第1話 プロローグさん
存在とは何か。そこにあるもの。そこにいるもの。そして闇山津見神はここにいる。ここにある。
「…………」
現実に存在している、間違いなく、そう強く言い聞かせるよう、俺は石階段を踏みしめ一定のリズムで上がっていく。ここは高天原。天津神の住まう地である。ここで信仰が無いせいで存在が透けて消えてしまいそうな、己を助けてもらうために来たのだ。
「はぁ……」
溜息をつきながらも頂上を目指す。決して肉体的に疲れている訳ではない。精神的に疲弊しているだけなのだ。俺は両手を握っては開くという動作を無意識のうちにしていた事に気づく。幾度となく繰り返していくうちに、段上にある社が見えてくる。
「天之御中主神……」
俺は呟く。その名は日本における最高神、造化の三神ともいう。立派な社を見据えながら、意を決するように拳を握り入口へと立つ。
訪問を伝える為に言葉を放つ。うわずった声にならないように声量を抑えてしまうが、問題なく聞こえているだろう。何せ相手は日本の最高神だ。
「闇山津見と申します。本日はお願いがございまして……」
――すると奥から本人であろう声がする。
「どうぞ~」
気楽な呼び声に躊躇するも、俺は自身の存在を示すかのよう履物を脱ぎ、室内へと向かう。声が聞こえた方へと進んで行くが、永遠とも言えるような長さの廊下を延々と歩いていく。
「こっちこっち~」
どのような作りになっているのかも見当がつかず、天之御中主神の誘導のまま導かれるように歩き続ける。一分程だろうか、一時間も歩いただろうか。己が時間の概念も崩されていくような感覚に陥った頃、眼前に障子が現れた。
「失礼します」
俺は正座をしながら障子を軽く開ける。未だ天之御中主神を見ることはない。
――覚悟を決め、障子を大きく開き入室する。
障子を閉め俯きがちの頭を上げた先に見えたのは、髪の長い中性的な顔立ちのする御方であった。
「突然の訪問にも関わらず……」
「いいよいいよ~ 久方ぶりの来訪者だしね~ まぁまぁ気楽に気楽に」
随分と砕けた印象を持ったが相手は至高の神。失礼があってはと並々ならぬ緊張をほとばしらせていたが、天之御中主神の一言で一気に素の状態へ移行した。
「で? どこにいるのかな? 見えないんだけど?」
「えっ!?」
己を忘れ、これでもないくらい自己をアピールする。先ほどの緊張など既になかった。身振り手振り大振りなジェスチャーで存在を示す。
「ここです! ここにいます!」
天之御中主神顔をしかめるようにして――
「う~ん? う~ん。ボヤっとしてて見えそうで見えないね」
「あります! ここにあります!」
「蚊の鳴くような声は聞こえるんだけど……」
狂ったように舞ってみせるが反応は良くない。俺は全てを他人任せにして、両手を天井に向けて叫んだ。
「に、日本のみんな! 頼む! 頼むから信仰心をわけてくれ! みんなの助けが必要なんだ! 空に手を上げてくれ! 早く!」
天之御中主神は一時の後に回答を出した。
「こないね~」
「ちくしょぉぉぉぉぉぉー!?」
胡坐をかいていた天之御中主神は、すっと立ち上がり同じように両手を上げる。満足したかのように、うんうんと頷き先ほどと同じように胡坐をかく。
「おお。見える見える。いるねそこに。ちゃんといるよ」
「よっしゃぁぁぁぁ! いた! リアルタイムで日本にいた! 俺を信仰してくれる信者がっ!?」
「申し訳ないけど誰も応答してないよ。私の信仰心を貸してあげただけだからね?」
「……はぃ」
俺はがっくりと肩を落とし、そのまま正座した。決して小さくない体躯をコンパクトにまとめ、存在すらも儚く感じる程に。そして天之御中主神からの言葉を受け、さらに意気消沈する。
「ちゃんと信仰心返してね? 十日で三割……いや日に三割?」
「日三!? 既に悲惨な状態なんですけどっ!?」
う~ん、と考えるような素振りを天之御中主神は見せ――
「返す見込みもなさそうだから…… イチイチかな~?」
せっかく借りた信仰心が、漏れ出すように抜けていく感覚を味わいながらも、俺は信仰心借用書の内容を確認する。
「一日に一割ですか……? それでも返せるかどうか……」
「いや、一秒に一割だね」
「いやぁぁぁぁぁーっ!?」
俺は正座のまま畳をドンドンと叩いた。そのリズムが癖になったのか天之御中主神は、胡坐をかいたまま音に合わせて体を左右にくねらせている。
「まぁそれは置いておいて」
「……置いておいたら返す分増えますよね?」
「リアルタイムで」
「あぁぁぁぁぁーっ!!!」
まぁまぁと天之御中主神は俺の肩をポンポンと叩く。それすらも興が乗ったのか、両手を巧みに使い太鼓を叩くように音を奏でていた。
「……楽しそうですね」
「そりゃあもう。久々の来客だからね~ 何百年ぶりだろうか~ だから気にしなくていいよ。借りた信仰心は別の形で返してもらうから。それに正直言って信仰心なんて有り余ってるからね~ 放っておいてもグングン増えるよ~ やったね神ちゃん!」
それを聞いた俺は心底羨む。
「うらやましい限りです…… 流石は至高の神ですね……」
「…………」
――――部屋の雰囲気が一変する。天之御中主神は無言を貫く。
「あの……?」
俺は恐怖した。先ほどまでの明るさとは打って変わって、どす黒いオーラが天之御中主神から発せられ、まとわりつく黒い霧のようになって互いを包み込む。
「至高の神…… 私は至高の神! 多神の日本で最高神! なのに……なのにっ! 日本人ときたらイザナギ、イザナミ、アマテラスとかばっかじゃんかぁ~!? もっと私を信仰してよ~!? うぅぅぅ……」
俺は完全に同意した。そして失礼ながら嬉しくもあった。マイナー神である己と同じ気持ちを、最高神である天之御中主神ですら持っていた事を。
「心中お察し申し上げます」
俺は嘘偽りない本心を、座を正しながら告げる。そして感極まった高揚感の中から一つの疑問が芽生えた。
その言いようだと天之御中主神の信仰心は足りているのかと。だがそれは見れば分かる事。これほどまでに存在を確立させているのだ。無論のこと足りているのだろう。
ただ日本のメジャー神に比べれば少ないというという、嫉妬が絡んだ悲しい話であるだけだ。
相手を傷つけないように細心の注意を払い言葉を続ける。
「ですが信仰心は放っておいてもグングン増えるとお聞きしました。天之御中主神を信仰している者も多いという事に他なりません」
天之御中主神はゆっくりと瞬きした後――
「……それは違う」
「違うのですか?」
――区切りを付け話を続ける天之御中主神。
「……末端の神から中堅の神。中堅どころから上位の神。そして上位の神から私へと強制徴収してるんだ。信仰心は」
「完全に上納金システムですよねっ!? じゃあ俺なんて手元に信仰心なんて残らないじゃないですかっ!?」
「むしろマイナス。中元と歳暮もあるし、誕生日祝いとかもっとエグイよ?」
敵は高天原にアリ。俺は己が敵を見定めた。
天之御中主神はというと全く気にした体もなく、鼻歌を楽しげに響かせる。それを聞いた俺は核心を突いた。
「……じゃあ天之御中主神の信仰心は、新聞の発行部数を水増ししている押し紙以下って事ですよね? この押し神」
「やめてーっ!? ちゃんといるもん! 信者いっぱいだもん!」
「なら上納信仰システムを止めてもらいましょうか?」
「それはちょっと……」
はぁ~と盛大に溜息をつきながら俺は頭をかいた。だがここで負けていても仕方がない。何せ己の存在を確立させるがために高天原まで来たのだから。
「じゃあせめて私、闇山津見の存在を確立させて下さい。元々それがお願いで来たのですから」
天之御中主神は何故か目を輝かせていた。その眼差しを直視した俺は気味の悪い感触を覚え、怯えるように両手を交差して二の腕辺りを押さえる。
「闇ちゃんの願い聞いてあげるね! 無心! 信心! 無用心!」
「聞き逃せない単語が一つ入ってますし、各々の意味も不穏に感じますが聞かなかった事にします。本当に存在が消えてしまいそうなので助けて下さい」
正座したまま深々とお辞儀する俺、闇山津見こと闇ちゃん。天之御中主神は満足そうに頷き、とんでもないことを話始めた。心底嬉しそうに。
「実は、もう日本はいいかな~って思ってたんだよね。こんなに成長したし、私への信仰心も薄いし」
後半の言葉が本心だろうと思ったが、俺は目を閉じて一語一句聞き逃さないように耳を傾けていた。
「だから闇ちゃんには異世界で、私を含めた布教活動に行ってもらいます」
――――はい?
「い、異世界……? ちょ、ちょっと待って下さい! 日本の神ですよ俺はっ!? 日本を離れてどうしろっていうんですかっ!?」
当然の事を当然だと伝えるが、天之御中主神はこれから起こる結果も一目瞭然であると告げる。
「だって日本にいても消えちゃうよ? なら異世界で苦心惨憺、不眠不休、悪戦苦闘しながら神生を楽しんでみたら?」
「全く楽しめそうに聞こえないんですけどっ!?」
「まぁまぁ、貸した信仰心はチャラにしてあげるから~」
先ほどと同じように、まぁまぁとリズミカルに肩を叩かれると、天之御中主神は何か呟いた。その瞬間に無数の情景が室内に映し出され、画面を切り替えるように指を使いながら何か検索し始めた。
「も、もしかして他の世界なんですか……? こ、これら全て……?」
「そうだよ~ 闇ちゃんが馴染めそうな日本っぽい所を探してあげるから」
なら日本でいいです、と喉まで出かかった言霊を何回も反芻する。反芻とは食べた物をもう一度口内に戻し、更に噛んで胃に入れる事である。
それを何回でも出来るほどに時間は過ぎていく。雲行きが怪しくなってきた頃に、天之御中主神は面倒そうに欠伸をし、さらに目をこすりながら言い放った。
「もういいやここで」
「ちょっとぉぉぉぉぉー!? 俺の神生がかかってるんですよっ!?」
天之御中主神は両手のひらを上にして前に出しながら――
「テブン? ニホンゴ? トゥージッヨ?」
「おぃぃぃぃぃぃー!? 絶対日本語通じない世界ですよねっ!? 俺は日本語・英語・落語しか喋れないんですよっ!?」
天之御中主神は空中に映し出されている一つの異世界に指先を当てる。すると正座しながらも喚いていた俺の身体が、少しずつ光の粒となって上方へ消えてゆく。
「じゃあいってらっしゃい」
「待って!? 本当に大丈夫なんでしょうね!?」
笑顔で手を振り続ける天之御中主神は、変わらず気楽な物言いで言い放った。
「最近の流行っぽい異世界で中世っぽいところにしといたから~」
「もう下火ですよっ!? あっ…… 体が消えて…… いやぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――っ!!!!!!!」
こうして俺、闇山津見神は望まない旅をする事になる。己が神生と存在をかけて。