40 異端児
「わっ、可愛い。パウロ先生の妹さんですか?」
「違う違う、ラミネル教授の親戚らしい。おそらく、ご実家の方」
「あらまあ、キルクルス家の? あなた、お名前は?」
「えっと、ティタです。こっちは友だちのゴーイチ」
レクティタが女子生徒に挨拶していると、彼女の奥で人影が動いた。もう一人いたらしく、現れた男子生徒が女子生徒と被らないよう首を伸ばし、パウロに声をかけた。
「パウロ先生、さっき生物学の二年生が補習課題を提出しにきていましたよ」
「うわあ、またか。バラバラにくるなって言ったのに。まだいる? その生徒」
「廊下で待たせています」
「わかった、ありがとう。少し席を外すから、この子を見ていて。ティタちゃん、すぐ戻るからここで待っていてね」
「りょうかいです。大人しくしています」
レクティタが頷けば、パウロは忙しなく廊下へ出て行った。
一人残された彼女に気を遣って、女子生徒が背の無い椅子を近くに持ってくる。
「えっと、ティタちゃん? 良かったら座って待つ?」
「おきづかい、ありがとうございます。では、お言葉にあまえて」
レクティタが椅子に座れば、男子生徒も声をかけてきた。
「ジュースあるけど飲む?」
「だいじょーぶです。それより、魔法見たい。できれば、どーんと、はでなのが良いです」
「派手って、例えばどんな?」
「ばくはつとか」
「それは困るわね……代わりに、こっちはどう?」
女子生徒は机の上にあった鉢植えを手に取った。中には土が入っている。「見ていて」と言って、彼女はトマトの種を土に埋めてから、杖を手にした。
「育って」
詠唱と共に杖の先を向ければ、魔法陣が鉢の上に出現する。わずかに光った直後、ひょっこりと土の中から芽が生え、その後めきめきと成長した。花が咲いたかと思えばすぐに散り、瞬く間にツヤのあるトマトが実った。
「わぁ! なにこれ! トマトが育った!」
「成長促進魔法よ。名前の通り、植物を成長させる魔法なの」
女子生徒は実ったトマトを茎から取ると、「食べてみて」とレクティタに手渡した。
レクティタはゴーイチを膝に置き、トマトを両手で持った。ぐるりと一通り観察してから、口を付ける。見た目は普通だったが、味はどうか。小さく齧ってみれば、トマト特有の青臭さが口の中に広がった。
「おお、トマトだ。トマトの味がする。びみ、びみー」
「ふふ、ちゃんと食べれるでしょ? この魔法はね、気候に関係なく種から一瞬で育ってくれるのよ。食料や衣料、薬の生産にも大きく寄与しているわ。この魔法を発案して、しかも魔道具まで作ったのが、キルクルス家なのよ」
レクティタは一瞬、女子生徒の意図が理解できなかったが、自分のために「キルクルス家」の功績を伝えているのだとすぐさま察した。
「キルクルス家って、そんなにすごいの?」
レクティタはアルカナの生家についてあまり知らない。最近まで本人とまともに会話しなかったのもあるが、他の隊員達からも聞いたことがなかったのだ。
なかよし作戦成功のために尋ねれば、女子生徒は「凄いわよ」と詳しく教えてくれた。
「ここまで食料を安定して供給できるのは、他国では不可能だもの。不作の際や軍の兵站にはもちろん、嗜好品にも役立っているわ。例えば、チョコレートとか」
「む? チョコレートが、どうしたのですか?」
好物のお菓子にレクティタが反応すれば、傍にいた男子生徒も話に加わってきた。
「昔は高級品だったんだよ、チョコって。豆を輸入に頼るしかなかったから、貴族でも滅多に食べられなかった。でも、今は国内で安定して生産できるから、平民でも手が届くようになったんだ。これでコーヒー豆も栽培出来たら最高だったんだけど……」
「こーひー? なにそれ」
「飲み物よ、飲み物。苦いんだけど、チョコと相性がいいの。ミルクとお砂糖を混ぜても美味しいのよ。王国でも人気だったんだけど、栽培できなかったのよねぇ」
「どうして? 魔法で、育てられなかったの?」
「ううん。原材料の種をいっぱい持ち出したせいで、貿易関係が悪化して、色んな国と戦争になりかけたのよ」
「結果的に、周辺国は特産物の種の輸出を禁止にしたんだ。コーヒーは普及する前に、それの煽りを受けちゃったってわけ。一応、粉の状態なら輸入できるんだけど……驚くほど高いから、おいそれと手が出せないんだよねぇ」
「へぇ~、そんな背景があったとは」
ため息をつく二人を横目に、レクティタはトマトをしゃくしゃくと食べ進める。
「こーひーは知りませんが、チョコレートはだいこうぶつなので、禁止されなくてよかったです。アルカナのお家に、かんしゃですね」
レクティタがなんとなしにキルクルス家に礼を言えば、ピリッと空気が張りつめた。場の雰囲気が変わった気配に、思わずレクティタが顔を上げる。丁度トマトを食べ終えた後、生徒二人は気まずそうに視線を交わした。
「アルカナって……あの、問題児部隊の……?」
「今日来ているってことか……? 嘘だろ……」
ひそひそと、レクティタに聞こえないよう二人は話す。彼らの態度が、レクティタの肌にじとっと纏わりつく。王妃の離宮で散々浴びせられた視線を、彼女は思い出した。
嫌な記憶を振り払うよう、レクティタはわざと明るい声で言った。
「どうしたの、急に小声になって」
「……その、君は、アルカナって人とどういう関係なの? 娘って、わけではなさそうだけど」
「ちょっと。やめなさいよ」
「別にこれくらいは確認してもいいだろ。教授ならともかく、異端児の方とは関わりたくないよ、僕は」
男子生徒の冷たい声に、レクティタはたじろいだ。敵意を察して、思わず身体を強張らせる。女子生徒がまた諫めようとしたところで、折よくパウロが戻ってきた。
「はぁ~~~……舐められているのかな、僕。二人とも、今日はもう二年生が来ても取り次がなくていいから──って、なに、この空気」
緊迫した場に、パウロが目を丸くする。男子生徒が、眉間に皺を寄せて、パウロに尋ねた。
「パウロ先生、この子ってあの『アルカナ』って方の知り合いなんですか」
「キルクルス家の縁類なんだから当然だろう。まさか、君、くだらない噂を信じているのか?」
「ですが、火のない所には……でしょう?」
「五年生にもなって、馬鹿な事言わないでくれ」パウロは呆れたように肩を落とした。「君は今年で卒業だろ? 不確かな情報を鵜呑みにする研究者なんて、先が思いやられる」
「しかし現に、宮廷から軍へと移籍しているではありませんか。しかも貴族なのに、厄介者の平民達と一緒だなんて……学園の最年少卒業者が、ですよ? ラミネル教授に同情しますね。出来の悪い身内のせいで、肩身が狭くなるんですから」
「いい加減にしなさい、子供の前で」
パウロは鋭い声で教え子を咎め、廊下を指差した。
「この話は終わりだ。しばらく、その頭を外で冷やしてこい」
男子生徒はまた言い返そうとしたが、パウロの有無を言わさぬ雰囲気に気圧され、大人しく席を立つ。
「……どんな天才でも、軍に下れば人殺しだ」
愚痴を零すよう呟いて、男子生徒は研究所を出て行く。扉が閉まり、張りつめた空気が少しだけ解れる。パウロが申し訳なさそうに、レクティタに謝った。
「ごめんね、ティタちゃん。嫌な気分にさせちゃったね。あそこまで、彼が保守的だとは知らなくて……」
「う、ううん。平気、です」
「……先生、すみません。私も少し、外の空気を吸いに行ってもよろしいでしょうか」
女子生徒は静かに腰を上げると、パウロに言った。彼女は居心地悪そうに、己の肘を掴んで身を守っている。ちらちらとレクティタを見る彼女に、パウロはこっそりため息を吐いた。
「わかった。ついでに、ほとぼりが冷めるまで、あいつを任せてもいい?」
「ええ、もちろんです。えっと、じゃあね、ティタちゃん」
よそよそしく別れを告げて、女子生徒は外へ出て行った。
残るはパウロとレクティタの二人だ。レクティタが不安そうに俯いていると、いつの間にかゴーイチが肩によじ登ってきて、こっそり彼女に声をかけた。
『レクティタ、ダイジョーブ?』
「うん、大丈夫。それよりも……」
レクティタは再びゴーイチを胸に抱きしめ、パウロに尋ねた。
「ねえ、パウロさん。アルカナって、何かしたの? 『いたんじ』って、どういうこと?」
「子供が知る必要ないよ」
パウロは即答したが、「パウロさん、おねがい」とレクティタは食い下がる。椅子から降りて、てくてくと近寄ってきた幼子を、パウロは無下にできなかった。
「……アルカナの目については、知っている?」
パウロが苦い顔をして尋ねれば、レクティタはふるふると否定した。パウロは床に膝を突き、彼女と目を合わせて、ゆっくり話し始めた。
「前置きしておくけど、これは荒唐無稽な噂だ。アルカナは、自分の目を魔人と同じものにしようとして──人体実験を試みた、という話なんだ」
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