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41 そういうことか

 聞きなれない単語を、レクティタは繰り返した。


「じんたい、じっけん……?」


「人間の身体を実験に使うってこと。ご法度……絶対に、手を出してはダメなものなんだよ。アルカナは身内を使おうとして失敗して、目に傷を負ったという話を信じている奴が多いんだ」


「……それって、本当なの?」


「まさか! 成功するわけないのに、禁忌に触れるほど馬鹿じゃないだろう、アルカナも。まあ、移籍したし何かしらやらかしたのは間違いないだろうけど……」


 パウロは困ったように笑った。


「それでもここまで言われるのは、きっと、彼が軍に所属していることも、その一因だろうね」


「……魔法軍にいるのも、ダメなこと? 悪いこと、なのですか?」


 レクティタは縋るようにゴーイチを強く抱きしめる。軍人の身内だと勘違いしたのか、パウロは慌てて訂正した。


「ごめん、軍人を悪く言ったつもりじゃないんだ。軍は必要だし、国のために戦う彼らには敬意を持っている。ただ……研究者としては、複雑なんだよ」


 パウロは目を伏せ、沈んだ声で言った。


「どうしたって、軍の研究は……人の命を奪うものが主になるから。そういうのに抵抗を持つ人は少なくないんだ。僕も含めてね」


 パウロの台詞に、レクティタは戸惑った。


「じゃあ、そういうことに使わないでくださいって、お願いすればいいのに」


 レクティタは軍人の仕事を正確に把握していない。そして、パウロも幼子に詳細を語るのは憚られたのか、曖昧に笑った。


「そうだね、お願いするしかないよね。さ、こんな話忘れて本題に戻ろうか。魔人の研究、見てみたいでしょう?」


 パウロは手を叩き、わざとらしく明るい声を出した。立ち上がった彼に、レクティタも椅子から降りた。


「パウロさん。アルカナのこと、教えてくれてありがとうございます」


「いいよ、お礼なんて。ただ、さっきの噂、本人には言っちゃダメだよ。不快にさせるかもしれないからね」


「……うん。言わない、ぜったいに」


 レクティタが頷けばパウロは微笑み、「こっちだよ」と部屋の一番奥を案内する。レクティタはパウロの後ろを付いていきながら、俯いた。


(知らないところで悪口言われるの、こわいもんね)


 レクティタは、離宮での日々を思い出した。月に一度レオナルドと会うときや、こっそり部屋を抜け出したとき。侍女達の悪意が籠った話し方や笑い声を聞いて、ぎゅっと胸が締め付けられて、手足の力が抜けていった感覚を。

 アルカナを怖がるのとはまた違う、あのような意図的に人を傷つける空気は嫌だと、レクティタは無意識に忌避感を抱いていた。


「……あっ」


 と、そこでレクティタは気が付いた。

 研究室に入った直後、アルカナの名前が囁かれていたのは、自分が離宮にいたときと同じなのだと。


(そっか……アルカナも…)


 レクティタがゴーイチを抱え直せば、小さな友人は彼女を見上げた。レクティタはゴーイチに語り掛けながら、気持ちの整理をする。


「アルカナだって、怖いのいやだよね。痛いのはいやだもんね」


 レクティタはアルカナの境遇に同情した。そして彼と同じ痛みを共有していることに親近感を覚えると、不思議と外見への恐怖が薄れていった。


「じゃあ、レクティタが味方にならないと。アルカナひとりに、苦労はさせられないのです」


 「ねっ」と、レクティタはゴーイチに同意を求める。友達は頷いてくれるものだと思ったが、なぜか腕に抱えている彼は慌てていた。ぱたぱたと訴えかけるように腕を振るゴーイチに首を傾げていると、前を歩いていたパウロが振り返った。


「……ん? ティタちゃん、今何て言った?」


 パウロに偽名を呼ばれてようやく、レクティタは普段通りに名前を言ってしまったことに気が付いた。あたふたと目を左右に泳がし、何とか失言を誤魔化せないかと口ごもる。


「えっとえっと、その──あっ! これが魔人のミイラですか! すご~~~い、焦げてる~~~」


 レクティタはパウロが細長い木箱を持っているのを目敏く発見した。わざとらしく話題を逸らしながら、彼の隣に並ぶ。パウロはレクティタの失言について追及せず、彼女の視線に合わせるよう箱を抱えたまま床に膝を突く。

 中にはクッションが敷き詰められており、その上に薄汚れた包帯で巻かれた腕が入っていた。肘から上のそれが、魔人のミイラだった。

 腕の包帯から覗く肌は黒ずんでいたが、形や指の本数は人間のものと変わりない。ただ、手の甲に薄っすらと円が描かれている。

 レクティタは木箱を上から覗くよう顔を寄せながら、パウロに尋ねた。


「手になんか描いている」


「よく気付いたね。これは未知の魔法陣で、まだ解析できていないんだ」


 パウロは片手と膝で器用に箱を持ち、空いた手で腕の説明をする。


「さっきも説明したけど、魔人のミイラは魔法が発動できる。今も魔力が宿っているからね。ただ、こんな風にミイラに刻まれている魔法陣は発動しない。おそらく魔法陣が欠けてしまったから、どうすれば元に戻せるのか調べているところなんだ」


「ほうほう。それがパウロさんの研究ないよーですか。どんなふうに調べるの?」


「調べ方は地味だよー。昔の文献から似た魔法陣を探して、ちょっと変えつつミイラの上に乗せて発動できるか試してみるんだ。そこから反応の良し悪しでまた魔法陣を探したり変えたりして、ひたすら繰り返すの」


「へぇー、ほんとに地味だぁー……研究ってきあいが必要なんですねぇ」


「そうだね。でもこの仕事も悪くないよ。せっかくだし、ミイラに触ってみる?」


「えっ!? いいの!?」


「代わりに優しくね。壊れないよう魔法をかけているけど、それでも注意して。はい、手袋」


 レクティタを粗暴な子供ではないと判断したのか、パウロはポケットから手袋を取り出し彼女へ渡した。

 レクティタが大人用の手袋を無理矢理手に嵌めたのを見計らって、パウロは木箱を傾ける。レクティタはほんの少し前のめりになって、おそるおそる指をミイラへ近づけた。ちょん、と指先が黒ずんだ肌に触れ、人の皮膚とは違うかさついた感覚に彼女の声が震える。


「ふおぉぉ……い、意外とかたい……」


「ははっ、良い反応。掴んで持ち上げてみてもいいんだよ?」


「う、うう、きょうみありますけど、動きだしそうでこわい……」


「動かない動かない。ただの腕なんだから」


「でも、お化けにじょーしきは通じないのです。とつぜん、『ウガーッ!』って、叫びながらおそってくるかもしれない。ゆだんたいてき、です」


(喉ないのにどうやって叫ぶんだろう……)


 パウロの内心の突っ込みなど知らず、レクティタはちょんちょんと指先で魔人のミイラを突いていく。

 前腕から徐々に上の方へ移動していき、手の甲を触る直前、レクティタは魔法陣を見ながら呟いた。


「これって、どんな魔法なんだろうねー。どうせなら、見てみたかったなー」


 ぶかぶかの手袋をした指で、ちょんと、ミイラの魔法陣に触った。

 直後、


「────えっ?」


 魔人の指が、軋むように動き始めた。


*****


 レクティタをパウロに任せている間、エフォリウスとアルカナは入ってきた扉付近の棚の影にいた。

 学生達は二人を遠巻きに見つつも、近寄ってはこない。会話が聞こえない程度の距離だ。聞き耳を立てようと思えば可能だが、余計な真似をして教授に睨まれたくない、というのが学生達の本音であった。

 エフォリウスは壁に背を預け、懐から煙草入れを取り出した。煙草を吸おうとする兄に、アルカナは頼むように言った。


「ひひ、兄様。僕にも一本ください」


「吸えるのか?」


「僕もう二十五ですよ。酒も煙草も、それなりに嗜みます。いひっ」


「……年を取るのは嫌なものだな。お前の年齢を、すっかり勘違いしていたよ」


「兄様こそ、葉巻しか吸わないと思っていました。いひひ、倹約でもしているんですか?」


「こっちの方が手軽なだけだ。ほら、受け取れ」


 エフォリウスはもう一本煙草を取り出し、アルカナに渡す。弟が煙草を咥えたのを見計らって、エフォリウスは「着火(アルデンス)」と魔法で二人分のそれに火を点けた。

 しばしの間、二人は無言で煙草をくゆらせた。ブランデーに似た香りとわずかな甘みを味わったあと、エフォリウスが本題を切り出す。


「それで、貴様は何を悩んでいるんだ」


 兄に指摘され、アルカナは素直に白状した。


「ひひ……兄様。僕達の身体ってどうやって魔法を発動しているんでしょうね」


 エフォリウスは黙って弟の話を聞く。


「体内にある魔力を二回変換した後に魔法が発動されているのではないかと、ひひ、ソルテラの研究者から指摘されました……一度目は体内に散らばったマナを動かして、その後に再び何らかのエネルギーに変えていると。いひひっ。でも、体内にそんな器官があればもっと早く発見されますし……何より、誰かが気づくはず。もしかしたら、僕が知らないだけで既に研究されているのではないかと思ったんですけど……」


「魔法使い特有の臓器など聞いたことが無いな。医学系の研究でも似た事例はないはずだ……それよりも、アルカナ。まさか貴様、とぼけているわけではあるまいな?」


 エフォリウスが訝し気に煙を吐き出し、アルカナは困惑した。


「? 何をですか?」


「我々は無意識に体内の器官を使用して、その二度目の変換作業をしているということだ。少なくとも、私には心当たりがある」


 エフォリウスは煙草を持っていない方の手で、トントンと己の喉を示した。


「詠唱だ」


 兄の言葉に、ピシリとアルカナが硬直する。エフォリウスは近くにいた使い魔に灰皿を持ってこさせ、そこに煙草の灰を落とした。


「王国魔法の場合のみ、だがな。発声と呼吸、どちらが重要か、それとも両方必要なのかは、個人魔法を調べれば見当がつきそうだが…………おい。へそを曲げるな、アルカナ」


 エフォリウスが静かなアルカナの様子を見やれば、弟は怒りでわなわなと震えていた。


「あ、あ、あんな美しくない、やかましいだけの、ただの音が!? 僕を三日も悩ませていたっていうのか!?」


 アルカナに耳元で叫ばれたエフォリウスは、眉間に皺を寄せながら半身を捻って距離を取った。


「どうして貴様は詠唱のことになると躍起になるんだ。昔から理解できん」


「だって!! 完成されている芸術品に素人の演奏を後ろで延々と流されている様なものですよ! 冒涜です! 魔法陣に対しての!!」


「相変わらず独特な感性をしている。貴様の言う素人と一流の違いは、私にはわからないがな」


「そんなの、魔法陣が嘆いているかどうかで判断すればいいじゃないですか。ひひ、彼らは感情豊かなので、ちゃんと観察すれば機微がわかるようになりますよ。いひっ」


「……………………天才の言うことは違うな」


 だから関わるのが嫌なのだと、エフォリウスはアルカナに振り回された過ぎし日を思い出し、こめかみを抑える。油断すれば小言が出てきそうになる口を煙草で塞げば、アルカナも同時に煙を吐いた。


「ひひっ。天才ですか。何も成せてないのに?」


 棘のある言葉に、エフォリウスは思わずアルカナを見た。

 十歳年下の弟の顔は、長い前髪で大半を隠され、その表情は読めない。だが、彼が持っている煙草の吸い口が、噛み跡を残して潰れていた。


「兄様が持ち上げるほど、僕はすごくありませんよ。いひっ。この目も、結局失敗していますし」


「……貴様はまだこれからだろう。そんな歳で成果に焦るなんて、私から見れば贅沢だ」


「やりたい研究ならそういう考えもできるんですけどね……ひひっ」


「軍の研究に不満があると?」


「ひひ、今回の件はむしろ興味があります。ただ……提案者には言っていませんが、兵器に転用される可能性しかないでしょう。魔法と科学の融合なんて」


 アルカナはずるずると背中で壁を擦りながら、床に腰を下ろした。


「やだなぁ。僕の研究成果で人がいっぱい死ぬのは、やだなぁ……」


 アルカナの消え入りそうな声に、エフォリウスはしばし言葉をかけることができなかった。煙草を灰皿に押し付け、一度唇を湿らせてから口を開く。


「……そういうのは、研究成果が出てから心配しろ。それに……例え兵器に転用されたとしても、戦争など一個人の意思ではどうにもならない。貴様の責任ではないはずだ」


「ひひ、いひひひっ。気休めはいりませんよ、兄様。ただの愚痴なので。軍人になった時点で腹は括っています。僕個人が割り切れないだけです」


「だが、決定権を持たない人間にとってどうしようもないのは事実だ。貴様が罪悪感を覚える必要などない」


「本気で言っていますか? エフォリウス兄様」


「……」


「いひひ、やっぱり。噓吐き。ひひ、まあ良いです。本題から逸れてしまいましたね。話を戻しましょうか」


 アルカナは煙草の灰を皿へ落としてから立ち上がった。


「いひ……詠唱は盲点でした。存在すら無かったことにしていたので……ひひっ。でも、詠唱が欠けていただけな話でもなさそうです」


 アルカナはヴィースの魔法の威力が大幅に増大した時と、アヴェンチュラが空へ吹っ飛んで行った場面を思い出す。

 あの時、レクティタは詠唱を唱えていない。前者は掛け声はあったが、後者はそれすらも無かったはずだ。

 だからアルカナは最初の時点で詠唱は不必要だと判断し、実験を行った。しかし、兄の指摘と双子の研究者の仮説を鑑みれば、アルカナの考えこそ間違っているだろう。彼は素直にそれを認めたが、内心ではどこか引っ掛かりがあった。


「おそらく、もっと根本的なものを見落としているような……」


 頭の中をもやもやとさせながら、アルカナは半分ほどになった煙草を眺める。

 火が灯った先端から白い煙が立ち上っては、すぐさま空に消えていく。微かに残った独特の苦甘い香りが、煙が完全に無くなったわけではないことを証明していた。目に見える白いモヤが見えなくなっただけで、実際は今もこの場に漂い続けている。

 そして、煙はゆっくりと空気中に広がっていき、やがて研究室全体にまで及ぶのだ。


「………」


 アルカナはふと、レクティタの性質を思い出した。

 魔力が無い子供。無い、というのは、この場合数値がゼロということ。

 ゼロがあるということは、基準が定められているということ。


「……エフォリウス兄様」


 ────その魔力の数値は、どこを基準にしている?



「魔力測定器って、大気中を『ゼロ』としていますよね?」



 アルカナは煙草を灰皿に押し付け、エフォリウスに向き合った。先程とはかけ離れた強い口調に、

エフォリウスはわずかに目を見開く。そして、アルカナから顔を逸らすように新しい煙草を取り出し、苦い顔で火を点けた。


「……ああ、そうだ。空気にも魔力は漂っているが、微量のため測定の影響は無いとされている」


「でも、厳密にはゼロでは無い。なのにそこを基準にしたら、大気中と同じ量の魔力を保有する人間も『ゼロ』と判断されるではありませんか」


「大気中を基準にしている理由は、魔法を発動できるラインがそこだからだ。魔法の発動には、大気中以上の魔力が必要だ。例え微量の魔力を保有していても、魔法が発動できなければ魔力は『無い』とみなされてもおかしくないだろう」


 エフォリウスは苛つきながらアルカナの問いに答えた。彼は弟とのやり取りに身に覚えがあったのだ。過去に何度も付き合わされた、確認作業だ。


「ああ、そっかぁ」


 今は昔と違って、アルカナの目は髪に隠されているというのに。


「魔力が『無い』人間は、ゼロ(・・)マイナス(・・・・)の二つに分けられるんだ」


 エフォリウスには、アルカナの期待に満ちた瞳が見えた。


「それじゃあ、ゼロ側の人間に魔力を与えれば────すぐに魔法、使えますよね? ひひっ」


 アルカナが小さく口角を上げた刹那────


「ぎゃあああああーーーーー!! お化けだああああああーーーーーー!!」


 レクティタの悲鳴が研究室に響き渡った。

8/6に第二回SQEXノベル大賞金賞を受賞&書籍化・コミカライズ決定しました。ありがとうございます。

引き続き、レクティタ達の物語を応援していただけると嬉しいです。

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ここまで夢中でした!面白いです!
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