42 証明
「うわああああーーーー!! 指がカサカサしてるーーー!! 呪いだ!! ミイラの呪いだあああーーー!!」
「えええええええ!? 動いた!? なんで!? ミイラが動いている!! 凄い凄い凄い!!」
レクティタとパウロは動き出したミイラを見て叫んだ。一方は悲鳴を、もう一方は歓喜の声を上げている中、魔人の干からびた指がゆっくりと降り曲がっていく。
緩く拳を握ったかと思えば、次はまた手を開いた。まるで指の感覚を確かめるような仕草に、パウロの目がキラキラと輝く。
「もしかして魔法が発動した!? きょ、教授!! ラミネル教授!! 見てくださ────ぐへっ!?」
レクティタがいるのも忘れて、パウロは興奮した様子で木箱を抱えて立ち上がる。直後、鏡が割れた音と共に魔人のミイラが箱から飛び出し、パウロの顔を鷲掴みにした。
「ぎゃあああああ!! パウロさんがおそわれた!! 寄生タイプだ!!」
「──っ!? なんで結界が解けて────っ!?」
パウロはミイラを引き剥がそうとしたが、その肌に触れた途端、だらんと両腕が垂れ下がる。まるで糸が切れた人形のように脱力したパウロに対し、魔人の手は指がめり込むほど彼の頭を掴んでいた。
すると、魔人の腕の周りで青白い火花が散った。バチバチと激しい音を立てながら、干からびていた肌が見る見るうちに弾力を取り戻していく。目の前の光景に、レクティタはゴーイチを抱き潰しながら焦った。
「あわわわわ、ふおんな気配……! は、はがさないと……!!」
直感で危険を察したレクティタは、パウロから魔人の手を剥がせないか周囲を見渡した。
目に付いたのは、机の上にあった鉢植え。レクティタはゴーイチを己の頭へ乗せ、すぐさまそれを手に取った。
「とりゃあーー!!」
レクティタはミイラ目がけ、両手で鉢植えを思いっきり投げつけた。トマトが実っているそれは見事魔人の手に命中し、鈍い音と共にパウロから離れる。レクティタは「ひっちゅー!」と喜んだあと、地面へ倒れたパウロへ駆け寄った。
「パウロさーん! だいじょーぶ!?」
レクティタがパウロの身体を揺するも返事は無い。彼はぐったりと目を閉じて横たわったままだ。かろうじて息があるのは確認できた。レクティタが大人を連れてこようとした矢先、ゴーイチが彼女の前髪を引っ張った。
『レクティタ! マズイ!』
「あうっ。髪ひっぱらないで、ゴーイチ」
『アレ、アレ!』
「なになに? 今はいっこくも争うじたいなのに──」
ゴーイチは焦った様子で斜め前を示す。レクティタは言われるがままパウロの頭の向こう側を見れば、魔人の腕が地面に這いつくばっていた。
当たった際に鉢植えから零れたのだろう、手の甲に土が被っている。魔人の腕が五本の指を足代わりにして手を起こせば、パラパラと土が落ちていった。
「──えっ」
露わになった手の甲に、人のような目玉が付いていた。
人間と異なる点は、目の中に幾何学模様が浮かんでいることだ。それらは虹彩の中に納まるよう一定の規則性を持って描かれている。魔法陣だ、とレクティタは直感した。ミイラに描かれていた円は、あの目玉だったんだとも。
怖がる暇はなかった。魔人の腕は未だ周囲にバチバチと青白い火花を散らしながら、手の甲の目玉でぎろりとレクティタを睨んだのだ。
そばに転がっていたトマトを指先で踏み潰した瞬間、魔人の背後に魔法陣が複数現れる。同時に、レクティタの背筋に嫌な予感が走った。
「き────」
宙に浮かんだ魔法陣が、一斉にレクティタへ狙いを定めた。
「きんきゅうたいひーーーー!!」
レクティタは瞬時にパウロの身体を飛び越え、その場から離れた。追尾するよう、魔法陣も向きを変えた。
刹那、レクティタに向かって複数の光弾が放たれる。奇しくも、彼女はそれを知っていた。アルカナが前に披露した「ヤケレ」という相手を撃ち抜く魔法だ。
左右に避けるのは間に合わない。なのでレクティタは転がった。一つの光弾が屈んだ彼女の頭を掠り、そのまま壁へと衝突した。
間髪入れず、鏡が割れたような音の後に轟音が響く。結界が割れ、前方の壁に穴が開いたのだ。周囲から悲鳴のような声が上がったが、気にする余裕は無い。レクティタは転がったまま穴を抜けて廊下へ飛び出し、勢いを活かして走り出した。
魔人の腕も残りの光弾と共に、幼子の後を追って吹き抜けの廊下に出る。襲い掛かってくるそれらをレクティタは「ほわぁ!?」と飛んだり跳ねたりして躱していく。
ドドドドドドッ!と、通った道を次々と破壊されていく衝撃に、レクティタは叫び声を上げながら突き進んだ。
「ひぇーーーー!! まだ追いかけてくる! ゴーイチ! ぜったいぜつめいを脱するキセキの一手を求む!!」
『ムチャブリ! ト、トリアエズ、カクレヨウ! コノママ、ジリヒン! カクレテ、ヤリスゴス!』
「でもかくれる場所なんて────あっ! そうだ!」
レクティタは走りながら頭に置いていたゴーイチをひょいと担いだ。
「とーめいになればいいんだ! そしたら、お化けはレクティタを見失うはず!」
レクティタはゴーイチを服の下に入れて、ぎゅっと目を瞑って抱きしめる。
「よーし! とーめいとーめい、レクティタはとーめいにんげん、とーめいかんある美少女です……」
『レクティタ! ブリッコシテナイデ、ハヤク!』
「ぶ、ぶりっ子!? ちがうもん! レクティタ、大真面目だもん! 正真しょーめいの、とーめいにんげん──です!」
レクティタが人差し指を上げて言い切れば、ポンっと彼女の姿が消えた。ゴーイチの頭が見えていたが、すぐさま小さな手によって隠される。追加で光弾を発動した魔人の手が、わかりやすく狼狽えた。
レクティタは追手の反応から魔法の成功を把握すると、曲がり角まで全力で走り、びたっと背中を吹き抜け側の柵にくっつけた。
光弾は標的を見失うも止まらない。無人の床を削るように走り抜け、最後は壁に衝突した。
爆発音のあと、静寂が落ちる。埃が舞う中、光弾が消えているのを確認し、レクティタはほっと胸を撫でおろす。時間にして一分に満たなかったが、幼子は「ふぅ」と一仕事終えたように額の汗を拭った。
「レクティタにかかればこんなものです。さ、あとはアルカナ達に任せましょう」
レクティタは周囲を見渡した。先程の騒動のせいで、大人や学生達が研究室から出てきたのだ。
教授らしき女性が「部屋から出るな」と制止するが意味はなく、クレーターだらけの廊下に続々と野次馬達が集まってくる。反対方向の廊下どころか二階や一階でも人だかりができ、ざわつきながらこちらに興味を持っていた。
「ちょっと何あれ。腕……?」
「誰かの使い魔か? それにしては気持ち悪いな」
「暴走してる? 主人はいないの?」
「学生達は廊下に出るな! 研究室に戻れ!」
吹き抜けの廊下に人の話し声が飛び交う。幸い、レクティタが飛び出したとき廊下に人はおらず、彼女を目撃した人間はいないようだ。これ以上目立つのは得策ではないと考えた矢先、レクティタは長身の白衣の男を見つけた。
「あっ! アルカナだ」
猫背でも他人より頭一つ分大きいアルカナは遠くからでも目立っていた。急いだ様子で人混みをかき分けて曲がり角まで来ようとしている。
不思議と、アルカナを見てもレクティタは怖くなくなっていた。むしろ、見知った顔に無意識に安堵したくらいだ。早く彼と合流しようとレクティタは柵から離れた。
その時。
『……レ、レクティタ、アレ』
ゴーイチが彼女の襟を引っ張った。レクティタも、それに気が付きピタリと足を止める。
人に囲まれている魔人の腕が、彼女がいる場所を見ているのだ。
足代わりの指をこちらに向け、手の甲の目玉がじっとレクティタを凝視している。肌に突き刺さる強い視線に、ゴーイチが不安気に言った。
『……バレてる?』
「そ、そんなまさか。ヴィースだって気が付かなかったんだよ? たまたまだよ、たまたま」
強がりながらもレクティタの額には汗が浮かんでいる。彼女はそっと一歩、横に移動した。
「この完ぺきなとーめい魔法が、お化けにみやぶられるわけ──」
───ぐるんっ!
レクティタが言い終わる前に、魔人の目玉が勢いよく動く。間髪入れず、威嚇するよう青白い火花を散らし、複数の魔法陣が空中に展開された。
周囲のざわつきをよそに、狙いが定められる。
レクティタがいる、曲がり角に。
「───な」
レクティタとゴーイチは絶叫した。
「なんでバレてるのーーーーー!?」
*****
「ちょ、ちょっと……退いて。ひひ、邪魔っ。邪魔だってば!」
パウロの応急処置は兄に任せ、アルカナはレクティタを助けに廊下を進んでいた。
ミイラであったはずの魔人の腕が突如活性化したことは、かろうじて意識があったパウロから伝えられていたのだ。目的の人物は研究室を出てすぐさま見つかった。
アルカナは曲がり角にいるレクティタに向かって手を振ったが、遠すぎて気づいていないようだ。小走りで自分より背の低い群衆の間を縫いながら、彼女の元へ駆け寄る。
アルカナは焦っていた。何だかレクティタの姿に違和感を覚えたが、それどころではない。
彼女の身が心配であるのもそうだが、最たる理由は──
(僕の考えが合っているかどうか、早く確かめたい)
閃きが消えないうちに、己の仮説を検証したかったからだ。
(多分、レクティタ隊長には魔力がある。あるけど、それは大気中と同じ。一人だと魔法は発動できない量)
教授室と研究室が集まっているこの西館は、建物の片側にそれぞれ五つずつ配置されている。エフォリウスの研究室は三階最奥にあるため、レクティタのいる曲がり角とは両極に位置していた。
魔人の腕は、四つ目の研究室前に鎮座していた。
(濃度の関係と同じだ。濃い方から薄い方へ流れる。だから、僕達は魔力切れしないと魔石から魔力を貰えない。魔石の魔力量と魔法使いの魔力量なら、僕達の方が上だから)
一つ目の研究室を通り過ぎながら、アルカナは考えを纏めていく。
(王国以外の人間が魔石を使用しても魔法が発動しないのは単純に量が足りていない。大気中の魔力以上になっていないんだ)
アルカナの意識から喧騒が遠のいていく。肩がぶつかった学生から文句を言われても、彼の耳に届くことは無い。
大量の魔石を使えば可能かもしれないが、アルカナは一旦それを頭から追い出した。今の主題はそちらじゃないからだ。
大股で、二つ目の研究室も通り過ぎる。
(理論上、レクティタ隊長は魔石でも発動できるはずだ。魔力切れの魔法使いと同じ状態なんだから。隊長が魔石で魔法を発動できないのは、単純に)
アルカナの脳裏に、「詠唱」の単語がよぎった。
(肝心の隊長の魔法自体が、効率化できていないんだ)
三つ目の教授室の半分に差し掛かったあたりで、野次馬の量が増え始めた。
(魔力自体は吸収していても、魔石程度の含有量だとまだ上手に発動できない。でも、ヴィース達ぐらい魔力差が大きければ、非効率のままでも魔法が使えたんだ)
アルカナは人混みを分けながら、三つ目の研究室も通り過ぎた。途中で教授らしき女性に呼び止められたが、彼は無視した。
(考えたくないけど、ヴィース達の魔法の威力も、本来ならあれ以上に増大する可能性が高い。末恐ろしい──)
レクティタのいる曲がり角まであと一教室──というところで、不意にアルカナは現実に引き戻された。
魔人の腕が、青白い火花を散らし始めたからだ。周囲の悲鳴や叫び声を、アルカナの耳は急に拾い始めた。
「────っ、まずい!」
空中に展開された魔法陣がどこに向けられているのかを知り、アルカナは咄嗟に手を前方へ翳した。
発射された光弾が、結界と衝突する。
ガガガガガガッ!と、たちまち廊下に轟音が響く。
レクティタ目がけて放たれた光弾が、アルカナの結界によって阻まれたのだ。突然始まった攻防に、学生達が騒ぎながら蜘蛛の子のように散っていく。レクティタ自身も逃げようとしたのか、彼女は猫のように柵に飛び移ると、今度は天井の梁からぶら下がっているシャンデリアへと跳躍した。
「た、隊長!? ひぇっ!?」
「アルカナーーー! 助太刀かんしゃーーー! もっと支援してーーー!」
サァーッと、アルカナの顔から血の気が引いていく。大人の気など露も知らず、場違いな幼い声の主はシャンデリアの腕木に捕まり、逆上がりの要領で細い足場へと昇る。魔人が後ろから追ってきたのを見て、ゆらゆらと揺れる照明の上をレクティタは走り出した。
「ヒィッ!! は、走らないで! 落ちる、落ちるから!」
アルカナはレクティタを追いかけながら、先程よりも威力も速度も上がった魔法の弾を次々と円形の幾何学模様で阻む。
両者がぶつかるたび、金属音とも爆発音とも取れる衝撃が鼓膜を震わす。光弾も結界も互いに壊れていき、青白い火花を伴って周囲に霧散していく。研究室に避難した生徒達が、扉に身を隠しながら慄いていた。
「か、加勢した方がいいんじゃ……」
「無理だって。教授達ですら手を出しあぐねているのに」
「触媒無しで結界なんて三枚も張れないよ。化け物の狙いがわからないし、空中ばっか攻撃して気味悪い……」
彼らの話し声は、ひっきりなしに続く轟音にかき消された。
既に五十を超える攻防を繰り広げているが、アルカナに疲れた様子はない。魔人の腕がシャンデリアや天井の梁を狙いを定めても、悉く先読みして破壊を封じる。跳弾も警戒されていると勘付いた敵対者は、発動しかけた魔法を消し、一度立ち止まった。
刹那、魔人の腕を中心に大きな魔法陣が展開される。力で押し切ろうという魂胆か。まるで複数の魔法陣が連なって一つの円となったそれに、アルカナは「ひんっ!」と泣き言を漏らした。
「最悪! 下品だよ、そんなの!」
アルカナは独特な感性で非難しながらも、すぐさま逃げているレクティタに結界を三重に張る。それも、先ほどより遥かに強固なものを。
ただならぬ気配にレクティタが振り向けば、一瞬の間も置かず、魔力の奔流をぶつけられた。
相手を射抜くことに極限まで効率化された光線。眩いほどの光を放つそれは、周囲の人間の視界を奪う。
当事者達以外が思わず目を瞑る中、ある意味力業とも呼べるシンプルな暴力は、三枚のうち二枚の結界をいとも容易く破いた。目前に迫った圧倒的な力を前に、レクティタが「あわわわ……!」と後退る。
「は、肌がチリチリする……! こんなの当たったら、レクティタ丸焦げになっちゃう……!」
『レクティタ! ニゲル! アッチ!』
「う、うん!」
襟元にぶら下がっているゴーイチが、数メートル先にある廊下を示す。ちょうどそこはエフォリウスの研究室前だった。シャンデリアを介して戻ってきたのだろう。攻撃の直線から外れるそこへレクティタが走り始めたのを見て、アルカナが彼女を呼んだ。
「隊長! こっち! こっちに来──」
と、腕を広げたところで、アルカナは自分がレクティタに怖がられていることを思い出した。
しまった。これでは彼女が射線から逃げられない。判断を間違えたと、アルカナが腕を下げる前に────レクティタは腕木の端を蹴り上げて、彼に向かって飛び込んだ。
「とうっ!」
「え────うわぁっ!?」
最後の結界も割れ、光線がレクティタの背後でシャンデリアを焼き尽くす。
上空から飛び降りてきた五歳児を痩躯のアルカナが受け止めきれるはずがなく、彼はレクティタを胸元で抱えながら尻もちを付いた。転びながらも自分を捕まえたアルカナに、レクティタとゴーイチが顔を上げて親指を立てる。
「ナイスキャッチです、アルカナ」
『カンシャ、カンゲキ』
「ひ、ひひ……どうも……?」
平然とした態度のレクティタに疑問を持つも、それを晴らす時間は無い。魔人の腕が、今にも二人を襲おうとしていたのだ。
魔法を撃つほどの魔力が残っていないのだろう。瑞々しかった肌が元のミイラのようにボロボロと剥がれ落ち、手の甲の目玉からは白煙が上がっている。アルカナはそれを一目見て、虹彩の中の魔法陣が「射撃」であると見抜いた。
(成功するとああなっていたんだ。勿体ないなぁ)
アルカナは名残惜しく思いつつも、レクティタに言った。
「いひ、隊長。いつも付けているペンダント、今日もある?」
「? あるよ。これがどうしたの?」
レクティタはゴーイチを退かし黒い水晶のペンダントを取り出せば、アルカナは前方を指差した。
「ひひ、実験だよ。あっちの化け物を倒す、実験」
「た、たおすの? レクティタが?」
「そう。ひひ、大丈夫。隊長なら、できるよ」
魔人の腕が、二人に飛びかかってくる。レクティタが不安げに見上げれば、アルカナの前髪がわずかに動いた。
「ペンダントを握って、僕の言葉を復唱して」
黒髪の隙間から、アルカナの瞳が覗く。
切れ長の形で、白目部分が黒い。虹彩部分には幾何学模様が描かれており、魔法陣のようだった。
それはまるで魔人の目とそっくりなのに────レクティタは、きらきらしていると、見惚れたのだ。
「射抜いて」
アルカナが詠唱を口にする。
襲い掛かってくる敵に向かって、レクティタも思いっきり叫んだ。
「────ぶちぬけぇーーーーッ!!」
どくん、と心臓が跳ねる。身体中が熱くなり、眼前で目が痛くなるほどの光が輝く。
あと少しで二人を掴めるほどの距離に迫った魔人の腕の動きが鈍る。
己の目に刻まれた同じ幾何学模様に、まるで驚くように指を広げ────
────レクティタが放った光弾に呑まれて、姿を消した。
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