独特の香りに惹かれて、レオンはやってきてしまったのだろう。
そして甘い香りの溢れる部屋で、つい悪戯をしてしまった、という推測が立った。
「そうか、じゃあそれだ。レオンは蜂蜜なんかの甘い香りが好きだから、惹かれて入ってしまったんだろう」
うんうんと頷くフレイディ。
原因は判明し、どうしてこんな惨状になったのかもわかった。
けれどアマリアとしては、なにも解決していないのである。
「なるほど。ですが……」
言いかけたアマリアの言葉を、今度はフレイディが遮る。
胸の前に上げた手を軽く振った。
「わかった、きみの言いたいことはわかるよ。償いはしよう。必ずしよう」
きっぱり言い切られて、アマリアは続きが止まってしまった。
はっきりそう言ってくれたのに、これ以上言うのも悪い。
「……本当ですわね?」
よってそれだけに留めておいて、フレイディはほっとしたような顔で「勿論だ」と頷いた。
しかしそこで、バタバタと足音がした。
振り返ると、慌てた様子で父が走ってくるではないか。
アマリアと同じ銀色の髪で、少々太り気味の父。
アマリアはここにきてやっと、自分のおこないが、出来事に対してはともかく、身分としては相応でなかったことに気が付いた。